悪魔
遊園地の出入り口に向かうか、事務所に向かうか。二人で相談し出入り口に向かうことにして、残り少ない魔獣を無視して識杏と走る。
「……止まってっ」
「……?」
識杏が俺を制止する。言われるがままに足を止めて立ち止まる。
「足元、そこから先は不味いよ」
「先?」
足元を見る。すると上から声がした。
「──ちっ。苦しまずに送ってやろうって所だったんだがなァ」
声の主が降り立つ。黒いコートを着た細身の男だ。頭には黒の三角帽子を被り、その肩からは黒い翼を生やしていた。
「まだ、居るのか」
「あ? ん、まぁ今回は俺で最後だ。安心しな」
「出来るかよ」
俺は剣を抜き、識杏を背中にかばうように構える。三角帽子を深々と被った男は気怠げに肩を竦めた。
「はぁ、なんつーか。疑問なんだよな。俺が全力でやって良いと言われて最初の戦いが小娘一人邪神に捧げるだァ? 俺の力はもっとこう、奥の手であるべきと言うか、そもそも前線になんで出されてるんかわかんねェ。何故だ?」
「知るか」
「ははっ、だよな。そんなのあのクソ神官に聞けってんだよな。しゃあねぇ。名乗っとくか、古い名前を捨ててから初めて名乗るから耳かっぽじって聞いててくれるとありがてぇな」
帽子をくい、と上げ男は名乗る。
「邪神の使徒、悪魔が一匹。グラッジだ」
「……そうか。結城止水だ」
「知ってる」
グラッジは再び帽子を深く被ると、呟く。黒く暗い感情の籠もった呪文を。
「"それは忘れられない魅惑の毒"」
「っ!!」
その言葉と同時に手足を謎の文字列が蛇のように絡みつく。それは闇を滲ませて拘束の力を増す。力を込めようとしても、体が言うことを聞かず外せない。
「お前さえ何とかなれば問題なくなる、そこの女には戦う力なんざ、ねぇんだろ?」
「くっそ……!!」
「それ、邪神の力に自ら触れたことがあれば外せない、外す気も起きない拘束なんだが……案外抵抗するな? その誘惑には俺も勝てないんだがなぁ」
手足を縛られた俺を、グラッジは観察する。誰かに似ているように思えるが、それを気にする余裕はない。
確かに抵抗するなと脳内に甘く響く音がある。が、それにしたがえばもう、何も出来なくなる。だが、従えば識杏がどうなるか、ただひたすらにその事が恐ろしい。
「ふざけるなよ……識杏に、手を出すんじゃない!!」
「はぁ、そうか。だってよ? せっかくだ。"心躁の呪詛"」
グラッジは言いながら傍らに居た魔獣の額に、ただ触れる。獣たちに見下すような目を向ける。
「"弱い呪い"だなァ? 全く反吐が出るぜ」
それだけで全魔獣が立ち上がり起き上がり、気力を取り戻した。
「魔獣を……?」
「逃げねぇと食われるぜ? にしてもこの体はいいなぁ……全身が怨念に包まれて何でも体一つで出来ちまう……!!」
「識杏……っ!」
ふざけるな。無理矢理に拘束を引きちぎった俺は識杏の近くにいる魔獣を蹴り飛ばす。俺を、この程度で縛れると思うなよ。
「おいおい、無茶しすぎじゃねぇの? 血塗れじゃん」
グラッジは俺の手足を見てそう言った。心なしかグラッジは、その傷を負った俺に対して引いている。
「そう易々と倒れるような鍛え方してないからな。」
剣で、魔獣の頭を斬りとばす。
「あーぁーあーあー。全く。元気になった傍から首取ぶなんてな、哀れ哀れ」
俺は剣から葉刃を切り離してグラッジを狙うが、なんと素手で弾かれてしまった。
「切れ味の悪い鈍。あぁ、そうかよ。んなもんで切れる訳ねぇがな。悪魔だぞ?」
「知るかよ」
魔獣が、寄ってくる。その処理だけでいっぱいいっぱいで、グラッジに動かれるとどうしようもない。
「止水くん」
「前に出るなよ!?」
「もういい──」
「よくねぇよ!!」
ふざけたことを言うな。結城止水にとってそこは守るべき最終地点で、そこを侵されたらもう意味はないのだから。
グラッジはそんな俺の精神を逆撫でするように笑う。
「くくっ、まあ、そこの女。確かにお前が大人しくしてこっちに来りゃ、俺はそれ以上何もしねぇさ。そいつは所詮無能力者。んなもん一々潰しても意味なんざねぇしな」
何匹も魔獣が殺到する。何だよこの状況は。斬っても斬っても───立ち上がってくる。さすがに首を飛ばしたのは動かないが、心臓を壊しても四肢を切り離しても、いくつも致命傷を与えても立ち上がってくる。
「ま、これが悪魔の所業ってやつさ。恨み募る程に生命力も上がる、なんて言う魔法さ。悪魔になって分かるが、これはすげぇな。実質ゾンビじゃねぇの」
愉快そうに笑うグラッジ。彼はただ立っているだけだ。しかし、何らかのエネルギーがグラッジに渦巻いていることは端から見ても分かるほどだ。
それが俗に言う魔力であることは俺にもわかる。何よりも俺にも感じられるという事は尋常ではない量を内包している証明になっている。
「お前にしてもそうだ、結城止水。俺を殺せばこいつ等もまた動かなくなる。いいぞ、かかってこいよ、そんな女放ってな」
「うるせぇ!」
俺は魔獣を斬り刻みながら叫ぶ。
「あァ? 反抗的、良いねェ……よし決めた。お前からなぶり殺す。せっかく心にダメージを与えられる環境が揃ってんだ。その方が楽しそうだ」
「っ!!」
識杏に飛びかかる魔獣の首を飛ばし、識杏に噛みつこうとした魔獣の四肢を葉刃を飛ばして封じる。
「はぁ……こりゃここら一帯の雑魚どもじゃ無理だな」
「分かってるんなら、帰れよ」
最後の一匹の頭を踏み潰して、俺は余裕綽々に笑うグラッジを睨む。
「いやいやいやいや、帰れないでしょ? まだ俺は傷一つ負っちゃいないし、何よりお前は傷だらけ…まあ自業自得だがな?」
再び文字列の拘束が迫る。それを目視した瞬間に下がる事で何とか回避する。
「 そいつぁ、フェイクだ。"それは忘れられない魅惑の毒" ──今度は食いちぎるなんて考えるなよ? 四肢が飛ぶぜ?」
背後から伸びた夥しい密度の文字列が全身を覆う。それは俺の全身を包み込んで完全に拘束していた。
「くくく、ははははははは!!!!」
「く、そ、が……」
グラッジの高笑いが響くのを俺は抵抗も出来ず眺めていることしかできなかった。
30s 46-2
グラッジが手を振るう。
すると、俺は地面に縫いつけるように引っ張られてうつ伏せに引き倒されてしまった。
「ま、体が要らないって言うなら首から上だけでも抜け出して見ろよ、くくっ」
グラッジは俺を嘲笑うと識杏を見る。
「───」
「おいどうした? 元はと言えばお前がすんなり殺されてればこんな事にはならなかったんだぜ? 今更泣いても無駄だ」
「止水くんを……放して……」
「良いぜ? まぁ、今の俺は悪魔だ。いつ放すか、どうやってから放すかは俺が決めるけどな……くくっ」
「今すぐ放してよ!!」
「うるせぇなクソが!! "アイアンメイデン透明に、アイアンメイデン捕まえた"!!」
識杏を覆うように透明な繭のような形の物が出来上がる。
「出て来るなよ? 出ようとすればズタズタだからな?」
「……く……」
「無様だな、ははっ。これは悪魔らしい! 良いなつええ奴が俺の足下で這いつくばってるのはなぁ!!」
グラッジは遠慮なく、俺の腹を踏みつける。
「がっ、っ……」
「へへ、こういうのだ。いいよ、悪魔になったって実感するね!! 良いよぉ!! もっとだ!!」
また、踏みつける。
「ぐ……ぅ、がはっ、ぐっ、ごぁっ……」
何度も、何度も踏みつけてくる。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。飽きもせず嗤いながら、嘲笑いながら、笑いながら。
痛い? 痛い。そりゃあ、痛い。
動けない。悪魔の拘束も、悪魔の踏みつけも、常識はずれの力を以て襲いかかってきている。だが、まだ耐えられる。内臓がヤバい、骨もヤバい。だが、だがまだ、耐えられる。体が痛い程度なら、まだ。
「ちっ、折れねえな。睨んでくんじゃねぇ、よ!!」
思い切り顔面を蹴り飛ばされた。衝撃が逃げていかず、その時意識が飛んだ。
──白くなった視界が戻ってきた。そしてやっと意識が飛んだ自覚をする。主観からではどれだけ理解できない時間が存在したかが分からない。
「何だその目は!!」
───また飛んだ。戻ってきた意識で、真っ先にグラッジを見る。心底苛立った様子のそいつを、笑ってやる。
「んだよその笑いは!! 馬鹿にしてんのか!!」
────また、気絶した。戻ってきた。戻ってきたらグラッジが据わった目で俺を見ていた。しゃがみ込み、俺の頭を掴んで間近からのぞき込んでくる。
「どうすりゃいっか。拷問みたいに全部壊していくか? 先ずは手先から、そしてどんどん体を傷つけていくんだ。やったことはねぇが、何、きっと楽しい事になる」
「…………下ら、ないな。……本当にやってて……楽しいか?」
「楽しいに決まってんだろッッ!!」
唾が飛ぶほどに叫んだ。先程までと打って変わって感情的な行動に俺は眉を顰める。掴んでいた俺の頭をグラッジは突き放して立ち上がって、見下ろしてくる。
「あぁ。楽しいさ。最ッ高にな!! これこそ悪魔の所業!!」
「……動けない相手をひたすら蹴る、ことがか? ……三下の行動じゃ……ねぇか」
「煩い」
腹を蹴り飛ばされる。衝撃が背中まで駆け抜けるが、ダメージを逃がすことが出来ない。
ちょっとこれは不味いかもしれない。
「これは報復だ。見下してきたお前たちに対する他ならぬ俺の。今の気分は最高だぜ? 這いつくばって、死ぬのを今か今かと待っている無様なお前たちを、俺が!! この俺が生殺与奪を握って!! ふ、くははははっ!!! ははははは!!」
グラッジは途中から、何が愉快なのか、まるで耐えられないといった風に笑い始める。
その笑いを聞き流しながら考えるのは"報復"の意味。……なるほど、見下していたのは見下されていたから。限りなく優位に立ったこの状況が堪らなく愉快なのだろう。グラッジにとっては。
誰に見下されたのかは知らないが……。俺にとってはそんなこと関係もない。
「関係のない八つ当たりに、俺たちを巻き込むなよ」
「ははははははは!!!! 関係ない? 俺はお前達を調べた、だから知ってるぞ!! 白々しい!!」
「ぐがっ……。はっ、お前。調べた、なら知ってる、だろうが、俺は……無能力者だぞ」
叫びながら蹴られる。これ本当に洒落にならないな。多分もう立てる体じゃねぇぞ。ダメージが重なりすぎて重傷と言っても過言ではないだろう。
「無能力者ぁ? そんな強けりゃ関係ないだろ? ──お前みたいなのも死ねばいい」
瞬間先程までの鈍痛と打って変わって、焼けるような鋭い痛みが襲いかかる。痛みの元を見ると、右手を地面に縫いつけるように剣が突き立っていたのだ。
「────っ!?!?」
「痛ッッッてぇだろ!? 痛みを十や二十じゃない、百倍にしたからなぁこの傷は!!! そこらで感じた事の無いような痛みが襲ってくるだろうなァ!!!!」
グラッジの言うことは正しいだろう。思考すらままならない壮絶な痛みに目を見開いて、声にならない叫びを上げる。
「どうだ、痛いよな、痛いよなァ!? そうだろ? 辛いよな、嫌だよな? 解放してやってもいいんだぜ?」
「─────っ───!!」
「そうだ。やっと良い目になった。俺を畏れるような目をもっとしていろ!! ははは! そうれ!!」
グラッジが右手に刺した剣をぐりぐりと捻る。そのたびに痛みが再び強い波になって襲ってくるのだ。
グラッジはもう一本の剣を左手に突き刺した。
どこからだしたんだ、つか止めろ。覚束ない思考がただそれだけを言語化した。
「早めに決めてくれよ!! そうすりゃ楽になれる!! もう一本だ!!」
決めろ? 何を?
「な───に─、──を──」
「そりゃ、分かるだろ? な? 夕張識杏」
そう言って識杏を見るグラッジ。這いつくばった俺からは全く見えないのだが、それは、それだけは分かった。
「っ、おいおい。さっきよりも変な目をすんじゃねぇよ。お前にそんな目をしろなんて言った覚え、ねぇぞ!!」
蹴られる。最早場所の狙いなどなくただ目障りなものを遠ざけるように。その蹴りすら尋常ではない痛みを放ち始める。
段々と蹴られる度に痛みが遠ざかって……───
「──寝てるんじゃねぇよ!!」
頭を蹴られると、痛みで拡散しかけた意識が覚醒する。再び地獄の痛みが引き返して押し寄せる。
「にがさねぇからな? 夕張識杏をお前が売るまで、にがさねぇからな!!」
「………て」
「あぁ?」
振り下ろされた足が止まる?
グラッジの意識が離れたのだ。
「……やめて」
「おお、先にお前が折れ」
「しーくんを!!! いじめるなぁ!!!」




