直せるもの
翌朝、レインが階段を下りると、直した戸の前で大きな男が靴の泥を落としていた。
昨日、堂から戻って締め直した蝶番は、床を擦らずに回っていた。
焦げ茶の短髪に白髪が混じり、伸びかけた髭の下へ疲れの残る笑みが浮かんでいる。擦れた外套の肩には雨染みがあり、厚い胴の下で腹が少し張っていた。バルドは戸を開閉してから、レインへ顔を向けた。
「引っ掛からなくなったな」
「蝶番が緩んでた」
「俺の部屋の棚も、そのうち頼む」
後ろから帳面を抱えた女が入ってきた。顎の下で揃えた濃茶の髪を片側だけ留め、青緑の目で男の背を見上げている。紺と生成りの服は旅用に袖を絞り、腰の革鞄には書類筒が差してあった。
「そのうちじゃなくて、荷物を増やさないでください。棚に鎧まで載せたら落ちます」
リゼがそう言うと、バルドは肩をすくめ、奥の卓へ向かった。
卓には道の略図と荷の控えが並んでいた。細い顎に丸眼鏡を掛けた商会の代理人が、灰狼の印を受け取る場所を指している。レインは空いた椅子を運び、呼ばれた団員が座れるよう並べた。
「ルーゼの同盟側受入所までです。職人の世帯と荷夫が同行します。王国へ入る許可は、先方の担当で手配します」
「こちらが請けるのは、そこまでの護送だな」
バルドが確かめると、代理人は頷いた。
荷の扱いと現場の検収を任された者が、リード宿場で合流するという。前金と残金の支払い先をリゼが読み返し、同じ項目へ別の紙を重ねた。
「道が変わって日数が増えた場合は、ここへ記録します。現場の口約束だけで、商会の基本料が増えるわけではありませんね」
代理人は眼鏡を押し上げ、余白に書き足した。リゼはその部分を指で確かめ、双方が見た原本へ印を置いた。淡い光が指先に沿って走り、紙へ沈んだ。
レインが見ていると、彼女は控えを束ねながら言った。
「後で違う文になっていないかを確かめるの。書いた内容が正しいかまで、教えてくれるわけじゃない」
バルドは立ち上がり、団員へ担当を告げた。護送へ出る灰狼は12人で、残る者には市内の警備と別の仕事がある。全員が同じ道へ出られるわけではなかった。
代理人が帰った後、リゼは前金の袋を開き、使い道ごとに硬貨を分けた。飼料の分が卓の奥へ、宿と関門の手続きの分が手前へ置かれる。バルドがその端から数枚を取りかけると、彼女は指で止めた。
「それは帰りの予備です。行きで全部使わないで」
「車輪を替えることになったら足りるか」
「足りなくなった時に、すぐ団へ送金を頼める距離じゃありません」
バルドは硬貨を戻した。レインが空の袋を集めると、リゼは別に小さく結んだ袋を渡し、市内に残る団員へ届けるよう頼んだ。旅へ出る者の金と、帰らない者の家へ回す金は、同じ卓で分けられていた。
届け先の名を確かめ、レインは紐の結び目をもう少し締めた。自分の荷だけを揃えれば出られる頃は、すでに終わっていた。
レインは近接の護衛を受け持ち、ヴィーラと交代で荷主と同行者の周囲を見る。セラは移動と戦闘の配置を組み、リゼは契約と通行の書類を持つ。
「ニナ、薬は足りるか」
バルドの問いに、処置鞄を開いていた女が顔を上げた。
灰桃色の髪を後ろでまとめ、額の両側には小さな灰色の角がある。淡紫の瞳が薬包の列を辿り、荒れた細い手が残りを数えた。
「傷の処置はできます。熱を出す人が増えると、買い足しが必要です」
ニナは言い終えると、レインの左腕へ視線を移した。
「出る前に、その布も替えましょう」
レインは断りかけたが、処置鞄の横へ椅子を置かれ、腰を下ろした。彼女は傷の縁を確かめて薬を塗り、布が擦れない向きへ巻き直した。冷たい薬に腕が動くと、少し待ってから続きをした。
馬と荷車の準備は、オットーが引き受けていた。灰褐色の髪から山羊の耳と小さな角が覗き、茶色の目の瞳孔が横に細く伸びている。厚い前掛けに飼料の粉をつけた彼は、バルドへ草の束を見せて説明を始めた。
レインは布を留めてもらい、空いた水の桶を片づけた。ニナはその背へ、汚したらすぐ洗うよう声を掛けた。
「荷車が止まっても、傷を洗う時間くらいは取れますから」
「急いでいる時もある」
「後で腫れたら、もっと止まります」
ニナは責める調子を変えず、使った布を別の容器へ入れた。レインが返事をしないでいると、彼女は包帯をもう少し渡し、鞄のどこへ入れるかまで確かめた。
「堂はどうだった」
荷をまとめ始めたバルドが、何気ない調子で尋ねた。
レインは右手の指を曲げた。手袋の下で指輪の縁が触れたが、卓には誰の名も浮かんでいない。
「まだ、使い方が分からない」
「そうか。実務で使えるようなら教えてくれ。分からんまま無理をするな」
バルドは荷の控えへ戻った。レインもそれ以上話さず、取り替える留め具を持って工房へ向かった。
継鉄工房では、槌の音が入口まで響いていた。煤色の髪と銀の混じる髭を持つ小柄なドワーフが、炉の脇で金具を見ている。ゲンベルは太い眉を上げ、レインの剣と帯へ順に目を向けた。
「早いな。腹には入れたか」
「食べた」
「なら、向こうでリオの相手をしろ」
作業台の陰から、癖のある黒髪が飛び出した。伸び盛りの細い腕に袖を折り、茶色の目を輝かせた少年が、布の上へ金具を並べる。
「今度は外れないようにした。曲げる所も直したし」
14歳のリオは、説明しながら指の浅い傷を擦った。レインが受け取って眺めると、言葉を止めて返事を待った。
レインは金具を帯へつけ、外套を羽織った。屈んで起き、剣を抜く動きを試すと、布の端が留め具へ引っ掛かった。
「ここに当たる」
リオは口を結び、すぐに小さなやすりを取った。
「削る。ここだけなら、すぐできる」
「掛かる向きを見てからだ」
レインが布を寄せると、リオも顔を近づけた。力を掛ける場所を変えながら試すうち、昔の木剣の柄が掌へ戻ってきた。
兄が切り出してくれた木剣を、レインは石へ打ちつけて割ったことがあった。父のダリオは、栗色の短髪に木粉をつけたまま、折れ目へ太い指を当てた。親指の付け根には工具で切った古い傷があり、レインは叱られている間、その傷を見ていた。
「また石を叩いたな」
「叩いてない」
灰榛色の目が、木剣からこちらへ向いた。父は何も言わず、レインが俯くまで待った。
夕方、返された柄には新しい木がはめられていた。父はそれを渡すと、納期の遅れた荷車へ戻っていった。
「捨てると思った」
「直せるうちは、捨てるな」
礼を言おうとした時には、父の背中はもう作業台へ向いていた。
木剣を振ってみると、直した部分だけ掌へ新しく当たった。前と違うと文句を言うと、父は使っていれば馴染むと答えた。レインはその晩も柄を握り、寝台へ置く時には、割れる前より丁寧に壁へ立て掛けた。翌朝、その向きが倒れない方へ直されていたのを見たが、父には何も聞かなかった。
「これなら、どうだろう」
リオの声で、レインは指を開いた。削り直した金具へ外套を掛け、同じ動きを試す。今度は布が滑って抜けた。
「いい」
「ほんとに」
「まだ、屈んだ時も試す」
少年は頷き、今度は彼の膝と外套を交互に見た。奥で槌を振るゲンベルは何も言わなかったが、レインが顔を向けると、わずかに顎を引いた。
代金の控えを受け取って外へ出る頃には、工房の向かいへ荷車が集まっていた。オットーが馬の口を見て、縄の長さを変えている。レインは新しい留め具へ外套を通し、荷台の箱を押し込むのを手伝った。
「帰ってから、どうだったか聞かせてくれよ」
入口からリオが声を掛けた。
レインは振り返り、使って戻すと答えた。少年が笑って工房へ駆け込むのを見届け、肩に掛けた荷の重さを持ち直した。父から返された木剣の重さは、もう正確には思い出せなかった。




