第3話 同居人
「それで」
リリーはシオンの向かいに腰を下ろした。
「説明してもらえますか」
名前を聞いて、関わる覚悟をした。
となれば、聞きたいことはいくらでもある。
なぜ昨夜、自分の家の前で倒れていたのか。なぜ魔力がなくなっていたのか。
そしてなぜ、一度戻ったはずの魔力が、家を出た途端にまた消えたのか。
シオンは黙っていた。
「話したくない、では困ります」
朝とは違うのだ。あのときは、食事をしたら出ていく人間だった。
どんな事情を抱えていようが、リリーは関わらないつもりだった。
だが、こうして今また自分の家に戻ってきてしまった以上、知る必要があった。
「あなたをこのまま放り出せば、たぶんまた倒れます」
「……だろうな」
「そして私がまた見つけます」
「それは分からないだろ」
「二回も拾えば十分です」
『やっと認めたな』
「ルウは黙ってて」
シオンは黒猫を見て、少しだけ眉を上げたが、今度は何も言わなかった。
リリーは咳払いをして話を戻した。
「とにかく。事情を知らないままではこの先の話もできません」
しばらくの沈黙のあと、シオンが短く息をはいた。
「……分かった」
意外にもあっさり承諾した。
シオンは少し考えるように視線を落としてから口を開いた。
「俺は——」
そこで、言葉が途切れた。
リリーは待ったが、続かない。
「俺は……」
やはり、そこで止まる。
「シオン?」
「…………」
様子がおかしい。
シオンは息が苦しいのか喉元を押さえ、眉間に深い皺が寄る。
「ちょっと」
リリーは立ち上がった。
「大丈夫?」
シオンが片手を上げて制した。
「違う。話さないんじゃない」
掠れた声だった。
「話せない」
「……話せない?」
シオンは頷いた。
「話そうとすると——」
その瞬間、シオンの魔力が揺らいだように見えた。
「!」
リリーは反射的に彼の腕を掴んだ。
魔力がまた急激に減っている。
「やめて!」
思ったより強い声が出た。
シオンが口を閉じると、魔力の減少は止まった。
「…………」
リリーは掴んだままの腕と、シオンの顔を交互に見た。
「これは……シオン、もう一度」
言いかけたリリーの言葉をルウが遮った。
『やめとけ』
できることならもう一度確かめたかったが、それではシオンを再度危険に晒すことになる。
リリーは冷静になり、シオンの腕から手を離した。
「これは……呪いですか?それとも何かの制約魔法とか?」
シオンは答えなかった。答えられないのかもしれない。
リリーはしばらく考えてから、質問を変えた。
「あなたの名前は何ですか」
「シオンだ」
「この猫の名前は?」
「ルウだろ」
『なぜ俺が出てくる』
ルウには構わず続ける。
「昨夜、どこで倒れていましたか」
「この家の前」
「今日はどこで倒れましたか」
「路地裏かな」
ここまでは答えられる。
「では——」
リリーはシオンの目を見てゆっくり聞いた。
「昨夜、家の前で倒れる前に何があったのですか」
シオンの口が開くが、声は出なかった。
「なるほど」
リリーは腕を組んだ。
「それは駄目なんですね。ここに来る以前の出来事は説明できない」
「……おそらく」
話したくないのではない、話せないのだ。
しかも、無理に話そうとすれば何らかの形で魔法が発動して魔力が減る。
——厄介だ。ものすごく厄介だ。
「なんて面倒な……」
つい本音が漏れる。
「確かにな。済まない……」
「あなたが謝ることではないです。話せないなら、調べるしかないですね」
リリーは小さくため息をついた。
「では、私から分かっていることだけ説明します」
シオンが顔を上げた。
「昨夜あなたを調べたとき、魔力はほぼなくなっていたのに、今朝は少し戻っていました」
「ああ」
シオンが自分の手を見る。
「そして外に出て間もなく、あなたは魔力を失い倒れました。私は路地で魔力の異常を感じて、あなたを見つけました。そこでは、なぜかあなただけでなく、周囲の魔力まで薄くなっていました」
シオンの表情が変わった。
どうやら本人も知らなかったらしい。
「普通ではありません。魔力を使い果たした人がいても、周囲の魔力までなくなったりはしない」
リリーは一度言葉を切った。
「でも、あなたをここへ連れてきたら、その現象は止まりました」
シオンは目を見開いた。
「……ここでは?」
「起きていません」
リリーは頷いた。
「それどころか、あなた自身の魔力も少しずつ戻っています」
シオンは口元に手を当て、何かを考えるように部屋を見回した。
ごく普通の居間に簡素な家具。
壁際の本棚と小さな暖炉。
そして窓辺には黒猫。
ちょっと古いがどこにでもある家だ。
「なぜだ」
「分かりません」
リリーは即答した。
『何だか偉そうだな』
「ルウは黙って」
ただ、とリリーは続けた。
「ひとつの仮定として、この家に張ってある結界が何らかの形で干渉しているのかもしれません」
昨夜、寝室に張った簡易結界とは違う。
この家そのものにも、住居を守るための結界が施されている。
「結界……」
「この家は、先祖代々住み続けている古い家なんです。私も調べてみないと何とも言えませんが」
「……そうか」
二人の間に沈黙が落ちる。
しかし、二人とも同じ結論に辿り着いていた。
この状況なら誰でも考える、とても簡単な、避けられない結論に。
「…………」
「…………」
『何を二人で黙ってるんだ』
ルウだけが呑気だった。
リリーはできれば口にしたくなかった。
口にしてしまえば、それが決定事項になってしまう。
だが、ほかに方法も思いつかない。
「……ここにいてもらうしか、ないですよね」
シオンが顔を上げた。
「いいのか」
「よくはないです」
即答した。
「まったくよくありません」
『そこまで言うか』
「だってそうでしょう。昨日まで知らなかった人です」
「それはそうだな」
シオンは小さく頷いた。
「しかも事情が全く分からない。外に出せば魔力を失って倒れる。おまけにそのことについて本人は説明できない」
「……その通りだ」
リリーは額を押さえた。
本人も認めるくらい、どう考えても面倒ごとだ。
人生でなるべく注意深く避けてきたものが、今、服を着て目の前のソファに座っている。
でもこのまま追い出せば、必ずまた同じことになる。
三度目はさすがに拾いたくない。
「原因が分かるまでです」
リリーは念を押した。
「外に出ても倒れない方法が見つかるまで。それまでの間です」
「分かった」
「この家の中では決められた部屋以外入らない、寝室には絶対入らない」
「約束する」
「お互い、必要以上に私生活を詮索しない」
「ああ」
「面倒ごとを持ち込まない」
シオンが少し黙った。
「……努力する」
「そこは『分かった』じゃないんですね」
『もう持ち込んでるからな』
「だからルウは黙ってて」
リリーは大きく息を吐いた。
「それから——」
そう言ってから、ふと思う。
他人と同居するための決まりなんて、考えたこともなかった。
考える必要がなかったのだ。リリーは一人で暮らしてきたし、これからもそのつもりだった。
「……またおいおい追加していきます」
「分かった」
シオンは頷いた。
「申し訳ないが、世話になる。今はこれしか言えずに情けないが、必ず恩は返すし、俺ができることは何でもする」
『俺の飯も作れよ』
「ニャア」
シオンがルウを見る。
「お前の飯も作れって?」
『ほう』
「なんで分かるの」
リリーは思わず言った。
シオンは少し考えてからつぶやいた。
「なんとなく……」
『やはり見込みがあるな、お前』
「だから褒めなくていいって」
リリーはもう一度ため息をついた。
こうしてリリーとルウが暮らす小さな静かな家に、今朝名前を知ったばかりの新たな同居人が加わった。




