第八話 もう一つの姿
「――そういえば、気になっていたんですが」
資料の整理をしながら、私はふと尋ねていた。
「そういえば、文献で読んだことはあるんですが、獣人族には完全な獣形態と人型の間の形態もあるんですか?」
「ある」
ヴァルクは、あっさりと頷いた。
「人型に近い分、日常でもよく使う形態だ。狩りや軽い作業なら、わざわざ完全に獣化するまでもないからな」
「見せてもらえますか?」
興味が抑えられなかった。狼形態はもう見せてもらった。人型のヴァルクも、当然見慣れている。だとしたら、その中間の姿がどんなものか、知りたいと思うのは当然だった。
「別に構わないが」
ヴァルクは、少し肩をすくめてから、目を閉じた。
淡い光が、彼の輪郭を包む。
光が収まったとき、そこにいたのは――。
「…………」
私は、言葉を失っていた。
人間の顔。人間の身体。いつもと変わらない服装。
でも、頭の上には、灰色の毛並みの耳が二つ。腰の後ろには、長い尻尾が揺れている。
「…………ヴァルクだ」
思わず、そう呟いていた。
狼姿を見たときは、「狼だ」だった。動物として、興奮した。
でも今は、違う。
目の前にいるのは、間違いなく人間の男性の姿をしたヴァルクで、そこに獣の一部が加わっているだけだった。
なのに、なぜか、いつものように平静ではいられなかった。
「……どうした?」
ヴァルクが、怪訝そうにこちらを見る。
「い、いえ……」
私は、視線をどこに向けていいか分からなくなっていた。
彼の耳が、こちらの声に反応してぴくりと動く。それだけで、なぜか妙に気恥ずかしい。
「その、耳、触ってもいいですか」
言ってから、しまったと思った。研究者としての癖で、つい口が動いてしまった。
「――好きにしろ」
ヴァルクは、少し戸惑ったような、それでいて拒む様子もなく頷いた。
私は恐る恐る手を伸ばし、耳に触れた。狼姿のときよりも、少し小さい。でも、柔らかさは同じだった。
「あったかい……」
耳が、また小さく動いた。
その反応に、なぜか心臓が跳ねる。
(何、これ……)
狼のときは、こんな風に感じなかった。
もふもふしたい、もっと観察したい、という純粋な好奇心しかなかったはずなのに。
今は――手を離すのが、少しだけ名残惜しい。
「尻尾も、見てもいいですか」
「ああ」
背後に回った尻尾を、視線だけで追う。触れる勇気までは、なぜか出なかった。
ヴァルクが、こちらを振り返る。
「どうした。触らないのか」
「い、いえ……その、似合いますね」
「……そうか?」
ヴァルクが、一瞬だけ動きを止めた。
「はい。すごく――」
言いかけて、私は慌てて口をつぐんだ。
自分でも、しどろもどろになっているのが分かった。
ヴァルクは、少しの間、私の顔をじっと見つめていた。
「……お前、顔が赤いぞ」
「そんなことありません」
「あるな」
「ありません」
言い合いながらも、私は視線を逸らし続けていた。
ふと見ると、ヴァルクの耳が、二度、三度と忙しなく動いていた。それに、心なしか首筋のあたりが赤い気がした。
「……?」
私は首を傾げたが、彼はそれ以上何も言わず、ふっと小さく笑う気配がした。
「まあいい」
その声は、いつもより少し優しかった気がした。
◇◇◇
その日の帰り道、私はずっと、落ち着かない気分のままだった。
(あれは、変な反応だったわ)
狼のときは平気だったのに、あの姿だけ、なぜか正視できなかった。
理由は、自分でも分からない。
――ただ、その夜、宿舎に戻ってから、私は珍しく自分から手紙をしたためていた。
『来週、また集落に伺います。もしよろしければ、また案内していただけませんか』
書き終えてから、少し眺める。
これまでは、測定の予定を調整するための連絡ばかりだった。
今回は、少し違う気がした。
でも、それが何なのか、深く考えるのはやめておいた。




