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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第4章/破壊と再生
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8.臆病者〜Coward〜



戦いの火蓋が切られたのは、誰も手を出すなというルシフェルの一声のすぐ後だった。


広く開いた建物前の広場で鳴り響く金属音。一直線に向かってきたスピカの振り下ろした剣をレグルスの剣が寸前のところで止めていた。



「スピカ…ッ!」



身体に似合わない大きな剣を手にしている彼女に呼びかける。しかしそれでも何かが変わる気配は、ない。迫る圧力にはためらいがなく、美しい微笑は面のように崩れない。何一つ届いている様子がない。


たまらず、くそっ!と吐き出したレグルスは地を蹴って後ろへ遠ざかった。そこへ息つく間もなくスピカが走ってくる。先程と同じように受け止めようとレグルスは正面へと剣を構える。


しかし予想外のことが起こった。突如視界から消えたスピカ。すぐ後に上からの気配に気付いた。ギラつく剣を両手で持って降りてくる曲線のシルエットは、もう、すぐ目前だった。


切っ先は天を向いている、彼女の方へ。他には思いつかなかった。縦に構えていた剣を下ろしてしまった…とっさに。



「レグルスさんっ!!」



クー・シーの叫び声が耳に届く中、地に突き立てた剣の鞘にすがるようにして崩れた。シルバーグレーのジャケットの肩が赤く染まり始めた。苦痛に思わず呻きが漏れる。



「相手が姫君じゃ手出しもできないよね。困ったね、どうしようか?レグルス君」



少し離れたところでルシフェルの声がした。はっきりとは見えなくても、楽しむような声で表情を察することはできる。ギリ、と奥歯を擦り鳴らした、そのとき、反対側から感じた魔力の気配。


まさか…そう感じたレグルスはそちらを振り返った。すでに彼が向かい始めていた。



「いい加減にしろよ、この野郎ーーっ!!」



「クー・シー!来るな…!!」



かすれる声を精一杯に張り上げたが遅かった。地から沸いた茨は瞬く間に少年の小さな身体を締め付けた。止める余裕さえなく。


レグルスはついに言葉を失ってしまう。幼い頃の記憶と紛れもなく同じであるその光景に、背筋は一瞬で凍らされてしまって。



「クー・シーに手を出すなッ!!」



レグルスは離れたルシフェルに向かって叫んだ。自由を奪われたクー・シーの方からは呻く声の一つさえ聞こえてこない。魔力が奪われているのだと察するのは容易だった。レグルスは振り向いた。すぐ傍で変わらぬ笑顔を貼り付けているスピカを見た。


未だ彼女の身体を包み、不気味にうねり続けている呪い。忌まわしい闇色の茨は大切なものをことごとく縛り、時に奪っていくと知っている。何度焼き尽くしたい衝動に駆られたことか。そして今も、また。


そんな憤りは集中力を鈍らせるには十分だった。足元に生まれた闇にレグルスはまたしても自らの不覚を思い知らされたのだ。


沸き上がる茨がみるみる身体じゅうを縛り上げていく。身体から炎を発して焼き払おうとするその差中、迷いのない足取りのスピカが近付いてきて。


そっと頬に当てがわれた温かな手の感触に息が詰まった。目前に迫った生気の感じられないグリーンの瞳は、まるで共に堕ちようと誘っているように見えてぞくりと総毛立ってしまう。無理だ…レグルスは思った。これ以上炎を放つことはできない。彼女を、焦がしてしまう、と。


茨は更にきつさを増し、内臓が押し潰されていくのがわかる。為す術もない、そんな中残っていたのは一つ。高みの見物を続けている悪魔への怒りだけ。



「卑怯者が…っ…!」



やっとそれだけ叫ぶことができた。そこへやや遅れて声が返ってきた。卑しい笑みが目に浮かぶような声だった。



「私が卑怯者なら、君は臆病者だよ。頭が悪いね、レグルス君は」


何、と呟いて睨み付ける。それでもルシフェルは言う。更に冷たく淡々とした口調で。


「君はもう限界なんだよ。周りを巻き込むのが許せないようだけど、例えば…そうだね、姫君の茨を解いたらどういうことになるかわかるかい?」



意味がわからない。わからないけれど、空恐ろしさを感じさせる問いかけ。意味ならすぐにわかった。続いた言葉によって。



「彼女の中にはね、閉じ込められているんだよ。16年前から、ずっと…」



16年分の霊力が、ね。




レグルスは呆然とした。ここに来てやっと気付き始めている、自分にだった。



ーーきっと他に目的があるんだわーー



まだ記憶に新しいセレスの言葉が脳裏をかすめて寒気を覚えた。まさか…そう呟いたとき、ルシフェルの低い声が。



「まさかとは思うけれど、やっとわかったのかい?本当にオツムが弱いんだね。…本当に、変わらないね、君は」



「てめぇの目的の為に、スピカを利用していたのか…?16年も…この日の、為に…?」



目の前の美しい微笑に視線を落とした。レグルスは思った。浅い息をこぼす唇を噛んだ。



…だから生かしておいたのか。身体と同様に成長する霊力を閉じ込めておく為に。そして…


続けて浮かんできた読みは外れてはいなかった。続くルシフェルの語りが全てを明らかにした。無情に。



「16年分の霊力が解き放たれたらどうなるだろうね?姫君はきっと、制御できないよ?精神崩壊しちゃうかもね。君はそんな彼女を助けられるのかな?」


いや、できるはずがない、とでも言いたげにルシフェルは首を横に振る。


「これでわかったでしょ?君は誰も助けられないんだよ。仮に私を倒したところで、今度は霊力に乗っ取られた姫君がこの世を滅ぼすだろう。フィジカルまで手が及ばないのが残念だがね」



乾き切った唇はかすかに動くだけ。声にはならなかった。視界に映るスピカの姿が霞み、ただ頬に受ける柔らかなぬくもりだけを感じていた。



ぼんやり薄れていく中で、スピカがわずかに動いたのがわかった。鋭利な剣先を胸に向けられたのもわかった。それでも動くことはできない、もう…



奪われていく魔力以上に失われつつあるものがあった。虚ろな目のレグルスにルシフェルは容赦もなく追い打ちをかける。



「正義の味方ヅラしててもね、そんなもんなんだよ。強さに勝る正義はない…君もよく知っているはずだよね?あのとき生き延びるべき者が本当は、誰だったのか」


続くその声にもはや余裕は感じられない。速まっていく口調が悪魔を自称するこの男の内でみなぎるものを示しているかのよう。



「フィジカルでニコルを見殺しにしてみっともなく逃げ去った臆病者…この世でもシリウスを救えず、今もなお、誰も救えていない。この先も同じだよ、君は変わらない。変われない。根っからの弱者だもの。だから今この場で救ってあげるんだ。死という形をもって、君の弱き魂は救われるんだよ」



薄れゆく意識。薄れゆく、スピカ…愛しい、人。


こんなときに蘇ってくる、あどけない笑顔。抱き締めたときの柔らかさに、恥じらう仕草。



レグルスは思った。これまでか、と。



揺るがない表情の彼女に妖しく見つめられながら、ただ無念ばかりが胸を占めていた。流されかけていた。



こんなのは認めたくない。こんな自分が恨めしい。



だけど、スピカ。




アンタに、なら……






一瞬、暗いはずの空が白く変色した。稲妻か、そう思った。だけど…




予感はすぐに訪れた。それこそ稲妻のように脳裏を走った感覚にレグルスは我に返った。意識が晴れていくのは茨の魔力が弱まった為だろうということも、わかった。


何か異変が起こった。建物の方面へ一斉に振り返る黒服たちの姿を目にしたレグルスはいよいよ確信を覚えた。




ーー今よ、レグルス!!ーー




頭の中に直接響いた声は紛れもなく捕らえられているはずの彼女のもの。そうだ、と思い出した。今までにも何度かあった、と。


言葉を交わさなくても手に取るように伝わった。互いの思うことが。感じ取りやすい波長、自分と似た波長。そして、それを放てる距離に、彼女が。



確信は今、自信に変わった。おのずと動き出した腕が痛みを伴いつつも絡みつく茨をわきへ押し退けた。そこからは自分でも驚く程、速いものだった。



突然剣を奪われたスピカが驚いて振り返る。取り返そうと伸びてくるしなやかな腕をレグルスは力強く引き込んで外へ捻じる。バランスを崩し地へ腰を落とした彼女から、あっ、という小さな声が漏れた。


虚ろに地面を見つめている足元の彼女から数歩後ずさった。内側から滾る凄まじい熱。それは炎となって全身から湧き出し、うねり絡み付く忌々しい茨を焼き尽くしていった。スピカから取り上げた剣は高温にぐにゃりと変形し、やがて無様とも言える鉄の塊と化した。用済みになったそれを投げ捨てた、レグルスは前を見据えた。


視界の中、遠くから、敵を蹴散らし向かい来る彼らの姿が。



「セレス!マラカイト!!」



あまりに素早く、そして強い。二人の振る舞いに圧倒されるレグルスはただその名を呼ぶくらいしかできない。


すぐにこちらへ辿り着いたかつての女帝と騎士。息を切らしながら何か言おうと口を開きかけるセレス。その後ろから覆い被さるように甲高い声がした。自分の名を呼ぶ、少女の、声…レグルスは目を見張った。



「ミラ…!」



「レグルスさんっ…ごめんなさい。私…私…っ…!」



マラカイトの腕に抱えられたミラは目に一杯の涙を溜めている。自責を思わせる悲しげな表情。だけど首を横に振った。両手を広げてみせて、彼女へ。



「いいんだ、ミラ。それより無事で良かった。ほら、こっちへ…」


「レグルスさん…っ」



マラカイトの腕から降り立った彼女はおずおずとためらいがちな足取りだった。レグルスは待ち切れずに細い腕を引き寄せた。しっかり抱き締め背中を撫でてやると、やがて聞こえてきた、しゃくり上げる声。すっかり平静を取り戻していた。今すべきことが次々と頭に浮かんできた。



「マラカイト、クー・シーを助けてやってくれ!」


「わかった!」



慌てて辺りを見回すマラカイトにレグルスは行くべき方向を指で示す。いつもの動きが取れている、それに誰よりも安心しているのはきっと、自分だ。


次は、と前を見上げた。もちろん次もわかっていた。しかしここへ来て、それを制止する者がいた。セレスだった。



レグルス…



腕を掴む彼女の青の目は見開かれ、かすかに震えている。レグルスは息を止めた。感じ取った。


セレスとは波長が合う。言わんとしていることなら、大体…



「どうやって、ここへ…?」



恐る恐る問うと、一度ためらうように唇を噛んだセレス。腕を掴む手からも震えが伝わり始める。彼女は顔を上げて言った。暗く重い口調だった。



「建物内の敵はカイトと私の妖力で気絶させたわ…」



でも…



数秒溜めた、その後に続いた。





「シャウラが…」





レグルスの心臓は不快に脈打った。後ろを振り返るセレスの動きを追うようにして、見た。



数メートル先で佇むルシフェルからは今やわずかの魔力も感じられない。彼は足元に視線を落としている。そこでうずくまっている、か細い影。胸元のミラもいつの間にかそちらを見ていた。嫌…と、細い声がそこから。



「アイツ…洗脳されたフリを?」



ぽつりとこぼしたとき、レグルスさん!と遠くから呼ぶ声がした。マラカイトに助けられたクー・シーのものだとわかったが、どうしても、どうしても、前方の光景から目が離せない。どっ、と押し寄せるようにしてすがってきた、少年の身体を引き寄せるのが精一杯だった。



ぐったりと膝を着いてやっと上体だけ起こしている、シャウラ。何が起こっているのか、レグルスにはわかった。


しかしそれは蝙蝠コウモリ魔族の特性が成せるもの。他の皆に聞き取るのは難しいだろう。


やがてルシフェルがゆらりと動き出した。下へ伸びた手。胸ぐらを掴まれたシャウラが爪先一つで立ち上がるところだった。身を乗り出したミラが激しくかぶりを振った。いくつもの雫が宙で光った。



「シャウラ…!!」



今にも振り解き走り出そうとするミラの勢いは小さな身体からは想像もつかない程、凄まじいものだった。レグルスとセレス、両側からやっとの思いで押さえ付けていた。それでも抗うことを止めない、ただ一人しか見えていない彼女へ、レグルスはついに叫んだ。心臓を握り締められるような痛みと共に。



「駄目なんだ、ミラ!お前に何かあったらアイツが…シャウラがしてきたことの意味が…!」



ふっと、勢いが弱まるのを感じた。ミラがゆっくりと振り返った。


涙で埋め尽くされたアクアマリンの瞳は底知れぬ海のような悲しみと痛みを迫らせる。記憶を有した彼女がこれ程までに純粋であるのなら、きっとあのときも…そう思った。


だとしたら、考えられるのは、一つ。もう、一つしかない。


言おうかそれとも止めようかと何度もためらった結果、ここまで来てしまった。しかしもう迷ってはいられない。今や彼女を止める手段は限られてしまっていると判断が下った。レグルスは言った。



「アイツが記憶を封じているのは、魂に刻み込まれたアイツの意志なんだ…」



重く、重く、出てくる声は、おのずと震えてしまって。



「ミラ、もう二度とお前を失わない為に…もし、出逢ってしまっても決してお前を求めたりしないように、頑なに閉じ込めてるんだよ…!」



ーー“ラナ”と“ニコル”の、記憶を。




真実を受けた、ミラはしばらく言葉を失くしていた。瞳孔が収縮していく、その過程を見た。愕然、という表現が似合う力ない声が、やがて。



「私が…追いかけてしまったから…なの…?」



小さな唇が戦慄わなないていた。レグルスはたまらず力を込めて引き寄せた。自分の方へ向けさせた華奢な身体を抱きすくめながら、言った。



「何とかする。俺が、何とかするから…!」



もどかしさに思わず声が上ずった。胸元のミラがたがが外れたようにわあっ、と泣き叫んだ。



今は、これくらいしかできない…レグルスは顔を上げた。目の前のセレスは中腰体勢で同じ前方を向いている。その近くに心配そうな顔でミラを眺めているクー・シー。洗脳が十分に届いていない為か、すっかり大人しくなったスピカを後ろ手に拘束しているマラカイト。



メンバーは揃った。応戦の準備はできている。だけど、待つしかなかった。動き出すチャンスが訪れる、そのときまで。



目の前で起こっていることに為す術もないその状況は、未だ胸に宿り続ける苦く悲しい記憶を呼び起こさせた。




【弱虫ライアン】



そう呼ばれていたときの。



挿絵(By みてみん)



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