非情の天秤
馬車が荒野の凹凸を拾うたび、私の体は無機質な箱の中で揺さぶられる。
窓から差し込む陽光は、もはやメルセールの暖かさを持っていない。それは、私を検品する選別者の視線のように冷たく突き刺さった。
「……ねえ、エドモン。あんた、鏡を見たことはある?」
沈黙に耐えかねたわけではない。ただ、彼の淀みのない横顔があまりに不愉快だったから、私は言葉のナイフを研いだ。
「鏡? 職務に不要な装飾品だ」
「でしょうね。もし見ていたら、そこに映る自分の顔が、私が昔追い払った下級悪魔よりも無機質だってことに気づけたはずだもの。あんたに魂はあるの? それとも、王宮の地下で鋳造された、ただの自動人形?」
エドモンは視線を動かさない。ただ、膝に置いた拳が、鎧の軋みと共に僅かに固くなった。
「貴女の言葉は、切れ味だけは良い。だが、所詮は負け犬の遠吠えだ。……それよりも、顔色が悪い。吐き気がするなら今のうちに言え。馬車を汚せば、その分貴女の服が減るだけだ」
「あら、心配なんて珍しい。もしかして、装置が壊れるとあんたの査定に響くのかしら? 安心なさい、私の根性はあんたの良心よりは数倍頑丈にできているわ」
私は言い捨てて、わざとらしく目を閉じた。
だが、事態は私の軽口ほど楽観的ではなかった。
その日の夕刻。馬車が野営のために停車した時のことだ。
監視の目を盗んで逃げ出す隙を伺っていた私だが、馬車の扉が開いた瞬間、強烈な腐敗臭が鼻を突いた。
野営地の隅に、数人の避難民がうずくまっていた。
王国の徴兵から逃れたのか、あるいは疫病に追われたのか。彼らの肌は土色に汚れ、手足にはどす黒い斑点が浮かんでいる。
「……エドモン。あれは」
「見捨てろ。我々の任務とは無関係だ」
エドモンは私の腕を掴み、焚き火のそばへと引きずっていく。
だが、避難民の中の一人の子供が、ふらふらとこちらへ歩み寄ってきた。蜂蜜色の私の髪を、救いの光か何かと勘違いしたのだろう。
「たすけて……おねがい……」
子供の汚れた手が、私のワンピースの裾を掴む。
その瞬間、エドモンが冷酷にその手を足蹴にした。
「触れるな。穢れが移る」
「――ッ! あんた、今、何を……!」
私の内側で、何かが沸騰した。
それは聖女としての慈愛ではない。自分の目の前で、理不尽な暴力が振るわれたことへの、猛烈な「拒絶」だ。
「どきなさい、鉄クズ」
私はエドモンを突き飛ばした。驚くべきことに、彼は避けることもせず、私の「力」が漏れ出るのを試すように、冷徹な目で見下ろしている。
私は子供の前に膝をついた。
泥にまみれたその小さな手に触れる。
四年間、一度も使わなかった感覚。脳の奥で、閉じ込めていた回路が焼き切れるような音がする。
「……いい? よく聞きなさい。私はあんたを愛してもいないし、救いたいわけでもない。ただ、あそこに立っている男の『正論』が、吐き気がするほど嫌いなだけよ」
私は指先に意識を集中させる。
黄金色の光が、私の指先から細い糸のように紡ぎ出され、子供の斑点をなぞる。
劇的な奇跡ではない。ただ、痛みを和らげ、命の灯火を少しだけ太くするだけの、ささやかな抵抗。
「……はぁ、はぁ……っ」
力が抜ける。視界が暗転しかけたとき、背後からエドモンの冷たい声が降ってきた。
「満足か。貴重な魔力を、路傍の石に浪費して」
「ええ、最高に気分がいいわ。あんたがどれだけ鉄の掟を振りかざしても、私の指一本で、それはゴミ屑に変わる。……支配できていると思わないことね、エドモン。私の奇跡は、あんたの命令なんかじゃ一ミリも動かない」
私は立ち上がり、ふらつく足取りで彼を睨みつけた。
エドモンは無言で私を見つめ、やがて、私の首の傷跡――彼がつけた痣――に、そっと指を触れた。
「……ならば、その反抗心を抱いたまま死ぬまで踊れ。貴女が光を放てば放つほど、私はその光を王宮という名の牢獄へ閉じ込める。それが私の役割だ」
彼の指は冷たい。けれど、その奥に一瞬だけ、研ぎ澄まされた刃のような「共鳴」を感じた気がして、私はひどく鳥肌が立った。




