キラナとオカネ:不思議を超えて 3
それでは、お話を始めましょう。
しばらくして――
その夜、街には通り沿いに吊るされたランタンの明かりが、まだあちこちに輝いていた。
通りでは、住民たちが行き交っている。まだ営業している店もいくつかあり、ある店では店主たちが商品を片づけ、別の店では翌日に迫った新年祭に向けて、飾り布や装飾品を取り付け始めていた。
そんな賑やかな街の中を、四人の姿が石畳の道に沿って歩いていた。
先頭を歩いているのはアピカだった。軽やかな足取りに合わせて、淡い金色の髪が夜風にそっと揺れている。その隣では、レイチェルが壊れてしまった花飾りを大切そうに抱えていた。
その少し後ろを、キラナとソラトが並んで歩いている。
キラナは、まだ新しい自分の体に慣れていなかった。歩くたびに四本の足を順番に動かさなければならず、体の両側に生えた茶色い翼も、ときどき小さく揺れてしまう。頭の両側から垂れ下がった、ウサギの耳のような長い部分も、歩くたびにゆらゆらと動いていた。
キラナは時々、左右をきょろきょろと見回した。
気になるものが、あちこちにある。
道の右側には、祭り用の小物を売っている小さな店があった。星や月の形をした飾りが窓際に並べられ、風が吹くたびに小さな鈴が揺れて音を立てている。
左側には、まだ何人かの客で賑わっている食堂があった。焼きたてのパンと、できたばかりのスープの香りが通りにまで漂ってくる。
キラナは、その食堂をしばらくじっと見つめていた。
キラナ:「わあ……いい匂い!」
隣を歩いていたソラトが、食堂のほうに目を向ける。
ソラト:「お腹が空いたのか?」
キラナ:「ちょっとだけ。」
ソラト:「でも、その顔を見る限り、かなりお腹が空いているように見えるけどな。」
キラナはすぐにソラトのほうを向いた。
キラナ:「ちょっとだけって言ったでしょ! でも、だからって食べ物の匂いを嗅いじゃいけないわけじゃないんだから!」
ソラト:「嗅いじゃいけないなんて言ってないだろ。」
キラナ:「でも、その言い方があるでしょ!」
ソラトは二本の尻尾を、のんびりと揺らした。
ソラト:「それなら、次からはもっと真剣な声で聞いてやるよ。」
キラナ:「いや、そこまで真剣にしなくてもいいから!」
前を歩いていたアピカは、二人の会話が聞こえたのか、振り返って微笑んだ。
アピカ:「二人って、すごく仲がいいんだね!」
キラナは思わず黙り込んだ。
キラナ:「えっ? な、仲がいい?」
アピカ:「うん! さっきからずっと二人でおしゃべりしてるじゃない!」
ソラトが顔を上げた。
ソラト:「まあ、俺たちはそれなりに長い付き合いだからな。」
キラナは一瞬、ソラトを見つめた。
(キラナ・心の中)「私の世界に来てから数えると、もう五か月近くになるもんね……。」
アピカ:「じゃあ、一緒にいろんなところへ出かけたりしたこともあるんだね!」
キラナ:「えへへ……まあ、そんなところかな。」
アピカ:「わあ、楽しそう! 私もまだ行ったことのない場所へ旅行してみたいなあ。」
隣を歩いていたレイチェルが、小さく微笑んだ。
レイチェル:「新しい場所を見るたびに、いつもそう言ってるよね。」
アピカ:「だって、新しい場所ってワクワクするんだもん!」
レイチェル:「先月は隣町に行きたいって言ってたし、その次の週には丘の近くの村を見てみたいって言ってたよね。今度はまた旅行したいんだ。」
アピカ:「だって、まだ見たことのない場所がたくさんあるんだよ!」
レイチェルは小さく息を吐いた。それでも、その顔から笑みが消えることはなかった。
レイチェル:「うん、分かってるよ。ただ、思い出させてあげただけ。」
キラナは二人のやり取りを興味深そうに眺めていた。
キラナ:「二人って、よく一緒に出かけるの?」
アピカ:「もちろん! 家が近いから、小さい頃からよく一緒に遊んでるんだよ。」
レイチェル:「お互いの家のお店を手伝ったり、祭りの準備をしたりすることもあるよ。」
アピカ:「それで、お仕事が終わったら、いつも何か楽しいことを探しに行くの!」
キラナはうなずいた。
キラナ:「わあ、家の近くに友達がいるっていいなあ。」
アピカはキラナのほうを振り返った。
アピカ:「ヒツキにも、仲のいい友達がいるの?」
その質問に、キラナは少しだけ黙り込んだ。
いつも優しく迎えてくれるアイカ。食べ物の話ばかりしているハルト。何かを決める前に、いろいろな可能性を考えるレン。そして、どんな状況でも落ち着いているカイト。
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「うん。私には、とっても仲のいい友達が四人いるよ。」
アピカ:「四人もいるんだ!」
キラナ:「うん。その子たちの名前は――」
キラナは、本当の名前を口にするのをやめた。そして、代わりに新しい名前を考えることにした。
しばらく考え込んだあと、ようやく思いついたようだった。
キラナ:「シロハナ、コガネ、ギン、それからギンロウっていうんだ。」
そのとき、ソラトがキラナのほうを見た。しかし、何も言わなかった。
アピカはキラナの表情を見つめた。
アピカ:「その子たちとは、長い付き合いなの?」
キラナ:「何年も一緒にいる友達と比べたら、まだそんなに長くないけど……でも、十分仲良しだよ。」
レイチェルもキラナのほうを向いた。
レイチェル:「その子たちも、この街に住んでいるの?」
キラナは再び黙り込んだ。
答え方には気をつけなければならない。友達四人が別の世界から来たことを、簡単に説明するわけにはいかない。何より、キラナ自身も彼らに何が起きたのか、まだ完全には理解できていなかった。
キラナ:「実は……ある出来事があって、みんなとはぐれちゃったの。今、みんながどこにいるのかも分からないんだ。」
アピカの笑顔が、少しずつ心配そうな表情に変わっていった。
アピカ:「そっか……。」
すると、レイチェルがキラナに向かって謝った。
レイチェル:「ごめんね、ヒツキ。悲しい気持ちにさせるつもりじゃなかったの。」
キラナはすぐに首を横に振った。
キラナ:「ううん、大丈夫だよ。二人が謝る必要なんてないから。」
キラナは静かに息を吸った。
キラナ:「確かに心配だけど……きっと、またみんなに会えるって信じてるよ。」
ソラトはキラナに目を向け、落ち着いた声で言った。
ソラト:「それに、俺たちであいつらを探すつもりだ。」
アピカは力強くうなずいた。
アピカ:「それなら、私たちもできることがあれば手伝うよ!」
レイチェル:「そうだね。まだ君たちの事情について詳しくは知らないけど、私たちにできることがあれば何でも言ってね。」
キラナは二人を見つめ、心が温かくなるのを感じた。
キラナ:「それなら……本当にありがとう。」
アピカは満面の笑みを浮かべた。
アピカ:「お礼なんていらないよ、ヒツキ! だって、今はみんなで一緒に歩いてるんだから!」
レイチェル:「アピカ、何でもそんなに元気よく答えなくてもいいんだよ。」
アピカ:「だって、本当に嬉しいんだもん!」
レイチェルは小さく笑った。
キラナも、そんな二人の様子を見て微笑んだ。
ほんの少しの間だけ、ずっと心の中にあった不安が軽くなったような気がした。
それでも、キラナは自分の本当の目的を忘れてはいなかった。
友達を見つけなければならない。
それに、あの不思議な花がどうやって自分たちをソラトの世界へ連れてきたのか、なぜ自分の体がキャット・シーに変わってしまったのか、そして桜森へ帰る方法があるのかも調べなければならない。
まだ答えの出ていない疑問は、いくつも残されていた。
その間も、アピカの家へ向かう道のりは続いていた。
そんな中、ソラトはキラナにテレパシーで話しかけた。
ソラト(テレパシー):「キラナ、どうしてアイカ、ハルト、カイト、レンの名前をそのまま使わなかったんだ?」
テレパシーを受け取ったキラナは、ソラトのほうを向いた。
キラナ(テレパシー):「だって、みんなにも私みたいに新しい呼び名があったほうがいいかなって思ったんだもん。」
ソラト(テレパシー):「でも、それは理屈に合ってないだろ、キラナ。」
キラナ(テレパシー):「私としては、ちゃんと理屈に合ってると思うけどな。」
二人は微笑み合い、それから再び前の道へと目を向けた。
いくつかの店や交差点を通り過ぎたところで、アピカが突然歩く速度を落とした。
彼女は右側にある細い路地を見つめ、それからレイチェルに声をかけた。
アピカ:「レイチェル、ちょっと待って!」
レイチェルは足を止めた。
レイチェル:「どうしたの?」
アピカは、数歩後ろを歩いていたキラナとソラトに目を向けた。
アピカ:「ちょっと思いついたことがあるんだ!」
キラナは首をかしげた。
キラナ:「何のこと?」
アピカは、まるでとても大切なアイデアを思いついたかのように、人差し指を一本立てた。
アピカ:「ヒツキとソラト、私の家に泊まってもらうのはどうかな?」
レイチェルは目をぱちくりさせた。
レイチェル:「えっ?」
レイチェルが答える前に、アピカはすぐに話を続けた。
アピカ:「ほら、私の家はけっこう広いし、二人が休める場所もまだあるから、しばらく一緒に暮らしても問題ないと思うんだ!」
キラナは驚いた。
キラナ:「ちょ、ちょっと待って! アピカ、本当にいいの?」
アピカは勢いよくうなずいた。
アピカ:「もちろん! あとは両親にお願いして許可をもらうだけだよ。もし二人がいいって言ってくれたら、今夜から私の家に泊まれるよ!」
キラナはソラトを見つめ、それから再びアピカに目を向けた。
キラナ:「でも、アピカは本当に迷惑じゃないの?」
アピカは首を横に振った。
アピカ:「全然! むしろ嬉しいよ!」
レイチェルは手に持っている花飾りを見つめてから、再びアピカに目を向けた。
レイチェル:「私もいい考えだと思うよ。ここからなら、私の家よりアピカの家のほうが近いしね。」
アピカはすぐにレイチェルのほうを向いた。
アピカ:「でしょ!」
レイチェルはうなずいた。
レイチェル:「うん。それに、アピカのご両親が許してくれるなら、ヒツキとソラトがアピカの家に泊まることに、私は賛成だよ。」
アピカの顔がぱっと明るくなった。
アピカ:「やったー! あっ……えっと、よかったね!」
嬉しさのあまり、前足を少し持ち上げたアピカだったが、自分が友達と一緒に道の真ん中に立っていることに気づき、すぐに落ち着いた。
アピカ:「えへへ……ごめんね。」
キラナは少し困ったような表情でアピカを見つめた。
キラナ:「えへへ……大丈夫だよ。」
すると、ソラトがアピカに目を向けた。
ソラト:「誘ってくれてありがとう。でも、君の家族に迷惑をかけたくはないんだ。」
アピカはもう一度首を横に振った。
アピカ:「だから、迷惑じゃないって言ってるでしょ! お父さんもお母さんも、誰が何のために来るのかちゃんと分かっていれば、お客さんを迎えるのが好きなんだよ。」
レイチェル:「だったら、あとはアピカがご両親に説明するだけだね。」
アピカは力強くうなずいた。
アピカ:「そうだね! まずは家に帰って、お父さんとお母さんにお願いしてみるよ!」
キラナはまだ少し迷っているようだった。
まさか、見知らぬ世界に飛ばされてしまったその日の夜に、知り合ったばかりの人の家に泊まることになるなんて、想像もしていなかった。
けれど、今の二人には安心して休める場所が必要だった。
そして、アピカとレイチェルは本当に二人を助けようとしてくれているようだった。
キラナはようやくうなずいた。
キラナ:「分かった。ご両親が許してくれるなら、お言葉に甘えさせてもらうね。」
アピカは満面の笑みを浮かべた。
アピカ:「よかった! それじゃあ、先に進もう!」
そう言って、アピカはさっきよりもずっと軽やかな足取りで歩き始めた。
レイチェルもその隣についていく。
その一方で、キラナはソラトの近くに寄り、小さな声で話しかけた。
キラナ:「オカネ……。」
ソラトが振り向いた。
ソラト:「ん?」
キラナ:「アピカの家に泊まること、本当に大丈夫?」
ソラトは落ち着いた声で答えた。
ソラト:「相手が親切だからといって、すぐにすべてを信用する必要はない。でも、アピカとレイチェルは俺たちを助けようとしてくれている。それなら、警戒を忘れずに、二人の助けを受けてもいいと思う。」
キラナはゆっくりとうなずいた。
キラナ:「確かにそうだね。」
ソラト:「それに、今は休める場所も必要だし、これからどうするか考える時間も必要だ。」
キラナは小さく息を吐いた。
キラナ:「そうだね。ただ、いろんなことが一度に起こりすぎて、まだ頭が追いついてないんだ。」
ソラト:「それは当然だろ。」
キラナは前方の道を見つめた。
キラナ:「昨日の夜までは、まだ桜森にいたのに。今はこの世界で翼の生えた猫になって、友達とは離れ離れになって、アピカの家に泊まることになってるんだもん。」
ソラト:「そうやって一度に並べてみると、なかなか大変な状況だな。」
ソラトの言葉に、キラナはすぐに振り向いた。
キラナ:「そっちが改めて言わなくてもいいでしょ!!」
ソラトは小さく笑った。
ソラト:「分かった。もう言わないよ。」
キラナは頬を膨らませた。
キラナ:「ふんっ!」
それでも、キラナは再びソラトの隣を歩き始めた。
その夜はまだ長い。
そして、森の中で目を覚ましてから初めて、キラナはこの状況にも少しずつ向き合っていけるかもしれないと思い始めていた。
しばらくすると、街の様子が少しずつ変わってきた。
彼らは、店や祭りの屋台が並ぶ大通りを離れていた。周囲には店よりも、住民たちの家が多く見られるようになっていた。
いくつかの場所ではまだランタンが灯っていたが、通りを行き交う人の数は少なくなっている。
時折、家の扉が閉まる音や、窓の向こうから聞こえる家族の話し声が耳に届いた。
アピカは前方に見える二階建ての家を指さした。
アピカ:「ほら! あれが私の家だよ!」
キラナは顔を上げた。
目の前には、淡いクリーム色の壁と濃い茶色の屋根を持つ家が建っていた。
建物は二階建てで、大きな窓がいくつかあり、その向こうから温かな光が漏れている。
玄関の脇には植木鉢がきれいに並べられていた。扉の近くには小さなランタンが吊るされ、玄関まで続く小道を優しく照らしている。
とても居心地がよさそうで、きちんと手入れされた家だった。
キラナは興味深そうにその建物を眺めた。
キラナ:「わあ……アピカの家、すごく素敵だね!」
アピカは誇らしそうに微笑んだ。
アピカ:「褒めてくれてありがとう!」
レイチェルもうなずいた。
レイチェル:「私の家もこの近くにあるよ。あっちの道を少し進めば、すぐに見つかると思う。」
そう言って、彼女はアピカの家からそれほど離れていない分かれ道を指さした。
レイチェル:「だから、会いたいときもすぐに会えるね。」
アピカ:「そうだね! 明日もまた会えるよ!」
レイチェルは微笑んだ。
レイチェル:「あの飾りの手入れが終わったらね。」
彼女は手に持っているものを見つめた。
花飾りはまだ壊れたままだった。いくつかの部分が折れ、中央部分にもひびが入っている。そのため、レイチェルはさらに壊れてしまわないよう、ずっと慎重に持っていた。
アピカはその花飾りに目を向けてから、レイチェルを見た。
アピカ:「まだその飾りのことを気にしてるの?」
レイチェルは小さくうなずいた。
レイチェル:「うん。屋台の持ち主に渡す前に、ちゃんと直しておきたいんだ。」
アピカ:「それなら、明日一緒に直す方法を考えようよ。」
レイチェル:「うん、そうするね。」
レイチェルは少し後ろに下がった。
レイチェル:「じゃあ、私はそろそろ帰るね。」
アピカ:「うん! 気をつけてね!」
レイチェルは微笑んで、くるりと背を向けた。
しかし、まだ遠くへ歩き出す前に、誰かが彼女を呼び止めた。
キラナ:「レイチェル! ちょっと待って!」
レイチェルはすぐに足を止めた。
振り返ると、アピカのすぐ近くに立っているキラナが見えた。
レイチェル:「どうしたの、ヒツキ?」
キラナは彼女のそばまで歩いていった。
キラナ:「その花飾りのことなんだけど……。」
レイチェルは手元を見下ろした。
レイチェル:「ああ、これ?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。まだ直したいと思ってるんだよね? 私も、もう一度手伝いたいな。」
レイチェルは少し驚いたようにキラナを見つめた。
レイチェル:「また手伝ってくれるの?」
キラナは微笑んだ。
キラナ:「もちろん! さっきはソラトと一緒に道に花の絵を描いただけだったから、この壊れた花飾りはまだ直せていないでしょ。」
レイチェルは黙り込んだ。
すると、キラナはアピカのほうを振り向いた。
キラナ:「アピカ、その花飾りを少しの間だけ持っていてくれる?」
アピカはすぐに元気よくうなずいた。
アピカ:「もちろん!」
レイチェルは二人を交互に見つめた。
レイチェル:「待って……今から直すつもりなの?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「レイチェルがよければね。」
レイチェルはすぐに首を横に振った。
レイチェル:「ううん! 全然かまわないよ!」
そう言って、彼女は両手で花飾りをアピカに渡した。
アピカは壊れた部分がさらに傷つかないように、慎重に受け取ると、胸の前で大切そうに抱えた。
アピカ:「はい。ちゃんと大切に持っておくね。」
レイチェルはしばらく、その花飾りを見つめていた。
そして、少し安心したような表情になった。
レイチェル:「ありがとう、ヒツキ。また手伝ってくれて嬉しいよ。」
キラナは微笑んだ。
キラナ:「どういたしまして。ちゃんと直せるように頑張るね。」
レイチェルは小さくお辞儀をした。
レイチェル:「それじゃあ、私は先に帰るね。また明日ね、アピカ!」
アピカ:「うん! また明日、レイチェル!」
それからレイチェルはキラナとソラトにも振り返った。
レイチェル:「ヒツキもソラトも、おやすみなさい!」
キラナ:「おやすみなさい、レイチェル!」
ソラト:「おやすみ。帰り道には気をつけてな。」
レイチェルはもう一度微笑んでから、先ほど指さしていた細い道へと歩いていった。
その先には、彼女の家がある。アピカの家からも、それほど遠くはない。
キラナはレイチェルの姿が小さくなっていくまで見送った。
彼女が交差点を曲がると、その姿はもう見えなくなった。
キラナは静かに息を吐いた。
キラナ:「あまり心配しすぎていないといいな。」
アピカは花飾りを抱えたまま、うなずいた。
アピカ:「私もそう思う。レイチェルは失敗しちゃうと、自分に厳しくなりすぎるところがあるんだよね。」
キラナはアピカのほうを向いた。
キラナ:「さっきベンチに座っていたときも、すごく悲しそうだったね。」
アピカ:「うん。わざと落としたわけじゃないのにね。」
アピカは手に持っている花飾りを見つめた。
アピカ:「ヒツキが直すのを手伝ってくれて、私も嬉しいよ。」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「私も、手伝えて嬉しいよ。」
それからアピカは家の玄関に目を向けた。
アピカ:「さて、それじゃあ中に入ろう! もう着いたんだから!」
彼女は玄関へ向かい、それからキラナとソラトを振り返った。
アピカ:「どうぞ、私の家に入って!」
キラナとソラトは一瞬だけ顔を見合わせてから、うなずいた。
キラナ:「ありがとう、アピカ。」
ソラト:「世話になってありがとう。」
アピカは満面の笑みを浮かべた。
アピカ:「どういたしまして!」
そして、玄関の取っ手に手をかけ、扉を開けた。
扉が開くと、家の中の温かな空気が二人を迎えた。
夕食の名残のような料理の香りが漂っている。玄関には靴箱が置かれ、その隣には小さな棚があった。室内はきれいに片づけられている。
少し奥には、台所とつながった食卓のある部屋が見えた。
アピカが先に家の中へ入った。
アピカ:「ただいまー!」
その声は食卓のある部屋まで届いた。
ほどなくして、台所のほうから一人の女性が出てきた。彼女は小さな布で手を拭いている。どうやら、休む前に何かを片づけていたようだった。
淡い茶色の髪を簡単にまとめており、着心地のよさそうな部屋着を着ている。
アピカの姿を見ると、女性の顔に笑みが浮かんだ。
アピカの母:「おかえり、アピカ。」
アピカも母親に笑顔を返した。
アピカ:「お母さん! ただいま!」
アピカの母:「おかえり。今日はレイチェルと一緒に出かけていたんでしょう? どうだった?」
アピカ:「楽しかったよ! それに、新しい友達にも会ったんだ!」
アピカの母は瞬きをした。
アピカの母:「新しいお友達?」
アピカは素早くうなずいた。
アピカ:「うん! 私と一緒に来てるよ!」
母親がさらに尋ねようとしたそのとき、階段から足音が聞こえてきた。
一人の男性が二階から降りてきた。
アピカの父:「アピカ? もう帰ってきたのか?」
アピカは階段のほうを振り向いた。
アピカ:「お父さん!」
父親は最後の一段を降りながら、微笑んだ。
アピカの父:「街の祭りの準備はどうだった? 賑やかだったか?」
アピカ:「すごく賑やかだったよ! たくさんのお店が屋台の準備を始めてた!」
アピカの父:「そうか。じゃあ、明日の大通りはもっと賑やかになりそうだな。」
アピカ:「うん! あっ、そうだ! 新しい友達も連れてきたんだよ!」
アピカの父:「新しい友達?」
アピカはもう一度うなずき、少し横に移動した。
すると、ようやくアピカの両親は、その後ろに立っている二匹の猫に気づいた。
茶色い毛並みに白い角、羽の生えた翼、そして先端が白い尻尾を持つ猫。
もう一匹は、二本の尻尾と左目の周りにハートのような模様がある白い猫だった。
アピカの母は、その場で固まった。
父親も動きを止めた。
数秒間、二人は何も言わずに二匹を見つめていた。
アピカの父:「……アピカ。」
アピカは父親を振り向いた。
アピカ:「なあに、お父さん?」
父親はキラナとソラトを指さした。
アピカの父:「どうしてお前の後ろに猫が二匹いるんだ?」
アピカは瞬きをした。
アピカ:「あっ! この子たちは普通の猫じゃないよ!」
父親は首をかしげた。
アピカの父:「普通の猫じゃない?」
アピカは元気よくうなずいた。
アピカ:「そう! この子たちはキャット・シーなんだよ!」
すると、アピカの父親は再びソラトを見た。
それからキラナにも目を向けた。
二匹は玄関の前で静かに立ち、まるで挨拶する機会を待っているかのようだった。
父親は何度か瞬きをした。
アピカの父:「キャット・シー……?」
それまで驚いていた母親は、ようやく長く息を吐いた。
彼女はソラトの二本の尻尾や、キラナの角と翼、そして二匹の立ち方や視線をじっくりと観察した。
やがて、その表情も落ち着いていった。
アピカの母:「ああ……よく見れば、確かにキャット・シーね。」
父親は妻のほうを向いた。
アピカの父:「こんなキャット・シーを見たことがあるのか?」
母親はゆっくりとうなずいた。
アピカの母:「若い頃に、この街や別の街でキャット・シーを見たことがあるわ。体の特徴は普通の猫とは違うけれど、この子たちのような姿を見るのは初めてね。」
彼女は再びキラナとソラトに目を向けた。
アピカの母:「それに、普通の猫にはあんな特徴はないでしょう? キャット・シーは人間の言葉を話せるし、魔法を使う能力も持っているのよ。」
キラナは少し顔を上げた。
(キラナ・心の中)「よかった……少なくとも、私のことを新種のキャット・シーだとは思っていないみたい。」
ソラトは二本の尻尾を落ち着いた様子で揺らした。
ソラト:「こんばんは。事前に知らせずに訪ねてしまって、すみません。」
アピカの母は再び固まった。
父親も目を大きく見開いてソラトを見つめた。
ソラトがキャット・シーだということは分かっていたものの、実際に猫が丁寧な言葉で話すのを聞くと、やはり驚いてしまったようだった。
すると、アピカの父親が思わず口にした。
アピカの父:「本当に……しゃべった……。」
アピカは小さく笑った。
アピカ:「もちろんだよ、お父さん! キャット・シーだって言ったでしょ!」
すると、アピカの母親はようやく、少しぎこちない笑顔を浮かべた。
アピカの母:「ごめんなさいね。お父さんは少し驚いているだけだと思うわ。」
ソラトは丁寧に頭を下げた。
ソラト:「大丈夫です。お気になさらず。」
キラナも小さくお辞儀をした。
キラナ:「こ、こんばんは……。」
アピカの母親は、興味深そうにキラナを見つめた。
アピカの母:「こんばんは。あなたはこの子のお友達なの?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「はい。」
少し間を置いてから、キラナは続けた。
キラナ:「私の名前はヒツキです。」
アピカの母親は親しげに微笑んだ。
アピカの母:「初めまして、ヒツキ。」
父親も一緒にうなずいた。
アピカの父:「私はエイドリアンだ。丁寧に呼びたいなら、『旦那様』と呼んでくれても構わないよ。」
キラナはもう一度お辞儀をした。
キラナ:「それでは、初めまして。お会いできて嬉しいです。」
父親はキラナの礼儀正しさに感心したように微笑んだ。
アピカの父:「いやあ、とても礼儀正しい子だね。」
すると、アピカはまだ手に持っていた花飾りを少し持ち上げた。
アピカ:「お母さん、お父さん。実は、二人に全部説明したいことがあるんだ!」
母親は娘のほうを向いた。
アピカの母:「分かったわ。最初から話してみて。」
アピカは息を吸い、説明を始めた。
アピカ:「さっき、私はレイチェルと一緒に大通りの近くのベンチに座っていたの。レイチェルは、お祭りの準備に使う花飾りをうっかり落としてしまって、すごく落ち込んでいたんだ。」
アピカの父親は、アピカの手元にある花飾りを見た。
アピカの父:「その壊れている飾りのことか?」
アピカはうなずいた。
アピカ:「そう! それで、ヒツキとソラトが私たちのところに来てくれたの。二人は何があったのか聞いてくれて、それからヒツキがレイチェルを元気づけようとしてくれたんだよ。」
アピカの母:「そうだったのね。」
アピカ:「うん! ソラトが魔法で花の絵を描いてくれて、そのあとヒツキも魔法を使って、その絵に色をつけたんだ!」
アピカの母親は興味を持ったようだった。
アピカの母:「ヒツキが魔法で色をつけたの?」
アピカは勢いよくうなずいた。
アピカ:「そうだよ! 絵が色とりどりになったんだ! それで、レイチェルも笑顔になったんだよ!」
キラナは少し照れくさそうに微笑んだ。
キラナ:「私は、少し手伝おうとしただけです。」
アピカの父親はうなずいた。
アピカの父:「それでも、いいことをしたね。」
アピカは話を続けた。
アピカ:「それから、私はヒツキに住む場所があるか聞いたんだ。そしたら、今は住む場所がないって言ってたの。それで、帰り道に、うちに泊まっていかないかって誘ってみたんだよ!」
アピカの母親は少し眉を上げた。
アピカの母:「この家に泊まってもらおうと誘ったの?」
アピカは、今度は少しゆっくりとうなずいた。
アピカ:「うん。でも、お母さんとお父さんに許可をもらうまでは、何も約束していないよ。」
アピカの両親は顔を見合わせた。
二人はすぐには返事をしなかった。
それを見たキラナは、慌てて頭を下げた。
キラナ:「突然お邪魔してしまって、すみません。ご家族に迷惑をかけるつもりはありません。」
ソラトも続けて話した。
ソラト:「俺たちは今、少し困った状況にあります。今夜休める場所がないんです。もしご家族が迷惑だと感じるのであれば、別の方法を探します。」
アピカの母親は、少し手を上げた。
アピカの母:「ちょっと待って。そんなにすぐ申し訳なく思わなくてもいいのよ。」
彼女は二匹に優しく微笑んだ。
アピカの母:「決める前に、あなたたちがどんな状況なのか知っておきたいだけなの。」
アピカの父親も同意するようにうなずいた。
アピカの父:「そうだ。休める場所が必要なら、きちんと話し合って決めればいい。」
アピカの表情がほっとしたように明るくなった。
アピカ:「じゃあ、二人はここに泊まってもいいの?」
母親は娘を見つめた。
アピカの母:「アピカ、あなたは誰かや魔法生物を助けたいと思うと、いつもすぐに決めてしまうんだから。」
アピカはにっこり笑った。
アピカ:「えへへ……。」
母親は小さく息を吐いたが、その表情は優しいままだった。
アピカの母:「でも、今回はお母さんもかまわないわ。まだ使える部屋もあるしね。」
アピカは一気に嬉しそうな顔になった。
アピカ:「本当!?」
アピカの父:「ただし、みんなで家をきれいに使うこと。夜遅くまで騒がないこと。それから、何か必要なものがあれば、ちゃんと私たちに伝えること。それを守ってくれるなら問題ないよ。」
ソラトは丁寧に頭を下げた。
ソラト:「本当にありがとうございます。できるだけご迷惑をおかけしないようにします。」
キラナも一緒にお辞儀をした。
キラナ:「ありがとうございます! 助けていただいて、本当に感謝しています。」
アピカの母親は微笑んだ。
アピカの母:「どういたしまして。」
その後、母親はキラナをもう少し詳しく見つめた。
アピカの母:「ヒツキ、ひとつ聞いてもいいかしら?」
キラナ:「はい、どうぞ。」
アピカの母:「この街にはずっと住んでいるの? それとも、ここに来たばかりなの?」
キラナは少しだけ黙り込んだ。
簡単な質問だったが、答えるのは簡単ではなかった。
まさか、数時間前に別の世界からやってきたばかりだなんて、言うわけにはいかない。
キラナは、できるだけ無難な答えを選んだ。
キラナ:「いいえ。ここに来たばかりなんです。まだ知らないことがたくさんあります。」
母親はゆっくりとうなずいた。
アピカの母:「そうなのね。それなら、まだこの街の生活に慣れていないでしょうね。」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「はい。」
すると、アピカの父親がキラナの体に目を向けた。
アピカの父:「ところで、その翼は空を飛ぶことができるのかい?」
キラナは自分の翼を振り返った。
キラナ:「そ、それはまだ分かりません。」
アピカの父:「まだ分からないのか?」
キラナは首を横に振った。
キラナ:「少し前まで、自分に翼があることさえ知らなかったんです。」
アピカの父親は一瞬黙り込んだ。
母親も不思議そうにキラナを見つめた。
アピカの母:「つい最近、自分の翼に気づいたばかりなの?」
キラナはゆっくりとうなずいた。
キラナ:「はい……。」
隣にいたソラトも説明を加えた。
ソラト:「ヒツキはまだ、自分の体について知る必要があるんです。俺も、彼女がどんな能力を持っているのか、すべては把握できていません。」
母親はうなずいた。
アピカの母:「それなら、無理はしないことね。すべての能力を一度に覚える必要はないんだから。」
その言葉を聞いて、キラナは少し安心した。
キラナ:「分かりました。ありがとうございます。」
母親は今度はソラトに目を向けた。
アピカの母:「それじゃあ、あなたの名前は何というの?」
ソラトは少し姿勢を正した。
ソラト:「ソラトです。」
アピカの父:「ソラト、か。」
ソラト:「はい。」
母親は微笑んだ。
アピカの母:「初めまして、ソラト。それから、アピカのことを一緒にいてくれてありがとう。」
ソラトはうなずいた。
ソラト:「自分がすべきことをしただけです。」
キラナはちらりとソラトを見た。
(キラナ・心の中)「私の世界にいたときは、よくからかってきたくせに……。」
ソラトは少しだけキラナのほうを向いた。まるで、彼女の表情の変化に気づいたかのようだった。
ソラト(テレパシー):「聞こえてるぞ、キラナ。」
キラナはすぐに体をこわばらせた。
キラナ(テレパシー):「な、何も言ってないよ!」
ソラト(テレパシー):「もちろん。嘘だけどな。」
キラナは不満そうにソラトを見つめた。
しかし、アピカの母親が再び話し始めたので、すぐに両親のほうへ向き直った。
アピカの母:「それじゃあ、今夜は二人ともアピカの部屋で休んでもらいましょう。アピカ、二人が快適に過ごせるようにしてあげてね。」
アピカ:「もちろん、お母さん!」
アピカの父:「それから、明日も祭りの準備がいくつか残っている。でも、疲れているなら無理して手伝わなくてもいいからね。」
アピカ:「分かった、お父さん!」
その後、アピカの母親は娘が持っている花飾りに目を向けた。
アピカの母:「ところで、その花飾りはアピカの部屋に持っていくの?」
アピカは手元を見た。
アピカ:「うん。ヒツキが直してみたいって言ってくれたの。」
母親は少し驚いた様子だった。
アピカの母:「ヒツキ、この飾りを直せるの?」
キラナは少し不安そうにうなずいた。
キラナ:「やってみようと思っています。完璧に直せるかは分かりませんが、レイチェルの力になりたいんです。」
母親は微笑んだ。
アピカの母:「そう。それなら、うまくいくといいわね。その飾りは祭りの準備にとって、かなり大切なものみたいだから。」
キラナ:「できる限り頑張ります。」
数分ほど話をしているうちに、家の中の雰囲気も少しずつ落ち着いてきた。
やがて、アピカの父親は二階へ戻り、眠る前の用事を続けることにした。一方、母親は食卓のある部屋へ戻り、残っていた片づけを再開した。
その前に、母親はアピカのほうを振り返った。
アピカの母:「アピカ、お水や食べ物が必要になったら、お母さんに言うのよ。」
アピカ:「はーい、お母さん!」
母親はキラナとソラトにも微笑みかけた。
アピカの母:「ヒツキ、ソラト、ゆっくり休んでね。」
キラナ:「ありがとうございます!」
ソラト:「おやすみなさい。」
母親が食卓のある部屋へ戻ると、アピカは二匹のほうへ振り返った。
アピカ:「それじゃあ、今度は私の部屋に行こう!」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん!」
ソラト:「家に泊めてもらえることになって、本当にありがとう。」
アピカは満面の笑みを浮かべた。
アピカ:「もう! お礼なんて言わなくていいってば!」
キラナとソラトは、ちらりとお互いの顔を見た。
(キラナ・心の中)「アピカって、今夜は本当にずっと元気だなあ……。」
ソラト(テレパシー):「そうみたいだな。」
キラナ(テレパシー):「ちょっと! 私と同じことを考えてたなんて言わないでよ!」
ソラト(テレパシー):「俺たちは、まったく同じことを考えているんだけどな。」
キラナは大きなため息をつきたい気持ちを、なんとかこらえた。
それから、キラナはアピカの後について階段へ向かった。
アピカの家にある木製の階段は、それほど急ではなかった。壁にはいくつかの額縁が飾られており、街の風景や花々、そして晴れた空の下に広がる湖の絵が描かれていた。
キラナはアピカの後ろをゆっくりと歩いていく。
ソラトはその隣を歩きながら、時々壁に飾られた絵に目を向けていた。
キラナ:「アピカ、この絵、すごく素敵だね。」
アピカは上の段から振り返った。
アピカ:「ああ、それ? いくつかはお母さんが描いたもので、ほかのものは画商さんから買ったんだよ。」
キラナは、シンプルな花びらが描かれた一枚の絵をじっと見つめた。
キラナ:「アピカも芸術が好きなの?」
アピカ:「うん! 絵を見るのも好きだし、特に明るい色を使った作品が好きなんだ!」
キラナはすぐに顔を上げた。
キラナ:「本当?」
アピカ:「本当だよ! でも、私は絵を描くのがそんなに得意じゃないんだ。どちらかというと、ほかの人の作品を見るほうが好きかな。」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「私もカラフルな絵が好きだよ。」
アピカ:「わあ! じゃあ、私たちは同じものが好きなんだね!」
キラナ:「えへへ、そうかも!」
二人はそのまま階段を上り続け、二階にたどり着いた。
そこには短い廊下があり、両側にはいくつかの扉が並んでいた。壁に取り付けられたランプが、廊下を柔らかな黄色の光で照らしている。
アピカは廊下の奥にある扉へと歩いていった。
アピカ:「さあ、私の部屋はここだよ!」
彼女は扉の前で立ち止まり、ドアノブを回した。
扉がゆっくりと開く。
中には、同じくらいの年頃の女の子が使うには十分な広さの部屋があった。壁は淡いクリーム色で、いくつかのシンプルな飾りが取り付けられている。
窓の近くには木製の椅子が置かれた勉強机があり、その反対側の壁には大きな洋服ダンスが立っていた。
部屋の中央にはベッドが置かれ、小さな青や黄色の花模様が描かれた白い掛け布団が敷かれている。
勉強机の上には、何冊かの本や筆記用具、巻かれた紙、それに工作道具が入った小さな箱が置かれていた。
部屋はきちんと片づいていたが、アピカがよく絵を描いたり、工作をしたりしていることが分かるような物もいくつかあった。
アピカは扉をさらに大きく開けた。
アピカ:「どうぞ、入って!」
キラナは感心したように部屋を見渡した。
キラナ:「わあ……すごく居心地のよさそうな部屋だね!」
ソラトもうなずいた。
ソラト:「それに、きれいに片づいているな。」
アピカは誇らしそうに微笑んだ。
アピカ:「ありがとう! 毎日ちゃんと片づけるようにしてるんだ。」
キラナ:「それに、部屋に入れてくれてありがとう。」
ソラト:「ああ。」
アピカは手を振った。
アピカ:「どういたしまして! そんなに遠慮しなくてもいいからね。」
それから、キラナとソラトは部屋の中へ入っていった。
アピカは静かに扉を閉めると、壊れた花飾りを勉強机の上に置いた。本の山のすぐ隣だった。
そして振り返る。
そのとき、目の前の光景を見て、アピカは思わず微笑んだ。
キラナとソラトは、すでにベッドの上に乗っていたのだ。
キラナは掛け布団の上に座り、頭の両側から垂れ下がっているウサギの耳のような長い部分を整えようとしていた。茶色い翼は体の横にたたまれ、先端が白い尻尾が後ろでゆっくりと揺れている。
ソラトはそのすぐ近くに座り、二本の尻尾を体の横でゆったりと丸めていた。
アピカは口元を手で覆い、小さく笑うのをこらえた。
アピカ:「もうベッドに乗ってるの!?」
キラナは不思議そうな表情で振り返った。
キラナ:「えっ? 乗っちゃだめだった?」
アピカは慌てて首を横に振った。
アピカ:「ううん、いいよ! ただ、二人がこんなにすぐくつろぐとは思わなかっただけ!」
ソラト:「さっきまでかなり長い距離を歩いていたからな。」
アピカ:「それもそうだね!」
アピカは勉強机に近づき、椅子に腰かけた。
アピカ:「それじゃあ、少し休んでてね。二人とも疲れているでしょう?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん、ありがとう。アピカ。」
しかし、勉強机に座ったアピカが、壊れた花飾りをじっと見つめていることに気づくと、キラナは興味を持ち始めた。
アピカは片手で顎に触れ、もう片方の手で花飾りの端を慎重になぞっていた。
その表情には、困っている様子が浮かんでいる。
キラナは数秒間、その様子を眺めていた。
やがて、ベッドから降りてアピカのほうへ歩いていった。
それに気づいたソラトもベッドを降り、キラナの後をついていく。
キラナは小さく跳び上がって、机の横にある空いていた椅子に乗った。それから、まだ少しぎこちない動きで勉強机の上へと上がった。
ソラトはもっと簡単に机の上へ乗った。
アピカは顔を上げた。
アピカ:「ん? どうしたの、ヒツキ?」
キラナはアピカの顔を見つめた。
キラナ:「どうしたの? さっきからずっと、その飾りを見ているけど。」
アピカは小さく息を吐いた。
アピカ:「ちょっと考えごとをしていたんだ。」
キラナ:「何を?」
アピカは机の上に置かれた花飾りを指さした。
アピカ:「どうやって直せばいいのか、まだ分からなくて。」
キラナは黙り込んだ。
そして、目を大きく見開いた。
キラナ:「あっ!!」
アピカはその声に驚いた。
アピカ:「えっ!? どうしたの?」
キラナはすぐに花飾りを見た。
キラナ:「私、すっかり忘れてた!」
ソラトがキラナのほうを向いた。
ソラト:「キラ……じゃなくて、ヒツキ?」
キラナ:「私、この飾りを直したいって言ってたよね?」
ソラトはうなずいた。
ソラト:「確かにそうだったな。」
キラナは再びアピカを見た。
キラナ:「ごめんね、アピカ! 部屋を見るのに夢中になっちゃって、花飾りのことを忘れそうになってたよ。」
アピカは慌てて首を横に振った。
アピカ:「大丈夫だよ! 私だって、どうすればいいのかまだ分からないんだから。」
キラナは花飾りに近づいた。
そして、壊れている部分を注意深く観察した。
その飾りは花の形をしていて、中央部分を囲むように、薄い花びらが何枚も円形に並んでいた。鮮やかな色が使われていたが、いくつかの花びらは折れ、接続部分も外れてしまっている。
中央部分にもひびが入っており、花全体の形は左右対称ではなくなっていた。
キラナは首をかしげた。
キラナ:「この飾りって、花の形をしているんだよね?」
アピカはうなずいた。
アピカ:「うん。新年祭のための花飾りだよ。」
キラナ:「もともとは十二枚の花びらがあったの?」
アピカは飾りを確認してから答えた。
アピカ:「うん、そうだよ。中央の部分を囲むように、十二枚の花びらが並んでいるんだ。」
キラナはゆっくりとうなずいた。
キラナ:「なるほど……。」
もう一度、花飾りの形を確かめる。
キラナ:「それなら、元の形に直しながら、少しだけアレンジしてみたいな。」
アピカはすぐに顔を上げた。
アピカ:「アレンジするの?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。十二枚の花びらがある花っていう基本の形はそのままにして、いくつかの細かい部分を変えて、もっと素敵にしてみたいんだ。」
アピカは花飾りを見つめ、それからキラナを見た。
アピカ:「でも……本当にできそう?」
キラナは少し照れくさそうに微笑んだ。
キラナ:「やってみるよ。完璧にできるとは約束できないけど、頑張ってみるね。」
ソラトは落ち着いた様子でキラナを見ていた。
ソラト:「一度に魔力を使いすぎないようにな。」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん、覚えてるよ。」
アピカは椅子を少し机に近づけた。
アピカ:「それなら、私も見てるね!」
キラナは振り返った。
キラナ:「分かった。でも、もし失敗しても驚かないでね。」
アピカは小さく笑った。
アピカ:「驚かないよ!」
ソラトはアピカをちらりと見た。
ソラト:「どうだろうな。」
キラナは不満そうにソラトを見た。
キラナ:「オカネ!!」
アピカは瞬きをした。
アピカ:「オカネ?」
キラナはすぐに固まった。
キラナ:「あっ! ち、違うの……ソラト!」
ソラトは一瞬目を閉じ、笑いをこらえているようだった。
アピカは首をかしげたが、やがてうなずいた。
アピカ:「ああ、そういうことね。」
キラナは少しうつむいた。
(キラナ・心の中)「あ、危なかった……。」
ソラト(テレパシー):「もっと気をつけないとな、キラナ。」
キラナ(テレパシー):「分かってるよ! でも、つい口に出ちゃったんだもん!」
ソラト(テレパシー):「また嘘をついてるぞ、キラナ。」
キラナはソラトのからかいを無視して、再び花飾りに集中した。
今度は、さっき道で絵に色をつけたときよりも、もっと慎重に魔法を使わなければならない。
キラナは花飾りのそばに立った。
まず、折れてしまった花びらから、ひびの入った中央部分まで、全体をじっくりと見つめた。
そして、ゆっくりと息を吸い込む。
キラナ:「よし……。」
アピカは注意深く見守っていた。
アピカ:「今から始めるの?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。まずは、それぞれの部分を元どおりにつなげてみるね。」
キラナは尻尾を持ち上げた。
白い尻尾の先端がゆっくりと動き、花飾りの真上で止まる。
キラナは壊れている部分に意識を集中させた。
折れた花びらが元の位置に戻り、外れた接続部分が再びつながり、中央部分も元どおりになる様子を思い描く。
しかし、最初は何も起こらなかった。
キラナは眉をひそめた。
キラナ:「……どうして反応しないんだろう?」
ソラトはキラナの様子を見つめた。
ソラト:「焦るな。さっき魔法を使ったときのことを思い出してみろ。」
キラナは小さくうなずいた。
もう一度、意識を集中させる。
今度は、壊れる前の花飾りの姿を思い浮かべた。
すると、少しずつ尻尾の付け根に温かな感覚が生まれ始めた。
白い尻尾の先端が光り出す。
淡い光が花飾りの周囲へと広がり、柔らかな光の膜を作り出した。
その光はまぶしいほどではなかったが、壊れた部分を一つひとつ照らし出すには十分だった。
アピカは少し身を乗り出した。
アピカ:「わあ……。」
キラナは息を止め、集中を保った。
折れていた花びらの一枚が、ゆっくりと持ち上がり始めた。
外れていた部分が少しずつ動き、元の位置へと戻っていく。ひびの入った接続部分も、まるで見えない手によって整えられているかのように、再びつながっていった。
二枚目の花びらも続いた。
そして三枚目。
壊れていた部分が一つずつ、元の場所へ戻っていく。
キラナは変化に合わせて、慎重に尻尾を動かした。
キラナ:「あと少し……。」
ひびの入っていた花の中央部分も、少しずつ元どおりになっていった。
表面が滑らかになり、ばらばらになっていた花びらも、ゆっくりと円形に整っていく。
白い光が花飾り全体を一周した。
数秒後、その光は次第に弱まっていった。
キラナは尻尾を少し下げた。
そして、完成した花飾りを見つめた。
花飾りは、すっかり元の形に戻っていた。
十二枚の花びらが中央部分を囲むようにきれいに並んでいる。折れた花びらも、外れていた接続部分も、もう見当たらなかった。
アピカは驚きのあまり、口を少し開けた。
アピカ:「やった! 直ったよ!」
キラナはほっとしたように微笑んだ。
キラナ:「よかった……。」
しかし、まだ終わりではなかった。
キラナはもう一度花飾りを見つめ、首をかしげた。
キラナ:「うーん……。」
ソラトが振り向いた。
ソラト:「どうした?」
キラナ:「形は元どおりになったけど、まだ少し変えてみたいところがあるんだ。」
アピカは興味津々といった様子でキラナを見た。
アピカ:「どこを変えたいの?」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「もっと明るくて、楽しい感じにしたいんだ。」
キラナは、きれいに並んだ十二枚の花びらを眺めた。
キラナ:「基本の形はもう十分きれいだから、花びらの色をそれぞれ変えて、中央の顔もちょっとアレンジしたいな。」
アピカは首をかしげた。
アピカ:「顔?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。中央部分を、にっこり笑っている花の顔みたいにしたいんだ。」
アピカはますます興味を持ったようだった。
アピカ:「わあ! 見てみたい!」
ソラトはキラナを見つめた。
ソラト:「さっき俺が道に描いた絵みたいにするのか?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「だいたいそんな感じ。でも、今回は私の好きな花のデザインにしてみたいんだ。」
ソラトは小さく微笑んだ。
ソラト:「なるほどな。」
キラナは再び尻尾を持ち上げた。
今度は、壊れた部分が元どおりになる様子だけを思い浮かべるのではない。
十二枚の色とりどりの花びらが、丸い顔を囲んでいる様子を思い描いた。
そして、その顔には大きな笑顔が浮かんでいる。
シンプルで、明るく、色鮮やかな花。
キラナの好きな、村上隆のアートを思い起こさせるような花だった。
キラナは最初の花びらに魔力を向け始めた。
白い尻尾の先端がきらりと光る。
すると、その花びらが少しずつ鮮やかな赤色に変わっていった。
キラナは次の花びらへと尻尾を動かした。
今度はオレンジ色。
続いて黄色。
緑色。
青色。
紫色。
色が一つずつ現れ、十二枚の花びらは明るく、さまざまな色で彩られていった。
キラナは花の周りをゆっくりと尻尾でなぞりながら、それぞれの花びらに違う色がつくように、そして全体のバランスが崩れないように気をつけた。
アピカはその変化を瞬きもせずに見つめていた。
アピカ:「すごくきれい……。」
キラナは答えなかった。まだ集中していたからだ。
すべての花びらに色がつくと、今度は花の中央部分に取りかかった。
中央の丸い部分は、周囲の花びらとの対比が生まれるように、少し温かみのある色へと変わっていった。
それから、キラナは目を描き始めた。
左側の目は赤色に、右側の目は緑色になった。
キラナは尻尾を慎重に動かし、目がより生き生きとして見えるように、小さな細部を付け加えていく。
片方の目には、小さな青い丸をつけた。
次に黄色。
そして、ピンク色。
その三色が小さなアクセントとなり、花の顔をさらに個性的に見せていた。
アピカはキラナの邪魔をしないように気をつけながら、少しだけ身を乗り出した。
アピカ:「ヒツキ、花の目がさっきと違って見えるよ!」
キラナは集中したままうなずいた。
キラナ:「うん。もっと明るくて楽しそうな顔にしたいんだ。」
そして、今度は口を作り始めた。
もともとシンプルだった口の線が、少しずつ大きな笑顔の形へと変わっていく。
口の輪郭は濃い青色になり、まるでネイビーブルーのような色合いになった。
一方、開いた口の内側は鮮やかなピンク色に変わった。
キラナはその形をじっと見つめた。
キラナ:「うーん……まだ少し何か足りない気がする。」
もう一度尻尾を動かし、笑顔の線をさらに整えていく。
それから、色とりどりの花びらにも、細かな調整を加えていった。
少し明るくした部分もあれば、つなぎ目を整えた部分もある。さらに、表面の細かな部分をなめらかにして、色同士が自然になじむように調整した。
花飾りを包み込む白い光が、少しずつ柔らかくなっていく。
キラナは疲れを感じ始めていた。
尻尾の先がわずかに震えていたが、それでも集中を保とうと頑張っていた。
ソラトはすぐにその変化に気づいた。
ソラト:「キラナ、疲れてきたなら、少し休んでもいいんだよ。」
キラナはゆっくりと首を横に振った。
キラナ:「もう少しだけ。きちんと整っているか、最後まで確認したいの。」
ソラトは真剣な表情でキラナを見守った。
ソラト:「分かった。でも、無理はしないでね。」
キラナ:「うん。」
キラナはもう一度、花の表面全体を見渡した。
色とりどりの十二枚の花びら。
赤と緑の目がついた丸い顔。
目の周りにある青、黄色、ピンクの小さな丸い飾り。
濃い青色の笑顔の線。
そして、口の中の鮮やかなピンク色。
どの部分も、きれいにまとまっていた。
キラナはもう一度尻尾を動かし、最後に整える必要がある部分へ、ほんの少しだけ魔力を送った。
花の周りに、白い光がきらきらと輝く。
そして、その光はゆっくりと消えていった。
キラナは尻尾を下ろした。
花飾りはすっかり元通りになり、さらに以前よりもずっと明るい姿へと生まれ変わっていた。
基本的な形は壊れる前と同じだったが、色使いと顔のデザインは、キラナの好きな芸術の雰囲気を取り入れた、楽しげな花のデザインに変わっている。
キラナは数秒間、その出来栄えを見つめた。
そして、ほっと息を吐いた。
キラナ:「……できた。」
アピカはすぐには返事をしなかった。
ただ、目を輝かせながら花飾りを見つめていた。
キラナはゆっくりと彼女の方を向いた。
キラナ:「アピカ、どう思――」
アピカ:「わあああっ!! すっごくいい!!」
キラナは思わずびっくりした。
キラナ:「え、ええっ!?」
アピカは勢いよく椅子から立ち上がった。その拍子に、椅子が少し後ろへずれる。
彼女は花飾りにぶつからないよう気をつけながら、机へと近づいた。
アピカ:「ヒツキ! 本当にすごくいいよ!」
キラナは戸惑った表情で彼女を見つめた。
キラナ:「え、えっと……ありがとう?」
アピカ:「すごくいいだけじゃないよ! とってもかわいい!」
アピカは興奮した様子で花飾りを指さした。
アピカ:「色も明るいし、顔もかわいいし、花びらも全部きれいに整ってる!」
キラナは少し照れくさそうに笑うことしかできなかった。
キラナ:「えへへ……そうかな。」
ソラトは尻尾を揺らしながら、二人の様子を見ていた。
ソラト:「想像していたよりも、ずっといい仕上がりになったみたいだね。」
キラナはソラトの方を向いた。
キラナ:「私も、こんなふうになるとは思わなかったよ。」
ソラト:「修理だけじゃなくて、ちゃんとデザインまで変えられたね。」
キラナはもう一度、花飾りを見つめた。
キラナ:「うん。全部うまくいってよかった。」
そのとき、アピカは少し身を乗り出し、花飾りを近くから観察し始めた。
アピカ:「あれ……ちょっと待って。」
彼女は首を傾けた。
アピカ:「このお花……」
キラナが振り向く。
キラナ:「どうしたの?」
アピカは花の顔を指さした。
アピカ:「さっき、道であなたが描いていたお花にそっくりじゃない?」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。あの絵を参考にしたんだ。」
アピカはもう一度、花飾りを眺めた。
アピカ:「じゃあ、わざとさっきの絵みたいにしたの?」
キラナ:「そうだよ。元のお花の形は残しながら、私の好きな雰囲気を加えてみたの。」
アピカの笑顔がさらに大きくなった。
アピカ:「私、これすっごく好き!」
キラナはぱちぱちと瞬きをした。
キラナ:「本当?」
アピカは大きくうなずいた。
アピカ:「本当だよ! 色も好きだし、顔も好き! それに、花びら一枚一枚の色が違うところも好き!」
そして、キラナに向かって親指を立てた。
アピカ:「ヒツキって、本当にすごいね!」
キラナは一瞬、固まった。
それから、前足の片方で頬をかきながら、照れくさそうに笑った。
キラナ:「えへへ……ありがとう。」
ソラトはアピカの様子を眺めたあと、テレパシーでキラナに話しかけた。
ソラト(テレパシー):「どうやら、キラナと同じような芸術の好みを持つ人が見つかったみたいだね。」
キラナはソラトをちらりと見た。
キラナ(テレパシー):「村上隆の花のアートのこと?」
ソラト(テレパシー):「そうだよ。」
キラナは、まだ花飾りを眺めているアピカに視線を戻した。
キラナ(テレパシー):「そうみたい。こんなに気に入ってくれるとは思わなかったな。」
ソラト(テレパシー):「それに、キラナも嬉しそうだね。」
キラナ(テレパシー):「もちろん! 自分の好きなものを、ほかの人にも気に入ってもらえると嬉しいもん!」
ソラト(テレパシー):「知ってるよ。」
キラナ(テレパシー):「それに、このお花だけの個性も出せたと思うんだ。」
ソラト(テレパシー):「それに、これでレイチェルの壊れた花飾りを直してあげられたね。」
キラナ(テレパシー):「うん! 明日、レイチェルにも気に入ってもらえるといいな。」
二匹は小さく微笑んだ。
しかし、目の前に立っていたアピカは、二匹の猫獣人が何も話さずに見つめ合っていることに気づいた。
アピカは首を傾げた。
アピカ:「ん?」
キラナはすぐに彼女の方を向いた。
キラナ:「えっ?」
アピカは二匹を交互に指さした。
アピカ:「二人とも、何を話してたの?」
キラナとソラトは互いにちらりと目を合わせた。
キラナ:「あ、あはは! 何でもないよ!」
ソラト:「仕上がりについて考えていただけだよ。」
アピカは数秒間、二匹を見つめた。
それから、こくりとうなずいた。
アピカ:「ああ、そうなんだ。」
そして、再び花飾りに笑顔を向けた。
アピカ:「それなら、いいよ!」
キラナはほっと息を吐いた。
キラナ(心の中):「あ、危なかった……。」
ソラト(テレパシー):「もう少し落ち着いて答えられるようにならないとね。」
キラナ(テレパシー):「ソラトだって、からかってばかりいないでよ!」
ソラト(テレパシー):「はいはい。」
そのあと、アピカは花飾りを両手で持ち上げた。
外れている部分がないか、もう一度確認する。
納得したところで、彼女は部屋の隅にある戸棚へと向かった。
アピカ:「これ、ここにしまっておくね!」
彼女は戸棚の扉を開け、中に置くのにちょうどいい場所を探した。
戸棚の中には、いくつかの箱や本、それに手芸用品が並んでいた。アピカは小さな箱を横へずらし、真ん中の棚に空いたスペースを作った。
そして、花飾りをそっとそこへ置いた。
アピカ:「よし! これで大丈夫!」
彼女は静かに戸棚の扉を閉めた。
それから、二匹の方へ振り返る。顔には、まだ楽しそうな表情が浮かんでいた。
アピカ:「せっかく直したんだから、もう壊れないようにしなくちゃ!」
キラナはぱちりと瞬きをした。
アピカは続けた。
アピカ:「それに、これはほかの人の持ち物だからね。持ち主に返すまで、ちゃんと大切にしておかないと。」
ソラトはうなずいた。
ソラト:「その通りだね。」
アピカは満足そうに微笑んだ。
アピカ:「明日、レイチェルと一緒にこれを持っていくつもり。屋台の人に返して、何があったのか説明するんだ。」
キラナ:「何事もなくうまくいくといいね。」
アピカ:「私もそう思う!」
キラナとソラトは互いにちらりと目を合わせ、アピカの楽しそうな様子を見て微笑んだ。
今夜初めて出会ったばかりの少女だったが、一つだけ、はっきりと分かってきたことがある。
アピカはとても明るく、何か好きなものを見つけると、すぐに夢中になる女の子なのだ。
そして今、カラフルな十二枚の花びらと笑顔を持つ花飾りは、彼女のお気に入りの一つになったようだった。
花飾りをしまい終えたアピカは、ベッドの方へ歩いていった。
ベッドの端に腰を下ろし、隣の毛布をぽんぽんと軽く叩く。
アピカ:「さあ! これでゆっくりできるね!」
まだ勉強机の上にいたキラナは、彼女の方を向いた。
キラナ:「ゆっくり?」
アピカはうなずいた。
アピカ:「うん! 花飾りも直せたし、今夜やることはもうないからね。」
キラナは机から飛び降りた。
ベッドの上に着地したものの、少しよろけてしまい、すぐに体勢を整えた。
ソラトも続いて飛び降り、キラナの隣に落ち着いて着地した。
アピカは二匹が近づいてくるのを見て微笑んだ。
アピカ:「こっちにおいで!」
キラナとソラトはアピカのそばまで歩いていった。
アピカは二匹が座れるように、少し体を横へずらした。
アピカ:「ねえ、おしゃべりしない?」
キラナは彼女を見つめた。
キラナ:「何について?」
アピカは肩をすくめた。
アピカ:「何でもいいよ! 好きなものの話でも、行ってみたい場所の話でも、今までにあった面白い出来事でも!」
キラナは少しだけ考えた。
それから、小さく微笑んだ。
キラナ:「楽しそうだね。」
ソラトもうなずいた。
ソラト:「僕も構わないよ。」
アピカは嬉しそうに小さく手を叩いた。
アピカ:「よかった! それじゃあ、みんなでおしゃべりしよう!」
キラナとソラトは互いにちらりと目を合わせた。
二匹は、ほとんど同じような少し気まずそうな表情を浮かべていた。
キラナ:「えへへ……うん、いいよ。」
ソラト:「もちろん。」
アピカは二匹の反応を見て、小さく笑った。
アピカ:「二人とも、かわいいね!」
キラナはすぐに振り向いた。
キラナ:「えっ!?」
アピカは満面の笑みで、キラナとソラトを指さした。
アピカ:「何をすればいいのか分からなくて、困ってる二匹の猫みたい!」
キラナは黙り込んだ。
そして、うつむいて自分の前足を見た。
キラナ:「……でも、私たち、本当に猫だよ。」
アピカは一瞬、言葉を失った。
それから、声を上げて笑った。
アピカ:「あははは! それもそうだね!」
ソラトは二本の尻尾を揺らした。
ソラト:「少なくとも、間違ったことは言っていないね。」
キラナはソラトの方を向いた。
キラナ:「オカネ!」
ソラト:「何?」
キラナ:「便乗しないでよ!」
アピカは再び笑い出した。キラナはただ、気まずそうな顔で二匹を見つめるしかなかった。
けれど、その部屋の空気は、ますます温かいものになっていた。
ソラトの世界へ飛ばされてから初めて、キラナは新しく知り合った誰かと一緒に座り、身の安全を守る方法ばかり考えずに過ごすことができていた。
友達のことが心配なのは変わらない。
それでも、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。
そのとき、アピカが首を傾げた。
アピカ:「ねえ、ヒツキ。一つ聞いてもいい?」
キラナ:「もちろん。何?」
アピカ:「さっき、カラフルなお花のアートが好きだって言ってたよね。いつ頃から好きになったの?」
キラナは少し考えた。
キラナ:「けっこう前からだよ。シンプルな形なのに、たくさんの色が使われている花が好きなの。そういう花を見ると、何だか明るい気持ちになれるんだ。」
アピカは興味津々でうなずいた。
アピカ:「分かる! 特に色が一つずつ違っていると、まるで虹を見ているみたいだよね。」
キラナは微笑んだ。
キラナ:「うん! そこが好きなんだ。」
それから、アピカはソラトの方を向いた。
アピカ:「ソラトはどう? 芸術も好きなの?」
ソラトはゆっくりと尻尾を揺らした。
ソラト:「キラナほど芸術について考えることはないけど、よくできた作品を見て楽しむことはあるよ。」
アピカ:「へえ! じゃあ、自分で作るよりも、見て楽しむ方が好きなの?」
ソラト:「まあ、そんなところかな。」
アピカはうなずいた。
アピカ:「それなら、明日、私のお気に入りの絵をいくつか見せてあげようかな!」
キラナはすぐに振り向いた。
キラナ:「本当!?」
アピカ:「もちろん! 戸棚に絵の本や、いろんな作品を集めた本があるんだ。花の絵もあるし、風景の絵や、いろんな飾りのデザインも載ってるよ。」
キラナの目が輝いた。
キラナ:「わあ! 見てみたい!」
アピカはにっこりと笑った。
アピカ:「じゃあ、明日見せてあげるね!」
キラナは嬉しそうにうなずいた。
キラナ:「楽しみ!」
ソラトはキラナをちらりと見た。
ソラト(テレパシー):「どうやら、また楽しみなことが一つ増えたみたいだね。」
キラナ(テレパシー):「もちろん! いろんな作品を見るのが好きなんだもん。」
ソラト(テレパシー):「絵を見るのに夢中になって、僕たちの目的を忘れないようにね。」
キラナ(テレパシー):「忘れないよ!」
ソラト(テレパシー):「それならいいけど。」
キラナは再びアピカの方を向いた。
アピカ:「そういえば、ヒツキは自分で絵を描くのも好きなの?」
キラナ:「うん。見たものを描くこともあるし、頭に浮かんだアイデアをもとに絵を描くこともあるよ。」
アピカ:「わあ! じゃあ、何かを作るのが好きなんだね!」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「そうかもしれないね。」
アピカ:「私も自分の手で何かを作るのが好きなんだ。小さな飾りやメッセージカードを作ったり、友達にあげる簡単なものを作ったりするよ。」
キラナ:「それって、とっても楽しそう!」
アピカはうなずいた。
アピカ:「うん! でも、ときどき想像していた通りにできないこともあるんだ。」
キラナ:「それ、私もよくあるよ。」
アピカはすぐに振り向いた。
アピカ:「本当?」
キラナ:「うん。作る前はすごくいい感じになると思っていても、実際に作ってみると、想像とは違う形になっちゃうことがあるんだ。」
アピカは小さく笑った。
アピカ:「その気持ち、よく分かるよ!」
二人の様子を見ていたソラトが口を開いた。
ソラト:「じゃあ、二人にはまた一つ共通点ができたね。」
アピカはうなずいた。
アピカ:「本当だね! 私と同じように、何かを作るのが好きな猫獣人に会えて嬉しいな。」
キラナも微笑んだ。
キラナ:「私もアピカに会えて嬉しいよ。」
それを聞いたアピカは、さらに嬉しそうな顔になった。
彼女はベッドの横に置いてあった小さなクッションを手に取り、抱きしめながら考え込んだ。
アピカ:「うーん……次は私が質問する番!」
キラナは首を傾げた。
キラナ:「今度は何を聞くの?」
アピカ:「もしこの世界で一つだけ行ってみたい場所を選べるとしたら、どこに行きたい?」
その質問を聞いて、キラナは少し黙り込んだ。
そして、窓の方へ視線を向けた。
外には、遠くの方にまだランタンの明かりが見えていた。
キラナ:「まだこの場所についてあまり知らないから、具体的な場所は選べないかな。」
アピカはうなずいた。
アピカ:「それもそうだね。」
キラナは続けた。
キラナ:「でも、きれいな景色が見られる場所には行ってみたいな。広い草原とか、湖とか、それから、あまり危なくない森とか。」
ソラトはキラナの方を向いた。
ソラト:「あまり危なくない森?」
キラナはすぐに彼を見た。
キラナ:「そうだよ! さっきのことがあったんだから、今度は安全な森を選んだっていいでしょ!」
ソラトはゆっくりとうなずいた。
ソラト:「それについては、僕も反対できないね。」
アピカは小さく笑った。
アピカ:「それなら、街の東にある丘陵地帯が気に入るかもしれないよ。広い草原と、小さな湖があるんだ。」
キラナはすぐに振り向いた。
キラナ:「本当?」
アピカはうなずいた。
アピカ:「うん。何年か前に家族と一緒に行ったことがあるんだけど、景色がとってもきれいだったよ。」
キラナは興味を示した。
キラナ:「いつか行ってみたいな。機会があれば。」
アピカ:「うん! そのうち、一緒に行けたらいいね!」
キラナは微笑んだ。
キラナ:「そうなったら、すごく嬉しいよ。」
しかし、その言葉を口にしたあと、キラナは再び黙り込んだ。
この世界の美しい場所を訪れる前に、まずは友達を見つけなければならないことを思い出したのだ。
ソラトはキラナの表情の変化に気づいた。
ソラト(テレパシー):「また、みんなのことを考えているの?」
キラナ(テレパシー):「うん……。」
ソラト(テレパシー):「大丈夫。みんなで探そう。でも、今夜はキラナも休まないとね。」
キラナ(テレパシー):「分かってる。ただ、みんなが一人ぼっちになっていないといいなって思って……。」
ソラト(テレパシー):「僕もそう願っているよ。」
キラナは小さく息を吐き、再びアピカの方を向いた。
アピカは優しい表情でキラナを見つめていた。
アピカ:「ヒツキ、いつも無理して笑わなくてもいいんだよ。」
キラナは少し驚いた。
キラナ:「えっ?」
アピカはクッションを少し強く抱きしめた。
アピカ:「友達のことを心配しているんだよね。悲しくなったり、不安になったりしてもいいんだよ。ほかの人に心配をかけないようにって、無理して平気なふりをしなくてもいいんだから。」
キラナは黙り込んだ。
アピカがそんなことを言ってくれるとは思っていなかった。
アピカは小さく微笑んだ。
アピカ:「友達のことを話したくなったら、私が聞いてあげるよ。」
キラナは少しうつむいた。
それから顔を上げ、心からの笑顔を浮かべた。
キラナ:「ありがとう、アピカ。」
アピカはうなずいた。
アピカ:「どういたしまして。」
キラナはゆっくりと息を吸った。
キラナ:「本当に心配なんだ。みんなが安全な場所にいるのかも分からないし、私と同じようなことが起きているのかも分からないから……。」
アピカは口を挟まず、静かに耳を傾けていた。
キラナ:「でも、みんな無事だって信じたい。大切な友達だから。絶対に探すのを諦めたくないの。」
ソラトは落ち着いた様子でキラナを見つめた。
ソラト:「そして、僕たちは諦めないよ。」
キラナはうなずいた。
キラナ:「うん。」
アピカは微笑んだ。
アピカ:「それなら、この世界のことがもう少し分かったら、みんなを探すのを手伝うよ。」
キラナはアピカを見つめた。
キラナ:「本当に手伝ってくれるの?」
アピカは力強くうなずいた。
アピカ:「もちろん! あなたたちはレイチェルを助けてくれたでしょ? 今度は私たちが、あなたたちのために何かできることをしたいんだ。」
キラナは温かい笑顔を浮かべた。
キラナ:「本当にありがとう。」
アピカ:「どういたしまして!」
部屋の雰囲気は、再び明るくなった。
そのあと、三人は何気ない話を続けた。
アピカは街での普段の暮らしや、よく立ち寄るお店のこと、そして何かの行事があるときに母親の準備を手伝う習慣について話してくれた。
キラナは分からないことがあるたびに、時々質問をした。
ソラトも、これまでに訪れたことのある街についていくつか説明した。ただし、すべてを一度に話すことはなかった。
三人は、大通りで売られている食べ物や、街の人々が着ている服、そして年越し祭りに向けて飾られ始めたさまざまな装飾について話した。
アピカは勉強机から小さな本を一冊取り出し、椅子に座って、自分が描いた花の絵を何枚か見せてくれた。
キラナは興味津々で絵を眺めた。
キラナ:「この絵、とってもいいね!」
アピカは少し照れくさそうに笑った。
アピカ:「本当? 私は花びらの部分が、まだちょっと整っていない気がするんだけど……。」
キラナは首を横に振った。
キラナ:「私は、この形が個性的でいいと思うよ。花びらが全部同じ形じゃなくても、きれいに見えるんだから。」
アピカはもう一度、その絵を見つめた。
アピカ:「そんなふうに考えたことなかったな。」
キラナ:「もし、すべての花が同じ形だったら、いろんな違った形の花を楽しめなくなっちゃうかもしれないよ。」
アピカは微笑んだ。
アピカ:「確かにそうだね!」
ソラトはキラナをちらりと見た。
ソラト:「また何か教えてあげているみたいだね。」
キラナは振り向いた。
キラナ:「えっ? ただ自分の考えを言っただけだよ!」
ソラト:「でも、それは悪いことじゃないよ。」
キラナは頬を膨らませた。
キラナ:「もう! ソラトって、本当に私を困らせるのが好きなんだから!」
二匹の会話を聞いて、アピカは笑った。
夜は少しずつ更けていった。
そして、何気ない会話を重ねるうちに、三人はいつの間にかお互いに打ち解けていた。
しばらくすると、家の外はますます静かになっていった。
大通りから聞こえていた話し声もほとんどなくなり、いくつかのお店では明かりが消え始めていた。街の人々の多くも、家へ帰ったようだった。
一方、アピカの部屋では、まだ会話が続いていた。
アピカは、いろいろな具が入ったパンを売っている屋台について話していた。キラナは興味津々で耳を傾け、ソラトは時々短く相づちを打っていた。
アピカ:「それでね、私が一番好きなのは、フルーツ入りのパンなんだ!」
キラナはすぐに顔を上げた。
キラナ:「フルーツ入りのパン?」
アピカはうなずいた。
アピカ:「うん! リンゴやベリー、それからほかの果物が入っているものもあるんだよ。」
キラナは嬉しそうな表情になった。
キラナ:「わあ、食べてみたい!」
アピカ:「それなら、明日の祭りのときに買いに行こうよ!」
キラナ:「本当!?」
アピカ:「もちろん!」
ソラトはキラナをちらりと見た。
ソラト:「さっきは、少しお腹が空いているだけだって言っていなかった?」
キラナはすぐに振り向いた。
キラナ:「で、でも、パンを食べたくないなんて言ってないよ!」
アピカは笑った。
アピカ:「二人って、本当に面白いね!」
キラナは気まずそうにうつむいた。
キラナ:「えへへ……。」
ソラトは尻尾を揺らした。
ソラト:「それなら、明日も食べ物の話をしようか。」
アピカは元気よくうなずいた。
アピカ:「賛成!」
そのとき、アピカは勉強机の方へ目を向けた。
本の近くに置いてある小さな時計が目に入ったのだ。
アピカはぱちりと瞬きをした。
そして、時計に顔を近づけて、もう一度時刻を確認した。
アピカ:「ん?」
時計の針をもう一度見つめる。
すると、彼女の表情が驚きに変わった。
アピカ:「ああっ、大変!」
キラナとソラトはすぐに振り向いた。
キラナ:「えっ!? どうしたの!?」
ソラト:「アピカ?」
アピカは勉強机の上にある時計を指さした。
アピカ:「もう十時三十二分だよ!」
キラナはぱちりと瞬きをした。
キラナ:「十時三十二分?」
アピカは急いでうなずいた。
アピカ:「うん! 午後十時三十二分!」
彼女はすぐに椅子から立ち上がった。
アピカ:「早く寝なくちゃ!」
キラナは不思議そうに彼女を見た。
キラナ:「えっ? どうして急に?」
アピカ:「だって、もう夜遅いよ! あまり遅く寝ると、明日の朝起きるのが大変になっちゃうから!」
ソラトはゆっくりとうなずいた。
ソラト:「それはもっともな理由だね。」
アピカはすぐにベッドへ向かい、慎重に上へと上がった。
そして窓の方へ移動し、外を眺めた。
そこからは、家の前の道の一部が見えた。
数時間前とは違い、今の道にはほとんど人影がなかった。まだいくつかのランタンが明かりを灯していて、ときどき大通りの方から帰ってくる人が見えるくらいだった。
アピカは数秒間、その景色を眺めた。
アピカ:「わあ……本当に静かになったね。」
キラナも窓の方を見た。
キラナ:「うん。さっきまでは、まだ何人か歩いていたのにね。」
アピカはうなずいた。
アピカ:「明日の祭りの準備に備えて、みんな家に帰って休んでいるのかもしれないね。」
それから、アピカは二匹の方へ振り返った。
アピカ:「それじゃあ、私たちもそろそろ寝なくちゃ!」
キラナはぱちりと瞬きをした。
キラナ:「もう寝るの?」
アピカは力強くうなずいた。
アピカ:「うん、今すぐ!」
ソラトはキラナを見た。
ソラト:「この家の決まりに従った方がよさそうだね。」
キラナは小さくうなずいた。
キラナ:「そうだね……。」
アピカはベッドから降り、ドアの方へ歩いていったあと、少し立ち止まった。
勉強机の方を見て、散らかったままの物がないか確認する。
それから部屋の隅へ向かい、メインの照明を消した。
カチッ。
部屋の中は一気に暗くなった。
残っている明かりは、窓の外にある小さなランプの光と、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけだった。
アピカはベッドへ戻った。
キラナとソラトは、そんな彼女の様子をただ見つめていた。
アピカはベッドに上がり、毛布を整えた。
自分の寝る場所に横になると、まだベッドの上に座っていた二匹の猫獣人へ顔を向けた。
アピカ:「おやすみ、ヒツキ! おやすみ、ソラト!」
キラナはアピカの方を向いた。
キラナ:「おやすみ、アピカ。」
ソラト:「おやすみ。それから、家に迎えてくれてありがとう。」
アピカは小さく微笑んだ。
アピカ:「どういたしまして。二人とも、ゆっくり休んでね。」
彼女は一度うなずくと、目を閉じた。
それから間もなく、呼吸が規則正しくなっていった。
時計を見てから急いで寝ることにしたアピカは、本当にすぐに眠るつもりのようだった。
キラナは数秒間、彼女を見つめた。
キラナ(心の中):「は、早いなあ……。」
ソラトはキラナをちらりと見た。
ソラト:「アピカは、いつもこのくらいの時間に寝ているのかもしれないね。」
キラナは小さくうなずいた。
キラナ:「そうかもね。」
ソラトは毛布の上で少し体を伸ばした。
ソラト:「それじゃあ、僕も寝るよ。」
キラナは振り向いた。
キラナ:「あ……うん。」
ソラトはキラナの方を向き、静かな声で話しかけた。
ソラト:「おやすみ、キラナ。」
キラナは小さく微笑んだ。
キラナ:「おやすみ、オカネ。」
ソラトはそのままベッドの上に横になった。
二本の尻尾は体の近くで丸くなり、目はゆっくりと閉じられていった。
やがて、ソラトも眠り始めた。
部屋の中は静かになった。
時折、夜風が窓に触れる音だけが聞こえてくる。
キラナはまだベッドの上に座っていた。
眠気はまだ訪れていなかった。
彼女は窓の方へ顔を向けた。
外では、黄金色の月が夜空に浮かんでいた。
その光は、家々の屋根や静かになり始めた道の一部を照らしている。薄い雲の間では星々がきらきらと輝き、サクラモリの空とはまったく違う景色を作り出していた。
キラナは何も言わずに、その景色を眺めていた。
ほんの数時間前まで、彼女は自分の世界にいた。
まだ冬の服を着て、アイカ、ハルト、レン、カイトと一緒に歩いていた。冬休みの間、ただみんなで楽しい時間を過ごすつもりだった。
まさか、謎の花によってすべてが変わってしまうとは思いもしなかった。
そのあと、森を色とりどりの光が包み込んだ。
何もかもが真っ白になった。
そして、再び目を開けたとき、彼女は見知らぬ場所にいた。
体は変わってしまい、友達は姿を消していた。
一方、ソラトは元いた世界へ戻ってきていた。
キラナはうつむき、自分の前足を見つめた。
茶色い毛が体を覆っている。
彼女は片方の翼を少し動かし、頭の横にあるウサギの耳のような長い部分が毛布に触れるのを感じた。
キラナは小さく息を吐いた。
キラナ(心の中):「私、本当に猫又になっちゃったんだ……。」
今でも、そのことを思い出すたびに不思議な気持ちになる。
けれど、夜の間ずっと自分の変化について考え続けるつもりはなかった。
新しい体に慣れ、自分の魔法の力を理解し、元の状態に戻る方法を見つけなければならない。
そして何よりも大切なのは、友達を見つけることだった。
キラナは眠っているソラトの方へ顔を向けた。
キラナ(心の中):「オカネ……。」
彼女は白い猫を静かに見つめた。
キラナ(心の中):「あなたがここにいてくれてよかった。そうじゃなかったら、きっと今よりもっと混乱していたと思う。」
ソラトから返事はなかった。
彼は穏やかな表情で眠り続けている。
キラナは小さく微笑んだ。
それから、再び窓の方へ視線を戻した。
アイカ、ハルト、レン、カイトのことを思い浮かべる。
みんなも、もう目を覚ましているのだろうか。
自分と同じように、体が変わってしまったのだろうか。
今、どこか安全な場所にいるのだろうか。
それとも、みんな離れ離れになってしまったのだろうか。
キラナには、何も分からなかった。
そして、何も分からないからこそ、友達のことが心配でたまらなかった。
キラナはうつむいた。
キラナ(心の中):「アイカ……ハルト……レン……カイト……。」
一人ずつ、みんなの顔を思い出す。
いつもその場の雰囲気を明るくしようとしてくれるアイカ。
何気ない会話を、食べ物の冗談に変えてしまうハルト。
何かを決める前に、まず状況を分析しようとするレン。
周りがどんなに慌ただしくても、落ち着いているカイト。
みんな、それぞれ違う性格をしている。
けれど、だからこそ、お互いを補い合うことができていた。
キラナは、みんなを失いたくなかった。
彼女は顔を上げ、再び窓の外に浮かぶ黄金色の月を見つめた。
キラナ(心の中):「今、みんながどこにいるのか分からないけど……。」
ゆっくりと息を吸う。
キラナ(心の中):「絶対に、みんなを探し出すから。」
キラナは尻尾を少し動かし、もう一度自分の前足を見つめた。
キラナ(心の中):「それに、元の世界に戻る方法も見つけてみせる。」
夜風が静かに吹いた。
カーテンが少し揺れ、それから再び静かになった。
キラナはまだ眠れずにいた。
少しでも楽な場所へ体を移動させ、眠っているソラトとアピカの方を眺めた。
二人とも穏やかな様子だった。
今のところ、キラナは安全な場所にいる。
今夜のうちに、大きな決断をする必要はない。
すべての答えをすぐに見つける必要もない。
それでも、キラナの頭の中には、さまざまな考えが浮かんでいた。
謎の花。
変わってしまった自分の体。
ソラトの世界。
明日開催される年越し祭り。
レイチェルとアピカ。
そして何よりも、まだ見つかっていない四人の友達。
キラナは一度目を閉じたが、すぐにまた開いた。
本当にすべてが起きたことなのか、もう一度確かめたいような気持ちだった。
再び窓の方を見ると、黄金色の月はまだ同じ場所に浮かんでいた。
星々も変わらず輝いている。
そして、見知らぬ世界は、窓の向こうにどこまでも広がっていた。
キラナは静かに息を吐いた。
キラナ(心の中):「明日……もっといろんなことを調べなくちゃ。」
彼女は頭を下げ、ゆっくりと毛布の上に横になった。
茶色い翼は体の横に折りたたまれ、尻尾は後ろ足の近くで丸くなった。
ようやく横になったものの、目はまだ開いたままだった。
彼女は床に差し込む月明かりをじっと見つめていた。
夜はますます更けていく。
アピカは眠っていた。
ソラトも眠っていた。
けれど、キラナはまだ目を覚ましたまま、友達のことを考え、みんなが無事でいることを願っていた。
その頃、アピカの家から遠く離れた場所でも、魔法の世界はいつもと変わらず動き続けていた。
街の人々は、祭りの準備を終えて休み始めていた。いくつかの通りにはまだランタンが灯り、翌日に飾りつけられる予定の装飾品も、出番を待っていた。
この家にいる誰も、アイカ、ハルト、レン、カイトが今どこにいるのか知らなかった。
彼らもまた、休める場所を見つけているのかどうか、誰にも分からなかった。
そして、彼らをこの世界へ連れてきた、笑顔の花についても、本当のことは何一つ分かっていなかった。
キラナにできるのは、ただ友達の無事を願うことだけだった。
彼女はもう一度、窓越しに夜空を見つめた。
そして、自分にしか聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
キラナ:「……みんな、どうか無事でいてね。」
そのあと、彼女は再び静かになった。
キラナのソラトの世界での最初の夜は、まだ完全には終わっていなかった。
体は少しずつ疲れ始めていたが、彼女の心には、再会したい四人の友達の姿がずっと浮かんでいた。
その夜、キラナが確信していたことは、ただ一つ。
彼女は、みんなを探すことを決して諦めない。
この物語はまだ続きます。




