第16話「差戻し監査」
差戻し監査官は、昼前に二名で来た。
王都監査局の紺章、硬い声、薄い笑み。
机へ座る前に、監査官の一人が言う。
「公照補則の一部を差戻す」
紙を受け取る。
理由は予想どおりだった。
記載順序不統一、例外期限運用の拡張、旧街区便後日処理の適法性疑義。
正面から読むと足止め文書。
横から読むと、介入範囲の宣言文書でもある。
*
午前、初回聴取。
監査官エデルは淡々と詰める。
「記載順序が便ごとに違う。証拠能力を落とす運用だ」
私は認める。
「はい。不統一があります」
隣の監査官が口角を上げる。
認めれば終わると思っている顔だ。
私は続ける。
「ただし差分ログを全便で保持しています。順序差は復元可能です」
復元表を卓へ置く。
時刻、数量、受領者、補記者。
四項目で相互照合。
エデルの手が一瞬止まる。
「……ここまで取っているのか」
「差戻しを想定していました」
先読みは、時に嫌味に見える。
それでも準備していなければ、今日の私は沈んでいた。
*
昼、監査官が第二論点へ進む。
「例外期限の運用拡張は条文逸脱だ」
グレゴルがすかさず同調する。
「現場は疲弊しています。逸脱運用を正当化するのは危険だ」
彼の言い分は正しい。
正しいから厄介だ。
私は改訂履歴を示す。
薬包便遅延の実例、医療便特則の導入、遅延減少の実測。
「逸脱ではなく、追補制定です。追補番号、施行時刻、公開履歴を全件残しています」
エデルが問う。
「追補制定の承認経路は」
「領主室副署、会計庫記録、公開板掲示の三段」
私は三段の写しを並べる。
エデルは黙って紙をめくる。
*
午後、第三論点。
旧街区便の後日処理が「恣意的差別」に当たるという指摘。
私は一瞬、返答を迷う。
ここは感情的に反論しやすい罠だ。
旧街区は実際に妨害をしてきた。
だがそれを口にすれば、制度の中立性を失う。
私は黒板へ線を引く。
「後日処理の基準は地域ではなく危険度です」
人命、寒冷、機械停止。
固定三基準。
該当しない便は後日へ回す。
旧街区便が多いのは、提出時刻が遅く、危険度証明が不足しているため。
エデルが言う。
「証明不足の判定者が君一人なら、恣意性は残る」
私は頷き、準備していた案を出す。
「判定を二者化します。会計庫と兵站庫の共同判定へ移行」
兵站長が驚いた顔で私を見る。
私は視線を返さず続ける。
「さらに異議申立窓口を分離し、判定ログを公開します」
エデルは短く言った。
「そこまでやるなら、差戻しは“修正要求”へ格下げできる」
足止めが、前進条件へ変わる。
狙っていた形だ。
*
夕刻、会議を出た廊下でグレゴルが並ぶ。
「自分で権限を削るんですね。判定二者化はあなたに不利だ」
「一人判定は、私を守りません」
「権限がなければ、あなたはただの記録係だ」
私は立ち止まる。
「記録係で十分です。記録が残るなら」
彼は薄く笑う。
「その記録で、婚約契約まで守れますか」
胸の奥が一度強く打つ。
けれど顔は動かさない。
「守る対象の優先順位は、こちらで決めます」
グレゴルは何も言わず去る。
残るのは葡萄香だけだ。
*
夜、共同判定の初運用。
会計庫と兵站庫が同じ机につく。
初件は旧街区の雑貨便。
危険度低、後日処理。
異議申立あり。
ログ公開。
手間は増えた。
だが裁量の影は薄くなる。
ミレナが帳票を綴じながら言う。
「今日の差戻し、怖くなかったですか」
私は少し笑う。
「怖かったです。いまも怖い」
「それ、言うんですね」
「言わないと、いつか判断を間違えるので」
言葉にすると、肩の力が少し落ちた。
強がりだけでは、長い戦いを持たせられない。
窓外では雪がまた降り始める。
差戻し監査は終わっていない。
だが足止めだけの文書では、もうなくなった。
次はこの文書を逆提案へ変える番だ。




