そして、踏み出す
「なるほど。それしかないか」
私が頷くと、春覇は微妙な顔で私を見た。
「簡単に言うが、わかっているのか」
溜息を吐かんばかりの表情で、春覇は告げる。
「大将軍は最高三人……即ち、この国の武官の中で三指に入る功を挙げなければならないんだぞ」
おもわず顔をひきつらせた私に、春覇は今度こそ溜息を吐いた。
「並の人間じゃ一生かかっても無理だね」
どこか楽しげに言う中津を、恨めしげに見やる。
けれども、このくらいの困難は予想できていたはずだ。この国の武官を押さえられなくて、五国の統一などできるものか。
「やってみせるさ」
自分に言い聞かせるように、私は言い切った。
「何十年後になるかな」
揶揄するように中津が言う。
それを睨んだ私の口から、自分でも信じられない言葉が滑り出した。
「一年だ」
三人が、驚いたように私を見る。私も自分で驚いた。
しかし、その期限は不思議と胸に沁みこむ。
「一年だ。それは俺の目標じゃない、通過点なんだ。何年もかけられない」
「言ったな」
面白そうに、小さく蒼凌が呟くのが聞こえた。
「一年かぁ。うん、頑張ってね」
中津がへらりと笑う。
……は?
いやいや。
「『頑張ってね』じゃないだろう。お前まさか丸投げする気か」
「だって俺鴻宵ほどバイタリティ無いし」
他人事!?
「なっ……じゃあお前はどうする気なんだ、これから」
「そうだね……俺はまだ碧しか見てないし、他の国を回って来ようかな」
のんびりとした調子で、答えが返される。
ああ……何か目眩がしてきた。
中津は大仕事を私に丸投げしておいて、全く悪びれた様子も無い。
春覇の同情的な視線が痛い。蒼凌は……堪えてるみたいだけど、また笑ってますね?
思わず一瞬中津を殴り倒したくなった私は、ふと思いついて気を静め、中津に向き直った。
「だったらお前、橙へ行け」
「橙へ?」
中津が首を傾げる。
「橙に庵氏という商人がいて、次男の庵覚が荷の護衛を担当している」
庵覚には総華の件で大きな借りがある。私は昏軍の前で派手な行動をしてしまい、面が割れているから下手に動けないし、どうやって返そうか思案していたところだ。丁度いい。
「お前そこで一月くらいただ働きして来い」
「ただ働き?」
さすがの楽天家中津も面食らう。
私は簡単に事情を説明した。総華を助け出した時の借りが、まだそのまま残っているのだ。
「……無茶するねぇ」
おおまかにだが私のした事を聞き、中津がぼそりと呟く。蒼凌と春覇も呆れ顔でこちらを見ていた。
「仕方ないだろう、他に手が無かったんだ」
苦みを含みながら私が言うと、蒼凌がふっと息を吐く。
「まぁいい……という事は、総華は無事にこの国へ来られたのだな?」
その問いに、私はしっかりと頷いた。
「ちゃんと連れてきた。……あの子、章軌の妹らしいぞ」
「ほぅ……」
蒼凌が僅かに目を見開いて感嘆の声を上げる。
ああ、そういえば、石氏に無事を報せる手紙を書かなければ。総華の兄がいた事も教えないと。
「では章軌と暮らすのか」
そう訊いた蒼凌の問いには、春覇が答えた。
「暫くは。しかし、本人は居住区での生活を希望しております」
他の狐狼と対等でありたいと、そう総華は言ったのだ。
「感心だな」
蒼凌は目を細めた。
「つきましては、いずれ太子のご許可を頂きに参るかと」
軽い礼をしながらそう述べた春覇に、蒼凌が苦笑を向ける。
「相変わらず他人行儀だな」
その言葉を受けた春覇は、僅かに眉を寄せた。
「弁えていると言って頂きたい」
時と場合を厳密に弁別しようとする辺り、春覇らしい。
しかし、蒼凌の認識は春覇のそれと違ったようだ。
「今は公の場ではない。畏まる必要は無いよ」
笑みを含んで言われた言葉に、春覇は深く息を吐くと同時に肩の力を抜いた。
「貴方も相変わらずですね、兄上」
「当然だろう。春覇にまで四六時中太子として扱われていては肩が凝る」
その反動があの性格なのか?
というか、今春覇が聞き捨てならない事を……
「……兄上?」
疑問は同じだったのか、中津がぼそりと口にする。
「正確には従兄だ」
気にした風もなく、さらりと春覇が説明した。春覇が碧の王族だという話は聞いていたが、国王の姪だったんだな。
……それにしても、似ていない従兄妹だ。
いや、顔立ちはよくよく見ると似通った所があるのだが、何て言うかいろんな意味で似ていない。性格が。
「とにかく、これで今後の方針は決まったな」
場を締めくくった蒼凌が、三人を見渡す。
「一年と言ったな、鴻宵。一年後、またここで会い見えることを楽しみにしているよ」
私は頷く。
ようやく、スタートラインに立ったわけだ。
「じゃあ俺は橙に行って来るよ」
中津がそう言って目を細める。
「一年後」
何かを誓うようにそう言って、私達は東宮を辞去した。
王歴一二八〇年、十月己酉の日。
千里の道への第一歩が、静かに踏み出された。
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これにて第一部は完結です。続きの第二部や外伝の類はシリーズからどうぞ。
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