ハサミの切れ味が悪い時
春なのに寒い。朝は特にそうだ。
「笹原塾のチラシです。受けとってください」
笹原瑛太は朝、駅前でチラシを配っていた。親戚が経営している塾のチラシだが、受け取ってくれる人は稀だ。時には邪魔だと睨みつけられるし、心まで冷えてきそうだ。
でもこんなバイトでもありがたい。他にもコンビニや居酒屋でバイトもしていたが、クレーマーがいないだけマシだ。
「寒い……」
空には分厚い雲。青空は見えない。余計に身体が震えそうだ。
瑛太はお笑い芸人を目指し、コンビも組み、舞台に立つ仕事も一応あるにはあるが、売れっ子とかテレビ出演とかは無縁。バイトを掛け持ちしながら、どうにか食い繋いでいた。相方も似たような状況だが、実家が金持ち。その辺りは全く事情が違う。こうしていつのまにか四十五歳になってしまったが、得たものは何もない感じ。家族も恋人もなく、相方と酒ばっかり飲んでいた。
また空を見上げる。夢とか自由とか、好きに生きるとか、そんな言葉が虚しい。駅には立派なスーツ姿のサラリーマンもいて、なんだぁと思う。好きに生きているつもりなのに満たされない。つまらない。もはや夢なんて呪い。実に冴えない人生。
そんな気分のままどうにかバイトを終わらせ、自宅に帰る。ボロいアパートだ。これからコンビニバイトもあるし、全く笑えない。しかも保険料の督促も届いていてため息しかでない。
「封筒開かなねーな。ハサミで開けるか」
といってもハサミの切れ味も悪く、封筒はぼろぼろに。
「本当に冴えないな、俺……」
つい先日、相方と舞台に立ったが、全く受けず、客席が静まってしまった。必死に盛り上げたが後の祭りだった。
「はぁ。本当、冴えない」
テレビをつけたら人気芸人も出ていた。実際、面白く、容姿も華がある。才能の差、残酷。おそらく、自由とか好きなこととかは、才能があって初めて意味があるのだろうか。しかもそれはごく一部の勝者しか持っていない。だとしたら、それ以外の人間はどうしたら?
「やべぇ、本格的に鬱になりそうだわ……」
そう呟いた時、切れ味の悪いハサミが目につく。
「そういえば、母ちゃん、ハサミの切れ味が悪い時、アルミホイルを切って直してたっけ?」
確かそんなような記憶がある。さっそく試してみると、すぐにハサミの切れ味は復活した。
「母ちゃん、すげーな」
専業主婦でいつも家族を優先していた母だった。見た目は地味で冴えない人生。今の世の中では真っ先に否定されるような母だったが、なぜかちっとも不幸そうじゃなく、いつも笑顔だった。
一方、自分はどうだろうか。好きに生きているのに冴えない。
「でも、まあ。仕方ないよな」
なぜか復活したハサミを持っていたら、諦めもついてきる。自分はこういう生き方しかできなかった。ただそれだけと思いこんで納得するしかないって気づいてしまった。
「お? なんか今、いいネタ思いついた。さっそく相方に連絡するか」
たぶん、そのネタも客に受けない気がするが、とりあえず相方には報告してみるか。




