食パンを焼く時
時の移り変わりは残酷だ。
「え、ここの高級食パンの店、明日で閉店なんだ……」
深瀬麻美、四十二歳。いわゆるバリキャリだ。営業マンで成績もいつもトップ。社内では麻美を嫌う人も多いが、実績で証明し続けているような人生。そんな麻美、パンが好き。休日、パン屋巡りが趣味で、最近はこの高級食パンの店がお気に入りだった。
「あーあ。これが最後の一枚か……」
家に帰り、そのパン屋の高級食パンを焼き、味わう。最後だと思うと惜しくて、いつまでも噛み締めていたい。
思えば、こういう飲食店、ブームに乗り出来ては潰れるを繰り返している。麻美が学生の頃はベルギーワッフル屋、最近ではタピオカ屋もそう。高級食パンの店もブームが落ち着き、閉じていく店も多いのだろうか。
「やっぱり時の流れって残酷……」
気づけば麻美も仕事一筋で、四十二歳。結婚もキャリアの妨げになりそうだったし、正直子供も興味がなかった。周りの結婚やベビーラッシュがあっても無視していたが、急に時の流れを感じる。お気に入りの高級食パン店の閉店、意外とダメージだったのか。
そんなことを考えていると実家の兄から連絡。
「え? お父さんもお母さんもそんな認知症すすんでるの?」
今の麻美に追い討ちをかけるような知らせだった。兄も独身で自営業者だが、このままでは両親の介護大変になるらしく、麻美にも協力して欲しいとのことだった。
「もうそんな歳か。あぁ、やっぱり時の流れって残酷……」
手の平を見つめる。乾燥し、ささくれてる。高校生のころはハンドクリームなんて必要なかったのに、今は絶対手放せない。
「あぁ、もうそんな時期か……」
ため息しか出ないが仕方ない。仕事の折り合いもつけつつ、両親の介護をしなければ。
この会社は家族経営の古い体質なところ。女性も産休や育休が取りずらい雰囲気がある。事務員の制服もタイトスカートだったりする。それを思うと憂鬱だったが。
「あの経理部の高谷さんてまた休んでるって」
「へえ、あの人ってシングルマザーだっけ」
「フォローする方も大変だよね」
「ねえ、むかつくね」
そんな時、給湯室で経理部の人の陰口を聞いてしまった。確か名前は高谷成美。三十代後半のシングルマザー。挨拶程度しかしていないが、顔と名前は知っていた。
そんな陰口を聞いてしまうと、笑えない。これから介護で休むとことになりそうな麻美。バッドタイミングとはこのこと。
とはいえ、その後、なんとなく成美と話すようになってしまった。こんな風に陰口を言われ、少し同情してしまったというのもあるだろう。同年代だったし、元平成女子同士としてシール交換なんかも始めたり。
「お気に入りの高級食パンの店は潰れてちゃってねぇ。それが案外ショック」
話す内容は些細なこと。こんなパン屋が潰れたとか、日常的な話題ばかり。同じ女性として育休や介護休暇の取りやすさとか、家事と仕事の両立とか真面目なことを話した方がいい?
「だったら深瀬さん、麦茶をちょっと食パンにつけて焼くと美味しく焼けますよ」
「へえ、そうなの?」
「あと可愛い猫パンも家で作れる方法があって」
「え、本当?」
「息子にせがまれてね〜」
そんな呑気な話をしていると、頭を悩ませていた介護。どうでもよくなってきた。よく休んでいるという成美自身、あまり気にしてなさそうだし。そっか、まあ、別に休んでも良いのかと腑に落ちた。
こうして家に帰ったあと、成美に教わった方法で食パンを焼いてみた。安い食パンに麦茶を霧吹きでふきかけ、トースターで焼く。
「あれ? 普通においしい」
表面の焼き色は均一で綺麗だし、いつもよりサクサク感もアップしている。香ばしい。高級食パンと大差なかった気もしてきた。
「高級食パン店無くなっても、まあ、仕方ない」
意外とショックだったこの出来事、今は受け入れられそう。確かに安い食パン、もちもち感や甘みは負けてしまっているけれど、この食べ方だったら悪くない。
バターとイチゴジャムもつけ、ゆっくりと噛みしめる。
「うん、おいしいじゃん?」
時の移り変わりは残酷みたい。それでもおいしいパンがあれば大丈夫。乗りきれそう。




