愛という名の陵辱
その夜、私は知事の邸宅で、かつてないほどの魔力を搾り取られていた。
男たちの卑俗な歓声、脂ぎった手、そして「奇跡」を安売りする自分への嫌悪。ガッサから薬の瓶を受け取り、フラフラの足取りで船底の部屋へ戻った時、最悪の光景が待っていた。
部屋の扉が開け放たれていた。寝台にいるはずのエドモンがいない。
「……エドモン? どこなの、エドモン!」
嫌な予感が背筋を走る。私は汚れたドレスを翻し、甲板へと駆け上がった。
そこで私が見たのは、物陰に潜み、今まさに邸宅から戻ってきた私と、私を家畜のように扱うガッサのやり取りをすべて見てしまったエドモンの姿だった。
月明かりの下、私たちの視線がぶつかる。
手が触れた瞬間、空気が凍りついた。
私が彼の体を支えようと伸ばした手を、彼は見たこともないほど冷ややかな目で見つめた。
騎士としての鋭い感覚が、私の肌に纏わりつく「不浄」を捉えたのだ。
異国の男たちが私を品定めした時のねっとりとした視線、触れられた場所の嫌な熱、そして、ひしゃげた枷から漏れ出す、無理やり搾り取られた魔力の腐った匂い。
「……その、姿は……なんだ」
エドモンの声は、かつてカイルの剣を前にした時よりも冷たく、絶望に満ちていた。
彼は壁を支えに立ち上がり、私の「聖女」の紛い物のような、扇情的で薄汚れたドレスと、金の腕輪から覗く血塗れの枷を見つめた。
「……エドモン、これは……違うの、これはただの、……あんたを助けるための……」
「ガッサと言ったか。……あの商人と、何を取引した。アンジェリカ、答えろ」
「……っ」
私は言葉を失った。
彼の瞳にあるのは、生還の喜びではない。
自分が命を懸けて、魂を削って、神から、国から、あの暗い祭壇から引き剥がしたはずの女が、自分一人の命を繋ぐために、自ら別の檻へと這い戻った。……その事実に対する、引き裂かれるような拒絶だった。
「アンジェリカ……私は、貴女に……自由を……ただの『人間』として生きる時間を、与えたかった……」
「自由なんて、あんたがいなきゃただの広すぎる処刑場よッ!!」
私は叫んだ。
溢れ出した涙が、化粧で塗り固めた頬を黒く汚していく。
「あんたが死にそうだったのよ! 薬も、寝床も、何一つないこの場所で、あんたが冷たくなっていくのを、私はただ見ていろって言うの!? あんたの言う『自由』のために、私はあんたが死ぬのを黙って見てなきゃいけなかったの!? 冗談じゃないわよ! あんたを救えるなら、私は何度だって聖女(道具)になってやる! 誰の足元だって舐めて、どんな豚にだって微笑んでやるわよ!」
「……それが、私の魂をどれほど焼き殺すか、分からないのか」
エドモンの声は、もはや怒りさえ失い、砂のように乾いていた。
彼は折れた剣のような指で、私の頬を、汚れたドレスの肩を、そっとなぞった。その指先が、私には熱い火印のように感じられた。
「貴女が私を救うために、その身を辱め、力を振り絞るたびに……私が命を懸けて守った『アンジェリカ』という女が、私の目の前で殺されていくんだ。……私は、自分の命と引き換えに、貴女を殺したのか……?」
「違う……違うわ、エドモン。私は生きてる、ここにいるわ!」
「いや、ここにいるのは……私が最も憎んだ、神と人の欲望に飼い慣らされた『聖女』だ」
彼は一度言葉を切り、血の気の失せた唇を震わせた。その瞳から零れた一筋の涙が、私の頬に落ちる。
「私は……貴女を、一人の女として死なせてやりたかった……。神の道具ではなく……泥にまみれても、自分の足で歩く女に……。それだけを願って、私はすべてを捨てたのだ」
その言葉は、どんな怒号よりも重く、私の胸を抉った。
あんたが守りたかったのは、高潔で自由な私だった。
けれど私が守りたかったのは、泥を啜ってでも生きている、あんただった。
私たちの愛は、どこでこんなに歪んでしまったのか。
互いを想う気持ちが、互いの最も大切なものを破壊していく。
「……なら、もういいわよ」
私は震える手で、ガッサから渡された薬の瓶を、足元の甲板に叩きつけた。
パリン、と虚しい音を立てて砕け、中の液体が泥にまみれていく。
「そんなに私のしたことが許せないなら、死ねばいいじゃない! 一緒に死にましょうよ! その方が、あんたの『誇り』とやらは守られるんでしょう!?」
狂ったように叫ぶ私を、エドモンはただ、壊れた人形を見るような悲しい目で見つめていた。
その夜、私たちの間にあった「救済」という名の絆は、完全に息絶えた。




