File04:篁霙一
食べ終わった皿が下げられ、テーブルには日本酒だけが残った。
「旨かったか?」
「ええ、本当に。食事でこんなに感動するのは初めてです」
「フッ、ようやく笑ったか。しかめっ面ばかりしてたら暗くなるばかりだ。時には自分が心から感動できるものに夢中になることも必要だ。飯でも、読書でも、音楽でも、なんでもいい。自分の心の拠り所を作っておけ。いざって時にそれがきっとお前さんの支えになる」
「はい、ありがとうございます」
親っさんが杯を煽ってトンとテーブルに置くと
表情に少しずつ影が降りる。
「…お前さんに話したいことがあると言ったな」
「はい」
居住まいを正して親っさんの言葉を待つ。
「儂はお前さんよりずっと長い時を生きてきた。肉体を棄ててから永遠に近い長い時間をだ。その中で得るものも失うものもあった。特に堪えたのは妻の自殺だったな…」
「…」
「妻は長い時を生きることに絶望したんだ。
妻が亡くなった時はまだ脳を再利用する技術がまだ整っていなくてな。幸い脳は無事だった。しばらくして技術が完成したとき、世界は希望に満ち溢れていた。永遠に近い命。大切な人間を失うことも殆どなくなる。人間は自分に都合の良いことを優先しがちだ。それに誰よりも絶望した人間がいるなんて毛ほども気にしちゃいねぇ。希望ってものに初めて憎悪を抱いちまった。何も出来ず妻を救えなかった自分を許せずにいたよ。妻の後を追う勇気もなくて自暴自棄になっていたんだ。あの日のお前さんのように」
親っさんは真っ直ぐに俺を見つめた。
「……愁染、この世界に永遠などない。
人間は生き延びるため全ての生き物たちの頂点に立ち、自分たちの都合の良いように地球すら塗り替えた。そして人間は死すらなくそうとしている。神になろうとしている。死という何者も権力すら届かない終焉をなくそうとしている。だが始まりがあれば終わりがあるように、人間という種もいつかは滅ぶだろう。地球も太陽も月も星もいつかはきっと。儂もお前さんもそのうちの一つだ。まぁ…要するに儂にも終わりが近づいているということだ。」
「え…」
親っさんの一言に凍りつく。聞き間違いであってほしい。冗談だと笑い飛ばしてほしい。
「あの、どういうことです…?まさかハッキングされたとか、脳に何か異常でも?……だとしたらここにいる場合じゃありません!すぐに医者にー」
「愁染、聞くんだ」
これ迄にないほどの親としての圧力が部屋を満たす。
「儂はもう長くはない。身体を何度か変えてきた影響か自分の記憶も心も曖昧だ。
…お前さんは奥さんを殺された復讐心で動いている。失った悲しみを、奪われた怒りを原動力に。だが今のお前さんにはそれだけじゃなく、悠仁や儂を家族のように大切に思ってくれている優しさが、本物の料理を味わったときの喜びがある。お前さんの中に確固としての魂がある証拠だ。これが愁染という人間であると証明する何者にも替えがたい大事なものだ。それを何があっても世界が誰かが何と言おうと忘れるな」
親っさんの言葉が一つ一つ俺に刻み込まれていく。
すると親っさんは自分と俺の杯に日本酒を注いだ。杯を掲げたの見てそれに俺も倣う。
「この夜が恐らく儂がお前さんと二人きりで話せる最後だ。お前さんと悠仁に幸あれ」
杯が静かに当たる音が部屋に響く。
日本酒を一気に煽る。
背中を追ってきた親っさんの言葉を、今日の夜のことを絶対に忘れないと誓った。
このとき既に崩壊の足音が静かに近づいているのを俺はまだ知る由もなかった。




