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日常を彩るライフハック短編小説集  作者: 地野千塩


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ロールパンを焼く時

 今朝、息子の顔が真っ赤。嫌な予感。案の定、体温計は7℃以上だった。


「わーかった。今日は学校お休みして病院行こう」


 体温計をしまいつつ、ちょっとため息が出る。息子の体調不良は仕方ないが、会社の連絡が憂鬱。家族経営の男性社員が多いところだ。前にもお休みの連絡を入れた時、舌打ちをされた。


「へえ、息子さん風邪なの。大変だね、シングルマザーって」


 上司の言葉、ちくちくと棘がある。電話越しにも伝わってくるものがあるが、仕方ない。息子の担任にも連絡を入れ、病院に連れて行きずっと看病。小学二年生の息子だが、元々体力もなく、背も平気より低い。親戚の叔母にも嫌味を言われていた。


 そうして今日一日中、ずっとバタバタしながら終わった。気づくと夕食も後回しになっていた。


「はぁ。なんか今日はもう何も食べたくないな……」


 食卓の上にはスーパーでかったロールパンしかない。ちょっと固くなっていたが、トースターで焼けば何とか食べられるか。


「は? あれ?」


 しかし、失敗。ロールパンは黒焦げになってしまった。表面は焦げつき、真っ黒。


 ため息しか出ない。今日は何をやってもうまくいかないらしい。


「もう今日の夕飯はいいや……」


 そして数日後、息子の体調不良は良くなった。私も会社に復帰したが、上司に嫌味を言われ、些細なミスを指摘され、肩が重い。


 昼休みに給湯室に入った時はぐったりとしていた。経理の仕事で体力を使っているように見えないものだが、心は何か削られていくものがある。


「高谷さん? なんか大丈夫?」


 そこに営業部の深瀬麻美がやってきた。いわゆるバリキャリ。営業成績も良く、社会では麻美を嫌う派閥もあるらしい。とはいえ、経理部の私には特に関係ない話だし、時々給湯室で会う麻美はサッパリとした笑顔で接してくれる。


 年齢は四十代前半ぐらいだろうか。いつも明るい笑顔だから、歳を忘れてしまう感じ。


「いえ、特に何でも無いんですが、ロールパンを焼くのに失敗して……」


 自分でもよくわからない。なぜか口からロールパンと出る。その言葉の響き、なんだか間抜けで。シングルマザーの苦悩とか、女性の社会進出も是非とか、休みの取りずらさとか言った方が良かったのだろうか。


「ははは、ロールパンねぇ。確かあれ、ひっくり返して焼くといいみたいよ。ふわふわしてる方を下にするの」

「へぇ」


 麻美は豆知識を教えてくれた。バリキャリの口からもロールパン。なんだかちょっと間抜けだが、ひっくり返すだけで綺麗に焼けるのなら、簡単ではないか。


 ロールパンがきっかけか不明だったが、給湯室で麻美とよく会うようになった。お互い元平成女子ということでシール交換なんかも始め、ゆるく仲良くなってしまった時だった。


 突然、麻美の口からお礼を言われた。


「え? 何でお礼?」


 持っていたシール帳とマグボトル 、落ちしそうになった。


「実はさぁ、親の介護で休んだり、早退することになりそうでねぇ」

「あぁ……」

「歳だね。私も。もう介護する側かぁって」


 麻美も最初、介護のため、休暇を取るのは勇気がいったそう。しかし私も息子の事情でよく休んでいるのを見たら、気持ちが楽になったという。


「え、それだけ?」

「うん。休んでもいいのかなって思えた。サボりと休みは違うんだね。だからありがとう」


 まさか麻美からお礼を言われるなんて。自分はそんなつもりはなかったが、麻美が目尻に皺を作り、いつも通りに笑っていた。


 その日、ロールパンを買って帰った。トースターで焼く時、以前、麻美のアドバイス通りにやってみる。


「ふわふわの方を下にひっくり返して……」


 綺麗に焼けた。まったくけ焦げてもいないし、黒くもなっていない。バターのいい匂いも漂い、息子と一緒に食べてしまう。


「休んで良かったのかな……? うん、やむおえない事情だったら仕方ない」


 ロールパン、ふわふわでおいしいせいか、つい口元もゆるむ。


 今までは休むことに罪責感もあったが、今は価値観がひっくり返ったみたい。麻美の笑顔を思い出し、もう一回ロールパンを齧っていた。

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