第045話 日本一の職人
> 【鑑定 第四十五号】
> 押印累計 ── 二百十。
> 依頼者 ── 鵜飼昌造。
> 物件 ── 木彫、十四体。
> 所見 ── 十四体の寸法 ── 同一であります。
> 鑿の跡 ── 同一であります。
> 差 ── ありません。
> ……判定を、開始します。
── 陶山の窯は、四月まで冷えたままになる。
鵜飼の家は銘洲の北の外れにある。汽車で二駅、そこから歩いて二十分になる。道の途中に寺があって、寺の脇の坂を上ると門が見えた。坂は雪が残っていて、日の当たる側だけ土が出ている。
門に古い木札が掛かっている。「日本一」と三字ある。
字が拙い。横棒が揺れていて、下の字が右へ寄っている。板は黒くなっていて、隅が虫に食われていた。
「誰が書いたんですか」と燈が訊いた。
「分かりません」と鵜飼が言った。
鵜飼昌造は六十四になる。木彫の十四代目で、背が低くて、指が太い。
「四百年前からあると言われてます。書いた人の名は残ってません」
「いつから日本一なんですか」
「知りません。掛かってたので、そのままです」
作業場は北向きになる。北の光は動かないので、彫った面の影が変わらない。南から入れると、朝と昼で同じ面が別の形に見えるという。
鵜飼は像を彫っていた。高さが二尺ほどの立像で、桧の寄木になる。
寄木は部材を継いで作る。胴を二つに割って、中を刳って、また合わせる。刳るのは軽くするためで、割れを防ぐためでもある。木は外から乾くので、中が残っていると外と内で縮み方が違う。
「一体、どれくらいですか」と燈が訊いた。
「半年です」
「一年に二体ですか」
「一体です。半年彫って、半年寝かせます」
鵜飼の彫り方は速くない。鑿を当てて、木槌で二度叩いて、外す。同じ場所を三度は叩かない。三度目を叩くと、木の方が先に決まってしまうという。
彫っているのは、四百年前の一体の写しになる。
「先祖の作ですか」と蒼が訊いた。
「初代のです」
「原物は」
「蔵にあります」
蔵は作業場の裏になる。土壁で、扉が二重になっている。外の扉が重くて、開けるのに肩を入れる。
鵜飼が開けた。中に台があって、布が掛けてある。布を取ると、像が立っていた。
四百年経っている。木が痩せて、年輪の硬いところが浮き出ていた。反っている。右の肩が前へ出て、腰から下が左へ捻れている。
「反ってますね」と巌が言った。見る前に触っている。
「反ります。木なので」
「捻れとる」
「四百年ぶんです」
巌は台の柱を見上げた。見上げて、口の中で低く鳴った。
急ぐな待てよ 木は千年で
一行だけである。蔵の扉の軋む音が上がって、そこで消えた。誰も指摘しなかった。
蔵にはもう一つ棚がある。棚に木箱が並んでいて、中に写しが入っている。
十四代ぶんで、十四体ある。寺に納めたものとは別に、家に一体ずつ残してある。残すのは決まりで、いつ誰が決めたのかは分かっていない。
鵜飼が一つずつ出して、台に並べた。
並べると、少しずつ違う。
初代の写しは肩が張っている。三代目のは首が短い。七代目のは裾の襞が一枚多い。十代目のは目が細い。並べた順に見ていくと、少しずつ手前へ寄ってくる。
「違いますね」と燈が言った。
「写してるので、違います」
「写したら同じになるんじゃないですか」
「なりません。写しの写しを写すので」
鵜飼は十四体目を指した。自分の作になる。
「私のが、一番原物に近いです」
「上手いんですね」
「上手いです」
鵜飼はそう言った。謙遜も自慢もしない言い方だった。
「自分のは作らないんですか」と蒼が訊いた。
「作りません」
「なんでですか」
「作ったら、写しにならんので」
玲が縁側で茶菓子を食べていた。三つ目になる。
四つ目に手を伸ばしたところで、蒼が皿を引いた。
「三秒」
「もう食べました」
「早い」
「三秒くれって言われる前に食べました」
鵜飼が笑った。笑って、茶菓子の皿をもう一つ出した。出してから、自分では一つも取らなかった。
佐久間の桶は無い。銘洲の外なので、届かない。玲がそれを一度だけ口にして、誰も返事をしなかった。
その日、六人は寺の本堂も見た。納めた十四体のうち、七体が本堂にある。残りは他所の寺へ行った。行った先は台帳に残っていて、鵜飼はどれが何処にあるか全部言えた。
*
次の朝、蔵の十四体が同じになっていた。
鵜飼が布を取った時、まず原物を見た。反っていない。捻れも消えている。木が痩せておらず、年輪も浮き出ていなかった。
棚の十四体を出して、台に並べた。
肩の張りが同じ。首の長さも同じ。裾の襞の数も、目の細さも同じになっている。
十四体と原物、合わせて十五体が、同じ形をしていた。
鵜飼はそれを端から端まで見た。歩いて、戻って、また歩く。三度往復してから、台の端で止まった。
「これで、合いました」
鵜飼はそう言った。喜んでいない。困ってもいなかった。
「合ったって、どういうことですか」と燈が訊いた。
「四百年、近付けようとしてきたので」
「近付いたんですか」
「近付きました」
鵜飼は自分の十四体目を持ち上げた。持ち上げて、原物の横へ並べた。
並べても、どちらが原物か分からない。
「どっちですか」
「分かりません」
「触れば分かりませんか」
「触っても分かりません」
巌が寄って、二体に手を当てた。見る前に触っている。
「同じだ」
「原物の方が古いですよね」
「古い筈だ。同じ手触りになっとる」
巌は手を離した。離してから、指の腹を擦り合わせた。
「木が動かん」
「動く?」
「木は湿気で動く。朝と昼で違う。この二つは動かんかった」
識が来た。丸い胴を蔵の中で二寸だけ浮かせて、正面の板が明るくなっている。
> 鑑定を、開始いたします。
> 物件 ── 木彫、十四体。
> 十四体の寸法 ── 同一であります。
> 鑿の跡 ── 同一であります。
> 差 ── ありません。
> 判定 ── 贋。
「十四体ですか」と燈が訊いた。
> 十四体であります。
「原物は」
> 原物は、物件に含まれておりません。
「けど、変わってますよね」
> 変わっております。
「じゃあ」
> 原物は、原物であります。写しに合わされておりますが、原物であります。
燈が黙った。黙ってから、原物と写しを一度ずつ見た。
蒼が帳面を出した。出して、線を十五本引いた。
「三秒くれ」
「どうぞ」
「これまでと、向きが逆です」
「逆?」
「今までは、原物が良いものに置き換えられてました。今回は、原物が写しに合わされてます」
蒼は帳面を閉じた。閉じてから、また開いた。
「良くしてません。揃えただけです」
紬が棚の前に立っていた。十四の木箱を、一つずつ開けて見ている。開けるのに時間が掛かる。蓋が湿気で膨らんでいて、堅い。
箱の底に紙が敷いてある。像の重さで、木目の跡が付いていた。
「跡が違います」と紬が言った。
「跡?」
「箱の紙に、前の形が残ってます。十四とも違う形です」
紬は箱を持ち上げて、底を見せた。持ち上げる時に、紙の縁を指で押さえている。前に桶の箱を持った時と、同じ手つきになる。
紙に薄い跡がある。肩の張ったところが濃く、首の細いところが薄い。
「像は同じになりましたけど、跡は同じになってません」
夕方に、砂が鳴った。
乾いた音である。蔵の土壁で二度返って、それから坂の下で消えた。
道に灰白色が並んだ。数える前に二百を超える。門から蔵まで一列で並んで、木札には触れない。
燈が印籠を出した。
「押印!」
五つの胸から朱が広がった。円、角、杼形、縦長方形、六角。五色が残る。艶は何処にも無い。
背後に紙が広がって、五つの印が並んだ。右下だけが白い。
台の上の一体が浮いた。浮いて、大きくなった。
高さが四メートル近くある。桧の色をしている。継ぎ目が見える。寄木の合わせ目が胴と腕と脚に走っていて、その線が真っ直ぐだった。
> 贋作体であります。原物、鵜飼方の木彫、十四体。
> 差 ── ありません。
> 判定 ── 贋。
燈が走った。走って、胴へ鎚を入れた。
「ホムラヅチ!」
当たった。当たった場所が凹んで、そこから戻った。凹んだ木目が元へ戻る。潰れた繊維が起き上がって、傷が消えた。
「戻りやがった」
「木は戻りません」と巌が言った。
「戻ってるだろ」
「戻る木は、木じゃない」
玲が入った。走って、腰の高さで振った。
「スカシバ」
跡が残った。跡が継ぎ目を横切って、そこで止まった。継ぎ目の向こうへ抜けない。
「継ぎ目で止まります」
「玲」
「部材が別々なんです。一つ斬っても、隣に伝わりません」
巌が大鋸を当てた。継ぎ目へ歯を寝かせて入れた。
「ツギテノコ」
入った。継ぎ目が開いた。開いて、すぐ閉じた。閉じたあとに、線の跡も残らない。
「閉じる」
「巌さん」
「寄木は、外す順が決まっとる。順で外さんと、閉じる」
燈が下がった。
「順って、何番目からだ」
「知らん。組んだ奴しか知らん」
「四百年前の奴か」
「そうだ」
紬が前へ出た。出て、蒼の方を向いた。
「箱、出してください」
「箱?」
「銘印です」
蒼が箱を出した。中に印章が三つ入っている。一番小さいのが、小名瀬町で譲られたものになる。秋に譲られてから、一度も箱から出していなかった。
一分角ほどで、線が三本しかない。何の字か読めない。
「使うんですか」と蒼が訊いた。
「使います」
「三秒」
「待てません」
紬が取った。取って、胸の印へ当てた。
> 銘印 ── 装填。
> 該当者 ── 不明。
> 従事 ── 判定不能。
> 借りるもの ── 破れたものを継ぐ。
押した。山吹の上へ、もう一つの色が重なった。重なった色に名前が付かない。
> 重ね押しによる銘量の減少 ── なし。
紬が動いた。
動きが変わっている。手が先に出て、目があとから追う。指が紙を撫でる形になっていて、鞭の柄をその形で握っていた。
紬は贋作体の前へ立って、継ぎ目を指した。
「一」
指した先に、線がある。見えない線で、指が触れてから分かる形になる。
「二。三」
次々に指す。指す度に、そこに継ぎ目があった。
「四。五。六」
贋作体の腕が動いた。動いて、紬の肩を打った。
紬が下がらない。膝が落ちて、戻った。
「七。八」
数えながら、糊の匂いがした。紬の手の中で、紙を撫でる感触があった。数える声が聞こえた。自分の声ではない。
そして一つ、余計なものが入ってきた。
誰かの繕い物を、その人より上手く直して、黙っていた記憶になる。
紬は口を開いて、閉じた。
「九。十。十一」
もう一度打たれた。今度は倒れた。倒れて、膝を立てて、また立った。
「十一。十二」
数え違えた。十一を二度言った。
紬は一度目に戻った。
「一。二。三」
最初から数え直した。誰も止めなかった。
「十五。十六。十七」
止まった。指を下ろして、掌を膝で拭いた。
「十七箇所です」
紬は鞭を投げた。一箇所目に巻いて、二箇所目へ回して、三箇所目へ渡した。
「タテヌキムチ」
十七箇所を順に結んだ。結び終わると、鞭が一本の線になって、贋作体の全身を回っている。
「燈さん」
「おう」
「同時に打ってください」
「同時?」
「順が決まってるなら、順を無くします」
燈が線を見た。線は胴を三周、腕を二周、脚を二周している。
「走りゃいいのか」
「走ってください。線の上を」
燈が走った。
鞭の線に沿って走って、打った。一つ、二つ、三つ。
「火村燈、行きます」
速い。腰が入り切る前に腕が出る。狙いの二分手前に落ちて、落ちた場所がずれる。ずれた分だけ、次が早くなる。
「焔鎚、十七打ち」
十七箇所を打ち終わるまでに、息を二度しか吸わなかった。
最後の一打が入った時、十七箇所が同時に開いた。
外す順が決まらない。部材が、どれも先に外れようとした。
外れた。全部が同時に外れて、落ちた。
崩れた。崩れた場所に、木彫が十四体残った。
肩の張りが違う。首の長さも違っている。裾の襞の数も、目の細さも揃っていない。
灰白色が動いた。最後の一体が膝を突いた時、坂にいた全部が一斉に口を開いた。声だけが揃った。
「……ありがとうございました」
消えた。土に足跡が一つも無い。
*
紬は銘印を蒼へ返した。返す手が震えている。震えは紬の癖ではない。玲の癖になる。
「大丈夫ですか」と蒼が訊いた。
「大丈夫です」
「何か、見えましたか」
「見えました」
紬はそれ以上言わなかった。言わずに、袖の糸を拾って、二度巻いて、切らなかった。巻く手が、まだ他人の手つきをしている。
蒼は箱の蓋を閉めた。閉めてから、印章を三つとも見て、また閉めた。
鵜飼が蔵から出てきた。出てきて、原物を布に包んで、台へ戻した。
反っている。右の肩が前へ出て、腰から下が左へ捻れていた。木が痩せて、年輪が浮き出ている。
「戻りました」と燈が言った。
「戻りましたな」
「よかったですか」
鵜飼は少し黙った。
「合わん方が、彫る理由がある」
鵜飼はそれだけ言った。言ってから、作業場へ入って、彫りかけの一体の布を取った。
半年分の彫りが、そこにある。まだ原物には遠い。顔がまだ出ていなくて、面が四つの平らな段になっていた。
鵜飼は鑿を当てて、木槌で二度叩いた。三度は叩かなかった。
*
帰り際、鵜飼が箱を持ってきた。桐で、掌に載るほどの大きさになる。
開けると、印章が一つ入っていた。木口に銘がある。摩耗して読めない。箱の内側に布が張ってあって、印章の形に窪んでいた。
「初代のです」
「銘印ですか」
「そうです。持ってったらいい」
燈は受け取らなかった。受け取らずに、箱を見た。
「使ったら、返せますか」
「返せん」
「じゃあ、いりません」
鵜飼は蓋を閉めた。閉めてから、箱を掌で一度撫でた。
「わしも使わんかった」
「なんでですか」
「使ったら、写しにもならん」
鵜飼は箱を持って、蔵へ戻っていった。
燈はその背中を見た。見て、それから門の木札を見上げた。蔵の扉が閉まる音が、坂の下まで届いた。
「日本一」と三字ある。横棒が揺れていて、下の字が右へ寄っている。四百年、誰も書き直していない。
*
夜になって、坂の下が鳴った。
土の中を何かが通る音が、門から寺まで続いた。
「── 量産」
低い声である。坂には誰もいなかった。
地面から何かが生える音がした。同じ間隔で、同じ数だけ、続けて鳴る。
> 銘量 ── 火村燈 六百三十一。陶山蒼 六百七十二。綾織紬 五百二十。
> 楠木巌 七百三十六。硝子井玲 六百十四。
> 六つ、減っております。
「紬のは」と燈が訊いた。
> 六つ、減っております。
「銘印使ったろ」
> 重ね押しの分は、減っておりません。
「じゃあ、得したのか」
> 本機には、そう記録する欄がございません。
> 連結を確認。
「火入れッ!」
炉の底が鳴った。赤が上がって、継ぎ目を通って渡っていく。
> 真、通りました。
「組み継ぎ、合体!」
継手が噛んだ。木を組む時と同じ音が、四十メートルの高さで鳴る。
鵜飼が門の下へ出て、上を見た。木札の真下に立っている。
見えたのは脚だけになる。門の屋根が上を切っていて、その向こうは黒い。
屋根の縁から、緑の線が動くのが見えた。動いて、消えて、また出た。
塊が腕を振った。振った先が門の柱を掠って、木札の紐が片方切れた。切れて、札が斜めに下がった。
「刻印!」
右の拳が前へ出た。左の掌が、その甲を上から押す。
「銘刻斬ッ!」
声が五つ揃った。
拳が塊の胴へ入った。入ったところで止まって、そこに朱が走る。線が字の形になっていって、銘が刻まれていた。
崩れた。落ちた欠片が土に当たって、そこで木の粉になった。
粉が坂を流れて、寺の石段の下で止まった。雪の残っているところだけ、粉が沈まずに乗っている。
*
朝になった。
巌が門の木札の紐を継いだ。切れた側を結び直して、反対側も同じ長さに詰めた。
札が真っ直ぐになった。
「真っ直ぐになりましたね」と燈が言った。
「なった」
「前は斜めでしたか」
「斜めだった。四百年斜めだ」
「戻しますか」
巌は暫く見ていた。見てから、結び直した側の紐を少し伸ばした。
札がまた斜めになった。
「これでいい」
「いいんですか」
「見慣れとる」
鵜飼は作業場にいた。北向きの光の中で、鑿を当てている。木槌が二度鳴って、間が空いて、また二度鳴った。
彫っているのは、四百年前の一体の写しになる。原物は蔵にあって、反っている。
当代の写しは、まだ原物に遠い。
燈は汽車の時刻まで、それを見ていた。見て、それから坂を下りた。下りる途中で、雪の残っている側を選んで歩いた。土の出ている側より滑らない。
途中で振り返った。門の木札が斜めに掛かっている。
> 【鑑定 第四十五号】
> 押印累計 ── 二百十。
> 物件 ── 木彫、十四体。
> 追記 ── 本日、押印五。搭乗五、刻印一。銘量の減少を確認。
> 所見 ── 代替物(木彫、十四体)、消失。
> 当該代替物の十四体の差 ── ありませんでした。
> 贋作体一体、消失。継ぎ目の同時開放による。
> 継ぎ目の計数は綾織紬。十七箇所。数え直し、一度。
> 結束も綾織紬。打撃は火村燈。十七打であります。
> 止めたのは火村燈であります。
> 銘印の使用 ── 一件。使用者 ── 綾織紬。
> 該当者 ── 不明。従事 ── 判定不能。
> 重ね押しによる銘量の減少 ── ありません。
> 原物(木彫、一体)── 変更、復しております。
> 反り、あります。捻れ、あります。痩せ、あります。
> 十四体の差 ── 復しております。
> 依頼者の申し立て ── 合わん方が、彫る理由がある。
> 譲渡の申し出 ── ありました。物件 ── 銘印、一。
> 受領 ── ありません。
> 市の被害 ── 門の木札の紐、一本。同日中に楠木巌が継ぎました。
> 当該木札 ── 斜めであります。
> 本件、真贋判定 ── 〈贋〉。
> ただし、




