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日常を彩るライフハック短編小説集  作者: 地野千塩


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食パンが固くなった時

 ご近所さんや友達からは「おしどり夫婦ねぇ」なんて呼ばれたりもするけれど、実情はそうでもない。どこにでいる普通の老夫婦だ。


「あなた、なんでこんなサブスク契約しているの? 必要ある?」

「別にいだろ。映画も見放題だし、初月は無料だし」

「でも、どうせ飽きるでしょ。他のサイトでも結局見ていないのに、会費だけ取られていたじゃない」

「あー、もううるさいな!」

「何よ。あんたなんて甲斐性なしじゃない!」


 些細なことで夫と喧嘩してしまった。鞠沢ヒサ子、結婚四十年目の主婦だが、ため息しか出ない。


 確かに普段は夫と仲がいい方だ。夫の性格も概ね穏やかだ。しかし金遣いはルーズなところが多々ある。これがギャンブルや借金漬けとかだったら離婚対象にもなるが、あくまでも日常的な範囲で金遣いがルーズ。お菓子がまだ残っているのに、新しいものを買おうとしたり、今日みたいに無駄なサブスクを契約したり、買い物中は無駄に高いカマンベールを勝手にカゴに入れたり。


 長年の夫のこういう部分、思い出しただけでイライラしてきた。ヒサ子の顔もこわばり、テレビを見ても何も楽しくない。


「はぁ」


 ため息だけ漏れる。こういう些細な喧嘩、本当はしたくない。それでもついつい言いすぎてしまう。


「甲斐性なしは言い過ぎた。ちょっと自分でも酷いよなぁ」


 その自覚はあるが、謝りたくない。今すぐ夫の部屋に行けば一分もかからないのに、心は固くなっていく。こっちから謝ったら、何か負けたみたいで。


 ふと、時計を見たら午後三時だった。


「あ、ちょっとお腹減ったかも」


 この歳でおやつの時間というわけでもないが、何か食べたら、落ち着くかも。


 そう考えたヒサ子はキッチンの冷蔵庫の中をのぞく。運の悪い子とに今日は甘いものは入っていないみたい。その上、食パンが冷蔵庫に入っていた。夫の仕業だ。冷蔵庫にパンを入れると固くなると何度も言っているのに、同じことを繰り返す。


「あぁ。もう本当に」


 イライラするが、固くなった食パンはどうしようか。表面に水をつけて切り込みをいれて焼けば、柔らかくなる。それともすりおろしてパン粉にしてもいいか。パン粉は賞味期限が短いし、食パンをすりおろすのが一番経済的だったりする。


「でも今日は揚げ物やハンバーグを作る予定ないしなぁ」


 しばらく固くなった食パンを見つめていたら、いっそフレンチトーストにでもしてしまおう。当初の目的も思い出したし、悪くない。


 牛乳と卵、砂糖で卵液を作る。そこに浸してフライパンで焼くだけ。油ではなくバターで焼くとさらに美味しい。最後にハチミツをかけるともっと美味しい。フレンチトーストはバニラアイスクリームと卵を混ぜて作る方法もある。牛乳がない場合はそれもいい。


 こうしてフレンチトーストを焼いていると、キッチンに甘い匂いが広がる。フライパンのフレンチトースト、ジュワッと焼かれ、元々は固くなった食パンなのが信じられないほどに柔らかくなっていた。


 卵液に浸した時間は短いはずなのに、案外柔らかくなるものだ。


 息を吐き、この甘い匂いを吸い込む。もう匂いからしてご馳走ではないか。ヒサ子の目尻も下がる。


「まあ、これを食べたら夫に謝りに行っても良いか。やっぱり甲斐性なしは言い過ぎたよな……」


 心も柔らかくなりますように。


 そう祈りながら、フレンチトーストを皿に盛り付けていた。

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