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ヴェリタスの最終定理6:憎悪篇 ヘレナ・ヴェリタス  作者: LIU
●第22章:私の罪と罰

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地獄10:エラーラ・ヴェリタス編要約

新暦108年。

あの日、王都の裏側で蠢いていた狂気など嘘のように、街は穏やかな繁栄の時を刻んでいた。

巨大な飛行船が優雅に空を泳ぎ、ガス灯が石造りの街並みを温かく照らし出す。人々は平和を謳歌し、毎夜のように歓楽街は美酒と享楽の香りに包まれていた。

その王都の夜の頂点に君臨する、最高級の会員制キャバレー。

眩いシャンデリアの光が降り注ぐ中央の巨大なステージで、一人の踊り子が今宵も観客の魂を奪い去っていた。


「あらあら、皆さん。そんなに身を乗り出したら、危ないですよぉ? ふふっ、よしよし、今日も一日、本当によく頑張りましたねぇ」


彼女の名は、ヘレナ・シュピーゲル。

滑らかな褐色の肌を、惜しげもなく露出した豪奢なシルクの衣装。腰まで届く月光のような銀髪が、彼女が軽やかにターンするたびに星屑のように煌めく。

そして何より、男たちの視線を釘付けにして離さないのは、その豊満すぎる双丘と、そこから溢れ出す圧倒的な『母性』であった。


「はぁぁ……ヘレナさぁんヌッ……!」


「俺を!……ヒヒ!……俺を甘やかしてくれよゆッ……!」


政財界の大物から、裏社会のドン、血の気の多い若き騎士に至るまで。この店を訪れるすべての男たちは、ヘレナのぽわぽわとした優しい声と、とろけるような笑顔の前に、完全に骨抜きにされていた。

彼女が優しく微笑みかけ、「頑張りましたねぇ」と声をかけるだけで、どんな強面の男も赤子のように泣き崩れ、彼女にすべてを捧げようとするのだ。

可愛くて、エロくて、どこまでも底なしに優しい、最高に良い女性。

それが、王都が誇るトップダンサー、ヘレナ・シュピーゲルに対する世間の絶対的な評価であった。


(……ふふっ。本当に、男という生き物は、単純で可愛いですねぇ)


ヘレナは、完璧な聖母の微笑みを絶やすことなく、優雅に舞いながら心の中でクスクスと笑っていた。

彼女がファントム・シュピーゲル博士の庇護下にある「シュピーゲル邸」から通いながら、夜の世界で踊り子をしているのには、明確な理由がある。

それは、あらゆる政財界の機密情報や、闇の世界のドス黒い噂が、最も無防備な形で集まるのがこの夜の世界だからである。

男たちは、ヘレナの母性に甘えるあまり、国家の重大な機密も、邪魔者の暗殺計画も、ライバル商会の弱点も、すべてを彼女の豊満な胸に顔を埋めながらペラペラと喋ってしまうのだ。

ヘレナは、そのすべてをスポンジのように吸収し、自らの手駒としてストックし続けていた。


なぜか。


すべては、ただ一人の人間、エラーラ・ヴェリタスを、最も惨たらしく、そして完全にこの世から破滅させるためである。


その日。


ヘレナがステージを終え、VIPルームで政府の高官に膝枕をしてあげている時のことだった。


「イヒッ!?……ヘレナ君、そこ、当たってるゆッ!気持ちいい……。あ、そういえば聞いたかね?あの、かつての世界の英雄……エラーラ・ヴェリタスが、ヒ、死んだらしいよ」


「えっ……?エラーラさんが、ですかぁ?まあ、かわいそうに……」


ヘレナは、膝の上の男の頭を優しく撫でながら、悲しそうな声を上げた。


だが。


その内側では、ドロドロとした歓喜のマグマが、今まさに沸点に達しようとしていた。


「ああ。なんでも、王都の郊外の……探偵事務所の近くで、路地裏に倒れていたらしい。はぁ……後頭部を、鈍器で思い切り殴られて……即死だったそうだ」


「あらあら……あんなに強い魔導師だったのに。世の中、何が起きるかわかりませんねぇ」


「まったくだ。どれだけ強かろうが、背後から石ころ一つで殴られりゃ人間はおしまいさ。……ああ、ひ、ヘレナ君の膝、最高だもんにーっ……!」


ヘレナは、心の中で満面の笑みを浮かべた。


(――当然です。自分の強さに絶対の自信を持っている傲慢な人間は、必ず、些細な足元を掬われて死ぬ。それが、世界の理というものですよぉ)


その時が、ついに来たのだ。

ヘレナは確信していた。エラーラを背後から鈍器で殴り殺したのは、名もなき『少年』、かつてタイガ・ガリレイと呼ばれていた、あの連続殺人鬼であると。


遡ること数ヶ月前。

ヘレナは、タイガの所在を夜のネットワークで突き止め、彼に密かに接触していた。

クライフォルト家を乗っ取り、次なるターゲットを物色していた彼に対して、ヘレナはとびきりの笑顔で、甘く、恐ろしい囁きを吹き込んでいたのだ。


『ねえ、坊や。この世界、少し退屈だと思いませんかぁ? 坊やの持っているその「最適化」の魔法……それで、このくだらない世界を、ぜーんぶ消滅させちゃいましょうよぉ』


『世界を……消滅?でも、僕の魔力じゃ、そこまでの規模は……』


『大丈夫ですよぉ。あの傲慢な、エラーラ・ヴェリタスの魂魄を奪って、坊やの中に取り込めばいいんです。彼女の底なしの魔力と、坊やの魔法が組み合わされば……きっと、綺麗な花火が上がりますよぉ』


ヘレナは知っていた。「最適化」という、社会全体の精神を繋ぎ合わせ、最終的に物理次元をも崩壊させる禁忌の魔法。それを世界規模で発動させるためには、未来から来たエルフであるレイジか、あるいはこの時代最強の魔導師であるエラーラ・ヴェリタスの膨大な魔力が必須であった。

だからこそ、ヘレナはタイガを唆し、エラーラを殺害させて、その魂を奪わせるように仕向けたのだ。


(ふふふ……。エラーラ・ヴェリタス。あなたは、私が直接手を下すまでもなく、私が育てた駒に、路地裏で惨めに殺された。強者の驕り。無防備な背中。……本当に、呆気ない最期でしたねぇ)


数日後。


さらなる吉報が、ヘレナの耳に届いた。

エラーラの周囲にいた人間たち、元女騎士アリア・クライフォルト、アリアと結婚した獣医師のケンジ・クライフォルト、そして、最近エラーラの事務所に出入りしていた王都警察の敏腕刑事・カレル・オータム警部。

彼ら全員が、何者かによって無惨に殺害されたというニュースが、裏社会を駆け巡ったのだ。


(あらあら、坊やったら、邪魔者を綺麗にお掃除してくれたんですねぇ。よしよし、とってもいい子です。……さあ、いよいよですよぉ)


ヘレナは、VIPルームの窓から、王都の夜空を見上げた。

準備はすべて整った。

エラーラの魂魄を吸収し、神に等しい魔力を手に入れたタイガが、今まさに「最適化」の魔法を世界全体に放とうとしている。

それは、エラーラという存在が、世界を救うどころか、自らの力で世界を完全消滅させるトリガーになるという、ヘレナにとってこの上なく美しく、残酷な芸術の完成を意味していた。


その日は、抜けるように青い秋晴れの空だった。

ヘレナは、シュピーゲル邸の中庭で、優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。

午後三時ちょうど。

王都の郊外、かつてヴェリタス探偵事務所があった方角から、世界を白く塗り潰すような、極光の柱が天に向かって立ち上った。


「――始まりましたねぇ」


ヘレナは、ティーカップを両手で包み込むように持ち、うっとりとその光を見つめた。

光は、音もなく、波紋のように王都全体へと、そして世界中へと広がっていく。

それは物理的な破壊光線ではなかった。「最適化」の最終形態。すなわち、全生命体の精神を強制的に一つに同調させ、自己と他者の境界を溶かし、究極の幸福感を与えながら、その存在を物理次元から『爆発』させるという、神の奇跡にも似た破滅の魔法。

光の波が街を覆うと、凄まじいスペクタクルが展開された。

王都の空を飛んでいた巨大な飛行船の乗組員たちが、光に触れた瞬間、「ああ……なんて……幸せなんだ……!」と恍惚の表情を浮かべ、パンッ、パンッ!と、まるで美しく咲き乱れる花火のように、次々と肉体を弾けさせて爆死していった。

パニックはない。悲鳴もない。

ただ、そこにあるのは究極の至福だけだ。

広場を歩いていた恋人たちも、商売に勤しんでいた商人たちも、路地裏の乞食も、王宮の貴族たちも。

誰もが、己の人生のすべての苦しみから解放された喜びに涙を流し、満面の笑みを浮かべながら、色とりどりの魔力の粒子となって爆発四散していく。

街中が、光と幸福の爆発に包まれる。

建物を壊すことはなく、ただ生命体だけが、最高の笑顔のまま破裂していくのだ。


「綺麗……!とっても、綺麗ですよぉ、お姉ちゃん……!」


ヘレナは、狂喜に打ち震えながら立ち上がった。

彼女の褐色の肌にも、光の波が到達する。

細胞の一つ一つが、全宇宙の歓喜と繋がる感覚。


(私が勝った。私が、あの傲慢なエラーラを使い、この世界を終わらせた。ざまあみろ。ざまあみろ、ざまあみろ!! あなたは、私の掌の上で踊らされて、すべてを失ったのよぉ!!)


「あははっ!あぁぁ、幸せですぅ……!!」


ヘレナは、両手を広げ、天を仰ぎ、最高の笑顔を浮かべた。

そして。

という軽快な音と共に、ヘレナ・シュピーゲルという肉体もまた、歓喜の絶頂の中で爆死し、光の粒子となって消滅した。

世界から、生命が消えた。

完全なる白紙。無限の虚無。

ヘレナの計画は、ここに完璧な形で成就したのである。


しかし。


永遠とも思える無限の時間の無の果て。死の果て。

あらゆる概念が消失したはずの、その果てのない静寂の中で。


「フム……死後の世界とやら、無の概念、あるいは高次元の虚無。ひとしきり観光してみたが……まあ、概ね私の仮説通りの構造だったねぇ。……飽きたよ」


どこからともなく、呑気な声が響き渡った。


「さて。十分なデータも取れたことだし。そろそろ、世界を『元に戻す』としようかねぇ」


次の瞬間。

無限の時間が、たった一瞬へと圧縮され。

散り散りになった光の粒子が、凄まじい逆再生の速度で元の位置へと収束していく。

巻き戻る因果。再構築される物理法則。復活する生命体。


「あれ?今、何を話してたんだっけ」


「あはは、君ったらドジだなぁ」


ヘレナがふと気づくと、彼女はキャバレーの豪奢な控室のソファに座り、お気に入りの最高級のブレンド珈琲のカップを傾けていた。


(……え?)


ヘレナは、カップを口元に運んだまま、完全に硬直した。

時計の針は、夜の九時を指している。

外からは、歓楽街の賑やかな喧騒が聞こえてくる。


(……私は、爆死した、はず。世界は、消滅したはず。タイガが、エラーラを殺して、最適化を放って……。私は、確かにこの目で、すべての生命が幸福に弾け飛ぶのを見た……!)


だが、何事も起きていない。

誰もが、自分が一度「永遠に死んでいた」ことなど、究極の幸福の中で「爆死した」ことなど、誰一人気づいていない。

世界は、何一つ変わらない日常を続けているのだ。

ヘレナの超絶的な魔導の直感が、宇宙の真理から導き出された『最悪の事実』を彼女の脳に叩きつけた。


(……エラーラ・ヴェリタス。あの女……タイガが自分を狙っていることを、最初から『知っていた』。その上で、死後の世界や無の概念を『観光したくて』、わざと背後から鈍器で殴られて、大人しく死んだのだ……!)


そして、死の世界をひとしきり観光して満足した彼女は、自らの規格外の魔力と頭脳で、タイガの「最適化」の魔法そのものを基盤から書き換え、爆死した全生命体を、記憶を消去した上で『元に戻した』のだ。

ヘレナが何ヶ月もかけて仕込んだ計画。

タイガを操り、世界を道連れにしてまで成し遂げた、究極の復讐。

そのすべてが。

エラーラ・ヴェリタスという、理不尽極まりない、ふざけた天才の『ちょっとした死後観光』のダシに使われ、たった一瞬で、無かったことにされてしまったのである。

そして何より、ヘレナのプライドを粉々に打ち砕いた究極の事実。


(あの女は……この一連の出来事が、私が裏で糸を引いていた策略だなんて、微塵も気づいていない。……いや、違う。気づいていないんじゃない)


エラーラは、ヘレナ・ヴェリタスという妹の存在自体を、『完全に忘れている』のだ。

自分の人生に一切の関わりを持たない、路傍の石以下の存在。だから、こんな大規模な魔法が発動しても、裏に誰がいるかなんて考えもしない。ただの自然現象か、タイガの暴走程度にしか思っていないのだ。


「……………………」


ヘレナは、誰にも悟られてはいけない、静かな、しかしマグマよりも熱い怒りを胸の奥底に秘めながら。

コトリ、と。

音を立てずに、珈琲のカップをソーサーに置いた。

第五章:凄惨なる魔力解放と、刑事の影


「ちょっと、裏の空気を吸ってきますねぇ」


ヘレナは、控室にいた他の踊り子たちに、いつものぽわぽわとした笑顔で告げると、ゆっくりと立ち上がり、店の裏口へと向かった。

扉を押し開け、人気のない薄暗い路地裏に出る。

冷たい夜風が、彼女の銀髪を揺らした。

ヘレナは、顔を俯かせた。

彼女の表情から、一切の感情が抜け落ちていた。

ただ、その瞳の奥だけが、漆黒の地獄の炎のように爛々と燃え盛っている。


(ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなッ!!)


ギリッ、と奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばる。


(私を忘れるな。私を見ろ。私がお前を殺すんだ。観光? 死後の観光だと? お前は神にでもなったつもりか!ボケがよッ!私を無視して、私のすべてを無に帰して、のうのうと……ッ!)


「……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ァ゛ァ゛ッ!!!」


声にならない、獣のような凄絶な絶叫と共に。

ヘレナは、体内に封じ込めていた莫大な魔力を、全開にして解放した。

彼女の足元から、黒紫色の魔力の奔流が、竜巻のように吹き上がった。

それは、純粋な『破壊と憎悪』のエネルギーだった。

路地裏の分厚い石畳が、音もなく蒸発する。周囲のレンガの壁が、ひび割れる暇すらなく、砂のように崩れ去って虚無へと消えていく。

半径十メートル以内のあらゆる物質が、ヘレナの激怒の魔力に触れた瞬間、分子レベルで焼き尽くされ、存在を消去されていく。

空間そのものが悲鳴を上げ、歪み、引き裂かれそうになる。

彼女が本気になれば、この王都の区画一つを更地に変えることなど造作もない。それほどの、恐るべき魔力であった。

凄惨な怒り。理不尽な天才に対する、秀才の、血の涙を流すような絶望的な怒り。


だが。


「――ん? 誰かそこにいるのかね?」


路地裏の入り口の方から、ドタドタという重い足音が聞こえ、野太い声が掛けられた。

ヘレナは、瞬時に魔力の放出をピタリと止めた。

蒸発した石畳と、削り取られた壁の不自然な空間だけを残し、黒紫色のオーラは幻のように霧散する。

ヘレナは、ゆっくりと振り返った。

そこに立っていたのは、くたびれたトレンチコートを着込み、中折れ帽を深く被った、恰幅の良い中年男であった。


「おややあ?ヘレナ君じゃないか。こんな裏路地で、どうしたんだね? なんだか今、ものすごい熱気を感じたんだが……火事でもあったのかね?」


男は、眉をひそめながら、心配そうにヘレナに駆け寄ってきた。

王都警察捜査一課、カレル・オータム警部。


エラーラと共にタイガに殺され、そしてエラーラの「世界復元」によって、何も知らずに生き返った男である。彼は、このキャバレーの常連客でもあった。


「あ、カレル警部さん……」


ヘレナの顔には、もう先ほどの凄惨な怒りの欠片もなかった。

彼女は、少し不安そうな、庇護欲をそそる上目遣いで、カレル警部を見つめた。


「ふふっ、ごめんなさい。ちょっと、お店の中が暑くて、涼みに来ただけですよぉ。……でも、急に強い風が吹いて、砂埃が舞い上がっちゃって。目に入って、痛かったんですぅ」


「おお、それは災難だったね。大丈夫かね? ほら、私のハンカチを使いなさい。まったく、こんな暗いところに一人でいると、物騒な連中に絡まれるかもしれんからな。気をつけたまえよ」


「えへへ……ありがとうございますぅ、カレルさん。カレルさんって、本当にお優しいですねぇ。よしよし、です」


ヘレナは、警部の差し出したハンカチを受け取りながら、甘えるように微笑んだ。

カレル警部は、ヘレナの母性溢れる笑顔にデレデレと顔を崩し、「ややあ、それほどでもないですぞ」と鼻の下を伸ばしている。


(……馬鹿な男。自分が一度死んで、おもちゃのように生き返らされたことも知らずに、正義面をして)


ヘレナは、心の中で冷たく吐き捨てながらも、表の顔は完璧な『聖母』を演じ切っていた。


「さあ、カレルさんも、お店の中へ入りましょう? 今日は私が、特別に美味しいお酒を作ってあげますからねぇ」


「おおっ! それは嬉しいですな! じゃあ、お言葉に甘えて……」


ヘレナは、カレル警部の太い腕にそっと自分の豊かな胸を押し当てながら、機嫌良く歩き出した。

彼女の足元、焼け焦げた石畳の残骸が、夜の闇に紛れて見えなくなる。


(エラーラ・ヴェリタス。……いいでしょう。あなたが何度世界をリセットしようと、何度私を忘れようと。私は絶対に、あなたをこの世の地獄に引き摺り下ろしてあげる。……この、溢れるような愛で、ね)

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