"わたしのおうじさま"
グラッジが手を振るう。すると、止水君が地面に縫いつけるように引っ張られてうつ伏せに引き倒されてしまった。
そんな止水君を嘲笑いながらグラッジは私を見る。
「おいどうした? 元はと言えばお前がすんなり殺されてればこんな事にはならなかったんだぜ? 今更泣いても無駄だ」
「止水くんを……放して……」
グラッジの威圧感に震えながら私が出来たことと言えばそんな何の意味もない言葉を吐くだけ。無意味だ。
「良いぜ? まぁ、今の俺は悪魔だ。いつ放すか、どうやってから放すかは俺が決めるけどな……くくっ」
「今すぐ、放してよ!!」
けらけらと嗤うグラッジに、私は叫んだ。震えを抑えつけて、逃げることも立ち向かうことも出来ない私にはそれが精一杯。
当然グラッジは、はいそうですかと放すわけもなく、ただただ激昂させただけだった。
「うるせぇなクソが!! "アイアンメイデンの中身が見たい"!!」
私を覆うように透明な繭のような形の物が出来上がる。相手を縛りつけると言うには些か強度が足りないように見えるものだろうが、私の目にはとてつもなく恐ろしいものとして映る。見た通り貧弱な繭などでは決してない。
「出て来るなよ? 出ようとすればズタズタだからな?」
その通り。この薄い膜の繭は凶悪な檻だった。触れれば切れる。亀裂が生じれば、中にいる人間の肌も裂ける。これを力業で破れば中にいる人間はただではすまない。
しかもこれが能力とも魔法とも違う概念をベースにして形作られている。魔法のなり損ないが独自に進化を遂げたような概念をベースにして。
「無様だな、ははっ。これは悪魔らしい! 良いなつええ奴が俺の足下で這いつくばってるのはなぁ!!」
私への興味を失ったグラッジは遠慮なく、止水君の腹を踏みつける。
「へへ、こういうのだ。いいよ、悪魔になったって実感するね!! 良いよぉ!! もっとだ!!」
また、踏みつける。
何度も、何度も踏みつける。踏みつける度にグラッジ飽きもせず笑う。時折鳴ってはいけないような音が聞こえる。私はその光景を直視できない。止水君はそんなグラッジにただ何も出来ずに睨んでいた。その目を見て、グラッジの中の何かがキレた。
「ちっ、折れねえな。睨んでくんじゃねぇ、よ!!」
思い切り顔面を蹴り飛ばし、苛立った様子を隠しもせずにグラッジは叫ぶ。
「何だその目は!!」
止水君は笑っていた。その笑みがグラッジの怒りをかき立てる。
「んだよその笑いは!! 馬鹿にしてんのか!!」
グラッジが据わった目で俺を見ていた。しゃがみ込み頭を掴んで間近からのぞきこんで語りかける。
「どうすりゃいっか。拷問みたいに全部壊していくか? 先ずは手先から、そしてどんどん体を傷つけていくんだ。やったことはねぇが、何、きっと楽しい事になる」
「…………下ら、ないな。……本当にやってて……楽しいか?」
「楽しいに決まってんだろッッ!!」
唾が飛ぶほどに叫んだ。それは心の底から信じているようにも、ただ言い聞かせているようにも見えた。
「あぁ。楽しいさ。最ッ高にな!! これこそ悪魔の所業!!」
「……動けない相手をひたすら蹴る、ことがか? ……三下の行動じゃ……ねぇか」
「煩い」
腹を蹴り飛ばした。
やめて……もう止水君を傷つけないで。
どうしたらいいの?
どうすれば良かったの?
どうしたら止水君を助けられるの?
「これは報復だ。見下してきたお前たちに対する他ならぬ俺の。今の気分は最高だぜ? 這いつくばって、死ぬのを今か今かと待っている無様なお前たちを、俺が!! この俺が生殺与奪を握って!!」
見下してきた?
……なんだ、それ。……関係ないじゃない。わたしが、目の贄だからとか、止水君が驚異だとかじゃなくて、ただ、目障りだから排除しようって言っているの?
「関係のない八つ当たりに、俺たちを巻き込むなよ」
そうだ。
私はそれに頷いた。しかしグラッジは違うと捉えていたのか、大笑いする。
「ははははははは!!!! 関係ない? 俺はお前達を調べた、だから知ってるぞ!! 白々しい!!」
「ぐ。はっ、お前。調べた、なら知ってる、だろうが、俺は……無能力者だぞ」
「無能力者ぁ? そんな強けりゃ関係ないだろ? ──お前みたいなのも死ねばいい」
右手を地面に縫いつけるように剣が突き立っていたのだ。想像を絶するような痛みが止水君に襲いかかっているのだろう。止水君は動けないままに悶えていた。
「────っ!?!?」
「痛ッッッてぇだろ!? 痛みを十や二十じゃない、百倍にしたからなぁこの傷は!!! そこらで感じた事の無いような痛みが襲ってくるだろうなァ!!!!」
グラッジの言うことは正しいだろう。それはまた憎悪の籠った未知の概念が突き立てられていた。
「どうだ、痛いよな、痛いよなァ!? そうだろ? 辛いよな、嫌だよな? 解放してやってもいいんだぜ?」
「─────っ───!!」
「そうだ。やっと良い目になった。俺を畏れるような目をもっとしていろ!! ははは! そうれ!!」
気分をよくしたグラッジが右手に刺した剣をぐりぐりと捻る。それからもう一本の剣を左手に突き刺した。
「早めに決めてくれよ!! そうすりゃ楽になれる!! もう一本だ!!」
私の目が知りたくもない情報だけをひたすらに伝えてくる。この目が、伝えてくる。止水君の痛みがどれほどか。止水君がどれだけ辛いか。それを私に理解させようとしてくる。
そして不意に、グラッジが私を見た。
「───何をすれば楽に? そりゃ、分かるだろ? な? 夕張識杏」
あぁ、この男は止水君を救いたければ死ね、と言っているのだ。そうか、もとより私のせいで止水君は傷付いた。私がいなければ、止水君が傷つくことはなかった。こんな事にならなかった。
昔も、今もそうだ。私は止水君に何も出来ない、何もすることが出来ない。いつも止水君は私を救ってくれるのに、私は何一つ、出来やしないのだ。私は何も出来ないのだ。
止水君の足を引っ張って、引っ張って。好きだと思っていながら、私からは何もしない。だからこうなる。出来ないのはしないのと同じ。何もしない私のせいで止水君が。
止水君はきっとこんな私に愛想を尽かして。私を見捨てて助かるのだろう。彼が助かるなら私は死んだって良い。いや、きっと今私がしてあげられる事なんてそのくらいしか。
────けれど、彼は。
「っ、おいおい。さっきよりも気に入らねぇ目をすんじゃねぇよ。お前にそんな目をしろなんて言った覚え、ねぇぞ!! 寝てるんじゃねぇよ!!? にがさねぇからな? 夕張識杏をお前が売るまで、にがさねぇからな!!」
私を見捨てて助かろう、なんて、行動を起こす気がなかった。
「………て」
そうだ。いつも止水君はかっこよくて、私を助けてくれた。止水君を助けることも出来ないようなこんな私を。
「あぁ?」
止水君は強くて、どんな敵にも負けなかった。けれど、負けたら、私は指を咥えてみているしか出来ないの? そんなのは嫌だった。
「……やめて」
止水君が痛いのは見ていられない。だってその傷は私のせいで付いた傷だから。本当は、私が傷つくべきなのだ。
けれどそんなことは出来ない。前に出ることも出来ずに私は止水君に庇われ続けた弱い女だ。
「おお、先にお前が折れ」
だけど。そんな私を、傷だらけになっても見捨てなかった止水君。庇われ続けて、これでいいの?
良いわけがない。良いわけがないのだ。一歩前に出る。ここから、この場所から一歩、前に出るのだ。
右の手が熱を帯びる。きっと、この熱が私の想いだ。
一歩、踏みしめる。目の前の繭を右手で引き裂いて叫ぶ。
「しーくんを!!! いじめるなぁ!!!」
──私のおうじさまを、いじめるな!!
グラッジが、驚愕の瞳で私を見た。私は見たくない。止水君を虐める奴も、止水君が痛め付けられる姿も。
「しーくんを虐める奴は、許さないから!!」




