44. 憑依使いと悪魔と魔の王と
フォードは皆を解放していた。
幸運にも死者はなく、二人の王女や、イルサール王、使用人たち、従者見習いの子供ら、親衛隊の無事を見て安堵する。
「皆さん、ご無事で何よりです」
フォードはまずイルサールの前まで行くと、回復薬を与え、体力を取り戻させる。
「遅くなりまして申し訳ありません。もう少し……」
「いや、君のせいではないさ。顔を上げてくれフォード君」
イルサールはルザの配下に鞭打たれた怪我も忘れたように笑った。
すでにルザの配下全員を殴って気絶させている。もはや彼らを虐げる存在はいない。
「来てくれて感謝するよ。それと……直に会うのは、本当は初めまして、だよね? なんだか初対面の気がしないね」
「ええ、僕は幻の中で、陛下や王女たちと会っていましたから」
「なるほど、僕は夢の中で君と出会った。不思議な事もあるものだね」
「……あの夢は、いったい何だったのだ?」
リリカが破れた薄衣装を直し終えて言う。
「判りません。推測では何らかの魔術具ではないかと。……あるいは何者かの干渉か」
「現実を侵食し、あり得るはずのない邂逅を果たす怪現象……目的は不明だけれど、君と出会えた事だけは幸運だったね」
「はい。……いずれにせよその議論は、また後にしましょう。まずは皆の解放です」
フォードはまずイルサールを繋いでいる鎖を冥王臓剣で断ち切ると、同じく柱に繋がれているロブら親衛隊の鎖も断ち切った。
解放されたロブ、ネイラ、カルキノス達が、それぞれ礼を述べる。
「うはぁ、死ぬかと思った。かたじけないっす、フォードさん」
「感謝する。ありがとう」
「この恩には必ず報いる。姫様を救ってくれた事にもな」
さらには使用人や見習いの子供らもしきりに悦びの声を上げる。
「フォードさん、感謝致します!」
「た、助かりました……」
「ありがとうフォードお兄ちゃん!」
「す、凄かったよ、ルザ達に使ったの、催眠魔術だよね!?」
嬉しさのあまり抱きついてくる子供ら、涙を浮かべて拳を握りしめてくる召使い、歓喜に膝をついて体を震わせる者、様々だった。
フォードの胸に熱いものがこみ上げる。
だが、まだ全てが終わったわけではない。フォードは顔を引き締めるとイルサールへ振り返った。
「皆さん、無事陛下。急ぎ脱出しましょう。ここは危険です、いつ魔物が襲ってくるか判りません」
「その点は心配ないわ、フォードさん。ルザは、この階層を拠点化していたの。魔物を近づけない魔術具もあるわ。付近の階層も、危険というわけではないはずよ」
ルルカもやっと破れた薄衣装を直し終えてそう告げる。
「いえ。僕がこの七十八階層に来る過程で、多くの魔物が七十七階層や七十六階層に群がっていました。……これは異常です。本来はこの七十八階層にいるはずの魔物達が、他階層に追いやられ、苛立っている様子でした」
「そ、それって、魔物たちが凶暴になっているという事か?」
リリカが不安そうな顔で尋ねる。
「ええ。魔物にも縄張り意識はあるのです。それが例えスケルトンやグールでも。住処を奪われた魔物たちは怒りで凶悪になり、より激しい攻撃があると推測されます」
「そんな……」
現在、フォードは救出のために何人か傭兵を雇って迷宮の露払いをさせていた。
しかしそれは浅い層までだ。七十八階層のような深い層になると手は及ばず、三十階層程まではフォードはルルカたちを守りつつ、魔物を撃退しなければならない。
「申し訳ありませんが、戦える人は少しでも戦ってください。特に六十階層から五十階層に戻るまでのジャックフロストやスカルワームと言った、追跡型の魔物には、狙われると非常に厄介です。先頭は僕が活路を開きますので、皆さんは背後などの警戒を」
「了解、わかったぜ!」ロブが胸を叩き、
「ええ。もう姫様に不安はさせない」ネイラが頷き、
「このカルキノス、全身全霊で奮戦してみせよう!」
親衛隊三人も意気揚々と宣言してみせる。ルザの配下に鞭打たれた痕はいかにも痛々しいが、気力は充実している。援護程度は問題ないだろう。
「フォード、あの人達はどうするのだ?」
リリカの声に振り向いてみれば、踊り子たち七十人が壁際にいた。
全員、ルザによって街や村からさらってきた娘たちだ。
フォードとルザの戦いの最中、避難のため壁際で身をすくませていたのだ。
「……見捨てる事などできません。彼女らもルザの被害者です。危険ですが、全員連れていきまましょう。ルザが戻れば殺されるでしょうし、置いてはいけません」
正直、足手まといもいいところだが、放っておくわけにもいかないだろう。
見れば踊り子にされた娘たちは高貴と思われる身分も多く、おそらく王侯貴族や王女といった、非常に格式高い娘もいると思われる。むげにする事はできない。
フォードが決断すると、踊り子の中から、代表して珊瑚の髪飾りをつけた美女がフォードのそばへ寄ってくる。
「ありがとう、フォード様。ルザを追い払ってくれて。あなたはあたしたちの恩人だわ。この恩は絶対に忘れない」
「いえ、まだ安心はできません。それに僕はルザのやる事が気に入らなかっただけで――」
ぎゅっ。
ぎゅっ。
ぎゅっ。
助けてくれたお礼だろう、七十人の踊り子たちが、次々とフォードに近寄ると、薄衣のまま抱きついた。
「え」
「あたし、あなたのような人、好みよ!」「ねえ、地上に出たらお店来て? 優しくしてあげる」「や~ん、逞しい腕っ」「フォード様ぁ」
麗しく、露出激しい衣装のままの乙女の抱擁である。フォードは照れるしかない。
「む~、フォードに抱きつくのはリリカだけで十分なのだ!」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょうリリカ。武器持って、武器!」
嫉妬するリリカをたしなめ、ルルカが奥の倉庫から武器を取り出し皆に装備させる。
残念ながら元の服は全てルザに捨てられたので、肌もあらわな薄衣装で逃げるしかないが、ルルカとリリカの杖、イルサールの弓、親衛隊の武具は残っていた。
踊り子の感謝から逃げたフォードが剣を掲げ、声を張り上げる。
「全員、僕たちについてきてください。戦える人は少しでも援護を。先頭は僕が、しんがりはロブ達親衛隊が。王女二人とイルサール陛下は、中央で固まって移動を――」
〈――我が契約者よ、気をつけよ〉
エリゼーラの言葉の直後、フォードの背筋にぞっと震えが走った。
〈――何か邪悪なるモノが近づいておる〉
次の瞬間――フォード達のいる広場内を、凄まじい激震が襲った。
「うわあああっ!?」「きゃあっ」「な、何だ!?」
悲鳴を押しのけるように大音響が走る。
天井が激しく揺れて鍾乳石が崩れ落ちた。踊り子の大半が転び悲鳴と共に倒れ、粉塵が降り注ぎ更なる振動が壁を、床を、天井を、洞窟内の全てを揺らしていく。ひび割れる床と壁、轟音に次ぐ轟音――。
「フォオォォォオオドォオォォオオオオ――――――ッ!」
激震を起こし奥の岩柱を砕いて禍々しい声と共に現れたのは――
ルザだった。
だがその姿には人としての名残は無い。
体は黒く禍々しい鎧に覆われ、顔には黒い血管のごとき紋様。肩からは鋭利な刃のような棘が生え、体は四メートルをも超え肥大化し、魔鳥の翼に似た羽が生えている。
肌は赤黒く変色して、眼窩には煌々と熾火のような赤目――。
人の姿を捨て、人の理性を捨て、狂気の塊と化した、禍々しいナニカがいた。
「フォードォォォオオオッ! 見つけたゼェェェ、てめえヲ、ぶっ殺ぉぉぉスッ!」
「ルザ!? まだ抵抗を……っ!?」
「危ない、フォード――」
リリカの絶叫と共に、ルザが跳躍し禍々しい爪を叩きつけてきた。
とっさにフォードは冥王臓剣で凌ぐが、勢いと重圧で足場が砕ける。
まるで巨人十体にも踏み潰されたかのような荷重だった。フォードの手と腕と足の骨が軋む。肩の関節が外れかける。マズい、駄目だ、振り切られる。
「皆さんは下がってください! 親衛隊を前衛に全員走っ――」
「死ネやフォードォォォォオぁぁァァッ!」
「ぐあ……っ!」
悪魔化したルザの爪の薙ぎ払いが、フォードを壁際に叩きつける。
壁に激突したフォードへさらに怒号と共にルザが跳躍。身動きできないフォードに爪を、拳を、棘付きの肩の体当たりを雨のように連打する。フォードの体が軋み壁の奥へ完全にめり込んだ。
「あ、そんなっ、フォードっ!」
悲痛なリリカの悲鳴を聞き止めルザが振り返る。
その口には真っ赤な炎が見える。チロチロと赤い舌をちらつかせ、ルザは高く咆哮するや、口腔より紅蓮の火炎を吐き出した。
「うわあああああっ!」「姫さま――ぐあぁっ」
リリカ、カルキノス、踊り子の何人かが、水系の魔術で壁を作るが一瞬で突破された。
惨めな抵抗と嘲笑うかのように、火炎の渦はリリカ達を、その悲鳴ごと飲み込んだ。
「「リリカ――ッ!」」
イルサールとルルカの絶叫が洞窟内に木霊した。ロブが激昂してルザへ飛びかかり、ネイラが、チャクラムを、投げナイフを、激情と共に全力で投擲する。
だが、ルザには全て通じなかった。
黒く禍々しいオーラがガキキンと金属音を奏で弾き返す。ルザの槍もネイラの投擲武器も全て無意味。ルザが咆哮と共に飛びかかる。黒々とした爪でロブをずたずたに引き裂いた。背後で跳ぶネイラを肩のタックルで吹き飛ばし、踊り子の群れを回し蹴りで一層する。
「あああぁっ」「下がって早くっ、前に出るとやられ――」「ああ……っ」
まさに悪鬼羅刹による地獄絵図だ。七十人の踊り子も親衛隊も関係ない。可憐な乙女も、高潔な親衛隊も、一瞬で虫の息にされ地面に倒れ付す。
ルザはそれでも容赦しない。死ネ、死ネ、死ネ、愚か者どもめ! と呪詛を吐いて四肢に力をみなぎらせると、体にためた脚で、邪悪なオーラごと、高く跳躍した。
ぼろぼろのロブやネイラたちにとどめを刺す気だ。全体重と邪悪なオーラのこもった踏み潰しは、くらえば人間など跡形も残らない。ボロ布よりも惨めな肉片となり、凄惨な死体となるだろう。
ロブとネイラの脳裏の死の予感が呼び込まれる。
これまでの楽しかった思い出が、忘れがたい記憶が、大切な光景が、恐ろしいほどの速度で巡り廻る。
走馬灯だとロブとネイラが絶望するより速く。
ルザの死を呼び込む踏み潰しが、逃れられぬ死の運命を、ロブ達に刻む瞬間――
[聖なる加護の一撃よ。魔を祓う閃刃となりて、闇王を穿て! ――『デバインレイザー』!]
フォードの放った、神々しい光魔術が、ルザを吹き飛ばした。
反対の壁に激突し悲鳴を上げるルザをフォードが追う。額や体から血を流しつつも、光り輝く霊剣を右手に、美しく光る氷剣を左手に、フォードはルザへと飛び掛かる。
「おおおおおおおおっ!」
フォードがルザを斬り刻む。彼が持つ光剣と氷剣は、かつてガルグイユ要塞やカジノで手に入れた名剣である。フォードはルザに猛打されつつもその属性を解析、闇の力による強化だと看破。冥王臓剣より、光と氷の剣を――そう判断し、二刀流でルザの黒い兜を、胸甲を、肩板を、次々破砕する。
「ひ、ひ、ハハッ、ハハハッ! フォードォォッ! まさかそんな攻撃デ、俺を倒セルと思ってねえよナァ!」
呪詛と共に共に放った、ルザの爪の薙ぎ払いが、フォードの氷剣を打ち砕いた。
フォードはリバースソード改を取り出しルザの頭に叩きつけるや跳躍。マダラオオグモの霊糸を取り出し、ルザの首を締め付ける。
「クヒひハハッ、効かなイ! 効かナイ! そんな攻撃ッ、屁デモねえんだヨオッ!」
ルザの首に糸が深く食い込むが、ルザは全身に力を込め黒く発光。祝詞の詠唱――
[砕け散れ神タル我ノ敵! 魂ヲ穢され消滅せヨ。――『ヘルズ・パニッシャァァァ』――ッ!]
圧倒的な闇の奔流が、フォードの光剣とリバースソード改と霊糸を飲み尽くす。
フォードは咄嗟に下がったが光剣もリバースソード改も霊糸も塵すら残さず消滅した。
再生能力があるリバースソード改すら虚無に還す悪夢の技。
フォードが戦慄する。
ルザが狂喜する。
悪魔めいた翼を翻し、ルザがフォードの体を床へ叩きつける。ガンガンと恨みと憎しみをこめてフォードを叩きつけるルザ。
「くっ、あ、ぁ……」
メキメキメキとフォードの全身の骨が軋む。口の中から血が、腹の中で臓腑が、潰れるか切れるかして激痛が走る。
「フォーォドォォォオッ! 死ィィイネェェヤぁァァァ――ッ!」
「くっ、《憑依》――」
起死回生の力の発動――。
だが、本能的に危機を察したルザが、その場から飛び退き、壁際まで逃げた。
二度もフォードに負け、雪辱を味わったルザは彼の異能を察知。フォードの能力が、『洗脳』や『催眠』に類する物と看過して、敏感に逃げたのだ。
フォードが『煙』の状態のままルザに切迫するが、ルザは怖気を感じたようにフォードの『煙』から離れ、跳躍し、疾走し、憑依から逃れ続ける。
「埒が明かない、それなら――っ」
ルザを操る事を諦めフォードが『本体』へ戻り、雷紋剣を取り出す。
跳躍ざま陽光を十倍にさせたような雷光が、ルザの視覚と聴覚を殺す。
「グあァァァアアアアァッ!」
両目と両耳を抑えて絶叫するルザに、フォードは斬りかかる。首、肩、脇、胸、次々と光る斬閃が咲き乱れる。
「クハ、くひ、ハハハッ! 死ネ、ナイ! コノまま、お前ヲ、殺さズおくべきカ! フォードォォ! てめエは、俺ガ殺スッ!」
「やってみるがいいでしょう! 僕はあなたごときに倒れませんがねっ!」
「援護するぞ、ヒールっ!」
そのとき、紅蓮の炎の中からリリカの癒やしの魔術が迸る。
「ヒール! ヒール! ヒールオールっ!」
ルルカはフォードの他、親衛隊や踊り子達にも魔術をかけ、懸命に回復させていく。
ルザの火炎の息が吐かれた瞬間、彼女らは『緋影の篭手』で助かっていたのだ。
フォードがとっさに投げた耐火性能の篭手は、ルザの火炎で燃え尽きたが、おかげでリリカもカルキノスも、巻き込まれた踊り子達も無事だった。
「ヒールオール! ヒールオール! クイックムーブっ!」
フォードやルルカら傷ついた者の体に、癒やしの力がみなぎった。
次々起き上がるルルカ、イルサール、親衛隊や踊り子たち。
さらにクイックムーブで倍速化したフォードが、冥王臓剣と共に飛びかかる。
「おおおおおおおおおおおっ!」
雷紋剣と、冥王臓剣。闇と光を司る絶剣の二刀流が、ルザの尾を、肩を、斬り刻む。
「ヒ、ヒ、ヒャハハハハッ! フォードォォオオオッッ! 楽シクなってキタ! 踊ろうフォード! 死の御使いガ、てめえヲ屠るマデッ!」
「この世に存在すべきでない悪魔の申し子め、僕があなたに引導を叩きつける」
「やってみせロ、フォードッ! テメエの嘆キ、テメエの絶望ッ! それダケが俺様の望ミッ!」
フォードと悪魔ルザの激戦は、まさに自然災害であった。冥王臓剣の威力は岩柱を穿ち、雷紋剣の雷撃が天井壁もろとも破砕する。ルザの爪や魔術が洞窟ごと激震させ、互いばかりか周囲へも被害を拡大する。
崩落する天井の合間、フォードが焦燥に声の限り叫ぶ。
「イルサール陛下! 全員を連れて避難をっ!」
「しかしフォード君っ! 我々も援護をっ!」
「足手まといですっ! 退避を――くっ」
返事を待つ暇もなく、フォードがルザの体当たりを受けて弾け飛ぶ。
「ヒャハハハァァッ! もらっタァッ!」
ルザが両指に暗黒の力を結集する。その手に、十の指に、邪気が膨れ上がる。
[さえばる愚者に破滅の闇ヲ! 消エテ終焉と成セ! ――『ストレイド・グロウ』!]
ルザの両指全てから、おびただしい闇の光線が放たれる。
リバースソード改が真っ二つに折られ四散し、背後の壁をも貫かれ破壊される。
轟轟轟と階層が揺れた。粉塵が吹き荒れ、剥離した天井の一部が降りかかる。かろうじてフォードは避けたが壁に激突し視界が明滅する。
〈我が契約者よ、悪い知らせだ。今の攻撃で、魔物を退けていた仕掛けが破壊されたぞ〉
運が悪い事に、七十八階層を安全地帯とした魔術具が、これで攻撃で壊れた。
壁の向こうにあった杖の効力が消失。
死霊系の魔物が――縄張りを奪われ怒りに狂った魔物達が、七十八階層へ雪崩れ込む。
ハイスケルトン、ヘルズバット、トレントグール、スカルドレイク――死してなお人肉を貪る、冥府の使徒の群れが迫る。
「ハ、ハイスケルトンだっ!」
「ヘルズバットも! 多すぎる、そんな、あ、あ、あ……っ!」
「陛下、殿下、お逃げを! 我ら親衛隊が何としても守り――ぐおおっ」
ロブとカルキノスが迎撃に向かうも、ハイスケルトン達の体当たりに弾き飛ばされた。
ネイラがレンジャーの罠魔術を駆使し毒の沼を形成する。
だが、ハイスケルトンはともかく、空中を飛ぶヘルズバットの大挙には効果が薄い。
「ひ、姫様と陛下を守れ! 何としても!」
ロブ、カルキノスが血みどろになりつつも槍や召喚精霊の力で迎撃。
だが相手が悪過ぎる。魔物が段違いに強くなるとされる七十階層以上――そこに巣食う魔物の戦闘力は、じつに通常の数倍――七十八階層を本拠とするハイスケルトン達は、ロブ達の決死の攻撃すら意に返さない。
ロブの特攻の槍も、カルキノスのウンディーネの水流も、援護に加わったネイラの円月輪も、イルサールの矢もわずかに揺らがせるだけで止められない。
「くそおおおっ、陛下! どうすれば!」
「わたしが援護するわ! フレイムサークル!」
「ルルカ危ない! 頭上にヘルズバットが!」
「ヒール! ヒール! ヒール! はあ、はあ……っ」
ルルカやイルサール達が火炎魔術や弓の一撃で応戦するが、それでも一体も倒れない。
犠牲者が出ないのはリリカの治療魔術のおかげで、彼女の魔力が尽きれば全員屍となるのは火を見るよりも明らかだ。
フォードが活路を作らぬ限り脱出は叶わない。だが悪魔化したルザが、立ちはだかる。
「退きなさい、ルザっ!」
[死への旅路を誘オウ。我は暗黒の神タル覇者。――『カーネイジ・アート』ッ!]
[砕け散れ神タル俺ノ敵! 魂ヲ穢され消滅せヨ。――『ヘルズ・パニッシャー』ッ!]
[虚ろなる影に死ヲ! 万象の骸風よ吹雪け! ――『ヴィラン・ディザスタァァァァ』ッ!]
ルザの両掌から暗黒の暴風が、闇の奔流が、赤黒い吹雪が、フォードの冥王臓剣と雷紋剣を押し流す。
「くっ……」
「ヒャヒヒハハァッ! 大事な物ガ穢される気分はどうダ? 腸が煮エくり返り、悔しサが渦を巻くダロウ! テメエが俺に屈辱を与えタ絶望、倍にシテ与えてヤロウ!」
「何を! 己の欲望に堕ちた愚か者が! その首、冥界の神に差し出します!」
「最ッ高のジョークだゼェェッ! ダガ死ヌのはオ前ダァァ、フォードッ!」
雷紋剣で雷撃を撃ち、冥王臓剣の投擲でルザの肩の棘を斬り落とす。
だがキリがない。ルザは頭を斬られようとと胴を斬られようと、憎悪を燃やし轟然と迫って来る。
体を覆う漆黒の鎧が傷を肩代わりしている。ダメージを別物質に受け流す驚異的な甲冑だ。悪魔化した影響に違いない。致命傷ですら致命傷にならぬその鎧は――跡形も残さず壊さねば、戦闘の余波でルルカ達が先に果ててしまう。
ルザはそれを判っていて、時間を稼ぐ。
中遠距離の広範囲魔術を乱発し、フォードが近づくのを許さない。
戦闘の煽りを受け踊り子の何人もがすでに倒れている。
死亡か生存かも確認できない。いずれルルカもリリカもああなる。間違いなくなる。ルルカ達が死んでは元も子もない。彼女らと過ごす未来だけがフォードの希望なのだ。親衛隊も失いたくない。イルサールも同じ。ここまできたら踊り子も救いたい。ルザの理不尽に抗いたい。何か、方法はないのか。この窮状を跳ね返しルルカとリリカとイルサールと、ロブやネイラやカルキノスや踊り子を救いつつ、ルザを倒す方法はないのか。
それは――
それは――
――一つだけ、ある。
フォードはそれを知っている。
その方法をすでに気づいている。
しかし、それは、これまで一度も試した事がない。
〈ぬしよ、鼓動が激しく荒れるのを感じるぞ。使うか、我が更なる秘技を〉
「僕は、全てを救いたい。ルルカ王女の笑顔。リリカ王女の温もり。全ての幸せを!」
〈ならばいくがいい。更なる高みへ。ぬしと我がいれば、滅ぼせぬ者は無し〉
「おおっ、おおおおおおおおおおっ!」
決然と叫びフォードは背後に跳躍する。だが戦場から逃げるわけではない。
その体が熱を帯び禍々しい光を帯びる。悪霊王の力が増幅され、闇の螺旋が舞う。この世ならざる暗黒の力が、密度を増し、更なる邪気を持って今ここに、具現する。
「――《憑依・双演霊華》ァアア!」
それは、憑依のさらに上をいく力。
『魂』を二つに分ける秘技。
度重なる憑依によって、フォードは憑依能力そのものが向上――己の魂を、『二つ』以上に分け、操る事が可能となったのだ。
そしてルザとの死闘において、傀儡と化す対象は決まっている。
それは悪魔化したルザ――
ではない。もっと邪悪なる者。ルザなどより狡猾で、より強く、邪悪を体現した存在。
フォードは、分裂した『魂』と共に、迷宮を潜る。潜る。
本体から『分裂』した二つ目の魂が、迷宮の奥深くへと潜行、喧騒と振動が吹き荒れ、魔物の咆哮が飛び交う魔窟の中をくぐり抜けていく。
やがて幾重にも張り巡らされた岩柱を過ぎ。
フォードは、かの存在を見つけた――。
起死回生の状況を呼び込む。最強の鬼札へ。今、フォード(分身体)は乗り移る――!
「――なんダ?」
細かく揺れ動き、鳴動する迷宮にルザが訝しむんだ。
瞬間。
世界が。
迷宮内が。
おぞましい程の殺気の渦に、覆われる。
遥かな奥から猛熱と、邪気を纏い、強大なる気配と共に『ソレ』は現れた。
「グルゥゥゥゥグォォォオッ!」
《階層主》――。
迷宮を支配し統率する者。邪悪なる魔物どもを引き連れ、配下を率いる破滅の王。
「馬鹿な……」
ルザが唖然とつぶやく。
炎に包まれた黒い体に太い腕。黒々と不気味に光る翼。右手には紅蓮の火炎に燃える大剣を持ち、左手には灼熱の鞭。
「第九迷宮『冥府』八十層――階層主、紅蓮の悪魔』だと――ッ!?」
ルザの唖然とする眼前で、火炎の悪魔は、雄々しく咆哮する。
赤々と燃え立つ巨躯の体。まさしくそれは炎の化身。フォードはそれを、《憑依》の分身体で操った。まさに支配者の獄王――人間とは隔絶する圧倒的な力の体現者が、ルザの眼前で仰臥する。
【バルログ レベル83】
クラス: 階層主
体力:873 魔力:791 頑強:826
腕力:872 俊敏:829 知性:883
特技:双闘技 大剣術 鞭術 飛翔術
固有闘技:『階層支配』
装備:紅蓮王の闇剣 ヴェルケリアウィップ 獄炎王の瘴気鎧
悪魔化したルザをも上回る、圧倒的な力の王が、その紅蓮の大剣でルザの胸を斬り裂いた。
「ぐあぁぁァァアッ! 痛いイイィィィィィィィッ!」
ルザの右指から、暗黒色に瞬き闇の光線が放たれる。
だが階層主バルログ(フォード)は左手の灼熱鞭で薙ぎ払うや飛翔。
ルザの右肩に、紅蓮の大剣を斬りつけ、顎を蹴り飛ばし、壁へ叩きつけ、ガリガリガリと、飛翔したままルザの顔をこすりつけ、壁ごと削り取る。
「グああああああああァァッ!」
ルザは体勢を立て直せない。バルログ(フォード)が紅蓮の大剣を轟と燃え盛らせ、ルザの胸を、右脚を、右脇腹を、斬って斬って斬りつける。
「ぐあァ、グウッ、ぐうァァッ!」
[――紅蓮咲け覇者の剣。妖魔の使徒を殲滅せよ。――『ヴェリアブルスライサー』っ!]
バルログの紅蓮の大剣から放たれる二十六連突き地獄が、ルザを滅多刺しにする。
血吹き穴だらけになったルザの体に、さらに灼熱の鞭の闘技『ヘルズナインテイル』を発動。
一撃一撃が極熱の一閃たる猛撃を受け、ルザの全身がビクンッビクンッと震え、燃え上がり、皮膚が、肉が、骨が、爛れ落ちていく。
「ウォォォァああアッ! 熱いッ! 痛いィィッ! ヤメロぉぁあォォアァッ!」
しかしバルログ(フォード)はそれでも容赦しない。
ルルカとリリカ。イルサール、その他多くの人々を弄んだ罰。
罪もない七十名もの乙女を弄んだ報い。
その命、全てで、償わねばならない。
[愚かな闇の使徒に裁きを。渦巻け聖罰の獄炎よ。『インフェルノスラスト』! 『ヴェルテクスハザード』! 『ジェイルヴォルケーノ』――ッ!]
豪炎盛えるバルログ(フォード)の斬撃の嵐が、獄炎渦巻く火炎が、灼熱の監獄炎が、ルザの全身を焼き尽くし舐め尽くし、魂の根源まで燃えよと荒れ狂う。
「うガああぁァァァぁァァァアッ! ぐああああァァッッ!」
[我が配下の闇の眷属よ。裁きの軍勢となりて魔を討ち滅ぼせ! ――『階層支配』]
階層主
のみが持つ固有スキルが発動。
主の命を受け、迷宮の奥から、おびただしい数の魔物が襲来する。
ハイスケルトンが、ヘルズバットが、グールトレントが、スカルドレイクが――バルログの配下にして忠実なる兵士の魔物どもが、ルザの体に殺到する。
「クソがァァッ! 俺はッ! 神だゾ! 真なる覇者に逆らう愚か者がァァア――うグぅゥゲぁあッ」
ハイスケルトンの群れがルザに飛びかかり闇の剣を繰り出しヘルズバットのスキル振動波がルザの体の細胞を破壊する。
グールトレントの腐った蔦が、ルザの手、脚、首、肩を拘束し、スカルドレイクの猛毒の息吹がルザの顔面の皮膚を、ドロドロに溶かして骨すらも爛れさせる。
「キ、キ、貴様ラぁぁッ、屍兵の分際でッッ、よくも、あア、俺の体ガッ……崩レ……ぐ、う、グゥァァアアアああアッ!」
ルザの両掌より迸った暗黒の暴風が、ハイスケルトンとヘルズバットを消し飛ばした。
荒々しく炸裂する暗色の暴風が、洞窟の壁を、天井を、巻き込み砕き散らす。
だが魔物達は恐れない。死んだ仲間など意味にも介さず、その屍を踏み潰し、グールトレントとスカルドレイクが、腐った蔦や腕でルザ両腕を縛り上げ、ルザの体に、触手と牙を、深々と突き刺す。
「……どイツもッ、こいツモッ、俺に盾突きやがっテッ! 殺スぞフォードォォッ! 何なんダその力はぁアアッッ! ムカつくんダヨォォォテメェェエエエッ!」
「これで終わりです、ルザ――はぁぁぁぁああああああああっ!」
フォード(本体)が突貫し、冥王臓剣でルザの背中から刺し貫く。
グプッと黒い血を吐き出したルザに、なおも容赦なくバルログ(分体フォード)とフォード(本体)が、合わせ鏡のように魔剣と灼熱の大剣を交叉させ、ルザを斜め十字に斬り刻む。
ルザの痩身が、ぶるりと震えた。
その瞳が、恐怖と後悔で揺れている。
最後の抵抗のように指先から暗黒の力が込められる。
しかしバルログ配下のスカルドレイクが、右腕を噛み砕き、ハイスケルトンの群れが残る左腕もばらばらに斬り刻んだ。
腕を失い、体が焼け爛れ、胸に深い斬り傷を刻まれたルザにもう抵抗する術はない。
とどめとばかりにバルログ(フォード)が、闘技『ヴォルテクスハザード』、『インフェルノスラスト』を立て続けにぶち込む。
あまりの威力と熱量に、床岩が崩壊。ルザもろとも周囲の岩が吹き飛んだ。轟音と振動で第九迷宮が大きく揺れ、剥離した壁や天井から身を守るべくルルカたちや七十名の踊り子たちが叫びながら避難する。
濛々と立ち込める黒煙と火炎の残滓。
それが晴れてみれば、砕けた床穴の縁に、ルザがへばりついていた。
哀れだった。
わずかな肉と骨ばかりになったルザは、かろうじて穴へ足の爪を引っ掛け、毒づくのみ。
「く、ソガ……っ」
下に落ちれば、死霊の魔物達という地獄が待っている。
縄張りを奪われた魔物たちは怒り心頭だ。ルザが落ちれば、まるで鳥葬の鳥のように群がり、彼の体を骨まで貪り尽くすだろう。
フォードには憐れみの目はなかった。ただただ、惨めに穴の縁にすがりつくルザを見下ろし、その無様を眺めるのみ。
顔のほとんどが爛れたルザの瞳に、恐ろしいほどの憎悪が燃え盛る。
「この恨みは忘れねェ、絶対に忘レねえぞフォードォォ……ッ!」
「さよならルザ。地獄の底で魔物たちと遊んでいてください」
「テメえは、許サねえぞォォ、絶対イイイイいぃぃぃぃ、テメエヲ、殺すからなァぁぁぁああァァアアァアアッッ!!」
フォード(バルログ)が、ルザの足の爪を斬り落とした。
憎しみに満ちた眼で、ルザが階下へ落ちていく。
グシャッ……バキッ……ゴキキッ……グギンッと。
八十一階層に落ちたルザが、魔物たちに捕食される音。
フォードは宿敵の最後を見届け、戦いが終わったことに、安堵の息を吐いたのだった。




