第十五話 新しい場所
王都に着いたその日、私はしばらく、中央研究所の門の前で立ち尽くしていた。
(本当に、来たんだ)
子供の頃から憧れていた場所。ずっと目指してきた場所。
石造りの荘厳な建物を見上げながら、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
◇◇◇
配属先の魔法生物学部門は、想像していたよりずっと広かった。
「オーブリー研究員だね。話は聞いているよ」
部門長だという初老の男性が、興味深そうな目でこちらを見た。
「獣人族の魔力回路研究、血統仮説、それに――番魔力共鳴、だったか。かなり大胆な研究テーマだ」
「はい。集落を離れる前に、可能な限りデータを集めてきました」
「見せてもらおう」
資料を差し出すと、部門長はしばらく無言でページをめくっていた。
「……これは」
驚いたような声だった。
「魔獣趣味だ、物好きの学問だと言われてきましたが、私は本気で、これを正当な学問にしたいと思っています」
部門長は、ふっと笑った。
「その意気だ。中央でも、正直まだこの分野への理解は薄い。だが――君のデータを見る限り、それも長くは続かないだろうな」
その言葉に、目頭が熱くなった。
◇◇◇
中央での日々は、想像以上に忙しかった。
新しい環境、新しい同僚、慣れない研究設備。慣れるだけでも一苦労だった。
それでも、持ち帰ったデータを整理し、理論として組み立て直す作業に、これまでとは比べ物にならないほどの規模で打ち込める環境があった。
私の研究データを見た他部門の研究者たちが、次々と興味を示してくれた。
「オーブリー研究員、これは魔道具工学にも応用できるんじゃないか」
「治癒魔法部門でも、この魔力回路のデータが使えそうだ」
これまで一人で――正確には、ヴァルクと二人で――集落で積み上げてきたものが、少しずつ、いろいろな場所で芽吹き始めていた。
(すごい……)
持ち込んだ資料と向き合う日々は、あっという間に過ぎていった。
◇◇◇
ある夜、理論をまとめながら、私はふと手を止めた。
窓の外は、もう真っ暗だった。
王都の夜は、獣人族の集落とは違う。星も少なく、代わりに街灯の明かりが遠くまで続いている。
(この研究成果、ヴァルクにも見せたかったな)
彼となら、このデータについて、もっと違う議論ができたはずだ。彼の視点は、いつも私が思いつかないところを突いてきた。
少しだけ、寂しさが胸をよぎる。
でも、それ以上に落ち込む暇はなかった。次の査読対応と、論文の書き直しが、山ほど待っていたから。
◇◇◇
月日が経つにつれ、私の研究は、少しずつ部門内で認められ始めていた。
「番魔力共鳴」の理論は、最初こそ懐疑的な目で見られていたが、データを重ねるごとに、その評価は変わっていった。
「オーブリー研究員の理論、査読に回すことになった」
その知らせを聞いたとき、私は思わずその場で飛び上がりそうになった。
(やった……!)
ずっと目指していた場所に立って、ずっと望んでいたことを、少しずつ実現している。
それは、間違いなく幸せなことだった。
――それでも、夜、宿舎に戻って一人になると、ふと、集落での日々を思い出す瞬間があった。
ヴァルクの声、あの金色の瞳、耳の動き。
(元気にしてるかな)
手紙は、時々やり取りしていた。
簡潔で、彼らしい文面。
『順調か』
『順調です。あなたは?』
『変わりない』
それだけの、素っ気ないやり取り。
でも、その短い文字を見るたびに、少しだけ心が軽くなった。
私は忙しい。彼にも、彼の仕事があるはずだ。
だから、この距離は、仕方のないことだと思っていた。
――その裏で、彼が何をしているかなんて、この時の私は、まだ何も知らなかった。




