第二話 獣人の族長、なぜか面白がられる
周囲のどよめきは、しばらく収まらなかった。
「あの伯爵令嬢、いきなり何を……」
「族長に、あんな道具を突きつけるなんて」
人間側の貴族も、獣人族側の随行員たちも、遠巻きに私とヴァルクを見ている。ヴァルクの右隣に控えていた、鋭い目つきの壮年の男が、明らかに困惑した顔でこちらを見ていた。
「ヴァルク様。……よろしいのですか、こんな」
「構わん」
ヴァルクは魔力波形計を軽く指先で弾きながら、面白そうに答えた。
「お前、名は」
「クラリス・オーブリーです」
「オーブリー……伯爵家か。人間の令嬢が俺にこんな真似をしてくるとはな」
その声に苛立ちは感じられなかった。むしろ、愉快そうだった。
私は気にせず魔力波形計の位置を調整する。
「動かないでいただけますか。三十秒ほどで済みます」
「随分と平然としているな」
「魔力生物学を研究していると、こういう機会はなかなかないので」
言いながら、私は目盛りを読み取ることに集中していた。見物人たちの視線も、随行員の困惑も、正直あまり頭に入っていなかった。
◇◇◇
――このとき、俺は何を思っていたのか。
妙な女だ。
俺は、右手に持たされた小さな魔道具と、その正面で真剣な顔をしている人間の女を見下ろしていた。
普通、俺の前でここまで臆さない人間はいない。獣人族の族長という立場に萎縮するか、あるいは種族の違いに露骨な嫌悪や恐怖を見せるか。どちらかだ。
だが、この女は違った。
俺の魔力を、まるで珍しい植物か何かのように、目を輝かせて観察している。
(俺自身を、見ていない)
不思議な感覚だった。
初対面の瞬間、確かに何かが引っかかった。理屈より先に、本能が「これは」と反応するような感覚。かつて長老たちから聞いたことのある話が、頭の片隅をよぎった。
(番って柄でもない人間だと思ったが……)
いや、まだ早い。
こんな一瞬の感覚だけで結論を出すのは、研究者としても、族長としても愚かだ。それに――この女自身は、そんなことなど欠片も考えていないだろう。
目の前で、彼女は真剣な顔で数値を読み取っている。俺のことなど、魔力波形の観測対象としてしか見ていない。
その温度差が、妙におかしかった。
「面白い」
思わず、また同じ言葉が漏れた。
◇◇◇
測定を終えた私は、記録した数値を見て、思わず声を漏らした。
「――これ、理論値の三倍近くあります」
「そんなに珍しいのか」
「珍しいなんてものじゃないです。人間の魔力回路とは根本的に構造が違う。文献の推測が、こんなに大きく外れているなんて……」
興奮のあまり、早口になっているのが自分でも分かった。だが止まらない。
「あの、折り入ってお願いがあるのですが」
「言ってみろ」
「獣人族の魔力回路について、正式な共同研究をさせていただけないでしょうか。あなただけでなく、できれば複数の方の協力もいただいて、比較データを取りたいんです」
随行員の男が、驚いた顔でヴァルクを見た。
「ヴァルク様、これは――」
「いいだろう」
あっさりとした返答に、随行員の男の方が慌てていた。
「よ、よろしいのですか。人間側に、我々の魔力の詳細を明かすことになりますが」
「詳細を明かして困るような弱みでもあるのか?」
「い、いえ、そういうわけでは」
「なら問題ない」
ヴァルクは、値踏みするような目でもう一度私を見た。
「――それに、俺自身、興味が湧いた。この女が何を見つけるのか」
見物人たちがざわつく中、彼は軽く肩をすくめてみせる。
「族長として許可する。好きに調べるといい」
私は思わず、拳を握りしめた。
「ありがとうございます!」
◇◇◇
研究の許可が下りてから数日後、私は獣人族の集落近くに設けられた仮設の研究施設で、ヴァルクと向き合っていた。
「では、まず腕を出していただけますか」
「……随分と近いな」
言われて初めて、私は自分がかなり距離を詰めていたことに気づいた。魔力波形計を正確な位置に当てるためには、これくらいの距離が必要なのだ。
「測定の都合上、これくらい近づかないと正確な数値が取れないんです。何か問題でも?」
「……いや」
ヴァルクは、わずかに視線をそらしながら答えた。
「問題ない。続けろ」
その声が、少しだけいつもより硬いことに、私は気づかなかった。
ただ、目盛りの数値だけを、真剣に読み取っていた。




