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最期の共鳴

砕けた瓶から流れた液体の匂いが、潮風に混じって虚しく消えていく。

私は荒い息をつきながら、甲板に膝をついた。喉の奥が引き攣り、涙さえもう出ない。

手のひらには砕けたガラスの破片が刺さり、血が滲んでいる。けれど、その痛みさえも、今の私には遠い出来事のように感じられた。

エドモンは、立ち上がる力さえ失ったのか、壁に背を預けたまま静かに私を見ていた。

その瞳には、先ほどまでの激しい拒絶も、私への怒りも、もう残っていない。

ただ、底なしの闇のような、けれど不思議なほど穏やかな絶望が湛えられている。

「……あ、はは……。笑えるわね、エドモン」

私は掠れた声で笑った。

「あんたを救うために、私は魂を売った。あんたはその魂を守るために、死を望んだ。……結局、私たちはどこへも行けなかったのよ。王国の祭壇から、この不浄な商船という名の檻へ、場所が変わっただけ」

私は泥に汚れたドレスを引きずりながら、彼の隣へと這い寄った。

エドモンは、震える手を伸ばし、私の頬に触れた。その指先は、驚くほど冷えていた。薬を失った彼の命は、今、砂時計の砂が落ちるように、確実に終わりへと向かっている。

「……アンジェリカ。すまなかった」

エドモンの掠れた声。

「貴女を、追い詰めたのは私だ。……貴女に愛されているという事実に甘え、私は自分の『騎士としての潔癖』を押し付けてしまった。貴女を不浄だと、聖女に戻ったと責めたが……本当に汚れていたのは、貴女の犠牲の上に胡坐をかいていた、私の心だ」

「……やめて。そんなこと、言わないで」

「いや、言わせてくれ。……もう、いいんだ。……もう、十分に戦った。……これ以上、貴女の心を削ってまで、私は生きたくない。……共に、行こう。今度こそ、誰の道具でも、誰かのための希望でもない……ただの、出来損ないの男と女として」

その言葉を聞いた瞬間、私の中で張り詰めていた最後の一線が、音もなく溶け落ちた。

……ああ、そうか。

私はこの男を「生かす」ことに執着しすぎて、この男が守ろうとした私の「心」を殺していた。

同時に、この男もまた、私を「高潔な女」として守ろうとするあまり、生きたいと願う私の本能を殺そうとしていた。

私たちは、愛し合っていた。

けれど、あまりに不器用で、あまりに欠けすぎていたから、互いを救おうとする手が、互いの首を絞める鎖になってしまったのだ。

「……ずるいわね。最後にそんな、綺麗な顔で許すなんて」

私は彼の隣に座り込み、その傷だらけの体を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。

彼の心臓の音が、少しずつ、ゆっくりになっていく。

かつての黄金の奇跡なら、これを無理やりにでも繋ぎ止めた。けれど、今の私には、彼の冷たさを一緒に分かち合うことしかできない。

「わかったわ、エドモン。……もう、何も演じない。聖女も、魔女も、身売りの女も、全部おしまい。……最後くらい、あんたの隣で、あんたが愛した『アンジェリカ』に戻らせて」

静寂が、私たちを包み込む。

波の音と、重なり合う二人の微かな吐息だけが、この死にゆく船に残された唯一の真実だった。

けれど、その聖域を、不快な革靴の音が無慈悲に踏みにじった。

「見苦しいな。せっかくの商売道具を、これ以上傷つけられては困るんだよ」

ガッサが、松明を持った用心棒を引き連れて現れた。

足元に転がる薬の瓶の破片を見て、彼は忌々しげに顔を歪める。

「アンジェリカ、今のあんたには、もうその男を救う価値さえ残っていないようだな。……いいだろう。その役立たずの騎士は、今すぐ海へ捨ててやれ。あんたは新しい『首輪』を嵌めて、隣国の地下神殿へ送ってやる」

「……触らせないわよ」

私は、エドモンの前に立ち塞がった。

魔力はもう枯れ果てているはずだった。

器はひび割れ、命の灯も消えかけているはずだった。

けれど、エドモンと最期を共にするという「決意」が、私の中に残っていた最後の、そして最も純粋な力を引きずり出した。

「ガッサ、あんたに教えてあげる。……聖女の力は、祈りで生まれるんじゃない。……絶望と、たった一人の男への『執着』で、完成するのよ」

私の手首の、血塗れの枷が、白銀の光を放ち始める。

それはかつての黄金の光ではない。冷たく、鋭く、触れるものすべてを永久の眠りへと誘う、死の光。

「エドモン……少しだけ、眠っていて。……この地獄を、私が終わらせてくるから」

私は、背後にいる最愛の男に微笑みかけ、死神の如き美しさを纏って、ガッサたちへと歩み出した。

これが、私の最後にして唯一の、私自身の意志による「奇跡」だった。

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