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第二章:かの地へ手招く、京の都

ご愛読ありがとうございます!

いよいよ物語は「京都編」へと突入します。

少しでも京の都の雰囲気を味わい下さい!

それでは、生者と死者の境界が曖昧な古都の旅へ――いってらっしゃいませ!

東京駅の新幹線ホーム。都会の喧騒けんそうが嘘のように、ここにはこれから遠出をしようとする人々の高揚感が満ちている。


私はといえば、まさに「るんるん♪」という言葉がぴったりの気分で、手には京都ガイドブックをしっかりと抱え、バッグの中には年季の入った霊刀とモノクル(片眼鏡)、そして最近医学会で発表されたばかりの最新解剖学の資料を詰め込んでいる。


(最新の解剖学の資料はいらないでしょ? と小夜ちゃんに呆れられたけれど、寝る前にどうしても読みたい! という私の抑えきれない欲求で、こっそりと旅行バッグに忍ばせてきたのだ)。


これから行く先は京の都。


心躍らないはずがない!私の表情は、まさに今から楽しい旅行に出かける人そのものだった。


一方、私の隣に立つ佐伯君は、どこぞの武道派の師範ぽく背筋をピンと伸ばし、どこかムッとした表情で前を見つめていた。(ちなみに佐伯君は私と同じで視える人である)


私の弾むような浮足立っている様子が、どうやらこの堅物の神経に障っているらしい……。


いや、そもそも今の機嫌の悪さは、私の浮かれた様子だけが原因ではないかもしれない。


 思い返せば、今回の依頼を伝えた時の佐伯君の反応は、いつにも増して激しかった。


『何、勝手に依頼を受けているんですか!? 受ける前に相談すべきでしょう!!?』


普段は冷静沈着な彼が、珍しく声を荒げてキレ気味に問い詰めてきたのだ。


普段なら私の無茶振りにも溜息をつきつつ付き合ってくれる彼が、ここまで頑なになるには、京都という土地柄か、それとも彼にとって「因縁」という相手がいるのかも……。


(はっ!? もしかして、元カノだったりして……?)


私の頭の中では、すでにドラマチックな修羅場の妄想が膨らみかけていた。


そんな私の様子を察したのか、隣に立つ佐伯君が、背後から突き刺すような低い声で釘を刺す。


「……詩樹さん。これは遊びの遠征ではないのですよ」


その鋭い視線に、私は「わかってるってば!」と慌てて頭をかきながら苦笑いをした。


 その時、小夜ちゃんのポケットのスマホが震えた。画面には、今回の依頼主である古刹の住職の名が表示されている。


小夜ちゃんは「依頼主さんからです」と手際よく通話ボタンを押した。


「……はい、古都 逢坂屋です。はい、ええ、雪森に代わります」


小夜ちゃんからスマホを受け取り、私は一瞬で思考を現実に引き戻す。


「……はい、雪森です。……ええ、準備は整っております。……はい、承知いたしました。では、明日お伺いいたします」


簡潔にそう伝えて電話を切った瞬間、ホームの端から風が吹き抜け、重厚な金属音と共に、京都行きの新幹線が滑り込んできた。


 行き先を告げる電光掲示板が『のぞみ』の文字を光らせる。


「さて、佐伯君、小夜ちゃん。行こうか。京が私たちを呼んでるよ」


私は一足先に、開いたドアの向こうへと足を踏み出した。


新幹線のドアが閉まり、静寂に近い車内へ足を運んだ。指定された座席は、京都までの移動を快適に過ごせる三列席。


私が窓際、小夜ちゃんが真ん中、佐伯君が通路側だ。


荷物を網棚に載せ、私はふかふかのシートに身を預ける。


ようやく一息ついて、ふと隣の佐伯君を見ると、彼は先ほどまでのムッとした表情を維持したまま、すでに読みかけの書物を広げていた。


――チャンスだ。


私は密かに、ガイドブックを広げ見てるフリをして彼を観察した。


「ねぇ、佐伯君。今回の依頼先、本当に心当たりないの? 佐伯君って昔、京都にいたことあるでしょ?」


私の問いかけに、佐伯君はページから目を離さない。


「……詩樹さん。今は移動中です。静かにしてください」


「え〜、佐伯君の昔話を聞きたいな〜。ついでに京都の美味しいおばんざい屋さんのおすすめとか聞きたいし〜」


すると、真ん中に座っていた小夜ちゃんが、クスクスと肩を震わせて笑い出した。


「詩樹さん、さっきからずっと探りを入れてますね。佐伯さん、もう降参して教えてあげたらどうですか?」


佐伯君は観念したような口調で、「小夜さんまで、からかわないでください」とぼやく。


佐伯君が深く溜息をつき、書物を閉じたその時だった。車内販売のワゴンが通りかかり、ふわりと温かいコーヒーの香りが漂う。


彼がわずかに視線を動かした拍子に、読みかけていた書物の「とあるページ」が目に入った。


そこには、達筆な文字で『清涼殿せいりょうでん』と書かれた古い地図のようなものが描かれている。


「……佐伯君、その古びた地図ってなに?」


「……!」  


彼はハッとして、すぐに書物を鞄の中に押し込んだ。


その一瞬の動作――あまりに怪しかった。私は、面接の時に彼が口にした「貴女の後ろにいるのは式神ですか?」という言葉を思い出した。


好奇心を抑えきれず、私はさらなる探りを入れることにした。


「ねぇ佐伯君は、いつから視えるの?」


私の問いかけに、沈黙が漂う。佐伯君は頑なに口を閉ざしていた。


だが、気まずい空気を払拭するように、小夜ちゃんがさらりと切り出した。


「私は中1の時に、突然視えるようになったんですよ〜。佐伯さんは?」


小夜ちゃんの絶妙なアシストに、佐伯君は観念したように短く答えた。


「……幼い時です」


私は小夜ちゃんに「ナイス!」と目で視線を送る。


彼女もまた「でしょ!」と言わんばかりに、茶目っ気たっぷりの笑みをこぼした。


ふと、視線を窓の外に移すと、そこには真っ白な頂を輝かせた富士山が大きくそびえ立っていた。


「わあっ! 見て見て、佐伯君、小夜ちゃん! 富士山だよ、すごく綺麗!」


私は反射的に立ち上がりそうになって窓に顔を近づけた。先ほどまでの「佐伯君の過去」という重苦しい空気はどこへやら、私は完全に観光客気分で大はしゃぎだ。


「……詩樹さん、座ってください。他の乗客の人に迷惑がかかります」


「いいじゃない、こんな風景を見たら誰だってテンション上がるよ!」


私の様子に佐伯君は額を押さえて呆れ顔だが、その隣で小夜ちゃんが楽しそうに笑いながらタブレットを操作し始めた。


「詩樹さん、風景を楽しむのもいいんですが。それより、京都の宿泊先の最終確認をしておきましょうか。今回は古刹こさつの近くにある宿を選んでおきましたから」


小夜ちゃんがタブレットを私の前に差し出す。


画面には、京の町屋を改装した趣のある宿の画像が並んでいた。


「おぉ、いい雰囲気! でも、なぜ古刹の近くなの? 街中の方が観光できるじゃん」


私が少し不満げに尋ねると、小夜ちゃんは涼しい顔で、しかしどこか含みのある笑みを浮かべてこう答えた。


「……そこが今回一番の『仕事場』に近いからですよ。それに、夜中の急な呼び出しにも即座に対応できるように……ね?」


小夜ちゃんの言葉に、私は「小夜ちゃんて抜け目がないよね、感服だよ。でも古刹の近くはな……正直、避けたかったよ」と、思わず肩を落としてガッカリした表情を浮かべた。


 観光地としての華やかな京都を楽しみたい私の野望は、どうやら小夜ちゃんの「業務優先」の壁に阻まれてしまったらしい。


その時、再び車内販売のワゴンが通りかかった。佐伯君が溜息をつきつつ、三人分の温かいコーヒーを注文してくれた。


コーヒーの苦みが喉を通ると、少しだけ場の空気が「仕事」のそれに引き締まる。


私はカップを両手で包み込みながら、小夜ちゃんが持っていたタブレットに視線を移した。


佐伯君が、低く落ち着いた声で事の要点へと話を切り出した。


「……さて、気を取り直して。今回の依頼主、あの古刹の住職について整理しようか」


私はコーヒーを一口飲み、頭の中を整理する。


「今回の住職、名前は雲水うんすいさんだったっけ。依頼の内容は『顔馴染みの知り合いが体調不良を訴え病院にも行ったけど特に身体問題はなく至って健康、病院を変えても結果はどこも同じで良好。そこで顔馴染みの住職に相談したところ、肩に妖がついていることがわかったが住職の力ではどうすることもできず依頼をした』……というものだったね」


「はい。それに、こちらの『古都 逢坂屋』の情報を、どこからか聞きつけてきたようで。他の寺院や地元の専門家には相談や依頼をせず、最初から『雪森氏に頼みたい』と強調していました」


小夜ちゃんが手際よく情報を補足する。


彼女の調べによると、その古刹は「とある筋から私の事を聞いた」という話だ。


 京都に知り合いもいなければ、縁ある人物もいない。そんな見ず知らずの私を、なぜ? 腑に落ちない依頼だったが、「なぜ私の名前を知っていたのか?」という点こそが、今回の依頼で最も知りたかった答えだ。だからこそ、私はこの依頼を引き受けたのだ。


すると、佐伯君がふと私の方を見て尋ねた。


「……詩樹さん。貴女の知り合いが、京都に移り住んでいるということはないのですか?」


 私はすかさず、「佐伯君、自慢ではないが私、友達がいないのだよ!」と、これ以上ないほどのドヤ顔を決め込んで見せた。


私のあまりの潔さに、佐伯君は呆れたように、「……ドヤ顔で自慢することではないと思いますが……」と一言だけ漏らす。


その隣で、小夜ちゃんが佐伯君の顔を覗き込みながら、小さく首を横に振った。


そして、私に聞こえないように、佐伯君に向かって「詩樹さんに言ってはダメ!」と口パクで注意を促す。


察しのいい佐伯君は、即座に「……失言でした。すみません」と謝り、手に持っていたコーヒーを一口飲んで視線を逸らした。


気まずい沈黙を遮るように、小夜ちゃんが少し咳払いをする。


「……今回の依頼内容は、さっきお話しした通りです。添付されていた写真、詩樹さんも佐伯さんも確認済みですね? お二人の見立てでは、妖がその人に受肉し始めているという結論で間違いありませんか?」


彼女の問いかけに、私は真剣な面持ちで頷いた。


「……ええ、間違いはないよ。あの写真に映り込んでいた影、ただの憑依じゃない。すでに肉体と同化しようとしていた」


佐伯君もまた、コーヒーカップを置いて静かに口を開く。


「……私も同意見です。詩樹さんの見立て通り、間違いはないでしょう」


それを聞いて、小夜ちゃんが安堵したように微笑む。


「では、最終確認も終えましたし、少し遅くなりますが京都に着いたら昼食をとりましょう。お二人とも、お腹は空いていませんか?」


彼女がそう気を配ってくれたその時、車内に柔らかなチャイムが響き、「まもなく京都、京都に到着です」というアナウンスが流れた。


「もう京都に着くのか! あっという間だね。……小夜ちゃん、お昼楽しみ!」


私は弾むような足取りでシートから立ち上がり、キラキラとした期待の視線を佐伯君に向けた。


私のその無邪気な視線に、佐伯君はまたしても呆れたように、しかし隠しきれない優しさを滲ませて答える。


「……わかっていますよ。京都で美味しいおばんざい屋さん、ですよね。確か老舗のところがまだ残っていたはずです。そこにしましょう」


呆れつつも、結局は私のわがままに付き合ってくれる。そんな彼の一面を知っているからこそ、私はつい甘えてしまうのだ。


京都駅に着き、降車口へと向かう間、佐伯君の足取りがわずかに重くみえた。


彼は視線を足元に少し落としていた。


私は少しでも彼に普段通りでいてほしいという思いから、わざと肩を叩いてふざけて言ってみた。


「はっはん! もしや、どこかで元カノと出くわすかも、なんて心配してるんじゃない?」


私の軽口に、彼は顔色ひとつ変えず、しかし意外にも真面目な声でこう返した。


「……そうかもですね」


そう一言だけ残し、彼はそのまま新幹線からホームへと降り立ってしまう。


予想外の真剣な反応に、私は「えっ……」と完全に調子を狂わされて、呆気にとられたまま立ち尽くした。


先を歩く小夜ちゃんが、そんな私を振り返って苦笑して「早く降りますよ」と言った。私は慌てて彼女の後を追い、ついに京の都、京都に私たちは降り立った。


ホームから改札へ向かう人波は、東京のそれとはまるで性質が違う。


ビジネスマンの急ぎ足によるせわしない渦ではなく、何百年もの時間を積み重ねた独特の雰囲気があった。


どこか重厚で、それでいて何かと足元にまとわりつく湿った「何か」の気配。


「うわっ……すごいね、ここ」


私は思わず人混みの濃さに圧倒され、小さく声を上げた。


周囲を埋め尽くす観光客の熱気と、その下に流れる底知れぬ静寂。


京都という街が持つ、生者と死者の境界が曖昧な特有の空気に、背筋がゾクリと震える。


◆◆◆


一方佐伯は、詩樹さんの驚きを背中で聞きながら、改札口へと向かうこの数メートルが、なぜか果てしなく長く感じられる。


この街の空気は、私の忘れたいはずの記憶を強制的に呼び起こす。


さきほど詩樹さんに放った「そうかもですね」という言葉が、自分の口の中で苦く感じる。


小夜さんに口パクで制されたあの瞬間、視界に映った詩樹さんの屈託のない笑顔が、妙に痛々しく胸を刺した。


かつての私は、この街を出たくてたまらなかった。


特に家のことになると吐き気を覚えるほど、たまらなく嫌だったのだ。


毎回相談もなしに依頼を勝手に受けては道連れにされる。今回もそうだ。


よりによって古刹の住職の依頼を受けて、私を嫌な気分にさせるなんて……。


「……佐伯君? どうしたの、早く行こうよ」


前方を歩く詩樹さんが、小首を傾げて僕を呼ぶ。


その屈託のない声が、凍りついた記憶の深層に一滴の波紋を広げた。


「……いえ、なんでもありません」


私は小さく息を吐き出し、再び感情を仮面の下に封じ込めた。


どうも嫌な予感がする……。


駅の出口を抜けると、京都市内の空気がより鮮明に肌を撫でた。


人の目に視えないほど細かい霧のようなものが街を覆っている。


詩樹さんはと言えば、そんなことは露知らず、古都の風情に目を輝かせている。


彼女の視線の先には、修学旅行生や観光客で溢れかえっていた。


ふと、私は気になっていたことを尋ねた。


「今回の移動手段ですが、電車かバスにしますか? この時期の京都は混雑が激しいですが」


すると、小夜さんがタブレットを操作しながら、頼もしい笑顔で切り出した。


「いえ、移動は車です! 効率を考えてレンタカーを予約しておきました。……ひとまず車を借りてから、その足で佐伯さんのおすすめのおばんざい屋さんにいきましょうか!」


◆◆◆


『おばんざい』というキーワードに、私の耳がピクッと反応した。


「レンタカーか、それなら移動が楽だね! しかも美味しいご飯が待ってるなんて最高じゃん!」


私は小夜ちゃんが手にしているタブレットの地図を覗き込み、画面上のルートを確認した。


「ここなら歩いてすぐのところだと思うから、地元の佐伯君に、先頭お願いしよう!」


私が元気に声をかけると、「はいはい」と言わんばかりに佐伯君が先頭を歩き出した。


 大通りの喧騒の中、私たちはレンタカーの店舗へと足早に向かい、無事にチェックインを済ませ、荷物をトランクに詰め込み、運転席には当然のように佐伯君が収まる。


助手席にはナビゲーター役の小夜ちゃんが座り、私は後部座席で窓の外を流れる京都の街並みを眺めていた。


程なくして、佐伯君が前を見据えたまま言った。


「そろそろ目的地の場所に着きます」


そう言った直後、視界に入ったパーキングの看板を見て、彼が「げっ!」と短く声を漏らした。


 普段の彼からは想像もつかないような単語に、私の好奇心がムクムクと湧き上がる。


私は後部座席から身を乗り出し、笑顔で尋ねた。


「なになに? どうしたの?」


佐伯君は眉間にしわを寄せ、苦々しい表情で看板を指差した。


「見てください、パーキング代が30分1,500円なんて高すぎます!」  


あまりに世俗的で意外な言葉に、私は思わずニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてしまった。


「へ〜、佐伯君でもそんな言葉が出るんだね。驚きだよ」


すると、助手席の小夜ちゃんも看板を確認し、困ったように眉を下げた。


「確かに30分1,500円は高いですね……。他に止められそうなところを探しますね!」  


小夜ちゃんは手際よくタブレットを取り出し、周辺検索を開始する。

数秒後、彼女が画面を見つめたまま声を上げた。


「この周辺で、安くて1,200円のところを見つけましたよ」  


それを聞いた佐伯君は、ハンドルを握り直して鋭く問い返す。


「それは30分ですか? それとも1時間ですか?」


小夜ちゃんが申し訳なさそうに答える。


「……30分です」  


佐伯君は深い溜息をついた。


「30分で1,200円……。1,500円よりはマシですね。そこのパーキングに止めましょう」


彼は渋々といった様子で車を走らせ、指定された駐車場へと移動を開始した。


無事に車を止め、私たちは目的の「おばんざい屋さん」へと徒歩で向かう。


整然と並ぶ町屋の風情を楽しみつつも、私の頭の片隅には、先ほど見た駐車料金の数字がこびりついていた。


「ねえ、佐伯君。京都って、東京並み……か、それ以上に物価高くない? どこもこんなもんなの?」  

私の問いかけに、先頭を行く佐伯君は、前を見据えたまま静かに首を振った。


「いえ、以前はこんなに高くはなかったです。最近の観光客の増加に伴う異常な高騰でしょう……。地元民からすれば、嘆かわしい限りです」


「ふ~ん、やっぱりそういうものなんだ……」


私は、京都の「変化」に少しだけ複雑な思いを抱きながら、短く答えた。


すると、横を歩く小夜ちゃんが、タブレットの電卓アプリを素早く操作しながら、きっぱりと言い切った。


「詩樹さん、今回の駐車場代や諸経費は、きっちり報酬に上乗せして請求しないと割に合わないですね! 経費計算に入れておきます」


その言葉に、私は「おぉ……」と感心してしまった。


どんな時でも損得勘定を忘れず、こちらの不利益を防ごうとしてくれる。


(小夜ちゃんってば、やっぱり頼もしい事務員さんだなぁ……)  


私は、そんな彼女のプロフェッショナルな一面を再認識し、どこか誇らしい気持ちでその後ろ姿を眺めた。


やがて、大通りの喧騒から少し外れた小道に入りしばらく歩くと、その店はあった。


老舗としての貫禄を全身に纏ったような、重厚な店構え。


佐伯君は「ここです」と短く告げると、躊躇なくその暖簾をくぐった。


暖簾の先には、打ち水がされた石畳の小道が続いていた。


両脇には手入れの行き届いた竹垣と、しっとりと濡れた苔が美しい日本庭園風の空間が広がり、入り口の格子戸まで贅沢な静寂が満ちている。


私と小夜ちゃんは、その圧倒的な風情に思わず足を止め、圧倒されてしまった。


「ねえ、小夜ちゃん……ここ、もしかして……」


「……『高かったりするパターン』、ですかね……」  


私たちは顔を見合わせ、先ほどの駐車場代の衝撃も相まって、財布の心配が脳裏をよぎった。


すると、先を行っていた佐伯君が格子戸の手前で振り返り、怪訝そうな顔をした。


「入らないんですか?」


「「入ります!」」  


私たちは声を揃えて答え、慌てて彼を追って入り口まで歩いていった。


けれど、近づけば近づくほど格式の高さに気圧され、私は思わず佐伯君のジャケットの裾を指先でチョンチョンと引っ張った。


佐伯君が不思議そうに振り向く。


「どうしました?」


「……ねえ、ここ、もしかしてすごく高いの?」

 

私の切実な問いかけに、佐伯君はふっと口角をわずかに上げ、事もなげに告げた。


「安心してください。ここは見た目こそこうですが、庶民的なお値段ですよ」


その落ち着き払った態度、連れてこられた側を少し楽しんでいるような余裕のある眼差し。  


私はすかさず隣の小夜ちゃんに顔を向けた。


「ねえ小夜ちゃん! こいつ、今絶対私のこと馬鹿にしたよね!?」


「さぁ……どうでしょうね……」


小夜ちゃんは苦笑いを浮かべ、視線をふわふわと泳がせて答えを濁した。


格子戸を開けると、着物姿の中居さんが「おいでやす」と柔らかな京言葉で迎えてくれた。


そのまま奥へと案内されたのは、静かな離れの個室だった。


 部屋の大きな窓からは、先ほどよりもさらに見事な日本庭園が一望でき、池の鯉がゆったりと跳ねる音が聞こえてくる。


あまりの高級感に、私は座布団に腰を下ろしてからもどこか落ち着かない。


「ねえ……本当に大丈夫なの? もしお会計がとんでもないことになったら、言い出しっぺの佐伯君の奢りだからね!」  


私が釘を刺すと、横に座っていた小夜ちゃんも深く同調するように、コクコクと力強く頷いた。


私たちは示し合わせたように、テーブルに置かれたメニュー表をひっ掴む。


そして真っ先にお値段を確認した。


「……あ、本当だ。意外とリーズナブル」


「そうですね、これなら安心です……」  


ホッと胸を撫で下ろした私たちの様子を見て、対面に座る佐伯君が「クスッ」と短く、しかし確かに笑った。


私は逃さず彼を指差す。


「あっ! 今、また小馬鹿にした笑い方したよね!?」


「いえ……普段の、あらゆる怪異に物怖じしないお二人を知っているからこそ、今の必死な行動が新鮮で」  


佐伯君がさらりと流すと、小夜ちゃんがふふっと笑いながら、少し遠い目をして言った。


「確かに佐伯さんにしてみたら、そうかもしれませんね。佐伯さんがうちに来る前は、こういうのが私たちの『日常』でしたから」


その意味ありげな言葉に、私の心臓が跳ねた。


かつて二人で貧乏くじを引いては一喜一憂していた頃の「青い記憶」を掘り起こされそうで、私は慌てて話題を切り替える。


「ほら、注文しようよ! 私は……えーっと、この『おばんざいランチBセット』にしようかな!」


チラッと二人を伺うと、小夜ちゃんも佐伯君も、それぞれ自分好みのおばんざいランチを選び終えたようだった。


注文を終えた中居さんが部屋を去ると、再び静寂が訪れた。しかし、その静寂はどこか温かい。  


佐伯君は、お茶の入った湯呑みをゆっくりと回しながら、先ほど小夜ちゃんが口にした言葉を拾い上げた。


「……かつての日常、ですか。お二人は私が来る前から、ずいぶん多くの現場を共にされてきたのですね」


その言葉に、私は思わずドキッとした。


(私の黒歴史の数々を知られたくない!!)  


私は冷や汗をかきながら、平静を装って庭園を眺め、お茶をすすった。


どう話題を変えようか必死に模索していたが、そんな私の動揺をよそに、小夜ちゃんが懐かしそうに目を細めた。


「ええ。今のスクールを立ち上げたばかりの頃は、今以上に大変だったんですよ。生徒は集まらないし、少しでも集めようと必死になっていた詩樹さんが相談もなしに料金下げちゃって……大変なことになったり、さらには大赤字でスクールの運営が危うい事態になったりもしましたね。依頼の方も、当時はほとんどなかったですし」


「ちょ、ちょっと小夜ちゃん! 待って待って、そこまで言わなくても!」  


私が慌てふためいて止めに入るが、小夜ちゃんは止まらない。


淡々と、しかしどこか慈しむように言葉を続けた。


「おまけに詩樹さんは今よりもっと無鉄砲で、暴走しないように抑えるのに必死で……。赤字が続いた時は二人で安くてお腹に溜まるお店を必死に探したり、現場の帰り道に公園でコンビニ弁当を食べながら反省会をしたりと、色々とありましたね」


語り終えた小夜ちゃんは、「本当に懐かしいですね」と、どこか底冷えするような怖い笑みを浮かべながら私を見た。


その眼圧に、背筋が凍る思いがして、思わず小夜ちゃんに抱きついた。


「小夜ちゃん、そんな黒歴史を言わないで! 運営者としての威厳に関わるじゃん!」  


私が必死に泣きつくと、小夜ちゃんは間髪入れずに言葉を返した。


「詩樹さん、普段の行動からして、そもそも威厳なんてなくないですか?」


「……っ! 小夜ちゃん、酷い……」


グサリと心に突き刺さる正論に、私は「ううっ」と呻きながら、しょんぼりと小夜ちゃんから離れた。


そんな私たちのやり取りを、佐伯君は意外そうに、そしてどこか羨望の混じったような眼差しで見ていた。


「詩樹さん達にも、そんな大変な時期があったとは。どこか余裕があるというか、お二人からは想像もつきませんが……、その当時から今もお互いに信頼関係を築いているのですね」


そんな真面目な顔で分析されると、ますます居心地が悪い。


私は苦笑いを浮かべながら「ははっ」と笑って誤魔化した。


ちょうどその時、タイミングよく引き戸が開き、三枚の盆が運ばれてきた。


私のBセットは色鮮やかな季節の野菜が並び、小夜ちゃんと佐伯君の盆にも、それぞれ異なる小鉢が所狭しと並んでいる。


「わあ……! ちょっと待って、食べる前に!」  


私は慌ててスマホを取り出し、立ち上がって自分と二人の盆を、最高の角度で次々とカメラに収めた。


「よし、完璧!」


満足して席に座り直すと、小夜ちゃんが微笑みながら言った。


「詩樹さん、後でおばんざいの写真くださいね」


「もちろんだよ! 佐伯君も写真いる?」  


ついでに佐伯君にも聞いてみたが、彼は迷うことなく即答した。


「いらないです」


「えっ、旅の思い出だよ……? 残さないの?」  


私が思わず聞き返すと、彼は答える代わりに、整えられた箸をそっと手に取った。


見事なまでのスルーである。


(相変わらず、可愛げがない……)  


私は心の中で小さく毒づきながらも、背筋を伸ばし、両手を合わせて声を揃えた。


「「「いただきます!」」」


さて、目の前には数え切れないほどの小鉢。


「どれから食べようかな……。このお出汁が染みてそうな京茄子か、それともこっちの湯葉の田楽か……」  


私は箸を迷わせながら、幸せな悩みに没頭した。


その横で、小夜ちゃんも、佐伯君もまた、静かに箸を取り、一口目の味に集中し始めていた。


ふいに小夜ちゃんが、パッと顔を輝かせて声を上げた。


「ん……おいしいっ!」


「さすが、佐伯さんのおすすめだけありますね。このお出汁の味わい深さ……体中に染み渡るようです」  


心底幸せそうに堪能している小夜ちゃんを見て、佐伯君はご満悦な表情を浮かべて頷いた。


「当然です。私の行きつけのお店ですから。味に関しては間違いありません」  


普段の堅物な彼には珍しく、自分のこだわりが認められたことを素直に誇っているようだ。


私も小夜ちゃんに続いて、味がよく染みていそうな小鉢を一口運んだ。


「うまっ……!」  


思わず声が漏れる。上品なのに物足りなさが一切ない。  


味わいながら私はふと、目の前で「どうです、美味しいでしょう」と言わんばかりに優雅にお茶を啜る佐伯君の横顔を眺めた。  


顔はいい。仕事もできる。おまけにこんな素敵なお店を隠し持っている。


「……ねえ、佐伯君って意外とモテそうだよね」


絶品のおばんざいを飲み込んだ勢いで、私は唐突に言葉を発した。  


一瞬、部屋の中の時間が止まった。


佐伯君は、まさに次の一口を口に運ぼうとした姿勢のまま固まり、箸からおかずがポロリとこぼれ落ちた。


「あ……」


彼は、器の端に力なく転がったおかずを、数秒間じっと見つめていた。


まるで、自分の余裕と一緒にこぼれ落ちた「何か」を惜しんでいるかのような、妙な沈黙の空気が一瞬流れた。


「……いきなりなんですか、モテるとは」


彼は眉を寄せ、心底不可解だと言わんばかりの冷ややかな、しかし動揺を隠しきれず、わずかに頬を引き攣らせた視線を私に向けてきた。


「あはは、深い意味はないよ〜! なんとなく、モテそうだな〜と思っただけだってば。はははっ」


私は引き攣った笑みを浮かべながら、あからさまに視線を泳がせた。


これ以上突っ込むとまたお説教が始まりそうな空気を感じ取り、慌てて箸を動かす。


「さて、食べよう、食べよう! ほら、冷めちゃうよ!」


私は努めて明るく振る舞いながら、佐伯君の顔色をチラっと伺った。


当の本人は、こぼれ落ちたおかずを少し複雑そうな表情で空いた器に入れると、再び無言で箸を動かし始めたけれど……。


(……全言撤回。絶対にモテないわ! 堅物め!)


私は心の中でべーっと舌を出しながら、京茄子の煮浸しを口に放り込んだ。


お出汁の優しい味が、少しだけトゲトゲした私の心を静めてくれた。


食事も中盤に差し掛かった頃、フッとあることを思い出した私は、京茄子の煮浸しを口に運ぼうとした手を止め、ポツリと呟いた。


「そういえば……最近、私のところに足ツボの授業がまわってこないんだけど?」


二人に投げかけたその言葉が終わるか終わらないかのうちに、小夜ちゃんと佐伯君の肩がビクッと跳ねた。二人は気まずそうに目を逸らし、示し合わせたように黙々と目の前のおばんざいを食べ始める。


「……ん? なに、その反応。怪しい……」  


私がジト目で二人を問い詰めると、佐伯君が「助け舟を出してください」と言わんばかりの視線を小夜ちゃんに送った。


小夜ちゃんは少し緊張した様子で、不自然なほど明るい声を出す。


「そ、それはですね、最近、詩樹さんにオイルトリートメントの出張依頼が増えたからですよ! 足ツボの授業の日と被ることが多いんです」


「え、そうだっけ?」  私は首を傾げた。


「でも足ツボの授業って、骨や筋肉の解剖学的な説明もセットでしょ? 佐伯君、解剖学の説明苦手だよね。私に振った方が楽じゃない?」


私の矛先が佐伯君に向くと、彼は箸を置き、背筋を伸ばし答えた。


「ええ、確かに苦手ですが……いつまでも詩樹さんに頼ってはいられないので。そこは頑張って、自分で生徒たちに教えています」


「へ〜! 佐伯君も成長してるんだね。偉い偉い、見直したよ!」


私はすっかり上機嫌になり、「よし、私も頑張らなきゃ」と残りのおばんざいを勢いよく食べ始めた。  

まさか、生徒たちから「詩樹先生の足ツボ授業、なぜかドSに変貌し目がギラギラとして圧が強すぎて怖くて出たくないです!」という悲痛なクレームが相次いでいたとは、夢にも思わずに……。  


二人は、詩樹さんの耳に入らぬよう墓場までこの秘密を持っていく決意を固め、静かに胸を撫で下ろした。


やがて食後のお茶を飲み終えると、「さて、そろそろ行きましょうか」と小夜ちゃんが伝票を手に取り立ち上がった。


「ふぅ〜、お腹いっぱい! ごちそうさまでした!」


私たちは個室を後にし、レジへと向かった。


 お会計を済ませている間、私はちらりと佐伯君を見た。彼はまだ、先ほどの「モテそう」発言が尾を引いているのか、それともおかずを落とした失態を悔やんでいるのか、どこかよそよそしい。


店を出てすぐ、彼は念を押すように低く呟いた。


「……詩樹さん。さっきの言葉、本当に意図はないのですね?」


その表情はいつになく硬い。


私はそんな彼の様子を見て、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。


「はっはーん、なんだい、気にしていたの?」


「……別に、そういうわけでは」


「単にモテそうだなと思って言ったんだよ。

一応褒めてるんだよ〜!」


私が笑って佐伯君の肩を軽く叩くと、彼は納得がいかないような表情をして眉間のしわをさらに深くした。


何か言い返したそうに口を微かに動かしたが、結局は「……そうですか」と短く吐き出すのが精一杯だったようだ。


(案外気にしていたのね。クールなふりして意外な一面が見れたわ)


私は思わぬ収穫に上機嫌になり、鼻歌まじりに打ち水の残る石畳を通り抜けた。  


そうして私たちは再び、観光客の楽しげな話し声が響く大通りの喧騒へと戻って行った。


そんな私の足取りとは対照的に、小夜ちゃんがふと、極めて現実的なトーンで振り返った。


「さて、夢の時間は終わりです。現実に戻りましょうか。……駐車料金が気になります!」


私は一気に現実に引き戻され、小さく呟いた。


「あっ……。すっかり忘れていたわ……」


おばんざいの感動で思考から消し去っていたあの「30分1,200円」の恐怖が、猛烈な勢いで蘇ってくる。


ふと見ると、先ほどまで「モテるモテない」で動揺していたはずの佐伯君も、顔色を変えて何気に料金精算機へと足早に向かっていた。


その背中は、一刻も早くメーターを止めたいという切実な願いに満ちている。


駐車場に到着し、精算機の前に立つ佐伯君の表情は「武道派の師範」のような険しさを通り越し、もはや執念に近いものになっていた。


「小夜さん、精算を」


「はい、わかっております」


小夜ちゃんが機械にカードを差し込む。


表示された金額を見た瞬間、私は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、佐伯君は現実を受け入れられないのかスッと視線を逸らした。  


小夜ちゃんだけが、無表情に「……想定の範囲内です。しっかり報酬に上乗せしましょう」と呟き、淡々と支払いを済ませた。


車に乗り込み、ドアが閉まると、私は耐えきれずに口を開いた。


「……ねえ、やっぱり駐車料金高すぎない!?」

 

私の切実な呟きに、ハンドルを握った佐伯君も、助手席の小夜ちゃんも、重苦しい沈黙を返した。


二人にとっても、この数字は予想以上に精神を削るものだったらしい。


「……1,500円のところじゃなくて、ある意味正解でしたね……」


小夜ちゃんが、どこか遠い目をして「とほほ」といった様子でポツリと溢した。


「確かにそうですが、それでも30分単位でこれとは……。京都の土地神様も、この物価高には驚かれているでしょうね」


佐伯君が真面目な顔で妙に壮大なことを言う。  


私たちはしばらく、豪華なおばんざいの記憶がこの「高額なレシート」一枚に飲み込まれていく虚しさを噛み締めた。


佐伯君がややため息をつき、バックミラー越しに私の目を見た。


「それでは、目的地に向かいましょう」


その一言で、車内の空気がふっと変わった。  


つい数秒前まで駐車代の請求額にひっそりと打ちのめされていたが、しっかりと仕事モードに切り替わった。


そんな彼の様子を確認するように、小夜ちゃんがタブレットの画面を確認しながら切り出した。


「佐伯さん、ひとまず宿泊先の宿屋に向かいましょう。チェックイン後、徒歩で古刹までの距離を確認して、明日に備えましょう」


その言葉に、私は思わず身を乗り出して聞き返した。


「……徒歩? 徒歩で向かうほど近いの?」


すると小夜ちゃんは、こちらに向き、当然と言わんばかりの表情で頷きながら


「もちろんですよ」


その返事を聞いた瞬間、私は深いため息をつきながら、ボソッと本音を漏らした。


「やだな……」


徒歩で行けるほど近いということは、寝ている間もその「現場」の目と鼻の先にいるということだ。


仕事とプライベートの境界線がまったくないその距離感に、私の心は早くもどんよりとした雲に覆われ始めた。


そんな私の憂鬱などお構いなしに、佐伯君は静かにアクセルを踏む。


車は賑やかな大通りを離れ、流れる景色が徐々に閑静な風景に変わり、そして森林が見える山の奥へと進んでいった。


車はさらに勾配の急な坂道を登り、生い茂る木々が鮮やかな緑の屋根のように空を覆った。


木々の合間からは、柔らかい陽の光が幾筋も差し込み、車内を優しく照らし出している。


揺れる葉影がシートの上を踊り、まるで数百年続く古都の記憶の奥底へと優しくいざなうかのような、穏やかな心地よさがそこにはあった。


そんな光のシャワーを通り抜け、佐伯君がゆっくりとブレーキを踏んだ。


目の前に現れたのは、高い石垣の上に建つ、おそろしく年季の入った木造建築だった。


瓦屋根の上には、狛犬だろうか、何かを威嚇するような獣の置物が鎮座し、いびつなほどに太いはりが剥き出しになっている。


玄関先に吊るされた提灯には、『幽明庵ゆうめいあん』と書かれていた。


「……ねえ、小夜ちゃん。泊まる宿間違ってない!? タブレットの画面で見た『京の町屋を改装したおもむきのある宿の画像』はどこに行ったのよ! これ、名前からしてもうアウトだよ! ア・ウ・ト!! 『あっち側』に完全に片足突っ込んでるじゃん!!?」


私が車内で大騒ぎしていると、小夜ちゃんは荷物を手に取りながら、清々しいほどの笑顔で答えた。


「あら、素敵じゃないですか。ここも江戸時代から続く由緒正しい宿坊ですし、町屋造りの趣はバッチリですよ。依頼主である雲水さんが、特別に貸し切りにしてくださったんですから、文句は言えません」


宿坊――つまり、お寺に付随する宿泊施設。


車から降りた瞬間、私は肌を撫でる独特の「静寂」に、思わず腕を擦った。


先ほどまでの柔らかな木漏れ日の暖かさとは違う、身震いするような冷える空気。


私は、あることに気がついた。


(……待って。おかしくない?)


新幹線の中で小夜ちゃんが見せてくれた画像は、もっとこう、間接照明がお洒落で、浴衣を選べたりするような「リノベーション町屋」だったはずだ。


今の私の目の前にあるのは、どう見ても「結界が張られたガチの宿坊」である。


私は隣で平然とトランクを下ろしている小夜ちゃんを、数歩車から下がった位置からジト目で見つめていた。


「……ねえ、小夜ちゃん。あのタブレットの画像、まさか合成とかじゃないよね? まさかだとは思うけど、宿坊だと悟られないように巧妙な工作だった?、、とか?」


小夜ちゃんは、私の疑いの視線をさらっと受け流し、小首を傾げて可憐に微笑んだ。


「あら、失礼ですね。あれも嘘ではありませんよ。ただ……広角レンズで、かなり『写りの良い部分』だけを切り取った写真は使いましたけれど」


「それ、世間一般では詐欺って言うんだよ!」


私の悲鳴に近いツッコミを背に、小夜ちゃんは「さあ、行きましょう」と、有無を言わせぬ足取りで石段を上がり始めた。


確信した。この事務員、、私の扱いを完全に熟知している。


私は地面に根を張ったかのようにその場から動かず、半ば現実逃避するように、足元の砂利をスニーカーの先でいじり始めた。


「……やだ。私、行かない。」


子供じみた言い方をした私に、小夜ちゃんは足を止めると、心底呆れたかのようにため息をついてから言い放った。


「往生際が悪すぎます。車を置いたまま逃げても、ここから一番近い宿屋まで約3時間はかかりますから、観念してください!」


諭すような、けれど一切の妥協を許さないその口調に、私はぐうの音も出なかった。


すると、佐伯君も小夜ちゃんに続かんばかりに、私の横を通り過ぎざまに言い放った。


「……それに、詩樹さん。ここで嘆いていても招かざる客を呼び寄せるだけですよ。この辺りの山は、特に『耳』が良いですから」


いつの間にか仕事道具の入った重そうな荷物を肩に担いだ彼は、一度も振り返ることなく、淡々と石段を登り始めた。


(この、堅物め!)


心の中で精一杯の悪態をついた、その時だった。

背後から、鋭い「視線」を感じ、私は反射的に振り向いた。


「……え?」  


だが、そこには誰もいない。


ただ、先ほど降りたばかりのレンタカーと、静まり返った山道が夕闇に沈みかけているだけだ。


「今の視線、何……?」


妙に胸騒ぎがして、私は止めた車の後方へ回り込み、周囲をそっと伺ってみた。


けれど、風に揺れる木々の音以外、動くものは何一つない。


「……気のせい、か。もう、佐伯君の脅しのせいで神経質になってるんだわ」


自分を納得させるように小さく息を吐き、放置していた自分の荷物をトランクから取ろうとした、その時だった。


『――おかえり』


ごく微かな、けれど確かな声が聞こえた。


「っ!?」


心臓が跳ね上がり、弾かれたように後ろを振り向く。


だが、やはりそこには誰もいなかった。


 冷たい山の空気が頬をかすめていくだけで、人の気配など微塵もない。


「……いま、誰か……」


嫌な汗が背中を伝う。


聞き間違いだと思いたかったが、今の声はあまりに鮮明に、私の耳のすぐ側で響いたのだ。


慌ててトランクを閉め、私は「ちょ、二人とも待ってよ!」と半ばパニックになりながら、石段を一段ずつどころか二段飛ばしに近い勢いで駆け上がって行った。


ギィィ、と鈍い音を立てる歴史の染み付いた木戸をくぐり、逃げ込むように中へ足を踏み入れる――。


「……えっ?」


そこには、外観の物々しさからは想像もつかない空間が広がっていた。  


薄暗い土間を想像していたのに、目の前にあるのは、温かみのある無垢材むくざいのフローリングと、柔らかな間接照明が足元を照らす洗練されたエントランスだ。


リノベーションしたてなのだろう、新しい畳と木の香りがふわりと鼻をくすぐる。


モダンな和紙のスクリーン越しに漏れる光は、まるで高級旅館のような落ち着いた雰囲気を醸し出しており、外の「ガチすぎる霊山」の空気感とのギャップに、私は一瞬、自分のパニックを忘れて呆然と立ち尽くした。


そんな私に小夜ちゃんが、横から涼しい顔で声をかけてきた。


「言ったでしょ、『町屋造りの趣はバッチリですよ』と」


満足げに微笑む彼女にそう言われてしまえば、流石の私も「……そうだね」と言わざるを得なかった。


確かに内装だけを見れば、新幹線で見せられた写真通りの、文句の付けようがない美しさだ。


そんな都会的な美しさが漂う廊下の奥から、一人の女性が姿を現した。


「よう、おいでやす。逢坂屋の皆さま、お待ちしておりました」


凛とした着物姿に、上品な笑みを湛えて応対してくれたのは、この宿坊の女将だった。


「少し予定より到着が早かったですね。お疲れではございませんか?」


その温かみのある柔らかな物腰に、先ほどまで外で感じていた不気味な視線や声の恐怖が、春の雪解けのようにスッと溶けていく。


これほどしっかりした歓迎を受けると、やはり自分の気のせいだったのだと安堵せずにはいられない。


「さあさあ、こちらにお上がりくださいまし」


女将さんに促されるまま、私たちは清潔感溢れる宿内へと通された。


磨き上げられた廊下は、歩くたびに微かに木の心地よい感触を伝えてくる。


「では、私はこちらで」


小夜ちゃんは慣れた様子で、宿泊の手続きをするためにロビー脇の受付カウンターへと向かって行った。


キャリーバックを引く彼女の背中を見送りながら、私はようやく一息ついて、リノベーションされたばかりの美しい宿坊を見渡した。


ほどなくして、小夜ちゃんが受付を済ませてこちらへ戻ってきた。


「では、皆さまのお部屋にご案内いたします」


女将さんが上品な所作で歩き出し、私たちを案内し始めた。


「……お部屋は『裏庭』が見える一番奥の間を用意してございますよ。あそこは……よく、視えますさかい」


さらりと、どこか意味深な響きを残して女将さんは微笑む。


その「視える」という言葉の真意を問い返す間もなく、私たちは磨き上げられた廊下を進んでいった。


その途中、ふと横に目を向けると、モダンな内装とは対照的な、年月の重みを感じさせる古い渡り廊下が視界をかすめた。


気になった私は、歩きながら女将さんに尋ねた。


「女将さん、先ほど渡り廊下らしきものが見えたのですが、あそこはどこに繋がっているんですか?」

すると女将さんは足を止めず、穏やかな声で答えてくれた。


「あぁ、そこの渡り廊下は古刹寺こせつじに繋がっております。ご宿泊の方は、あちらを通ってお参りいただけますよ」


「げっ!」


思わず声が漏れた。


外に出る手間さえ省いて、お寺と「直結」しているなんて。  


 そんな私に追い打ちをかけるように、小夜ちゃんが涼しげにさらりと言ってのけた。


「ちょうど良かったですね。わざわざ外に出て徒歩で確認するまでもなかったですね、詩樹さん」


その迷いのない言葉に、私は(絶対に分かってて言ってるよね……!)と確信し、前を歩く小夜ちゃんの細い背中をジト目でじっと見つめた。


私の脳内では、新幹線の時から……いや、その前、依頼を受けると言ったその日に、調べてこの「直結ルート」を計画し、すべてが彼女の計算通りだったのではないか!?という疑念が渦巻いていた。


けれど、当の本人はそんな私の視線をそよ風が吹いたごとく受け流し、軽やかな足取りで奥の間へと向かっていくのだった。


第二章を最後までお読みいただき、ありがとうございました!

次回の第三章では、いよいよこのガチすぎる宿坊での最初の夜、そして事件の核心へと物語が動き出します!

もし「この3人のやり取りが好き!」「小夜ちゃんの有能(ドS)っぷりが最高!」と思っていただけましたら、ぜひ評価やブックマーク、感想などで応援していただけると執筆の励みになります!

次章の更新もどうぞお楽しみに!

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