護衛の距離
ヴァイスの左側を歩く時、レインは剣を抜いた後の距離を考えた。
足を踏み込み、男が振り向く前に届く。道の幅も、荷車の影も邪魔にはならない。考えるのをやめようとしても、男が近づくたびに同じ距離を測ってしまった。
「今日は、もう少し進めそうですね」
ヴァイスが晴れた空を見上げた。返事を求められていると気づき、レインは前方を指した。
「セラが道を確かめている」
「あの方は手際がいい。頼もしい限りです」
男の目は、先に歩く鬼人の背へ向いていた。レインはそれを横から見て、左の手袋を引いた。包帯の端が袖から出ていた。
出発の前、ヴァイスはリゼへ自分の荷の控えを渡していた。現金箱と買い切りの布、それ以外の委託荷が、別々の欄に記されている。
「私の荷で余計な積み替えが要るなら、手間賃は別に出します。商会からの基本料とは分けてください」
リゼはその場で書き留め、支払う者と条件を読み返した。ヴァイスは頷いたが、現金箱の置き場所を確認する時だけ、自分でも荷台へ上がっていた。
荷はよく動いた。見た目より小さな箱にも重さがあり、揺れを受けると縄が少しずつ緩んでいく。休むたびに結び目を確かめるのは、レインの仕事でもあった。
道が細い水路を越える所で、先頭の車輪が縁石へ落ちた。御者が馬を止めたが、後ろの車もつかえて動けなくなった。
セラが前へ出て、オットーに馬を落ち着かせるよう指示した。車輪を上げるため、荷を少し降ろすことになる。レインもヴァイスの傍を離れ、薄い頬の荷夫と木箱を運んだ。
「そっちは下が低い」
声を掛けた時、箱の底が荷台の縁へ滑った。荷夫が掴み直そうとして、指を板との間へ挟んだ。
箱が傾く。レインは肩を差し込み、下へ落ちるのを止めようとしたが、反対側が先に持ち上がった。
ヴァイスが荷夫を押し退け、自分の肩で角を受けていた。
男の顔が歪み、膝が曲がる。レインは箱を持ち上げ、そばの団員へ支えを頼んだ。車の下から荷夫を出し、2人で荷を地面へ下ろした時には、ヴァイスの肩へ濃い皺が寄っていた。
「触らせてください」
ニナが彼の袖を引き、すぐに荷夫の指へも目を向けた。
「先にそちらを。私は打っただけです」
ヴァイスは腕を回そうとして、途中で顔をしかめた。レインはその動きを見た。あの重さを角で受ければ、もっとひどく傷むはずだった。
「何をした」
尋ねると、ヴァイスが彼へ目を戻した。
「衝撃分散です。衝撃を、身体や身につけたものへ広く逃がします。痛くなくなるわけではないですが」
男は苦笑して肩を押さえた。ニナが、後で腫れを診ると告げる。
荷夫は指を曲げようとして息を止めた。ニナが動かさず待つよう言い、洗うための水を出させた。レインは水袋を差し出し、男の肘を支えた。
傷口へ当てたニナの指に、淡い光が集まった。血の滲み方が遅くなったが、腫れた指の形は変わらなかった。荷夫が安心したように肩を落とすと、彼女はまだ終わっていないと静かに言った。
「血を抑えただけです。手を使わずに済むよう、紐の位置を変えましょう」
男の袖を結び、肘が下がらないよう支える間、ニナの額へ汗が浮いた。レインは空いた鞄を引き寄せ、彼女が探していた包みを差し出した。手を使う仕事を外されると分かった荷夫は、別の荷車で休むよう言われても、そちらを見なかった。
「どうなる」
ヴァイスが荷夫の指を覗き込んだ。
「骨の具合を確かめます。しばらく荷は持たせないでください」
ニナの返事に、男は懐から硬貨を出した。
「薬を買い足す分です。働かせられなくても、この方の取り分を減らさないように」
荷夫は礼を言った。膝についた泥を払おうとして痛み、代わりに頭を下げた。ヴァイスはその肩へ手を置き、無理に動かすなと念を押した。
「歩ける間は、道を見ます。荷の数を数えるくらいは」
荷夫が言うと、バルドは腰を屈めた。
「頼む。だが、手が要る時は声を出せ。隠して倒れられる方が困る」
男は頷き、ようやく用意された荷台へ腰を下ろした。ヴァイスもその足元から尖った木片を除け、座り直せる場所を空けた。レインは手伝おうとしていた腕を止め、代わりに車輪の下の棒を拾った。誰も命じなかったのに、その男が先に手を伸ばしたのを見ていた。
レインは水袋の口を閉じた。栓が斜めに入り、指を掛け直すまで気づかなかった。
車輪を上げる作業は、荷夫を外して続けられた。レインが棒の端へ体重を掛け、オットーが車の動く方を確かめる。バルドの声で押すと、車輪がゆっくり道へ戻った。
職人の男が割れた木の縁へ当て木を寄せ、御者が縄を締めた。乗っていた家族も降り、道具を渡す手が増えた。レインは棒を抜く前に全員へ目を向け、今度は声を掛けてから力を緩めた。
荷を積み直す時、ヴァイスは委託品の数を確かめた後、自分の箱の紐を調べた。蓋の留めに触れ、封を見てから布を掛ける。その指の動きを、レインは覚えようともせずに覚えた。
「右へ寄せてくれ」
ヴァイスが言った。
レインは箱の角を押し、男の望む位置へ動かした。手を伸ばせば、身体にも届いた。箱を支えていた時には、その腕を掴むこともできた。
あの手が誰かを助けたことを、見なかったことにはできない。だからといって、母の手首から靴が離れるわけでもなかった。
彼は縄を結び、車から下りた。
遅い昼の休みに、荷夫が片手で椀を持ちにくそうにしていた。レインは腰を下ろせる石を運び、椀を置く板を渡した。男は痛む指を腹へ寄せ、残る手でパンを割った。
「あの人も、軍で怪我をしたことがあるのかね」
荷夫がヴァイスの方を見ながら呟いた。
レインは顔を上げた。男はパンを汁へ浸し、それ以上は話さなかった。
食事の後、バルドはレインを呼び、翌日の見張りと同行者の並びを確かめた。荷夫が歩きにくければ荷台へ乗せ、家族連れの休みも考えて道を選ぶという。
「荷主から確認の返事を受け取ることもある。聞いたらリゼへ回せ。口で変わった条件は、そのままにするな」
レインは頷いた。
話さなければならない相手だった。近くへ立ち、必要なことを尋ね、返事を受け取ることまでが仕事に含まれていた。
承認を求めれば、その次に交わす言葉が何をするか、もう知っている。いま指輪へ向けて名を告げることは、できなかった。まだ知りたいことがあり、男の持つ書類が人をどこへ運ぶのかも確かめていなかった。
右手が熱くなった気がしても、レインはそちらを見なかった。
夕方、宿場へ入ると、ヴァイスへ手紙が届けられた。封を受け取った男は、拭いた手で端を開き、窓際へ座った。レインは外で荷車を見ていたが、開いた窓からバルドの声が聞こえた。
「ご家族からですか」
「ええ。息子の先のことで、また意見が食い違いまして」
ヴァイスは紙の同じ所へ目を戻した。
「自分で決めたい年頃なのは分かるんですが、遠くへ行くと書かれると、つい先に心配が来ます」
「親は、そうなるものです」
バルドが答えた後、しばらく音がなかった。レインは窓を見ずに箱の数を確かめた。バルドが家族を失ったことを、男は知っているのだろうかと思ったが、確かめに入る気にはなれなかった。そしてあの時のことを。身体が震えた。
夕食へ戻る途中、ヴァイスとすれ違った。男はレインの左腕へ目を向け、傷は大丈夫かと尋ねた。
「問題ない」
「そうですか。昼は助かりました」
軽く下げられた頭へ、何を返せばいいのか分からなかった。レインは道を空け、相手が通り過ぎるのを待った。
部屋へ戻って手袋を外すと、指輪の刻みが指の脇へ当たった。彼は輪を親指で回したが、外さなかった。ただ今は傭兵団に迷惑をかけない方法を考えている。




