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ヴェリタスの最終定理6:憎悪篇 ヘレナ・ヴェリタス  作者: LIU
●第22章:私の罪と罰

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地獄15:論破をする正義に囚われた男!

世界は終わった。


あの路地裏で、ヘレナの絶望的な願いと、レイジの放った『最適化』の魔法が最悪の形で噛み合った瞬間。王都に解き放たれた「思想ウイルス」は、瞬く間に大陸全土へと蔓延した。


純粋な善意が、純度百パーセントの殺意に反転する地獄。人を愛せば愛するほど、相手を殺したくなる狂気のパンデミック。

その世紀末の混沌の中で、かつて世界を股にかけて暴れ回っていた最強の偉人たちエラーラ、ナラティブ、アリシアといった規格外の怪物たちですら、ウイルスが引き起こした論理崩壊と相互殺戮の連鎖に巻き込まれ、早々に、そしてあまりにもあっけなく死に絶えた。


完全崩壊した世界は、その後、どこからともなく現れた何らかの飛竜の介入によって、かろうじて完全な消滅だけは免れた。

それから、三十年近くの歳月が流れた。


新暦138年。

かつての王都は『新王都』と改称され、瓦礫の山から一応の復興を果たしていた。

しかし、再建された社会は、かつてとは全く異なる、狂気じみた新たなルールに支配されていた。


大崩壊を生き残った人々の中で、魔力を持たない者たちが社会の主導権を握ったのである。彼らは自らの弱さを補うため、「ナンバー」と呼ばれる魔力補助器具を身につけて、それを装着することを一般化した。


その結果、何が起きたか?


もともと生来の魔力を持っていた者たちは、「ナンバープレートをつける者」の対極、すなわち人間の規格から外れた危険な『車両』と呼ばれ、社会の最底辺へと叩き落とされ、徹底的に蔑まれるようになったのだ。


恐ろしいのは、これが単なる比喩や蔑称ではなかったことである!


新王都の法律において、魔力を持つ者は文字通り「車両」として法的に扱われるようになった。

彼らは人権を剥奪され、交通法規で裁かれる。


たとえば、魔力を持つ学生が学校の椅子に座っているとする。教師がその生徒を気に入らなければ、「無断駐車」として通報する。警察が駆けつけ、その生徒はその場で『駐車違反』の切符を切られ、場合によっては罰金や拘束、最悪の場合は『廃車』にされるのだ。


カフェで寛いでいれば「アイドリングストップ義務違反」。道を歩いていて肩がぶつかれば「交通事故」として全過失を問われる。


警察も、教師も、上司も、少しでも「車両」が気に入らなければ、法を恣意的に解釈して社会から抹殺できる。これは人類の歴史上、最も馬鹿げた、しかし最も逃げ場のない完璧な差別の体系であった。


そして!


この馬鹿げた世界を、安全圏から底意地悪く見下し、さらに馬鹿にする『最悪の馬鹿』が、ここにいた!


「……ふっ、あーね、うん。見ました?今の?あの『車両』の男!横断歩道ではない場所を歩いていたから警官に警棒で殴り倒されましたよ。やですねー。ほんと。まー、いやぁ、素晴らしい。警察の方々、すばらしっ。ルールをね、守れないね、欠陥車はね、そ!ああしてスクラップにされるのがね、法律の正しいあり方というものですね!」


新王都の清潔な大通りを一望できる高級カフェのテラス席。

合法的に「人間」として認められた身分証をチラつかせながら、優雅にアールグレイのカップを傾ける初老の男。

レイジ・シュピーゲルである。

かつて、透き通るような白銀の髪と知的で冷徹な切れ長の瞳を持ち、軽薄な口調で世界を裏から救おうとしていた天才エルフの青年。


その面影は、見る影もなく腐り果てていた!


白銀の髪は手入れもされず脂ぎってくすみ、美しかった顔立ちには、他者を嘲笑うために固定されたような、陰湿で深いシワが刻み込まれている。


三十年前、ヘレナ・シュピーゲルによって漆黒の魔力で吹き飛ばされたあの日の恐怖。自分の「最適化」が世界を滅ぼしたというトラウマと、敗北したという事実が、彼の精神を完全に破壊していた。


「やーやーやーやー。あのね、私がね、こんな惨めな思いをしなければならない理由は万に一つもないわけでしてね、ええ。私はね、そ、あたしゃ、世界を救おうとしちゃったりなんかしちゃったりしたんですよ?誰よりも正しいわけだ。そ、正しい。しかるにかるに、かるかるに、えー、あーね、も、バカどもがね、私の足を引っ張ったせいで、すべてが台無しになった、というわけでごじゃりますことで」


今のレイジの口調には、かつての快活さや若々しさは微塵もない。

ひたすらに卑屈で、後ろ向きで、ねっとりとした嫌味だけがこびりついている。

彼の心の中にあるのは、自分の正しさを理解してくれなかった社会への巨大な恨みである。

世界が間違っている。

自分は正しい。


だから、自分はこの間違った世界の連中に、合法的に罰を与えてやらなければならないのだと。


彼はそろそろ五十歳にもなるというのに、精神年齢は「法律上正しいなら、倫理的にどうであれ100%正しい」と信じて疑わない、中学生レベルの『エセ・ロジカル思想』で停止していた。


つまり……あげあし取りをするために他人に近づいては文句を言う、教え魔の老人なのだ!


今日もレイジは、街を歩きながら通行人に当たり散らし、法律という絶対の盾に隠れて、己の歪んだ「正義」を執行していた!


人を殺すのに、魔法などいらない!


ルールを悪用すれば、いくらでも他人の人生を合法的に破壊できる!


それが、心を壊された天才が辿り着いた、最低最悪のゴミクズ野郎の復讐の形だった!


レイジのその陰湿なエセロジカル思想が最も凶悪な形で発揮された事案を、ここに記そう。


ある乾燥した冬の日のことだった。

レイジが歩いていた住宅街の一角で、大規模な火災が発生したのだ。古い木造アパートの二階から火の手が上がり、あっという間に周囲の建物へと燃え広がっていった。


「火事だ!誰か、消防を!」


人々がパニックに陥り、魔導端末を取り出して通報しようとした。

しかし、不運なことに、その一帯は魔導通信の基地局に障害が起きており、一般の回線は完全に遮断されていた。誰も、消防や警察と連絡が取れない。


だが、ただ一人。


特権階級であり、特殊な魔導回線を契約していたレイジの端末だけは、青い光を放ち、正常に通信機能が生きていた。


「あ、あんた!その端末、生きてるな!頼む、貸してくれ! アパートの中にまだ子どもと犬が取り残されてるんだ! 早く消防を!」


顔を煤だらけにした父親が、レイジにすがりつき、泣き叫んだ。周囲の大人たちも、祈るようにレイジを見た。

しかし。

レイジは、すがりついてきた父親の手を、ハンカチ越しに汚いものでも払うように振り解いた。


「およよよよよよ。あーね。うん。ちゃーんとしよっか。法律は守ろう。ね。わかるね。気安くね、触らないでいただけますか?そ。暴行罪で訴えますよ」


「なっ……何、言ってるんだ!早く貸してくれ、子どもが焼け死ぬ!」


「やっでっすっねー。ほーんと、やっでっすっねー。あーたね。ルールをとーときちんと守らにゃあかんと、だーめでっしゃろーっ。」


レイジは、燃え盛る炎を背にして、薄気味悪い笑みを浮かべた。


「ね。私がね、あなたのね、ようなね、見ず知らずのコワーイ人間に、ね。私の大切なね。私有財産を貸与しなければならないのですかね?新王都憲法第12条。君ね、勉強したらいいと思うよ。ね。ちゃんとしようね。私にはね、私の所有物をね、誰に貸すか決めるね、絶対的な権利があるんだよね」


「はああああ?てめえ馬鹿、てめえ、てめえふざけんな!ああ!じゃあ、お前てめえお前、あんたが通報しろ!今すぐ!」


「あーもーきちんとしましょう。一回落ち着こっか。ね。そしてばしからずんば、お断りします。私は今ね。カフェに向かう途中でしてね。あーたたちのこーゆーチンピラみたいな屁理屈にね、私の貴重な時間を奪われるいわれはないわけでんしゃろがやね。法律上、一般市民である私に、他人の火災を通報する『法的義務』など一切明記されていないというわけになりますでしてござんして。そ。義務がない以上、私は何もしません。はい何か私どこか間違っていますか?はい勝ちーーー!」


「き、貴様ぁぁぁっ!」


人々が絶望の叫びを上げる中。

アパートの二階から、子どもと犬の断末魔の悲鳴が聞こえ、やがて太い梁が崩れ落ちて炎の中に消えた。助けに入ろうとした大人数人も、バックドラフトに巻き込まれて炭の塊となった。

レイジは、安全な距離から、その丸焼きになっていく人間たちを、まるで出来の悪い喜劇でも見るような目で観察していた。


「あぁぁぁっ!息子が!ダン!アキ!リクトおおおっ!!!!」


すべてを失った父親は、正気を失い、鬼の形相でレイジに向かって飛びかかってきた。その手には、瓦礫の中から拾い上げた太い鉄パイプが握られていた。


「死ねェェェェェェッ!!この悪魔ァァァッ!!」


「……待っていましたよーっ!」


鉄パイプが振り下ろされる直前。

レイジは、懐から『護身用として法的に許可されている規定サイズ内』の鋭利なナイフを取り出し、寸分の狂いもない動作で、父親の左頬だけをメッタ斬りにした。


「ほいほいっ!ふいっ!ふいっ!はい、ちゅくちゅくちゅん!ちゅくちゅくちゅん!ちゅくちゅくちゅんったーら、ちゅくちゅくちゅん!」


眼球を切り裂き、鼻を削ぎ落とし、頬の肉を骨が見えるまで切り刻む。殺さない。だが、二度と社会生活が送れないほどの凄惨な傷を、正当防衛が認められるギリギリのラインで正確に刻み込んだのだ。


「ぎぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


顔から血の噴水を上げて倒れ込む父親。

遅れて到着した警察官に対し、レイジは返り血を優雅にハンカチで拭きながら、堂々と言い放った。


「ね、お巡りさんね、ご苦労様です。私はこのおかしな人に突然ね。そ、鉄パイプで襲いかかられちゃいましてね、新王都刑法第36条に基づき、やむを得ず自衛のための力を行使しましちゃいましちゃいましてね、ね、この殺人未遂犯を、今すぐつかまえちゃってください」


警察は、法律に従い、顔面をズタズタにされた被害者の父親に手錠をかけ、連行していった。

レイジは、法律上、一切の罪を負っていない。通報しなかったことも、顔をメッタ斬りにしたことも、すべて『合法』なのだ。

これが、他者を攻撃するためにルールを悪用しすぎる男の、裁けない悪の姿であった。


さらに、レイジの陰湿さは、日常の些細な空間にまで張り巡らされていた。

「車両」に対する異常なほど厳しい交通法規。レイジはそれを、自らの娯楽と金儲けのための「狩り」に利用していた。

ある日、街中の横断歩道で。

足が不自由で、杖をつきながらゆっくりと歩く、いや、法的には「徐行」している老人の「車両」がいた。

レイジは、その老人が横断歩道を渡り切る直前、わざと老人の進路に素早く立ち塞がり、急停止した。

老人は驚き、避けようとしたが、レイジは巧妙にステップを踏んで進路を塞ぎ続け、最終的に、老人の杖がレイジの革靴にコツンと軽く接触した。

その瞬間。


「う痛ァァァァァァァァッ!!!」


レイジは、大通りの真ん中で、まるで大型トラックに撥ねられたかのように派手に宙を舞い、アスファルトの上を転がり回った。


「わ。轢き逃げ。はいね、はい、ね、車両の暴走ね!じゃあいくよ、さんはい……殺されるーーーう、うーーーっ!!!!誰か警察を呼んでぃくりぃぃぃッ!」


悲鳴を聞きつけて、すぐに数人の警察官が駆けつけた。

レイジは、事前に悪徳医師から合法的に取得していた「全身打撲および重度の精神的トラウマ」という診断書を懐からチラつかせながら、泣き真似を交えて訴えた。


「ねねねね!お巡りさん!この車両、ほら、ものすごいスピードで突っ込んできたんですよ!私は命の危険を感じました!ほら!過失致傷と整備不良!ね?徹底的に罰してください!」


老人は必死に弁明した。


「違う、私はただ!歩いていただけだ!この男が勝手に……!」


だが、警察は「車両」の言葉など信じない。法律は、「ナンバー持ち」を絶対的に保護しているのだ。

結果として。

老人は、慰謝料をレイジにむしり取られ、さらに悪質な交通違反として強制労働させられる収容所へと送られた。

レイジは、老人が手錠をかけられて引きずられていく後ろ姿を見送りながら、分厚い札束の入った封筒をポンポンと手のひらで叩いた。


「ふふっ。あーね、頭悪い老人には可哀想ですがね、これも法治国家のね、社会のルールですからね。私が彼に法律の厳しさを教えてあげたんです。感謝してほしいくらいですよ。はいありがとうは?」


ヘレナ・シュピーゲルがかつてこの世界に撒き散らした恐怖は、魔法や呪いといったわかりやすいものではなくなった。

真の恐怖は、今やこの社会のシステムそのものに寄生し、合法的で陰湿な絶望となって人々を真綿で首を絞めるように殺していく。

レイジ・シュピーゲルの行動は、すべて法律の枠内に収まっている。

誰も彼を罪に問うことはできない。

彼は物理的な暴力ではなく、「社会のルール」という不可視の鎖を使って他者を絞め殺す陰湿な怪物なのだ。


かつて天才と呼ばれた男の成れの果て!


自分が絶対に傷つかない安全圏から、他者の絶望の涙を啜り、自分の卑小な自尊心を保ち続けるだけのダニ。

論理と法律を盾にして、己の冷酷さを正当化し続ける彼に、もはや良心の呵責など一欠片も存在しない。


「みんながね、間違っているからね、私が法律にね、従って、一つ一つきちんとね。正してあげるだけですよ。……ふふっ、うきゅっ、うきゅきゅきゅきゅきゅきゅきゅッッッ!!!!」


新王都のカフェのテラス席で、初老の男は今日も不気味な笑い声を上げる。

誰も裁けない。誰も止められない。

血も涙もない絶対的な「合法」の前に、人々はただ怯え、理不尽に命を散らしていく。

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