灰色の凱旋
馬車の車輪が、石畳を叩く硬い音に変わった。
それは、私が四年前に捨てた「監獄」――聖都へと繋がる、逃げ場のない秒読みの音。
「……聖女。目覚めの時間だ」
エドモンの声が、耳のすぐそばで氷のように響く。
薄く目を開けると、彼の冷徹な指先が私の頬を叩いていた。意識を繋ぎ止めるためではなく、ただ、検品のために。
「……最悪の目覚めだわ。あんたの顔を見た瞬間に、また意識を失いたくなった」
私は震える手で座席を掴み、無理やり体を起こす。
全身の節々が軋み、魔力の枯渇した空洞が、内側から肺を押し潰すように痛んだ。
「そうしろ。だが、貴女が眠り続けたいなら、聖堂の地下にある氷の柩を用意させるだけだ。あそこなら永遠に、意識を奪われたまま『聖女』を演じ続けられる」
「……どこまでも実利主義ね、堅物男」
私は皮肉を返そうとしたが、窓の外の光景を見て言葉を失った。
馬車が抜けた先にあるのは、かつての私の記憶にある「黄金の都」ではなかった。
高くそびえる城壁の影。広場には、行き場を失い、うずくまる群衆。
彼らの目は一様に濁り、昨夜の子供と同じ、死の斑点が刻まれた手足が露わになっている。
「……何よ、これ。私がいた頃より、ずっと酷くなっているじゃない」
「貴女が逃げ出した結果だ」
エドモンは淡々と、しかし残酷な事実として告げる。
「聖女という『蓋』を失ったこの国は、内側から腐敗し始めた。疫病、飢餓、そして信仰の暴走。……貴女がメルセールで踊っていた四年間、この国は貴女が踏みにじった『祈り』の代償を払い続けていたんだ」
「私のせい? 冗談じゃないわ。こんな汚物溜めにしたのは、私という装置を使い潰して、メンテナンスも怠ったあんたら王侯貴族の無能のせいでしょう?」
私は窓を叩き、群衆の絶望を見せつける彼を睨み上げた。
「私の踊り、一回いくらか知ってる? 銀貨二枚よ。それだけで、港の連中は明日の活力を手に入れてた。……あんたたちの『祈り』は、この人たちを腹一杯にできるの?」
「できんな。だから、貴女が必要だ」
エドモンは私の首元を掴み、強引に窓の方へ引き寄せた。
「見ろ、あの死に損ない共を。彼らはもう、奇跡の正体などどうでもいい。ただ、蜂蜜色の髪をした『聖女』が帰還したという事実。その虚像に、最後の一滴まで縋るだろう」
「……反吐が出るわ」
「そうだろうな。私も同感だ」
エドモンの声が、一瞬だけ低くなった。
それは共感ではなく、ただ同じ「地獄」を見つめている者の、乾いた呼応。
「だが、私は王命に従う。貴女にこの悲劇を『奇跡』という名の皮皮で覆わせる。たとえ中身が呪詛で満ちていようとな」
馬車が聖都の中心、大聖堂の前に停まる。
扉が開いた瞬間、沸き立つような歓声と、血なまぐさい信仰の匂いが押し寄せた。
何百人、何千人という群衆が、地面に膝をつき、私の名を叫んでいる。
「アンジェリカ様!」「聖女様のお戻りだ!」「我らを救い給え!」
「……気持ち悪い。ねえ、エドモン。私、今すぐこの広場全員に、腐った魚を投げつけてやりたいわ」
「許可する。だが、それは祭壇の上で、微笑みながら行え」
エドモンは、私の乱れた蜂蜜色の髪を乱暴に指で整え、一房の髪を強く引いた。
「歩け、アンジュ。ここからは、貴女が最も嫌う『天使』の役目だ」
私は首に刻まれた彼の手跡を、白いレースの襟で隠し、とびきり冷たく、そして「天使のように愛らしい」微笑を浮かべた。
「ええ、見てなさい。世界で一番残酷な、奇跡のショーを見せてあげるから」




