裏切りのドレス
商船は隣国、グラナダ連邦の港へと入った。
王国の厳格な白一色の意匠とは違い、そこは極彩色の旗が翻り、金銭の欲望が潮風に乗って漂う、欲望の吹き溜まりだった。
「さあ、お色直しの時間だ、聖女様。いや……今は『異国から流れ着いた奇跡の御子』だったかな」
ガッサが差し出したのは、かつての純潔な白装束を悪趣味に改造したような、扇情的な薄絹のドレスだった。肌を透かせるその布地は、私の尊厳を嘲笑うかのように薄い。手首のひしゃげた枷を隠すために、これ見よがしに贅沢な金の腕輪がいくつも嵌められた。
「……こんな格好をさせて、何が目的なの」
「客人は、分かりやすい『価値』に金を払うのさ。あんたがただの小汚い娘なら、誰も麦一粒も出さない。だが、あんたが光り輝く奇跡の象徴なら……国一つが動く金を生む。……さあ、最高の『商品』として振る舞え」
私は鏡に映る自分を睨みつけた。
髪を切り、泥にまみれ、ようやく一人の「アンジェリカ」になれたはずだった。それなのに、今、私は再び、誰かの欲望を満たすために塗り固められた偶像(人形)へと作り替えられていく。
(ごめんなさい、エドモン……。あんたが守った私は、今、死んだわ)
船底の暗い部屋で、血を流して眠る彼を想う。
あんたが地獄まで共に墜ちてくれると言った、あの「ただの女」は、もういない。私はまた、あんたが最も忌み嫌った檻の中に、自分から戻っていく。
「……薬を、出しなさい」
「ああ、もちろんだ。仕事が終わるたびに、その騎士様の命を繋ぐ特効薬を預けよう。あんたが逃げたり、不細工な真似をしたりしない限り、彼は死なない」
ガッサは満足げに頷き、私の背中に手を添えた。
案内されたのは、港近くにある商人の豪邸の一室。そこには、金に飽かした豪商や、病に怯える老貴族たちが、怪しげな期待を込めた、濁りきった瞳で私を待ち構えていた。
「皆様、お待たせいたしました。これこそが、北の王国から密かに運び出された、神の慈悲そのもの……」
ガッサの口上と共に、私は部屋の中央へと進み出た。
かつて聖都の祭壇で数百万人の前に立った時と同じ、無機質な微笑を張り付けて。だが、ここにいる連中は信徒ではない。私の「奇跡」を、ただの延命剤か、あるいは高価な娯楽としてしか見ていない捕食者たちだ。
「おい、もっと近くで見せろ。その肌を流れる魔力、飲めば不老不死になれるというのは本当か?」
「ガッサ、こいつを数晩貸せ。私の病が治るまで、寝所に置いておく」
酒の臭いと脂ぎった体臭。彼らの視線は、私の顔ではなく、ドレスから覗く手首やデコルテを、まるで品定めする肉屋のように舐め回した。
汚い。吐き気がする。かつて「聖女」として触れることさえ禁忌だった私の体が、今や金と欲にまみれた豚たちの玩具に成り下がっている。
「……私の名は、アンジェリカ。……迷える魂に、光を」
私は、金の腕輪に隠された枷を握りしめ、内側に残った魔力を無理やり絞り出した。
枷が肉に食い込み、激痛が走る。
その痛みさえ、エドモンの覚悟を裏切る自分への罰のように感じられて、私は狂おしい快感すら覚えていた。
手のひらから溢れ出した黄金の光が、部屋中を包み込む。
「おお……!」という感嘆の声。
跪き、私のドレスの裾に触れようとする汚れた手。
その光景は、聖都のそれと何も変わらなかった。ただ一つ違うのは、この光が、愛する男の命を買い叩くための「通貨」に成り下がっているということだ。
「……あ、は……」
光を放ちながら、私は心の中で泣いていた。
神様、あんたは本当に性格が悪いわ。
自由を与えたフリをして、結局はもっと重い、愛着という名の鎖で私を縛り直すなんて。
商談が終わり、ガッサから「報酬」である薬の瓶を受け取った私は、汚れきったドレスを引きずりながら、船底へと這い戻った。
「……エドモン、薬よ。これを飲めば、また一日、あんたは生きていられる……」
震える手で、彼の唇に薬を注ぐ。
その時。エドモンの長い睫毛が、微かに揺れた。
「……アン……ジェ……リカ……」
意識を取り戻しかけた彼の瞳に、豪華な異国のドレスを纏い、男たちの欲望にまみれた魔力の残滓を漂わせる私の姿が映る。
彼は、絶望を孕んだ、ひどく悲しい眼差しを私に向けた。
「……なぜ……戻った……。私は、貴女を……自由にするために……」
「黙ってて。……何も、言わないで」
私は、彼の言葉を遮るようにその唇を塞いだ。
あんたの軽蔑も、怒りも、今は聞きたくない。
私は、あんたを生かすためなら、何度でも不忠の罪を重ねてやる。例え、あんたが守った私の魂が、真っ黒に汚れきってしまっても。




