帰還の報告
ベルカの門を通った時には、車輪にこびりついていた泥の表面が白く乾き始めていた。
レインは荷車の後ろを歩き、門の陰へ座った少年と目が合うと、小さく顎を引いた。母親が立ち上がって荷台の布を畳み、少年も慌ててその端を持った。荷を受け取る倉庫までは、もう川沿いを進むだけだった。
河岸には船から下ろす袋と、積み込む樽が並んでいる。車輪の音へ荷役の声が重なり、焼いたパンの匂いが通りへ流れていた。昨日まで道で聞いていた馬の息遣いも、その中に紛れると遠く感じられた。
母親は倉庫の前で袋の印を確かめ、村の共同出荷の控えを、革前掛けをつけた係の男へ渡した。少年が運ぼうとした小さな包みには、自分たちの着替えが入っているらしい。レインが荷台から下ろすと、母親は礼を言い、今度は自分の手で受け取った。少年は彼の腕を見たが、傷については何も尋ねなかった。
倉庫で荷数を確かめ、受領の印を受け取ってから、セラは荷主と片耳の欠けた護衛を伴って斡旋所へ向かった。レインも拾った箱を鞄の奥で確かめ、その後に続いた。
南河岸斡旋所の窓口では、灰茶の短髪に白いものが混じる男が帳面を開いていた。木の杖を椅子へ立て掛け、暗い色の袖を机に擦らないよう持ち上げている。ヘルムは入ってきた人数を見てから、セラが差し出した紙へ目を落とした。
「荷は届いたか」
「全て渡した。御者の肩に傷がある。向こうの施療所へ連れていく」
セラは短剣の包みを机へ置き、臨時護衛が少年を掴んだ経緯を伝えた。男は口を挟みかけたが、荷主が自分も見たと告げると、腰の空いた帯を握った。
ヘルムは声を荒らげなかった。母子にも話を聞く必要があること、雇用の精算とは別に行為を確かめることを説明し、奥の席を指した。
ほどなく母子も黒髪の若い職員に伴われて入り、ヘルムは少年へ座る場所を示した。母親が先に話している間、少年は膝の上で指を組み、時折その指をほどいていた。護衛の男が口を挟むと、ヘルムは紙を押さえたまま、話す順番を待つよう告げた。誰の声が大きいかでは決まらないと分かり、レインはようやく男から視線を外した。
「レインも抜いたんだな」
茶色の目がこちらへ向いたので、レインは頷いた。
「短剣を持っていた。子を引き出そうとした」
「その時の位置を書け。何を見て、何を言ったかもだ」
渡された紙へ書き始めると、襟を掴まれた少年の首が浮かんだ。力が入った筆先に気づき、少し持ち直した。男の声を思い出す時には、帝国という言葉だけがほかよりはっきり残った。
ヘルムは書き終えた紙を受け取り、余白へ指を置いた。
「自分の怪我が抜けてる」
「浅い」
「浅い傷なら、浅いと書け。人数が揃っているのと、怪我人がいないのは違う」
左前腕と書き足す間、ヘルムは次の客を隣の窓口へ回した。セラと荷主が奥へ進み、護衛の男も職員に促されて席を移した。レインはその背を見送った後、小箱を取り出した。
「昨日、礼拝堂で拾った」
包みを解くと、ヘルムは箱を持ち上げず、まず場所を聞いた。街道の曲がりと崩れた屋根を説明し、窪みから落ちた状況を伝える。彼は紙へ記し、蓋を開いて中の指輪を確かめた。
「名前や印は見えたか」
「読めるものはなかった」
縁の細い線をヘルムも見たが、首を傾けるだけだった。レインは内側が温かかったと付け加えた。今は箱も指輪も同じ温度に感じられ、ヘルムは指を触れてから、申告の控えを渡した。
「持ち主の届けがないか、こちらで照会する。午後は水鐘堂へ行くんだったな。向こうでも見せて、扱いの分かる者がいれば聞いてこい。当面は箱のまま預かっておけ」
レインは頷き、控えとともに包み直した。勝手に持ち歩いたことにはならないはずだと思うと、昨夜から鞄の重さが気になっていた理由が少し分かった。
席を立とうとしたところで、ヘルムが別の細い紙束を引き出した。
「頼まれていた所在照会だが、まだ確かな返事はない」
レインは差し出された紙を見た。古い部隊の配置と、その後の移動について尋ねたものだった。軍を離れた者の行き先は記録が途切れ、同じ名前が別の土地にもあるという返答が続いていた。
「名前だけじゃ決められん。お前もそう言っていただろう」
「分かってる」
紙を折り直す指は、思っていたより動いた。何も見つからなかったという返事には慣れていた。慣れたことまで認めたくはなくて、レインは折り目を強く押さえ、鞄へしまった。
ヘルムはそれ以上聞かず、午後の堂へ間に合うよう戻れと言った。窓口を出ると、朝の湿った風が左腕の布を冷やした。
葦灯館へ戻った頃には、セラから先に連絡が入っていたらしい。台所の前を通ると、鍋をかき混ぜていた女が、こちらを見て眉を上げた。
砂茶色の巻き髪から小さく丸い角が覗き、前掛けの下の腕には、重い桶を持ち慣れた太さがあった。緑褐色の目が、レインの顔から袖へ下りる。
「荷は下に置いておいで。食べる前に着替えな」
ナディアはそれだけ言うと、鍋へ目を戻した。レインが階段を上がる間も、腰の鍵束が台所で鳴っていた。
部屋へ入り、濡れた外套を脱ぐと、戸が2度鳴った。
「入るよ」
「ああ」
返事を待ってからナディアが入り、湯の入った桶と清潔な上着を置いた。部屋には細い寝台と机があり、窓際には彼が前に直した棚が残っている。荷をそこへ戻すと、足元からようやく旅の泥が離れた気がした。
「布は洗っておく。血のついた方は別に出して」
彼女は濡れた寝具を畳み、掌で上から撫でた。布の湿りが端へ寄り、窓から入る風へ薄く散った。レインがその手元を見ていると、ナディアは顔を上げた。
「それを眺めてても、服は脱げないよ」
レインは上着の紐を解いた。彼女は水を替えに出ていき、着替え終わる頃に食事を運んできた。
皿には煮た根菜と卵があり、パンは厚く切られていた。レインが数を見たのを、ナディアは見逃さなかった。
「誰かに回す前に、自分のを食べな」
「多い」
「昨日、何を食べた」
「豆と干し肉」
「なら多くない」
返す言葉を探すより先に、腹が鳴った。ナディアが鼻から短く息を漏らしたので、レインは椅子を引いて座った。
食べ終わると、彼女は空いた皿を確かめ、入口の方を指した。
「下の戸がまた床を擦る。堂から戻ったら見ておくれ」
レインは頷いた。仕事は終わっていない方が、部屋へ戻りやすかった。何も頼まれなくなった時のことは、あまり考えたくなかった。
ナディアが出ていった後、レインは桶で手を洗い、左腕の布を替えた。傷口は細く閉じ始めていたが、押すとまだ痛んだ。夜の冷えを思い出し、次は早く洗おうと思ったものの、その約束を誰にも言う気にはなれなかった。
机の上で、小箱の蓋を開いた。昼の光を受けた指輪は、黒ずんだ縁に少し銀色を残すだけで、昨夜の温かさを証明するものはなかった。
隣へ置いた照会の紙には、同じ名を持つ者が2人いると書かれていた。どちらも顔を見なければ分からない。紙の上では、あの日の声も、指についた血も、似た綴りの名前へ薄まってしまう。
レインは紙をしまい、指輪を箱に戻した。
水鐘堂へ持っていく控えを確かめ、洗った髪を指で整えると、左頬の皮膚が引かれた。傷に触れた指を下ろし、手袋を鞄へ入れた。午後の鐘が鳴る前に出れば、途中で慌てずに済む。
階段の下では、ナディアが別の客へ食事を渡していた。彼女はレインの姿を見て、戸を指し、戻ったら忘れるなという顔をした。
「覚えてる」
そう答えると、彼女は頷いて通路を空けた。
外へ出たレインは、鳴り始めた鐘の方へ歩いた。鞄の箱は軽かったが、照会の紙よりも、その存在をはっきり感じていた。




