↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨宿りは魔女の家で  作者: 森月 恵
第一章 魔女の家
PR
21/24

第21話 ミートパイ

「そうだ」


 ロイが突然声を上げた。


「何?」


 リリーは顔を上げた。


「ばあちゃんから預かってたんだ。あぶねえ、渡すのすっかり忘れてた」


 ロイが机の上の鞄を引き寄せる。中から出てきたのは、大きな布包みだった。


「マーサさんから?」


 リリーは首を傾げた。


「昼飯にしろって。どうせリリーは何も用意してないだろうってさ」


「……そんなことは」


 リリーが言いかける。


「図星だな」


 一瞬黙ったリリーを見て、シオンが笑う。


「今から考えるところでした」


 苦し紛れにリリーが言うと、ロイも呆れた様子で笑った。


「それを何も用意してないって言うんだよ」


 ロイが布をほどく。途端に、見覚えのある焼き色が目に入った。


「あ」


 思わず声が出た。こんがりきつね色に焼けたホールのパイ。

 生地の端から、肉と玉ねぎの具が少しはみ出している。


「ミートパイだ!」


 リリーは目を輝かせた。


「お前、これ好きだろ」


 ロイがリリーを見て満足そうに言った。


「うん、大好き」


 即答すると、ロイが笑った。


「ばあちゃんもそう言ってた」


 子供の頃から、マーサはよくこれを作ってくれた。リリーと一緒に暮らしていた頃も、そしてマーサが自分の家へ戻ってからも、ことあるごとに焼いてくれたマーサのミートパイ。焼きたてを待ちきれずに手を伸ばして、熱いから待ちなさいと何度言われたことか。


「あと、スープもある」


 ロイが今度は蓋のついた容器を取り出した。


「それから林檎な」


「……完璧すぎる。さすがマーサさん」


 リリーは思わず胸の前で手を合わせた。


「温めてくるわ」


 台所でスープを鍋に移そうと蓋を開けると、豆と根菜の匂いが立った。スープを火にかけている間に、ミートパイもフライパンでじっくり温め直す。少しすると、香ばしい匂いが台所いっぱいに広がった。


「いい匂いだな」


 シオンが覗き込む。


「マーサさんのミートパイ、美味しいですよ」


 リリーは思わず笑顔で言った。


「お前がそこまで言うなら期待できそうだな」


 シオンもパイを見ながら笑った。


「お前、自分が好きな食い物の話あんまりしないだろ」


 そうだっただろうか。


「シオンが好きな食べ物は肉でしたよね」


 庭での会話を思い出す。肉がたっぷり入ったマーサのミートパイなら、シオンもきっと気に入る。


「ああ、よく覚えてたな」


 シオンは少し驚いたような顔をしてから言った。


「お前の好物も覚えておくよ」


 温め直した食事を並べ、りんごは皮を剥いてお皿に盛り付けた。催促するルウの前にもお皿を置いて三人で食卓につくと、ミートパイにナイフを入れた。薄い生地がさくりと割れ、中にはひき肉と細かく刻んだ玉ねぎがぎっしり詰まっていた。


「マーサさん、いただきます」


 リリーは感謝しながら一口食べた。瞬間、生地のバターと肉汁や玉ねぎの旨みが口の中いっぱいに広がる。


「……おいしい」


 昔と同じ味だった。少し濃いめの肉の味と、よく炒めた玉ねぎの甘さ。生地の端はさくさくしていて、中は肉汁を吸って少し柔らかい。


「うまいな」


 シオンはすでに二口目を食べている。


「だろ?」


 なぜかロイが得意そうに言った。

 豆と根菜のスープを飲むと身体が温まった。午前中ずっと外にいて、思っていた以上に身体が冷えていたらしい。飲み込むたびに、緊張した身体からようやく力が抜けていくような気がした。さっきまで訓練場で実験していたことが、遠く感じる。


 リリーはもう一口、ミートパイを食べた。ふと、マーサの顔が浮かんだ。


「おやおや、リリー、またいじめられたのかい」


 マーサのふっくらとした体に包まれた感覚。


「そんな奴らは放っておいで。リリーは何も悪くないよ」


 頭の後ろを優しい手がずっと撫でてくれている。


「さ、ミートパイをお食べ。力が出るよ」


 急に昔のことを思い出した。何度、マーサの腕の中で泣いただろう。


 そう言えば最近、マーサの顔を見ていなかった。そう遠くに住んでいるわけではないのに、仕事を言い訳に、つい用事がある時にしか顔を出さなくなる。


「……ロイ」


 美味しそうにパイを頬張るロイに声をかけた。


「ん?」


 ロイは顔を上げた。口の端にパイが付いている。


「この器、今日返しに行ってもいい?」


「いや。今度でいいだろ。急ぐもんでもないし」


 ロイは軽く答える。


「久しぶりにミートパイ食べたら、マーサさんの顔が見たくなっちゃった」


 リリーの一言にロイはふっと笑う。


「お前から行くって言うの、珍しいしな。ばあちゃんも喜ぶよ。じゃあ一緒に行くか」


「ロイも?」


「元々俺が持ってきたんだからな。それに、リリーを連れて行って手柄を立てるチャンスだ」


 リリーは頷いた。


「じゃあ、食べ終わったら行こう」


 リリーはふとシオンを見た。


「俺は留守番してるよ」


「すみません」


 シオンも行けたらよかったのに、という言葉は飲み込んだ。


「なんで謝るんだよ」


 そう言って、シオンは残っていたミートパイを一口食べた。


「これ食えただけでも得した気分だ」


「でしょう?」


 リリーは自分が作ったわけでもないのに、少し嬉しくなった。

 食事を終える頃には、鍋のスープもほとんどなくなっていた。

 リリーは空になった器を洗いながら、もう一度マーサの顔を思い浮かべた。

 会えばきっと、仕事はどうだ、ちゃんと寝ているのか、食事はしているのかと、いつものように聞かれるのだろう。


 そんなマーサとの会話も含めて楽しみだった。


     *


 マーサの家は、リリーの家から歩いて十五分ほどのところにある。小さな二階建ての家の玄関脇には季節の花が植えられ、窓辺には白い布のカーテンがかかっていた。


 ロイが扉を叩くと、ほどなくして中から足音がした。


「はいはい、どちら様?」


 扉が開き、中から現れたのは、リリーより頭一つほど背の低い、ふっくらとした女性だった。


「あら」


 マーサの目が丸くなった。


「リリーかい」

「こんにちは、マーサさん」


 変わらないマーサに、リリーは笑顔で挨拶した。


「まあまあ、どうしたの、急に。久しぶりじゃないか」


 途端に顔をほころばせて、リリーの手を取る。


「ちゃんと食べてる?少し痩せたんじゃない?」


 予想通りのマーサの言葉にリリーは少し苦笑した。


「食べてるよ。ミートパイもありがとう。本当に美味しかった」


 マーサは嬉しそうに頷いた。


「それはよかった。あんた、昔から好きだったものねえ」


 その後ろから、ロイが空になった器を差し出す。


「ばあちゃん。俺もいるんだけど」


 マーサはロイを認めると急に声色を変えた。


「おやおや、今朝は早くしろとか何とか言って、散々ぶつくさ言いながら持っていったのに、ちゃんと器を返しにくるとは殊勝な心がけじゃないか」


 マーサのロイへの視線は冷ややかだ。


「扱い違わない?」


 呆れた様子でロイが言う。


「当たり前だよ」


 即答だった。

 ロイが何か言いたそうな顔をしたが、マーサはもうリリーの腕を引いている。


「ほら、入りなさい。お茶くらい飲んでいくんだろ?」


「はい、お邪魔します」


 リリーはマーサに手を引かれて家の中に入った。ロイはマーサに言われる前にそそくさとリリーの後に付いて入り、慣れた様子で扉を閉めた。


 居間も、昔とほとんど変わっていなかった。少し低いテーブルに、使い込まれた椅子。棚の上には小さな花瓶が置かれている。リリーは勧められるまま椅子に座った。


「待ってなさい。今お茶を淹れるから」


 台所に行こうとするマーサにリリーは声をかける。


「私も一緒にやるわ」


 するとマーサは手を振って断った。


「いいのよ。たまに来た時くらい座ってなさい」


 マーサが台所へ向かう。ロイも椅子を引いて座ろうとした。


「ロイ、あんたはさっさとお菓子と茶器の準備をするのよ。気が利かないね」


 目を上に向けたロイは諦めたように返事をした。


「はーい」


 リリーは少し笑った。

 ほどなくして、湯気の立つお茶と、小さな焼き菓子までテーブルに並んだ。


「それで?今日はどうしたの。器を返すだけならロイに持たせればよかっただろうに」

「うん」


 リリーはカップを両手で持った。


「ミートパイ食べたら、マーサさんに会いたくなって」


 一瞬マーサが黙り、それから、目尻の皺を深くした。


「……そうかい。なら、いつでも来なさい。用なんてなくていいんだから」


 その言葉に、リリーは少しだけ目を伏せた。


「仕事はどう? 忙しいの?またろくに休んでないんじゃないだろうね」


 マーサはいつもリリーの身体を気遣ってくれる。


「今日は休みだよ」


 リリーがそう答えたそばからロイが余計な一言を言った。


「こいつ、朝から魔法で地面に穴開けたんだぜ」


 慌てたリリーは、飲んでいた紅茶で盛大にむせてしまった。


「ロイ」


「何だよ。本当だろ」


 ロイはからかい半分といった様子だ。


「地面に穴?」


 マーサが怪訝そうな顔をする。


「何してたんだい」


 リリーは何とかむせ込みを落ち着かせて説明した。


「ちょっと実験してたの。この指輪の機能について」


 リリーは右手を上げた。金の指輪が、窓から入る光を小さく返す。


「これを外して実験していたら、自分の魔力が上手く制御できなくて……いつも通りに放った魔法が、想像以上の威力だったってわけ」


 地面を抉るつもりなど毛頭なかったのだ。


「ああ、そりゃそうだろうね」


 マーサは頷いた。


「だってあんた、マリーの娘じゃないか」


 当然という顔をしてマーサはリリーを見る。


「お母さん?」


 リリーが聞き返す。


「魔力の強さはお母さん譲りだろう?」


 リリーは思わずロイを見た。ロイも少し驚いた顔をしている。


「……お母さんも、そんなに魔力が強かったの?」


「ああ、とんでもなく強かったって聞いてるよ」


 マーサは当たり前のことのように答えた。


「私には魔法のことなんて詳しく分からないけどね。あの子も昔から魔力がとても強かった事だけは知ってる。だから、あんたが小さい頃に随分強い魔力を持ってるって聞いた時も、やっぱり親子だねえって思ったものさ」


 知らなかった。母が魔法を使えたことは知っていたが、その魔力がどれほどのものだったのか、自分と似ていたのか、そんなことは考えたこともなかった。


「じゃあ、お母さんも魔力を抑えてたのかな」


 リリーは自分と似た母を想像する。


「さあ、そこまでは知らないよ」


 マーサは首を傾げた。


「でも、その指輪はお母さんとお揃いのやつだろ?」


「…………え?」


 今度は、リリーもロイも同時にマーサを見た。


「お揃い?」


 リリーが繰り返す。


「違うのかい?」


 マーサの方が不思議そうだった。


「マリーもよく似た指輪をしてたよ。うん、いつも指にはめていたね」


 リリーは自分の右手を見た。金の指輪。幼い頃から、当たり前のように身につけていたもの。


「……知らなかった」


 リリーがつぶやいた。母が指輪をしていた姿を思い出そうとするが、何も浮かばなかった。指輪どころか、母の手すら、はっきりとは思い出せない。


「俺も覚えてないな」


 ロイが言った。


「まあ、あんた達は子供だったからね。人の指輪なんていちいち見ちゃいなかっただろ」


 マーサはお茶を一口飲んだ。


「金色の、飾りの少ない指輪だったよ。今リリーがしてるのと、よく似てた」


 リリーは指輪を指先でなぞった。


「マーサさん、お母さんの指輪について、何か知らない?どこで手に入れたとか、どういう魔道具だったとか」


 何か少しでも指輪に関する情報が欲しかった。


「さあねえ。そこまでは聞いたことないよ」


 やはり、マーサも知らない。


「マリーの部屋には何か残ってなかったかい?」


 マーサは少し考えるように目を細めた。


「あの部屋の中の本や書き物は、ほとんどそのままだよ。大きなものは片づけたけど、私には何が大事なものなのか分からなかったからね」


 リリーははっとして顔を上げた。母の部屋。掃除のために入るくらいで、中の物を詳しく見ることはしなかった。

——何か、手掛かりがあるかもしれない。


「……帰ったら、探してみるわ」


 マーサは静かに頷いた。


「そうするといいよ」


 マーサのお茶も茶菓子もとても美味しかった。時間はあっという間に過ぎ、リリーはお礼を言って席を立つ。玄関先まで送ってくれたマーサは、少し目が潤んでいた。

 思わずリリーはマーサの肩に両腕を回し、マーサを軽く抱きしめた。


「また顔出すね」


 リリーの鼻の奥も少し痛かった。マーサの身体は温かく柔らかで、リリーの記憶より一回り小さく感じた。


     *


「ただいま」


「おかえり」


 リリーとロイが帰宅すると、居間から声が返ってきた。見るとシオンはテーブルに本を何冊も広げていた。どれも見覚えのある表紙で、資料室から借りてきた結界術や呪術に関する本だった。


「何してたんですか?」


 リリーは早速本の数々を確認する。


「もう一回読んでた」


 シオンは開いていた本を少し持ち上げる。


「最初に読んだ時より、分かるようになってる。ここに来てから、結界術と呪術にはずいぶん詳しくなったな」


 読んでいた本をテーブルの上に置いたシオンが言った。


「それは私もです」


 するとルウがやってきてすかさず報告した。


『こいつ、本ばっかり読んでたわけじゃないぞ』


 シオンが嫌そうな顔をする。


『また外で剣振ってた』


「……鍛錬してたんですか?」


 リリーは呆れた声で聞いた。


「少しだけだ」


「シオン、今朝も鍛錬してましたよね?」


「もう元気だって」


 シオンは大したことないというふうに手を振った。


「だったら今度、俺が相手してやろうか」


 ロイが面白そうに言った。


「一人で剣振ってるよりいいだろ」


 シオンが顔を上げる。


「いいのか?」


 シオンは明らかに嬉しそうな顔をした。


「その代わり、本気でやらないと怪我するぜ」


 ロイが口角を上げた。


「それはこっちの台詞だ」


 リリーは二人を見比べた。


「家は壊さないでね」


「家の中ではやらねえよ」


 ロイとシオンの声が重なった。


「……そうだ。シオン」


 リリーはマーサから聞いたことを思い出す。


「ん?」


「この指輪。母も、よく似たものを持っていたそうです」


 シオンの表情が少し変わり、その視線がリリーの右手へ落ちる。


「同じものなのか?」


「分かりません。でも——」


 リリーは自分の指輪を指先でなぞった。


「母も魔力がかなり強かったそうです。私の魔力が強いのは、母譲りだろうって」


「じゃあ、同じように魔力を抑えるために指輪をつけていた可能性はあるな」


 シオンが考えながら言う。


「私もそう思います」


 もちろん、まだ推測にすぎない。

 同じ形に見えるだけの、まったく別の魔道具だった可能性もある。


「母の部屋に、何か残ってるかもしれません」


 リリーはシオンの顔を見て言う。


「何か?」

「例えば、指輪について書かれた本やノートです。魔道具の資料とか、研究記録とか。母がどこで手に入れたのか分かるものでもいい」


 リリーはテーブルの本を見る。

 確か母の部屋の本棚にもいくつか本があった。


「同じものを手に入れる手掛かりが、見つかるかもしれない」


 そんなに上手くいくだろうか。

 でも可能性があることならやってみたい。


「……なるほどな」


 ロイが腕を組む。


「マリーさんの部屋、まだ残ってるんだよな?」


 ロイが階段を顔で示しながら言う。


「うん」


「入ったことは?」


「あるよ。でも掃除するくらいで、中の物は見たり調べたりしたことはないから」


 母のものを調べようと思ったことはなかった。


「見てみるか」


 ロイが言った。リリーは頷いた。


「うん」


 シオンが立ち上がる。


「俺も行っていいか?」


「もちろんです」


 リリーは階段へ足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。