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雨宿りは魔女の家で  作者: 森月 恵
第一章 魔女の家
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第7話 資料室

 目を開けた瞬間、嫌な予感がした。


 明るい。窓から差し込む光が、どう考えてもいつもの時間より明るい。


「……まさか」


 リリーは枕元の時計を見た。


「っ!」


 すごい勢いで飛び起きる。まだ遅刻ではない。

 遅刻ではないが、いつもならとっくに朝食を終えている時間だった。


「なんで……」


 そこまで言って、昨夜のことを思い出した。


 机いっぱいに広げた古い結界図面とココア。


 そして、いつ終わるともなく続いたシオンとの魔法談義。

 夜もだいぶ更けてから寝室に戻ったが、ベッドの中でもしばらく考え事が止まらず、いつ眠りに落ちたか覚えていない。


「自業自得だわ……」


 階段を駆け下りたところで、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 パンと卵の焼ける匂い。


「え……」


 台所を覗くと案の定、そこにはシオンがいた。


「あ、おはよう」


「……おは……というかなんで起こしてくれなかったんですか!」


 思わず声が大きくなる。シオンが振り返った。


「起こしてよかったのか?」


「仕事の日は起こしてください!」


「分かった、これからはそうする」


 あっさり頷く。

 それからフライパンの上の卵を裏返した。


「もうすぐできるから」


「食べてる時間なんてないです」


「十分くらいあるだろ」


「着替えと準備の時間も必要なんです」


「もう着替えてるじゃないか」

「髪とか化粧があります」



 シオンがリリーの頭を見る。


「髪はもうできてるんじゃないか」

「いやもっとしっかり……」



「大変だな」


 昨日までは知らない男だったはずなのに、朝から何を話しているのだろう。そんなことを考える間にも、シオンは手際よく皿を並べていく。


 焼いたパンと昨日の残り野菜を入れたオムレツ。朝から妙にきちんとしている。


「あなた、昨日何時まで起きてたか覚えてます?」


「お前と同じくらいだろ」


「なんで普通に起きてるんですか」


「朝は割と強いんだ」


 納得がいかないが、食べないで出るには惜しい匂いだった。


「……三分だけ」


「三分で食べれるのか」


「三分以上は無理です」


「喉詰まらせるなよ」


 リリーは椅子に座った。

 また一つ、朝の決まりが増えた気がした。


     *


「眠そう」


 出勤して早々、エマに言われた。


「眠くありません」


「目、半分しか開いてないけど」


「開いてます」


 リリーは素早く瞬きした。


「昨日も遅かったの?」


「まぁ、少し」


「珍しいね。飲みにでも行った?」


「行ってません」


 即答する。


「じゃあ何してたの?」


「……ちょっとした調べものです」


「家で?夜中まで?」


「はい」


 何か言いたそうな顔をしたエマの視線を無視して、リリーは自分の机へ向かった。今日こそ仕事に集中する、そう決めたはずだった。午前中の点検記録をまとめながら、気づけば昨日の結界図を思い出している。


 古い術式と現在の結界とは異なる構造。

 目的不明の三つ目の術式。

 そして、それを当たり前のように読み解くシオン。


「…………」


 リリーは報告書を書く手を止めた。

 やっぱり、気になる。


「コレット」


 前方から声が飛んできた。

 顔を上げるとアンナが書類を片手にこちらを見ている。


「手が止まってるわよ」


「……すみません」


「具合でも悪いの?」


「いえ、大丈夫です」


「なら仕事に集中して」 


「はい」


 視線を戻す。

 昼休みになった瞬間、リリーは席を立った。


     *


 魔法管理局の資料室は、本館一階の一番奥にある。


 窓が少なく、いつ来ても少しひんやりしている。

 部屋に入った瞬間、リリーの好きな古い紙の匂いに包まれる。


 ここには魔法に関する資料の他、古い記録や今は使われていない術式、過去の事故報告、各地の結界設計記録など、普段の業務で必要な資料はもちろん、ほとんど使われない珍しい資料まで揃っている。


 リリーは受付の机にいる男へ声をかけた。


「すみません」


 返事がない。


「すみません」


「聞こえてる」


 男は本から目を上げなかった。


「返事がなかったもので」


「今した」


「…………」


 長く伸びた、黒に近い濃灰色の前髪。

 その下で、眼鏡の奥の灰色の瞳がようやくこちらを向いた。


 ノア・グレン。


 資料管理を担当している職員で、リリーより数歳年上。話したことはほとんどないが、必要な資料を正確に出してくれる人間だということだけは知っている。 


「何を探してる?」


「魔力の消失について調べたくて」


「消失?」


「本人の魔力と、その周囲の魔力が同時に消える現象について」


「事故か何かか?」


「……例えばというか、仮定の話です」


「仮定の話ねぇ」


「そういう現象が起こり得るのかと思って」


「実際起きたわけでなく?」


「空想上の疑問です」


「ふうん」


 ノアは少し考えるようにリリーを見た。


「本人だけなら魔力枯渇で説明できる。でも周囲までとなると、吸収か干渉系かな」


「そういう術式があるんですか?」


「あるにはあるな。珍しいけど」


「……それから、特定のことを話そうとすると急激に魔力が減るってことありますか?」


 ノアが本から顔を上げた。


「それも仮定?」


「仮定です」


「ずいぶん具体的な仮定だね」


「今後の参考に……」


「発言を制限する術式なら、呪術関係も見た方がいいかもね」


 ノアは立ち上がると、奥の棚から何冊か本を抜き出した。


「とりあえず、この辺かな」


「借りられますか?」


「貸出記録に名前を書けばね」


「ありがとうございます」


 リリーは本を受け取ってから、少し考えた。


「あと、古い結界術についても何かありませんか?」


「古い?」


「今使われている形式より、かなり前のものです。術式の構造自体が違うような」


 ノアの視線が手元の本からリリーへ戻った。


「今日はずいぶん変わったものばかり探すね」


「色々勉強中でして……」


「ふうん」


 また同じ返事をされた。


「古代結界なら……」


 ノアは別の棚へ向かった。


     *


 仕事を終えたリリーが家に着く頃には、腕が限界に近づいていた。


 ——借り過ぎた。


 そう思ったのは管理局を出た直後だったが、気づくのが遅かった。


 呪術に関するものが三冊。

 魔力吸収と干渉術式についての本が二冊。

 それから古代結界に関する資料が二冊。


 風魔法で多少軽くしたが、軽くしすぎると積み上げた本が崩れそうになるので諦めた。途中で何度も立ち止まって持ち直しながら、ようやく家の前に着いた。

 

 鍵を出すのも面倒なので戸を叩くと、奥から人が近づいて戸を開けた。


「ただいま」


「おかえり」


 シオンが開けた戸の隙間から、ふわりといい匂いが漂ってくる。


 魚を焼く匂いと、香草のかすかな香り。


 昨日に続いて、今日も夕食の準備が進んでいるらしい。


「ずいぶん持って帰ってきたな」


「感想を言う前に受け取ってください」


「ああ、悪い」


 シオンに本を半分ほど渡すつもりが、全ての本を持っていかれたので一気に腕が軽くなった。まだ腕や指先がしびれていた。


「何の本だ?」


 シオンが本の背表紙に目を落としている。


「呪術や古代結界についてです」


「調べてきたのか」


「いえ、借りてきただけです。家で読むために良さそうなものをいくつか選んでいたら、こんな量になってしまって」


「読み甲斐がありそうだ」


 それだけ言って、シオンは本を机に置いた。


『こいつ、今日は色々やってたぞ』


 窓辺にいたルウが言った。


「色々?」


『洗濯や掃除して、昨日の紙もずっと見てた』


 リリーはシオンを見る。


「家の結界図をまた見てたんですか?」


「暇だったからな」


『あと床でふんふんなんかやってたぞ』


「ふんふん?」


「いや、それは」


 シオンが嫌そうな顔でルウを見る。


『腕とか腹とか鍛えてたんじゃねぇかな』


「鍛えてた?」


『面白かったぞ』


 どうやら今日の二人はずいぶん仲良く過ごしたらしい。


「体、大丈夫なんですか?」


「昨日よりはだいぶいい。少し動いてみたかったんだ」


「魔力は?」


「少しずつ戻ってるよ」


 リリーは反射的にシオンへ手を伸ばしかけて、止めた。


「……測ってもいいですか」


「ああ」


 許可をもらってから腕に触れる。

 確かに昨日より多い。

 いや、多いというかこれは……


「かなり増えてますね」


「だろ?」


 なぜか少し得意そうだった。


「でも、無理はしないでください」


「してないから大丈夫……」


『してたぞ』


「ルウ」


 シオンはルウがニャオと言っただけで、何か良からぬ事を言っていると察知できるらしい。


『途中で床に転がってた』


「床に?」


「休んでただけだ」


 リリーがシオンを見るとシオンは目を逸らした。


「もうすぐ夕飯できるぞ」


「話を逸らしましたね」


「飯が冷める」


 どうやら話を戻す気はないらしい。

 まあ、今は元気そうだからいいか。

 リリーはそれ以上追及せず、本の山へ視線を戻した。


 テーブルに並んだのは、魚の香草焼きと野菜のスープだった。表面をこんがりと焼いた魚には、刻んだ香草と薄切りのレモンが添えられている。


「この魚、よく見つけましたね」


「ああ。冷蔵庫にあった」


 昨日、ルウのために買ったものだ。

 今日か明日にでも焼こうと思っていた。


「ルウが教えてくれた」


 とシオンがルウを見ながら言う。


「ルウが?」


「冷蔵庫の前でずっとうるさく鳴いていた」


 足元から抗議するような声が上がる。


『俺の魚だからな』


「……そういうこと」


 その光景が容易に想像できた。シオンはルウの言葉を理解しているわけではないが、ここ二日ほどでずいぶん意思疎通ができるようになっている。


「ちゃんとルウの分もあるぞ」


『当たり前だ、一番うまいやつよこせ』


 ルウが満足そうに尻尾を立てた。その様子を見ながら席に着こうとして、リリーはテーブルの上に置かれた白ワインに気づいた。


「……この白ワイン」


「魚なら白だろ」


 当たり前のように言って、シオンがグラスに注ぐ。

 確かにそうなのだが……。


「冷蔵庫にありました?」


「いや。食料庫にあった」


 リリーはシオンを見た。


「食料庫も見たんですか」


「ああ」


「決められた部屋以外入らないって決めましたよね」


「食料庫は部屋なのか?」


「え……」


 食料庫は部屋ではない……

 そういう問題だっただろうか。

 色々なし崩しになっている気がする。

 シオンは少し考えるような顔をした。


「食材を確認しただけだ」


「……奥の方まで見ました?」


「ああ」


 どうやらかなりしっかり見られている。


「お前、結構飲むな」


「…………」


 やはり見られている。


「全部私が飲むわけではありません」


「そうなのか?」


「料理にも使いますし、いただきものもあります」


「そういうことか、別に責めてるわけじゃない」


「それに毎日飲むわけでも」


 そう言いながら、リリーはそっと視線を逸らした。


「分かったって」


 なぜ自分が弁明しているのか分からなくなって、リリーは口を閉じた。シオンは少しだけ笑って、自分のグラスにもワインを注いだ。


「俺もワインは好きだ」


「……そうなんですか」


「ああ」


 また一つ、シオンについて知っていることが増えた。


「ええと……じゃあ、今日は魚、ありがとうございます」


 とリリーがワイングラスを持ち上げる。


「本や資料、ありがとうな」


 シオンもワイングラスを軽く持ち上げた。

 リリーは魚にナイフを入れると香草の香りがふわりと立った。

 一口食べて、リリーは少し驚いた。


「……おいしい」


「そうか」


「はい。焼き加減も味付けもすごくいいです」


「それはよかった」


 シオンも魚を口に運ぶ。

 向かいに誰かが座っている食卓にも、少しずつ慣れてきた。


 食器の触れる音とときどき交わす会話。

 足元ではルウが魚を寄越せとうるさい。

 リリーは白ワインを一口飲んだ。


「もう少し冷えてたらもっと美味しいかも」


 シオンがグラスを持ったままこちらを見る。


「確かにな……」


 小さくうなずいてからシオンは続けた。


「分かった。次からはもう少し早く冷やすようにする」


「ありがとうございます」


 にこりと笑って答えてから、リリーは魚をもう一口食べた。食料庫を勝手に見るなと言っていたはずなのに、いつの間にか次のワインを冷やすことを頼んでいた。


「ところで」


 シオンがテーブルの端に積まれた本を見る。


「あれ、いつ読むんだ?」


「この後、できるところまで読みたいですね」


「七冊あるぞ」


「全部は無理かもしれませんが……」


「今朝、寝坊したばかりだろ」


「…………」


 リリーは俯きながらワインを一口飲んだ。


「今日は早く寝ます」


「終わりの時間は決めような」


「はい」


 向かいでシオンが、まだ何か言いたげにこちらを見てから、ふっと笑った。


 リリーは苦笑しながら、その紺碧の瞳が以前より明るく見えることに気がついた。


 しばらくその色に見入っていたことに気づき、手元のグラスに目を落とす。いつの間にか、ぬるくなった白ワインがずいぶん減っていた。


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