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雨宿りは魔女の家で  作者: 森月 恵
第一章 魔女の家
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第4話 魔法管理局

 謎の同居人との生活が決まり、考えることの多さにリリーはこめかみを押さえた。

 ふと壁の時計に目をやると、針が思っていたよりもずいぶん進んでいる。


「……え」


 もう一度見るが、針の位置は変わらない。

 当然だ。


「もうこんな時間!!」


 リリーは勢いよく立ち上がった。


「まずい、完全に遅刻です。仕事に行ってきます」


 返事を待つ間もなく、椅子に掛けていた上着を引っつかみ、仕事用の鞄を肩にかける。

 玄関まで行ったところで足を止め振り返った。


「昼は適当にあるものを食べてください。それから、家の中は必要以上にうろつかないでほしいです」


「ああ、わかった」


「帰ったら、使ってもらう部屋とか、その辺りも考えます。あと——」


 何か忘れている気がする。リリーは部屋を見回し、窓辺の黒猫と目が合った。


「ルウ、よろしく」


 見張っとけの意味はしっかり相棒に通じただろうか。


『おう、任せとけ』


 シオンがルウを見た。


「今、返事したのか?」


「してません」


『したぞ』


「じゃあ、行ってきます」


 それ以上の追及を許さずリリーは扉を閉めた。

 小走りに街の中を駆け抜けながら、頭の中で今日の予定を組み直す。


 確か午前の依頼は……もう間に合わない。

 完全に間に合わない。


 まずは主任に謝って、それから予定を確認して。シオンのことは——


「…………」


 考えかけて、やめた。


 家の中にいれば魔力は戻る。ルウもいる。

 本人の意識もしっかりしている。

 少なくとも、今すぐ死ぬことはないだろう。

 たぶん。


リリーはその「たぶん」を頭の隅へ押しやって、職場へ急いだ。


     *


「コレット」


「はい」


「遅刻よ」


「はい。申し訳ありません」


 王都の中心部には、大小さまざまな役所が集まっている。

 リリーの勤める魔法管理局は、その一角の奥まった場所にあった。


 フロアに駆け込んで早々、リリーは呼ばれた執務室でアンナ・モリス主任に頭を下げた。


 目の前の机には書類が三つの山に分けて積まれている。

 その向こうで、モリス主任の冷たい視線が壁の時計に向いた。


「一時間四十三分遅れ」


「……はい」


 いつも通り正確で細かい。


「理由は?」


 モリス主任は、今日も艶のある黒髪をきっちりと結い上げ、隙のないスーツ姿だった。堅い印象の装いながら古臭さはなく、さりげなく流行も押さえている。その表情から感情が読み取れないのもいつも通りだ。


「家を出るのが遅くなりました」


「それは理由じゃなくて遅刻の説明ね」


「…………」


 正しい。

 何と説明すべきか、リリーは迷った。


 昨夜、自宅の前で男を拾いました。

 朝に追い出しましたが、仕事へ向かう途中でまた拾いました。

 家の外だと魔力が減るので、しばらく住まわせることにしました。


 どこから話してもろくなことにならない。


「……少し、事情がありまして」


 結局そう答えると、アンナはしばらくリリーの顔を見た。


「そう」

 

それだけだった。


「午前の東区画の点検はクラークに回したわ。あなたは午後に南通り、三番から七番までの魔導灯を見てきて。昨日、出力異常の報告が入ってる」


「分かりました」


「その前に昨日の結界修復の報告書だけれど、追加分を確認して提出してちょうだい」


「はい」


「以上」


 相変わらず、発言に無駄がない。

 リリーは頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


「次からは連絡して」


「はい」


 アンナはもう手元の書類へ視線を戻していた。

 怒鳴られもしなければ、事情を問い詰められもしない。


 けれど次はない。


 そういう有無を言わせないところが、リリーは嫌いではなかった。


 執務室を出ると、フロアには紙をめくる音や職員たちの話し声が入り混じっていた。


「リリー!」


 自分の椅子に座ろうとしたところで、背後から声が飛んできた。


 振り向くと、同期のエマ・クラークが椅子の背から身を乗り出していた。栗毛の髪を可愛く編み込んで止めた髪飾りは、今日の服の色と上手に合わせられている。好奇心いっぱいの明るい瞳がこちらを見つめている。


「遅刻なんて珍しいじゃない。どうしたの?」


「寝坊です」


「一時間半以上じゃん」


「二度寝しました」


「へえ」


 エマの目が細くなった。


「何ですか」


「別に?」


 絶対に信じていない顔だった。

 けれどエマはそれ以上聞かず、机の上から一枚の紙を持ち上げた。


「東区画、代わりに行っといたからね」


「ありがとうございます」


「貸し一つね」


 エマが指を一本立てる。


「分かりました」


「じゃあ今夜飲みに行こっ!」


「行きません」


「返す気ないじゃん!」


 執務室の向こうで誰かが笑った。


「別のことで返します」


「そういうところよ、リリー」


 エマは不貞腐れた顔をした。


「何がですか」


「そういうところ!」


 エマに指を向けられて念を押されたが、やはり意味が分からない。


 リリーは自分の机に鞄を置いた。

 机の端には昨日提出したはずの書類が戻されている。

 これが先ほど話にあった追加分の書類らしい。椅子を引いた、その時だった。


「コレット先輩!」


 今度は横から呼ばれた。今日はよく呼ばれる。

 書類の束を抱えたエリック・ハサウェイが、ボサボサの薄茶色の髪を揺らしてこちらへ駆けてくる。


「昨日の西門の結界、先輩が直したんすよね?」


「はい、そうですけど」


「あれ、やばくないっすか?」


「何がですか」


 いつになく興奮気味のエリックに、リリーは少々面食らった。


「損傷の規模ですよ!俺、今朝見てきたんすけど、あれ一人で直したんすか?」


「ええ、まぁ……」


「スゴいっす!」


 エリックが目を輝かせて顔を近づかせた。


「声が大きいです」


「あ、すいません」


 エリックは声を落とした。


「でも、マジですごくないっすか?あの規模だったら普通二人、いや三人——」


「エリック」


 アンナの声が飛んできた。


「書類は?」


「はい!主任」


 抱えていた束を見下ろし、エリックは慌てて踵を返した。


「あとでやり方教えてください!」


「え……、まぁ時間があれば」


「やった!」


 エリックは小さく跳ねた。


「時間があればですよ」


 聞いているのかいないのか、エリックはそのまま奥へ消えていった。リリーは小さく息を吐いて椅子に座る。


 昨日の報告書を開いた。


 結界の損傷は確かに予想より大きく、本来なら複数人で対応する規模のものだった。けれど、応援を呼べばその分だけ時間がかかる。


 だから一人で直した。それだけだ。


 報告書には、使用した術式と修復箇所だけを記載してある。

 どれだけの魔力を使ったかまでわざわざ書く必要はないし、書くつもりもなかった。


「……よし」


 仕事を始める。追加報告をまとめ、午後の点検記録を確認する。

 見慣れた数字と術式を目で追う。いつもの仕事と何も変わりはない。


 十分ほど経ったところで、ふと手が止まった。


 ——まさか外には出てないよね。


 仕事中に何を考えているのだ、自分は。

 リリーはペンを持ち直した。


 シオンは子どもではない。外へ出ればどうなるかは、もう身に染みてよく分かっているはずだ。

 それにルウもいるし、何か問題が起こるとは思えない。


 そう結論づけて、報告書へ視線を戻す。三行書いたところでまたペンが止まった。


 ——勝手に家のもの、触ってないかしら。見られたら困るものは特になかったはず……。


「リリー」


「はい!」


 思わず勢いよく返事をしてしまった。顔を上げると、エマが不思議そうにこちらを見ている。


「どうしたの?」


「いえ、何も」


「ぼーっとしてたけど」


「別に、してません」


 リリーはわざと報告書へ視線を落とし、文章を目で追った。


「絶対してたよ?」


「してません」


「ふうん」


 エマは何か言いたそうだったが、やがて肩をすくめて自分の席へ戻っていった。

 リリーはもう一度報告書を見ると、同じ一行を三回読んでいることに気づいた。


「…………」


 今日はどうにも調子が出ない。

 気を抜くと、すぐに家へと思考が飛んでしまう。


 ——今日はなるべく早く家に帰りたい。


 そう考えたリリーの切り替えは早かった。


 追加の報告書を片づけ、午後に回された魔導灯の出力異常も昼過ぎには修復を終えた。昨日の結界修復が嘘のように、今日は何もかもが順調だった。夕方、最後の報告書も提出した。


「お疲れ様でした」


 定時ぴったり。

 リリーは逃げるように家路へと急いだ。

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