第17話 地下への扉
「本当に仕事に行くのか?」
朝食を終え、鞄を手にしたリリーにシオンが言った。
シオンの顔色は昨日よりずっとよく、声にもいつもの調子が戻っている。
「行きますよ。今日は地下水路の設備に結界を張る予定なので」
「昨日ろくに寝てないだろ、お前。ベッドの横で座って寝てた」
そう言えばそうだった。
どうりで少し怠さがあるわけだ。
「私は熱を出していませんから」
仕事を休むほどではない。
「そういう問題か?」
「そういう問題です」
リリーはシオンの額に手を当てた。
「……何してる」
「念のためです」
昨日ほどの熱はない。これなら大丈夫そうだ。
「今日は大人しくしていてくださいね」
「分かってる」
「外にも出ないでください」
「分かってるって」
シオンは呆れた顔をしながら、額に当てたリリーの手を払った。
「絶対ですよ」
「早く仕事に行け」
最後は追い出すように言われ、リリーは家を出た。
*
魔法管理局に着くと、その日は朝から地下水路へ向かった。
先日不具合の見つかった制御装置については、ひとまず魔導路からの干渉を防ぐ結界術式を追加することになった。
原因そのものの調査は継続中だ。しかし、現在使われている設備に外部から魔力が干渉している可能性がある以上、できる対策は先にしておくことになった。
「先輩、これ全部やるんですか?」
隣で図面を見ていたエリックが言った。
「全部ではありません。今日はこの区画だけです」
「この区画だけって……」
エリックが水路の先を見た。まっすぐ延びた石造りの地下水路に、いくつもの制御用装置が等間隔で並んでいる。全ての魔道具の周囲に干渉防止の結界を張る必要があった。
「この種の結界は、結構時間がかかりますね」
エリックが図面を見ながら言った。
「まあこういうのは、淡々とやるに限ります」
リリーは図面を見ながら考えた。
干渉を防ぐだけなら、もう少し術式を簡略化できそうだ。
干渉してくる魔力の流れだけを遮ればいい。
昨日までに確認した魔力の流れを思い出しながら、術式を組み替えて一つ目の装置に結界を張る。
「はい、終わりました」
「え?」
エリックが目を丸くしている。
「次、行きましょう」
先を急ぐリリーの後ろを、慌ててエリックが追いかけた。
予定していた区画は午前中で終わった。
「今日一日かかる予定じゃありませんでした?」
「予定より早く終わりましたね」
簡略化した術式でやれば、案外あっさりと結界をかけることができた。
「次の区画もやりますか?」
「え……?」
エリックが驚いた顔で聞いてくる。
「時間がありますから」
結局、その日のうちに予定していた範囲より二区画先まで作業を終えた。戻って報告書を提出すると、アンナはしばらく紙面を眺めてから顔を上げた。
「コレット」
「はい」
「これ、今日の作業よね」
「はい。術式を簡略化しても問題ないと判断しましたが、よかったでしょうか」
報告書に詳細は記載したが、だめだっただろうか。
「そう」
アンナは何か言いたそうな顔をしたが、結局ため息をついただけだった。
「もういいわ。お疲れ様」
「はい。お疲れさまでした」
ちょうど定時だった。
*
「ただいま」
「おかえり」
玄関を開けると、すぐに声が返ってきた。
リリーはその声を聞いて少しだけ安心した。
昨日はなんの返事もなかったが、今日は声だけでも分かるくらい、いつものシオンだった。
居間へ行くと、シオンはソファに座って本を読んでいた。
テーブルには空になったカップが置かれている。
「シオン、体調はどうですか。熱は?」
「もう大丈夫だ」
「本当に?」
シオンはやれやれといった風に顔を上げた。
「本当だ。測るか?」
「測ります」
即答すると、シオンが嫌そうな顔をした。
「冗談だ」
シオンは立ち上がったが、その動きにも昨日のようなふらつきはなかった。
リリーは立ったシオンの額へ手を伸ばし、何とか触れる。
「……大丈夫そうですね」
「だから言っただろ」
シオンはそう言いながらも、もう手を払おうとはしなかった。
「仕事は?」
「今日予定していた結界は張り終わりました」
「地下水路の?」
「はい。古い魔導路からの干渉を防ぐためのものです」
リリーはコップを二個持ってきて果実水を注ぎ、一つをシオンに渡した。
「定時で終わったのか?」
「はい、二区画ほど余分にできました」
リリーは、ごくごくとコップの半分ほどの果実水を飲んでテーブルに置く。そんな様子をシオンは黙って見つめていた。
「何ですか」
「……いや」
昨日と同じような顔をされた気がした。
「それより」
リリーは本棚から折り畳んだ紙を取り出した。
「シオンが元気なら、今日はこれを調べようと思っていたんです」
以前見つけた、この家の古い図面をテーブルに広げる。
シオンも隣から覗き込んだ。
「地下室か」
「はい」
図面には確かに、家の下に小さな空間が描かれている。
しかし、入口がない。階段も扉も、現在の家には見当たらなかった。
「外から入るんじゃないのか?」
「その可能性も考えました。でも図面を見る限りでは、家の中から通じているように見えます」
リリーは指で線を追った。
「位置としては、この辺りです」
二人で居間を見回す。
壁と本棚、そして暖炉、二階へ続く階段。
「階段の下か?」
「その辺りの可能性が高いと思います」
階段下には、小さな収納がある。
掃除道具や生活用品の買い置きを入れているだけの場所だ。
リリーは扉を開け、中の物を順番に外へ出した。
「……普通の壁だな」
「そうなんです」
奥の壁を叩いてみると、硬い音が返ってくる。
魔力を探ってみても、特別な反応はない。
「図面が間違ってるとか」
「それなら、この空間自体が何なのかという話になります」
そのとき、玄関の扉を叩く音がした。
二人で顔を見合わせる。
「誰でしょう」
「さあ」
リリーが玄関へ向かい、扉を開ける。
「よ」
そこに立っていたのはロイだった。
「……また来たんだ」
リリーは少し呆れ顔で言った。
「なんだよ、その言い方」
ロイは口を尖らせた。
別に来てはいけないとは言っていない。
「シオンの様子を見に来たんだよ」
「なんでシオンが熱出したこと、知ってるの?」
リリーが驚いて聞いた。
「熱?やっぱり何かあったのか。お前らの様子が変だったら教えてくれって、ルウに言っといたんだ。そしたら今日、あいつが俺のところに来たからな」
「ルウが?」
「ああ。出てきたお前は変わりなさそうだったから、シオンの方かと思っただけだ」
いつからそんな情報網ができたのか。リリーが呆気に取られている間に、ロイは勝手知った様子で家に入り、居間へ向かった。
「よう。生きてるか」
シオンの肩を軽くたたく。
「見れば分かるだろ」
「案外元気そうだな」
シオンも特に嫌そうではない。いつの間にこの二人もこんなに気安く話すようになったのか。ロイは床に置かれた箱や掃除道具を見て眉を上げた。
「何してるんだ?」
「地下室の入り口を探してたところ」
リリーが答えた。
「地下室?」
「この図面に描いてある」
シオンが図面を示す。
ロイはそれを覗き込んだ。
「地下室なんてあったか?」
「私も知らない」
「お前、ここに何年住んでるんだよ」
ロイは呆れた顔でリリーを見る。
「住んでいても、知らないものは知らないの」
「で、あるとしたらこの辺なのか?」
ロイが階段下の収納を覗き込んだ。
「多分ね」
「ふうん」
ロイはしばらく中を見ていたが、やがて何かを思い出したようにふと笑った。
「……そういえばここの隙間事件、リリー覚えてるか?」
「隙間?」
リリーが聞き返した。
「ほら、ここ」
正面の石積みの壁の角を指す。
よく見ると、確かに手がギリギリ入るくらいの細い隙間がある。
「俺、昔ここに木剣突っ込んで抜けなくなって…」
「え?」
リリーが驚いてロイの顔を見る。
「そんなことあった?」
リリーは全く思い出せない。
「まぁリリーは覚えてないかもな。ばあちゃんにしこたま怒られたの、俺だけだったし」
そんなことがあったとは初耳だった。
リリーも隣にしゃがみ込む。
隙間は狭く、奥は暗い。
「何か見える?」
「いや」
ロイが目を細める。
「暗すぎるな」
すると横から突然淡い光が滑り込んだ。
小さな光の玉だった。
シオンが指先を軽く動かすと、光球は隙間の奥へゆっくり進んでいく。
「これで見えるか」
「……シオン」
後ろを振り返ると、シオンはどうしたという顔をしてこちらを見ている。
「ちょっとその魔法……」
といいかけて、今はとりあえず置いておく。
「もう少し奥を照らしてもらえますか」
「こうか?」
シオンが指先を動かすと、光球がさらに奥へと進んだ。
「……何か……ある」
じっと隙間の奥を見ているリリーがつぶやいた。
「俺の木剣?」
「違うから」
リリーはロイを見ずに、冷ややかに言った。
「じゃあ何だ?」
「何だろう……」
リリーはさらに顔を近づけた。
石壁の隙間の奥、埃に埋もれるようにして、小さく光るものが見える。
「あれは……魔石……?」
シオンがさらに光を近づける。間違いない。
古い魔石が、壁の内側に埋め込まれていた。
「なんでこんなところに?」
リリーの胸が少し高鳴る。
ただの装飾には見えない。こんなところに魔石を埋め込む理由がない。リリーは細い風を壁の隙間へ送り込み、積もった埃を払うと、魔石の周囲にわずかに線が見えた。
術式だ。
「これ……」
リリーは立ち上がった。
「どうした?」
シオンが尋ねる。
「何かの起動用かもしれません」
「何の?」
「それは今から確かめます」
リリーの胸の鼓動がさらに早くなった。
「お前、そういう時だけ嬉しそうだよな」
ロイがリリーの顔を見て言った。
「そう?」
リリーが不思議そうに答えると、
「そうだよ」
「そうだな」
ロイとシオンがなぜか同時に言った。リリーは二人の言葉に軽く首を傾げながら隙間の奥へ手を伸ばす。ひやりと魔石の感触がした。リリーは指先から慎重に魔力を流した。
「……」
何も起こらない。
「……違うのかな」
もう少しだけ流す。
その瞬間、魔石が青白く光った。
「リリー、一旦やめろ」
シオンの声がする。
「大丈夫です。魔力を吸われているわけではないので。もう少しだけ」
流した魔力が、何かに導かれている。
細い光が、古い術式に沿って走り始めた。
「離れろ」
ロイが反射的にリリーの肩を引いた、次の瞬間。
——ゴトン。
壁の奥で、重いものが動く音がした。
三人とも黙った。
「……何の音だ」
ロイが聞いた。
「分からない」
リリーが正直に答えると、
「分からないのに魔力流したのか?」
ロイが呆れたように言った。
「結果、何か起きたわけだし」
リリーが軽く答えると、
「そういう問題じゃないだろ」
と、シオンが小さく眉根を寄せた。
「これに慣れるしかない、あきらめろ」
ロイがシオンの肩をたたいている。
やがて、低い音とともに階段下の奥壁がゆっくりと動き始めた。
埃が舞う。
今までそこに継ぎ目があることすら分からなかった壁が、少しずつ横へずれていく。
その向こうに現れたのは、暗闇だった。
やがて目が慣れると、下へ続く石造りの階段が見えた。
「……本当にあったのかよ」
ロイが呟いた。
「私なんて、ずっとここに住んでるんですけど」
「それで今まで気づかなかったのか」
ロイは階段から目を離さずつぶやく。
シオンは何も言わず、開いた入口を見ていた。
リリーも暗い階段の先を見る。
——空気が違う。
冷たいわけでも湿っているわけでもない。
ただ妙に静かだった。
「……行ってみますか」
リリーがそう言うと、ロイが呆れたように息を吐いた。
「お前、絶対そう言うと思った」
シオンは暗闇の向こうを見たまま、わずかに笑った。
「だな」
そう言うシオンも、紺碧の瞳の奥に光るものがあるのをリリーは見逃さなかった。
「行く選択肢しかないのは、私だけじゃないと思いますけど……」
階段の先には、まだ何も見えない。
それでも、この家にずっと隠されていた何かが、この先にある。
リリーは一歩階段へ踏み出した。




