地獄18:ゲームオーバー
イメージソング:スパイラル:ソウ オールリセット サウンドトラック
https://youtu.be/oJdq3QZTV8w?si=E3nCTZqDrjLWwSsD
光が収束し、世界からすべてが消え去った後。
新王都の荒野に、ただ一人、ポツンと取り残された者がいた。
狐獣人の探偵、ニーア・ヴェリタスである。
「……アスナ? ……アスナ、どこにいるの!?」
舞い上がる灰の中で、ニーアは叫び続けた。だが、彼女の愛した無垢な助手の姿も、街の喧騒も、何もかもが跡形もなく消え去っていた。
残されたのは、ひび割れた大地と、どこまでも続く瓦礫の山だけ。
ニーアは、アスナを失った絶望に打ちひしがれ、三日三晩、瓦礫の上で泣き続けた。美しい金色の毛並みは泥と灰にまみれ、誇り高き極太の尻尾も力なく垂れ下がっていた。
だが。
やがて、ニーアはパンッと両頬を叩き、立ち上がった。
彼女は、逃げ延びていた人々を集め、真っ先に復興の声を上げたのだ。
「いい? 私はニーア・ヴェリタス!偉大なるエラーラ・ヴェリタスの名を継ぐ大探偵よ!アスナがいつか帰ってきた時、こんな瓦礫の山じゃガッカリしちゃうでしょ!さぁ!泣いてる暇があったら、レンガの一つでも運びなさい!」
その声は、絶望に沈んでいた人々の心に、一本の光の柱を打ち立てた。
ニーアには魔力がない。特別な力も、神のような知能もない。ただ、誰よりも声が大きく、誰よりもよく笑い、誰よりも他人のために汗を流すことができる、底抜けの『明るさ』があった。
それからのニーアの活躍は、まさに新王都の復興の歴史そのものであった。
彼女は瓦礫の撤去から、迷い犬の捜索、揉め事の仲裁、果ては孤児たちのための青空教室の教師まで、文字通り休むことなく駆け回った。
種族間の対立が起きれば、自慢の尻尾を振り乱して間に割って入り、「私の前で喧嘩するなら、まずこの私を倒してからにしなさい!」と啖呵を切った。
配給の食料が足りなければ、自ら危険な魔物の生息域に踏み込んで、巨大な猪を狩ってきた。
「今日のステーキも最高ね!ほら、あんたたちも遠慮しないで食べなさい!」
彼女の周りには、常に笑顔があった。
かつては「魔力を持たない車両」と蔑まれ、あるいは「ヴェリタスの名を騙る偽者」と嘲笑われていた狐獣人。しかし、復興の中で、誰もが彼女を頼りにし、彼女の金色の毛並みを希望の象徴として仰ぐようになった。
時が流れ、新王都は見事に復興を果たした。
瓦礫の山は真新しいレンガ造りの街並みに変わり、かつての殺伐とした差別や対立は、ニーアが身をもって築き上げた「互いを助け合う」精神によって、大きく緩和されていた。
そして、その日は突然やってきた。
新王都の中心街。平和になった街を、いつものようにスキップしながら歩いていたニーアは、街角の果物屋の親父に元気に手を振った。
「おじさん、今日もお肉の仕入れはバッチリ……きゃあっ!?」
彼女の足が、路上に落ちていた一枚のバナナの皮を見事に踏み抜いた。
宙を舞う金色の狐。
ニーアの後頭部は、打ち所悪く、石畳の角にクリーンヒットした。
「ニーアちゃん!?」
駆け寄る人々。だが、ニーアの意識は急速に薄れていく。
(……あはは、バナナの皮で死ぬなんて、大探偵ニーア・ヴェリタス一生の不覚ね。……でも、まぁ、いっか。街も元気になったし……アスナ、今、そっちにいくからね……)
「みんな……お肉は、ちゃんと……よく焼いて……食べるのよ……」
それが、新王都の希望の星であった探偵の、最期の言葉だった。
死に顔は、信じられないほど晴れやかで、喜劇のオチのように完璧に明るかった。
数日後に行われたニーアの葬儀は、新王都の歴史に残る規模となった。
エルフ、獣人、人間、魔族。魔力を持つ者、持たざる者。かつては殺し合っていたあらゆる種族と国籍の人々が、彼女の棺を囲み、花を手向け、大声で泣いた。
ニーア・ヴェル・リータス。
血統的には何者でもなく、特別な力もないことに、密かに悩み続けていた少女。
だが、彼女は間違いなく、この街のすべての人に『愛されていた』。何者でもない彼女は、誰よりも偉大な、皆の太陽であった。
その葬儀は、絶望の時代が完全に終わり、真の平和が訪れたことを象徴する、最高に美しく、感動的なフィナーレであった。
──しかし。
人間の歴史というものは、光が強ければ強いほど、その背後に『最も濃く、陰湿な闇』を育成してしまうものである。
時はさらに流れ、新暦180年。
ニーアの死から数十年が経過し、新王都はかつてないほどの平和と繁栄を享受していた。
法律は正しく機能し、暴力は淘汰され、人々は互いを尊重し合う、まさに絵に描いたような理想郷。
だが、その清潔で平和な街の地下深く、カビと腐臭に満ちた暗い部屋で、車椅子に座った一人の老人が、モニターに映る平和な街並みを睨みつけていた。
男の名は、リュジュンパ・キルポ。
年齢はもはや定かではない。顔は憎しみで醜く歪み、濁った眼球だけが異常な光を放っている。
彼は、この平和な世界を、心の底から憎悪していた。
『……反吐が出る。偽善者どもめ。何も知らない愚民どもが、平和を貪りおって』
リュジュンパは、嗄れた声で独り言を呟きながら、自分の膝の上にある古びた手記を撫でた。
『さて。この世界の平和は、誰が作ったと思っているのかね。エラーラ・ヴェリタスか?ニーア・ヴェリタスか?いや、違う……全ては、この私、リュジュンパ・キルポの偉業なのだよ』
男の瞳に、狂気の光が宿る。
『私は、三十年前も前から、大魔導士エラーラ・ヴェリタスの陰で、誰にも知られずに平和維持活動を行ってきた。彼女らが表舞台でちやほやされている裏で、私は泥を啜りながら世界を救ってきたのだよ』
リュジュンパの脳裏に、かつての『栄光』の記憶が蘇る。
『海底魔竜事件。エラーラが魔竜と戦っていた裏で、私は魔竜から漏れ出す猛毒が王都を汚染しないよう、一人で必死に戦っていた……』
真実。
海底魔竜が暴れ回っていた時、彼はただ、海岸から数キロ離れた安全な海浜公園で、時給三百ゼニーの「ゴミ拾い(清掃)」のアルバイトをしていただけである。風に乗って飛んできた魔竜の体液のしぶきを見て、「この俺が、ゴミを拾って海を綺麗にすることで、毒の拡散を防いでいるんだぜ!」と、勝手に誇大妄想を膨らませていただけだ。
『王都消滅事件。王都が異次元に転送された時、私は一人で魔力炉の冷却という決死の任務をこなしていた……』
真実。
事件の跡地で、泣いている迷子を見つけ、交番に連れて行くという人探しのアルバイトをしていただけである。「迷子を見つけることで、社会のインフラ(魔力炉)の精神的な安定を保っているのだ」という、常人には理解不能な論理の飛躍による妄想である。
そして、リュジュンパはギリッと歯を食い縛り、モニターに映るニーアの銅像を睨みつけた。
『そして、あの狐のニーア・ヴェリタス。あの小娘が探偵として生活ができて、裏社会のニルヴァーナからも保護が受けられたのも、それはすべて私が裏で悪と戦っていたからだ。私が、あの狐の居場所を作ってやったのだ』
真実。
リュジュンパは、平和になった世界の中で、かつて『法律を武器にして他人に陰湿な嫌がらせをしていた』のだ。
カフェで気に食わない者がいれば法務局に通報し、横断歩道で老人に因縁をつけて当たり屋を行い、社会の治安を徹底的に、かつ意図的に悪化させた。
その結果として、街に揉め事が溢れ返り、ニーアの探偵事務所に小競り合いの依頼が殺到したのである。
さらに、リュジュンパが合法的に人々を破産させ、スラムへと追いやったことで、裏社会の暴力団『ニルヴァーナ』の勢力が拡大。結果的に、シノギを荒らされたニルヴァーナが、ニーアを「保護する余剰資金ができた」という事態に繋がった。
リュジュンパは、自らの卑劣で最低な「当たり屋行為」や「法的嫌がらせ」を、『ニーアのために依頼を増やし、裏社会と結びつけて彼女を守るための、高度な政治的暗躍だった』と、完全に記憶を改ざんし、正当化していたのである。
『私が……私がすべてをやったのだ!それなのに、世界はエラーラを讃え、ニーアを愛した!私のことは誰も知らない! 誰も私を愛さない!私は、こんなにも正しく、こんなにも素晴らしいのに!私は……俺は?……俺は……ぼくは!……ぼくは!ぼくはッ!ぼくの方が正しい!ぼくが正しいのに、みんなぼくお、ばかってゆうんだ!ぼくのほうが、さきなのに!ぼくをみてッ!ぼくがいるよッ!ぼくはちきんとできたよッ!きちんと!ちきんとがんばった!ばんがったんだよおおおおッ!じゃああああああああああッ!ぅわああああああああッ!』
リュジュンパの口角が、吊り上がった。
『許さない。エラーラも、ニーアも、この平和な世界も。私の正しさを理解できないこの醜い世界など……』
それからのリュジュンパの行動は、まさにサイコパスそのものであった。
彼は「善意の慈善家」の皮を被り、新王都のインフラに中枢まで入り込んだ。孤児院に寄付をしながらその地下の魔力炉に細工をし、病院を支援しながら水源に遅効性の猛毒を混入させた。
表向きは温厚な老人を演じながら、数十年かけて、平和な新王都のシステムの根幹に、緻密で完璧な「破滅の時限爆弾」を仕掛け続けたのだ。
そして、その計画が完全に実行に移された時。
新王都は、内部からの暴走と、狂気に感染した市民たちの殺し合いによって、再び、いや三十年前以上に徹底的に破壊し尽くされた。
炎に包まれる街を見下ろしながら、リュジュンパは狂ったように笑い続けた。
そう!
彼こそが!
かつてヘレナ・シュピーゲルに暗黒魔法で吹き飛ばされ、恐怖とトラウマで心を完全に破壊され。
ついには自分自身の名前すら忘れ、妄想と卑屈さと逆恨みだけで構成されたバケモノへと成り果てた。
かつての天才エルフ、レイジ・シュピーゲルの成れの果てだったのである!
さらに時は進み、新暦208年。
リュジュンパの仕掛けた悪意によって、世界は完全に終わっていた。
瓦礫すら残らない、ただ灰が舞うだけの焦土。
その灰の砂漠の中心で、一人の男が、血走った目で古代の魔導陣を描いていた。
彼の名は、レイジ・シュピーゲル。
彼は、自分が何者であるかは知っている。だが、彼は「リュジュンパ・キルポ」という名の邪悪な老人が、この世界を数十年かけて内側から破壊し尽くしたことを知り、激しい怒りと憎悪を燃やしていた。
レイジは、己の全魔力をかけて、時間跳躍の魔法を起動した。
彼は気づいていない。
彼が憎悪する「リュジュンパ」とは、未来の自分自身であることに。
レイジが過去に飛ぶ。
そこで彼は、ヘレナに吹き飛ばされるか、何らかの絶望を味わい、トラウマを抱える。心を壊された彼は、名前を忘れ、「リュジュンパ」と名乗るようになる。
そして、自分が救いたかった世界を憎み、破壊する。
その破壊された世界を見た「過去のレイジ」が、再びリュジュンパを止めるために過去へ飛ぶ。
永遠に続く、怒りと逆恨みの輪廻。
彼は、自分自身に怒り、自分自身を憎み、そして未来の自分をさらに怒らせるためだけに、無限の地獄を回り続けるだけの、最も滑稽で哀れなピエロだったのだ!
光が弾け、レイジ・シュピーゲルの肉体は、時空の彼方へと消え去った!
だが!
これこそが、レイジ・シュピーゲルという男が持つ、絶対的で絶望的な『タイミングの悪さ』の極致であった!
……レイジ!聞いてるか!
タイミングの悪さは、社会経験のなさだ!
戦うべき時には何もせずに、一旦様子を見るべき時には即断即決をするような、何の人生経験もなく、仕事にも勉強にも趣味にも他人にも興味がなく、興味がないものに対して知りもしないことを教えたがる、段取りすらできていない、仁義のない気持ち悪いボンボンの幼稚な男が一番の害なのだ!
お前は、おかあさんの元にいながら、おっぱい(衣食住)を吸いながら、そうして、おかあさんをぶん殴ってるだけなんだ!
わかるか!
幼稚だから目立ちたがりだったんだろうがな!ああ!お前は、本当に目立っていたよ!女に対しても男に対しても、犬やネコに対しても、「ぼくのおかあさんになって」という、幼稚な態度しかとっていないもんなあ!
なあ、聞いているか?レイジ!
それを人はなあ!卑劣漢と呼ぶんだよ!
……
……
……卑劣漢・レイジがタイムトラベルの魔法を完了し、新暦208年のこの焦土から姿を消した、まさにその【数秒後】のことだ。
ドクン、と。
死に絶えたはずの世界の、虚無の空間の奥底で、巨大な心臓の鼓動のような音が響いた。
そして!
灰色の空を引き裂き、大地を温かく包み込むような、圧倒的で、優しく、すべてを赦し、すべてを再生させる【まばゆい黄金の光】が放たれたのだ。
それは、遥かなる概念の彼方で選択を委ねられた少女が、ついに世界をやり直す決断を下した証であった。
枯れた大地から緑が芽吹き、破壊された事象が黄金の光の中で巻き戻るように再構築されていく。
究極の希望。真の救済の光。
もし。
レイジが、あとほんの十秒だけ、過去へ飛ぶのを待っていれば。
彼は、無限の地獄のループから抜け出し、この温かな再生の光に包まれて、罪を赦され、新しい世界で生き直すことができたはずだったのだ。
だが、彼は逃げた!
勝手な、本当に勝手な己の独善的な正義と、自分自身への憎悪に囚われたまま、救済の光が届かない過去の闇夜へと、自ら飛び込んでしまったのである!
黄金の光が、世界を美しく満たしていく。
新暦208年の世界は、今、真の再生の時を迎えた。
そこにはもう、リュジュンパも、レイジもいない。
彼だけが永遠の暗闇の中で己の尻尾を噛みちぎり続けていることなど、光に包まれた世界は、ただの一度も気づくことはなかった。
ゲーム・オーバー。




