第十六話 動き出す男
クラリスが王都へ発った、その日の夜。
俺は早速、長老たちを集めていた。
「族長。こんな時間に、いったい何事です」
最年長の長老が、眠そうな目をこすりながら言う。
「相談したいことがある」
「またですか。此度は何を」
「俺は、しばらく中央に拠点を移す」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
「――は?」
「クラリスが、中央研究所へ異動した。俺も、そちらで動くことがある」
「族長、それは、一族を置いて行かれるということですか」
「いや」
俺は、あらかじめ考えていたことを告げた。
「日常の統治は、副官に任せる。俺は対外交渉と、新しい研究体制の構築に専念する。族長の座を退くわけではない」
長老たちは、しばらく顔を見合わせていた。
「――族長らしい、無茶な話ですな」
「無茶とは思わん。既に頭の中では、道筋ができている」
俺がそう言うと、長老の一人が、諦めたように笑った。
「まあ、族長がそう仰るなら。若い頃から、そういう方でしたからな」
反対らしい反対は、なかった。
この一族は、昔から俺のやり方を、それなりに信頼してくれている。
◇◇◇
翌日から、俺は動き始めた。
まず取り掛かったのは、新しい部署設立の構想を、正式な提案書にまとめることだった。
「――異種族共生研究部、か」
ロダンが、書き上げた案を読みながら呟いた。
「人間と獣人族の魔力構造・技術・文化の共同研究を、制度として恒久化する。悪くない名前だ」
「クラリスと積み上げてきたデータが、根拠になる。獣人族の魔力回路研究、血統仮説、そして――番魔力共鳴についても、予備的研究として有意な結果が確認されている」
「その最後のやつ、正式な提案書に書くんですか」
「何か問題があるか」
「いえ、族長らしいと言えば族長らしいですが……ご自身の私生活を、国家間の外交文書に盛り込むというのは、なかなか」
「私生活ではない。研究結果だ」
「……そこではございません」
ロダンは、深々と溜息をついた。
「まあ、それが族長ですからな」
◇◇◇
提案書がまとまると、俺は自ら人間領へ足を運び、直接交渉に当たった。
だが、道のりは平坦ではなかった。
「獣人族に、我が国の中央機関で正式な地位を与える? 前例がない」
王都の官僚の一人が、露骨に難色を示した。
「前例がないなら、今作ればいい」
「そう簡単な話では――」
「データはここにある。人間と獣人の共同研究が、双方にとって有益であることは、既に実証済みだ」
俺は、まとめてきた資料を突きつけた。
相手は、しばらく渋い顔で資料をめくっていたが、やがて小さく唸った。
「――上に、掛け合ってみよう。ただし、時間はかかる」
「構わない」
急ぐ必要はあっても、焦る必要はなかった。
時間がかかることは、最初から織り込み済みだ。
◇◇◇
交渉と並行して、俺は水面下でもう一つの準備を進めていた。
研究所近くの土地の下見。屋敷の設計。一族の中でも建築に長けた者たちへの声かけ。
「族長、本当にここまで?」
案内してくれた土地の管理人が、驚いたように尋ねてきた。
「ああ。急ぎで頼みたい」
「急ぎと言っても、こればかりは……」
「一年でいい。それだけあれば、十分だろう」
管理人は、呆れたような顔をしながらも、頷いた。
「族長がそう仰るなら」
◇◇◇
執務室に戻ると、ロダンが呆れた顔で待っていた。
「族長、少しは休まれたらどうです」
「休んでいる暇はない」
「クラリス様は、まだ族長がここまで動いていることをご存知ないのでしょう」
「言っていない」
「それは、いずれ問題になりませんか」
俺は、少し考えてから答えた。
「――全部揃ってから、伝えるつもりだ」
「なぜです」
「言葉より先に、見せたいものがある」
ロダンは、しばらく黙ってから、小さく笑った。
「まったく。恋愛でも仕事でも、やり方は変わりませんな」
「両方叶えると言った。ならやるまでだ」
窓の外には、夜空が広がっていた。
王都までの道のりは、まだ長い。
だが、迷いはなかった。




