第4話「監査官の初手」
オルド・セインは、予定より一刻早く到着した。
朝霧が薄く残る廊下を、灰色の外套でまっすぐ歩いてくる。
挨拶より先に、封緘箱の封蝋を見た。
「会計顧問ルチア・ヴァレリ」
「はい」
「まず確認する。あなたは王都監査局を解任された身分だ」
最初の刃は予想どおりだった。
私は頷く。
「解任と同時に転任しています」
「つまり、監査権限はない」
会議室の空気が冷える。
グレゴルの口角だけが、わずかに上がる。
*
オルドは封緘命令書を要求し、次に押収記録簿を開いた。
彼の指が止まる。
「搬送担当欄が空白だ。保管手順に穴がある」
ミレナが息を止める。
私は記録簿を受け取り、空欄を見た。
確かに空いている。
夜間押収の混乱で飛んだ欄だ。
「私の不備です」
言い切ると、グレゴルがすぐ畳みかけた。
「監査官殿、つまり証拠は無効。現場をこれ以上混乱させる理由はありません」
オルドは視線を上げずに言う。
「証拠は全部無効か全部有効か、ではない。項目ごとに評価する」
そして私へ向く。
「日没までに補完証言を揃えろ。搬送経路、時刻、立会者。三点一致で再評価する」
期限は日没。
不可能に近い速度だ。
だが完全な敗北ではない。
評価卓に乗せる道は残った。
*
会議後、廊下でグレゴルが囁く。
「残念でしたね。王都は甘くない」
「甘さは要りません。手順が要ります」
「手順は人が書く。人は誤る」
「誤りは訂正できます。記録が残っていれば」
彼は笑い、壁へ肩を預ける。
「日没までに証言は揃いませんよ」
「揃えるか、揃えられない理由を証拠化します」
私は足を止めずに返した。
*
会計庫へ戻り、証言票を十枚並べる。
搬送班、鍵番班、門番班。
私はまず票の欄を作り替えた。
時刻。
場所。
立会者。
説明文は後回し。
争点へ直結する三項目だけ先に埋める。
ミレナが問う。
「足りなかったら?」
「二層目を使います。交代表と受領票」
「それでも足りなかったら」
私は机端の封筒を見た。
王都商会封筒、未開封。
「三層目に入ります。封筒の中身で押し返す」
彼女は小さく頷いた。
頷きの速さが、今は武器だった。
*
午後、証言取りが始まる。
荷車係トマは素直に喋る。
時刻は第四刻半。
受け渡しは第二倉庫裏。
鍵番ラドは口を閉ざした。
私は責めず、鍵貸出票を示す。
「あなたの返却印がここにあります。必要なのは、印の理由だけです」
ラドは黙って票を見た後、低く言った。
「第四刻四十分。立会はベルン」
時刻が繋がる。
私は息をつかず、次へ走る。
*
夕刻直前、会計庫へ戻る。
七枚、埋まった。
だが一枚足りない。
搬送補助の証言が取れていない。
その時、ミレナが封筒を差し出した。
「開けますか」
私は一拍迷い、頷いた。
封緘糸を切る。
中は請求書一枚。
品目、倉庫補修材。
金額、二百四十銀貨。
請求日、第一倉庫半焼の二週間前。
未来日付。
それだけでも強い。
さらに発行時刻が第八刻二十分。
会計庫の締め後だ。
私は原簿を引く。
伝票番号は既使用。
重複。
三点揃った。
補完証言が足りない穴を、逆側から塞げる。
*
再評価会議。
日没の光が窓端へ残る。
私は七枚の証言票を置き、三点一致を示す。
次に請求書を提示。
未来日付、締後時刻、重複番号。
グレゴルが反論する。
「書き間違いだ」
「三箇所同時に?」
私は原簿写しを並べた。
オルドが票を読み、短棒で机を軽く打つ。
「封緘系列の有効性を一段回復。押収票は継続採用」
胸の奥で、硬い糸が一本ほどける。
勝ったわけではない。
ただ、落ちなかった。
「次段階へ進む。王都封筒の発行元照会を本局へ送る」
オルドは最後に言った。
「ヴァレリ顧問。速い。だが粗い。次は粗さを消せ」
「はい」
*
会議後、カイが会計庫扉を押さえたまま言う。
「助かった」
「まだ一段目です」
「一段目で落ちる戦いは多い」
彼は机の票束へ視線を落とす。
「今夜は休め」
「休むと数字が逃げます」
「逃げた数字は明日捕まえろ」
私は少し笑った。
会計官向きの理屈ではない。
だが今日は嫌いじゃない。
彼が去った後、私は請求書をもう一度見た。
発行印は葡萄紋。
王都補佐院に近い私印。
私は黒板へ追記する。
王都照会先、葡萄紋系列。
封緘評価進捗、一。
事件は一歩だけ進んだ。
結果はまだ遠い。




