生贄の祝辞
聖都の石畳は、私の喉を焼くような祈りの声で満ちていた。
馬車を降り、大聖堂の巨大な尖塔を見上げた瞬間、心臓の奥が冷たく疼く。
(ああ、やっぱりここは、巨大な『墓場』ね)
四年前、私はここから逃げ出した。
「一人の少女を歯車にして、止まりかけた国の時計を回し続ける」という、神様が考えた最高に趣味の悪い冗談をぶち壊すために。
「何を立ち止まっている。……感傷に浸る時間は与えられていない」
背後からエドモンの硬質な声。彼は私の背を無造作に押し、熱狂する群衆の中へと私を引きずり出した。
私の手首には、魔力を抑制する「沈黙の銀」で作られた新しい枷が嵌められている。
「アンジェリカ様!」
「慈悲を、我らに慈悲を!」
「……ねえエドモン。聞いて、あの汚らわしい絶叫を。自分たちが私の血肉を啜って生き延びようとしている自覚もない、幸福な豚たちの合唱よ」
私は群衆に天使のような微笑を振り撒きながら、隣を歩く彼にだけ聞こえるように囁いた。
「あんたもあの豚たちの仲間入りができて嬉しい? 聖女を祭壇という名の『調理場』に運ぶ、忠実な猟犬さん」
「……私はただ、王命を果たしているだけだ」
エドモンは正面を見据えたまま、一度も群衆に目を向けない。
彼は聖堂を守る騎士たちを視線で威圧し、私を誰もいない静寂の回廊へと連れ込んだ。
重厚な鉄の扉が閉まり、狂ったような歓声が遠のく。
案内されたのは、聖堂の最上階に近い「隔離の間」。豪華な刺繍が施された寝台と、冷え切った石壁。ここは、聖女を飾るための、世界で一番贅沢な檻だ。
エドモンは部屋の隅に立ち、彫像のように腕を組んだ。
「儀式は、三日後の星月夜に行われる。それまで、貴女はこの部屋から一歩も出ることは許されない。食事は毒見を済ませたものだけが運ばれる」
「三日後。……随分と急かすわね。あの豚王、そんなに早く私の心臓を拝みたいのかしら」
私は豪華な椅子に深く腰掛け、長い足を組んで、わざとらしくはだけた脚をエドモンに見せつけた。
「あんたも、三日間ここに詰めるつもり? 退屈で死んじゃわないかしら。それとも、私の着替えでも覗いて、少しは人間らしい興奮を覚えてみる?」
「……。貴女の言葉遊びに付き合うつもりはない。三日経てば、貴女は祭壇に座り、奇跡という名の『役割』を果たす。それまでの安全を確保するのが私の任務だ」
エドモンは眉一つ動かさず、ただ私という「装置」に不具合がないかを監視している。
私は椅子から立ち上がり、彼にゆっくりと近づいた。
枷の鎖が、冷たい音を立てて床を這う。
「エドモン。あんた、一つだけ勘違いしてるわよ」
私は、彼の重厚な鎧の胸当てに、そっと指先を滑らせた。
鉄の匂い。そして、その奥にあるはずの、死んだように規則正しい鼓動。
「私はね、自分を犠牲にしてこの国を救うために帰ってきたんじゃないの。……この、一人の少女の死を養分にして生き長らえる『システム』ごと、地獄へ道連れにするために帰ってきたのよ」
「……何?」
エドモンが初めて、その鋼の瞳を僅かに揺らした。
「あんたが運んできたのは、救済の鍵じゃないわ。……あんたの愛するこの王国を、内側から食い破る『寄生虫』よ」
私は彼の顔に顔を寄せ、その耳元で、蜜よりも甘く、ナイフよりも鋭い声で囁いた。
「三日後を楽しみにしていなさい、堅物男。あんたのその誇り高い騎士道が、絶望に染まって崩れ落ちる瞬間をね」
エドモンは無言で私の肩を掴み、乱暴に引き離した。
だが、その手の内側には、昨夜まではなかった「不穏な違和感」への戸惑いが、僅かに滲んでいた。




