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猟奇×哲学:ヴェリタスの最終定理6ヘレナ・ヴェリタス  作者: LIU
●第22章:私の罪と罰

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地獄3:楽しいね!過去へ向かう男!

鼓膜を突き破らんばかりの風切り音の中、レイジ・シュピーゲルは絶叫していた。

時空跳躍魔法が彼を吐き出した場所。それは、ロマンチックな過去の街角でも、荘厳な神殿の中心でもなく、容赦のない「上空30メートル」であった。


「あの石ころ、座標設定がガバガバじゃあないかァァァ!せめて地上50センチのふかふかなベッドの上に出してくれってんだよォ!」


彼は空中でクルリと身を翻すと、風の魔力を足元に集中させ、落下速度をギリギリまで殺す。


「ゲハッ……!」


膝についた泥を払いながら、レイジは周囲を見渡した。

そこは、手入れの行き届いた美しい庭園だった。色とりどりの薔薇が咲き誇り、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

見覚えがあった。あるどころの騒ぎではない。


「……んんんんん?ここ、ウチの庭じゃあないか?でも……なんか狭いな。それに、あっちにあるはずの噴水も、別館の塔もない」


無理もない。彼がいた新暦208年のシュピーゲル邸は、幾度かの増改築を経て要塞のようになっていたが、ここは今から103年前の新暦105年。レイジの知る屋敷よりもひと回り小さかったのだ。


「なるほど、どうやら無事に新暦105年のシュピーゲル邸に着地できたってわけだ。ここから俺の、歴史大改竄の伝説が始まるってわけ……」


「あらあらぁ〜っ!?大丈夫ですかぁーっ!?」


レイジが一人でカッコよくポーズを決めようとしたその時、背後の茂みから、やたらと間延びした声が響いた。

振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

年の頃は16歳くらい。健康的な褐色の肌に、白銀の髪。そして、年齢に似合わぬほど豊満な胸元を揺らしながら、彼女は慌てた様子でこちらへと駆け寄ってくる。

レイジの心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

エルフの冷徹な頭脳が、石から得たヴィジョンと目の前の少女の特徴を瞬時に照合し、一つの強烈なアラートを鳴らす。


(……間違いない。褐色の肌、銀髪。こいつが、新暦108年にすべてを破壊した、歴史の転換点の『鍵』ッ!)


レイジの全身から冷や汗が噴き出した。

エルフの俺ですら感知できなかった恐るべき魔力が、その体内に圧縮されているに違いない。もしここで俺が不審な動きを見せれば、その瞬間にこの屋敷ごと消し飛ばされるかも……!


レイジは咄嗟に身構え、体内の魔力を臨戦態勢へと引き上げた。だが……


「空から落ちてくるなんて、痛かったですよねぇ。かわいそうにぃ……よしよしですよぉ」


「…………は?」


次の瞬間、レイジは拍子抜けするほど柔らかな感触に包み込まれていた。

ヘレナ・ヴェリタスは、臨戦態勢のレイジをまったく警戒する様子もなく、まるで迷子の子犬をあやすかのように、その豊かな胸元にレイジの頭をギュッと抱き寄せ、白銀の髪を優しく撫で始めたのだ。


「よしよぉ〜し。もう大丈夫ですよぉ。怪我はありませんかぁ?お腹、空いてませんかぁ?」


「な、なんだこの甘ったるい香りと、圧倒的な母性オーラはァァァ!?」


顔を真っ赤にしてジタバタと逃れようとするレイジだったが、ヘレナの腕は思いのほかホールド力が高かった。


(……待て待て待て。こいつから殺気も、破壊衝動も感じないぞ!?むしろ、日向ぼっこしてるネコみたいな平和なオーラしか出てねぇ!本当にこいつが、あの魔女になるってのか!?)


「あ、あのな、お嬢さん。俺は18歳で、君より年上……」


「まぁまぁ〜。遠慮しなくていいんですよぉ。泥んこになっちゃってぇ、今、綺麗にしてあげますからねぇ〜」


ヘレナはニコニコと笑いながらハンカチを取り出し、レイジの頬の汚れを丁寧に拭き取り始めた。

毒気を完全に抜かれたレイジは、されるがままになりながら、心の中で白旗を揚げた。


「怪我もないみたいですしぃ、気分転換にお散歩に行きましょうかぁ〜」


ヘレナに手を引かれるまま、レイジは屋敷の外、新暦105年の街へと足を踏み出した。

屋敷の門をくぐった瞬間、レイジの視界に飛び込んできた光景は、彼の想像をはるかに超えるものだった。


「…………すごいぜ」


思わず、素の感嘆が漏れた。

見上げれば、新暦208年では分厚い灰色の雲に覆われていた空が、抜けるような青空を広げている。太陽の光が建物の白い壁に反射し、キラキラと輝いていた。

街路樹は青々と茂り、通りには多くの人々が行き交い、誰もが明るい表情で笑い合っている。


(そういえば、この時代はまだ『新王都』じゃなくて、単に『王都』って呼ばれてるんだったな……)


レイジは歴史の授業を思い出した。後にヘレナの計画により魔導核爆弾が落とされてから、「新王都」と改名されるのだ。つまり、今はまだ「王都」である。


「ほらほらぁ、レイジさん、あっちで美味しそうなパンが焼けてますよぉ〜」


ヘレナが指差した先には、屋台のパン屋があった。香ばしい小麦の香りが、風に乗ってレイジの鼻腔をくすぐる。


「……パン。肉。野菜……」


レイジは呆然と呟いた。

彼がいた時代では食糧流通は破壊されており、配給されるのは「ジュギル」という、見ているだけで吐き気がするグロテスクな魔導生物のペーストだけだった。特権階級のエルフであるレイジでさえ、まともな自然食を手に入れるのには苦労していたのだ。


だが、ここにはある。


焼きたてのパンの隣では、ジュージューと肉が焼かれ、色鮮やかな野菜が籠に山盛りになっている。人々はそれを当たり前のように買い求め、歩きながら頬張っている。


「どうしましたぁ? 食べたいですかぁ? ふふっ、私が買ってあげますねぇ〜」


ヘレナは小銭入れを取り出すと、パンを二つ買ってレイジに手渡した。


「……サンキュー」


レイジはパンを受け取り、一口かじった。

外はサクッと、中はフワッとした食感。小麦の自然な甘みが口いっぱいに広がる。毒も、魔導的な不純物も一切混じっていない、本物の食べ物の味。

物質的に豊かであるだけではない。街を行き交う人々の、獣人もエルフも人間も関係なく、互いを尊重し合って暮らすその精神的な余裕。新暦208年の、あの地獄とは大違いだ。

レイジの胸の奥に、かつてないほどの熱い感情が湧き上がった。

冷徹な天才としての計算を超えた、明確な「怒り」と「決意」がレイジの目に宿った。

太陽が西の空に傾き、空が美しい茜色に染まる頃。

二人は、再びシュピーゲル邸の門をくぐっていた。


「はぁ〜、今日はとっても楽しかったですねぇ〜。レイジさん!……そういえばレイジさん、これからどうするんですかぁ? 見るからに遠くから来た旅人さんみたいですしぃ……」


「そうそう!……実は、ひょんなことから財布を落としちまってね。今日の寝床どころか、明日のパンを買う金もないありさまなのさ!」


レイジは大げさに両手を広げ、肩を落としてみせた。


「あらあらぁ!それは大変ですぅ!……あの、もしよかったら……」


「うちの空き部屋を使ってくださいな、お父様にお願いしてみますからぁ……ってやつだろう?そいつぁハッピーだぜ!」


計画通り。レイジは内心でガッツポーズをした。

ヘレナの側に潜り込むには、この屋敷に滞在するのが一番だ。何よりここは、未来の自分の家でもある。


「よし、それじゃあお言葉に甘えさせてもらうとするかな。実はな!俺の本名はレイジ・シュピ……」


「……ほう。ヘレナが身元も知れぬ殿方を屋敷に招き入れるとは、珍しいこともあるものだね」


その声が響いた瞬間。

レイジのエルフとしての「直感」が、全身の毛穴をブワッと開かせた。

背筋を凍るような悪寒が駆け抜ける。

振り返った先、屋敷の玄関の前に一人の男が立っていた。

年の頃は40代半ば。整った顔立ちに、知性を感じさせる銀縁の眼鏡の奥に穏やかな笑みを浮かべている。

だが、レイジの目には、その男が纏うオーラが、先ほどまでの平和な街の空気とは完全に異質なものとして映った。

本能が警鐘を鳴らしていた。この男に、不用意に本当の名を明かしてはいけない、と。


「お父様!おかえりなさいませぇ〜」


ヘレナは無邪気に男に駆け寄り、その腕に抱きついた。


「ただいま、ヘレナ。少し目を離した隙に、ずいぶんと賑やかなお友達を作ったようだね」


男はヘレナの頭を優しく撫でながら、レンズの奥の鋭い瞳をレイジに向けた。

その視線は、レイジの白銀の髪、着ている服の素材、そして微かに漏れ出る魔力の質まで、一瞬にして値踏みしているようだった。


「初めまして、若き旅人くん。私はこの屋敷の主、ファントム・シュピーゲルだ。娘のヘレナ・シュピーゲルが世話になったようだが……君の名を聞かせてもらってもいいかな?」


穏やかな口調。しかし、それは絶対に逃れられない尋問のようでもあった。

レイジは冷や汗を流しながらも、脳内で超高速の計算を走らせた。


(おそらく、ここで『シュピーゲル』と名乗れば、間違いなく、過去の改竄計画に致命的なバグが生じるに違いないぜ!)


レイジは口角を上げ、極めて自然な、そして不敵な笑みを作った。


「……そんな怖い顔しないでくれよ、お義父さん!俺はただの、通りすがりの旅人さ!」


「お義父さんとは随分と気が早いね。で、名前は?」


シュピーゲル博士の笑みが、ほんの数ミリだけ深くなる。

レイジは胸元に手を当て、芝居がかった優雅なお辞儀をした。


「俺の名前は、レイジ。そうね……レイジ・オルフェンだ。行く当てのない天涯孤独の身でね。ヘレナちゃんの女神のような優しさに救われた、しがない風来坊ってやつさ。以後、お見知りおきを、シュピーゲル博士」


レイジ・オルフェン。

とっさの偽名。だが、その響きは不思議とこの時代に馴染むように感じられた。

シュピーゲル博士は数秒間、無言でレイジの目を見つめ返し、やがて、ふっと息をつき、柔らかな笑みを取り戻した。


「『博士』?……フム……なるほどね?……レイジ・『オルフェン』くん、か。いいだろう。ヘレナが拾ってきた縁だ、しばらくはこの屋敷を好きに使いたまえ。我がシュピーゲル家は、客人には寛大でね!」

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