第5話
今日は王太子ラマンリーズの結婚式が行われるめでたい日だ。
王太子の花嫁になるのは、新たに神女となった元公爵令嬢であるミリトリア・ティア・ラミスだ。父親の公爵は法務大臣を務めている。
国民は朝から振舞われた酒を飲み、お祭り騒ぎだ。ただし、一部の裕福な国民のみだが。貧民街に住む国民は今も飢えに苦しんでいる。
大聖堂で結婚式を挙げた王太子ラマンリーズと王太子妃となったミリトリアは、馬車から国民に手を振っている。
「ラマンリーズ様、わたくし疲れましたわ」
笑顔を貼り付けて手を振るのに飽きたミリトリアはラマンリーズに不満を漏らす。
「君は神女で王太子妃になったのだから、今日だけは我慢してくれ。ミリトリア」
それは明日からは好きに過ごしていいということだ。ラマンリーズは王太子としての政務をほとんど側近に押し付けている。自身も明日からはまた好き勝手に過ごすつもりだ。妃にも役目を強要するつもりはない。
ラマンリーズは王太子になりたかったわけではない。王太子だった弟が亡くなったから、長男という理由で王太子として立った。正直なところ、公爵位を賜わって遊び暮らす方が楽だ。政治に興味はない。国王になっても政務は臣下に任せるつもりでいる。
適当に愛想笑いをして手を振りながら、ラマンリーズは明日はどのような遊びをしようかと考えていた。
王太子夫妻を乗せた馬車は国民の祝福を受けながら、王宮内に入っていった。
◇◇◇
ラマンリーズがミリトリアを披露宴会場までエスコートしていくと、信じられない光景がそこにあった。
「これはどういうことだ?」
披露宴には自国の貴族、外国からの賓客が招待されていたはずだ。だが、披露宴会場にいたのは国王である父と王妃である母と弟妹たち王族のみだった。ちなみに前王妃のルーシェルの母は実家に帰され、ラマンリーズの母が今の王妃だ。
ラマンリーズは父の元に駆け寄る。
「父上! なぜ誰も招待客がいないのです!」
国王は首を横に振る。
「余には分からぬ。メイフィールドには時間どおり入場するように言われておったのだ」
宰相であるメイフィールドはこの場にいない。国王が席を立つと突然正面の大扉が開き、パチパチと拍手が響く。ようやく招待客が来たのかと思いきや、拍手をしていたのは金色の髪と蒼い瞳の少年だった。
少年は成長しているが、子供の頃の面影が残っている。国王をはじめ、王族全員は見知った顔に驚愕した。
「ルーシェル……か! 生きていたのか?」
「はい。お久しぶりです、父上。ラマンリーズ兄上、ご結婚おめでとうございます」
死んだはずのルーシェルが目の前に現れたのだ。父である国王以外は、まるで化け物を見るように怯えた目をしていた。
「おお……其方は『魔神の領域』に入ったと聞いて亡くなったとばかり……よく生きていてくれた。愛しい息子よ。さあ、父の側に来るがよい」
「残念ですが、父上。これでお別れです」
「何!?」
ルーシェルと同じ色をした国王の蒼い瞳が揺れる。
今まで怯えていたラマンリーズがようやく口を開く。
「ルーシェル! 今さら戻ってきたところで其方はもう王太子ではない!」
「ええ、兄上。ですから革命を起こすことにしました」
「革命……だと!」
手を挙げたルーシェルの合図で、王国騎士団と国の重臣たちが披露宴会場になだれ込む。
「そこにいる者たちを捕らえよ! 国民に重税を課し、国を疲弊させた張本人たちだ」
ルーシェルが命じると、王国騎士団の師団長たちが国王と王族を捕らえる。
「無礼者! 余は国王だ! 離さぬか!」
「貴方はもう国王ではない。ここにいる重臣たちは貴方の退位を認めた」
宰相であるメイフィールドは国王の前に書類を掲げる。国王の退位を認める書類だ。
「退位だと!? 余は退位などしておらぬ!」
「政治に関心がなかった貴方は国の法律を知らなかった。初代国王が定めた法律を……」
初代国王は法律の最後に「国王が国に著しく損失を与えた場合は、宰相および大臣の三分の二が認めれば、国王を退位させることができる」と定めた。今までもこの法律によって退位させられた国王がいたのだが、それすらも学ぼうとしなかったのは今の国王である。
宰相補佐官が法典を開き、国王に読むように促す。読み終えた後、国王はがっくりと項垂れた。
「父上。貴方は自分が贅沢をするために国民から税を搾り取った。そのせいで飢えて亡くなった国民が何人いるとお思いですか?」
国王だった父はふるふると首を振る。ルーシェルはぎりっと歯を鳴らす。
「三万人だ! 十万人いた国民の三分の一は貴方が殺した! お前たちも同罪だ!」
王妃と兄弟姉妹をきっと睨むと、彼らはひっと喉を鳴らす。
ルーシェルはジンに転移魔法を教わり、度々王国の様子を見に来ていたのだ。国民が一人亡くなる度に、彼らの名を心に刻んでいた。亡くなった国民の人数を具体的に言えたのはそのせいだ。
人間には神が決めた運命がある。運命を覆すことはできないとジンが過剰な干渉を禁じたのだ。ルーシェルが自分の力で国民を救うことができたのは、まだ余命があるほんのわずかの人々だった。
「その服や装飾品は国民たちの汗と血の結晶だ! お前たちは一回でもそのことを考えたことはあるか? ないだろう!」
「ルーシェル様。それまでに……」
メイフィールドが嗜める。思っていた以上に自分は怒っていたようだ。声を荒げたせいで少し息が上がっている。
「裁きを下す。この者たちは『魔神の領域』に幽閉する」
「『魔神の領域』!?」
「それだけは許してください」
元王族たちは涙ながらに『魔神の領域』には行きたくないと口々に言い募る。ルーシェルは冷ややかに笑う。
「安心するが良い。魔神は親切な方だ。生涯を穏やかに暮らせるはずだ」
ルーシェルは転移魔法を発動させると、元王族たちを『魔神の領域』へ送る。
「さようなら。家族だった人たち」
最後の言葉は誰にも聞こえないように呟いた。
◇◇◇
ミリトリアはこっそりと披露宴会場を抜け出すと、実家に助けを求めようとドレスをたくし上げて走る。
「どちらに行くつもりですか? ミリトリア様」
突然目の前に現れた可憐な少女がミリトリアの行く手を阻む。ミリトリアは一度だけ、亡くなった神女ピアージュと会ったことがある。彼女は確かストロベリーブロンドの髪と紫の瞳をした少女だった。そう。目の前の少女のような……。
ふわりと少女の前髪が風に揺れ、黒い『ティアの印』が現れる。
「ひっ! 貴女はピアージュ・ティア・ラミス様!? 亡くなったのでは?」
「ええ。公式にはそうなっていますね。ところでミリトリア様。貴女の『ティアの印』は本物なのかしら?」
ミリトリアの『ティアの印』は偽物だ。王太子の花嫁になるために、こっそりと招いた刺青師にティアの花を腕に刻ませたものだった。そして『ティアの印』が現れたと嘘をついたのだ。父親の公爵はそのことを知らない。
「本物に決まっていますわ! ほらこのとおり!」
『ティアの印』を刻んだ腕をピアージュに見せる。ピアージュはミリトリアの腕をとると、『ティアの印』に手をあて言葉を紡ぐ。するとミリトリアの『ティアの印』は消えた。
「え!? 消えた? 何をしましたの!?」
「治癒魔法で刺青を消しただけです。淑女が刺青をするものではありません。それに『ティアの印』は簡単には消えませんよ。主神ティアが授けてくださったものですから」
ミリトリアは聞きなれない言葉に首を傾げる。
「治癒魔法? それはおとぎ話の魔女が使うものではありませんか。やはり貴女は魔女ですのね!」
ピアージュはゆっくりと首を振る。
「いいえ。魔法は本来人間が持ち得るものです。私は初代神女シルヴィアナ・ラージェリン様に教えていただきました」
「初代神女は五百年前の人間ですわ。生きているはずがありません」
ミリトリアは侮蔑の笑みをピアージュに向ける。
「生きておりますよ。人間は理解しえないものは否定する。シルヴィアナ様の言うとおりでした」
それだけ言うと、ピアージュは背を向ける。追おうとしたミリトリアを二人の騎士が阻む。
騎士の背後には、王国騎士団第一師団長ランドルフが捕縛された刺青師を連れて立っていた。ミリトリアはその場でくず折れた。
続けて最終話を更新しています。




