↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨宿りは魔女の家で  作者: 森月 恵
第一章 魔女の家
PR
16/26

第16話 熱

「ただいま」


 玄関の扉を閉めるなり、リリーは居間の方を見た。


「シオン?」


 返事がない。


 いつもなら、この時間には夕食の匂いがしていることが多い。

 でも今日は家の中は何の匂いもせず、妙に静かだった。


『今日は静かだったぞ』


 階段の途中からルウが顔を出した。


「ルウ、静かだったって何が?」


『あいつ、昼からずっとあそこにいる』


 ルウが尻尾で示した先を見る。

 居間のソファでシオンが横になっていた。


 ——珍しい。


 シオンがこの家に来てから、ソファで寝ているところなど見たことがなかった。


「シオン」


 近づくと、ようやく紺碧の目が開いた。


「……おかえり」


 声が少し掠れている。


「どうしたんですか」


「何が」


「具合が悪いんですか?」


 明らかにいつもと違う。

 リリーは鞄を置くと、シオンの横にしゃがみこんだ。


「少しだるいだけだ」


 紺碧の目が少し潤んでいる。


「熱は?」


「知らない」


 顔がほんのり赤い。


「寝てれば治る」


 シオンが目を逸らしてつぶやく。


「あなたの場合、ただの熱かどうか分からないでしょう」


 リリーは呆れながらシオンの額に手を当てた。


「……熱い」


「そうか?」


「そうか、じゃありません」


 触れた手のひらに、はっきりと熱が伝わってくる。

 リリーは眉を寄せた。


「昨日、結界の外に何度も出たせいじゃないですか?」


「昨日は何ともなかった」


「五回も出ておいて、何を言ってるんですか」


 リリーが口早に言うと、


「たった五回だろ」


 シオンは軽く自嘲した。


「その五回で、どれだけ魔力を失ったと思ってるんです?」


 シオンが口を閉じた。

 リリーはそのまま手首を取って目を閉じた。

 

 シオンの魔力を探る。


 家の中にいるおかげで、魔力そのものは昨日より戻っているし、大きな乱れもない。でもだからといって、安心していいのかは分からない。魔力の回復と身体の消耗は話が別だ。


「今日はよく寝てください」


 きっぱりとリリーは言った。


「夕飯は……」


 起き上がろうとするシオンを、そのまま横にならせた。


「私が用意します。何か食べれそうですか」


「いや、俺はいい。お前、ちゃんと食べろよ」


 具合が悪い時にも人の食事の心配をするなんて、と思いながらリリーは答えた。


「私の分は何とでもなります」


「お前、昼もろくに食べないくせに」


 リリーはたじろいだ。


「今日は、食べました……」


「何を」


 シオンがすかさず聞いてくる。


「……ちゃんと食べました」


 危うくこの間と同じやり取りになるところだった。

 シオンが小さく息を吐く。


「それより」


 そこでリリーは、帰ってきたときに話そうとしていたことを思い出した。


「今後、王立魔法研究所の資料を閲覧できるかもしれません」


「王立魔法研究所?」


 シオンが怪訝な顔をした。


「はい。実は今日——」


 思わず身を乗り出しかけて、やめた。

 病人のシオンに、今話す話ではない。


「……いえ。これは明日でいいです」


「気になるだろ」


 シオンは不満気な顔をした。


「今はとにかく寝てください」


 リリーは有無を言わさない態度で言った。


「途中まで話しておいて?」


「元気になったら話します」


 シオンが憮然とした顔でリリーを見る。その顔が少し面白くて、いつもなら笑っていたかもしれない。けれど今は笑えなかった。


「立てますか?」


「そこまで悪くない」


 シオンがゆっくり起き上がろうとする。


「二階の部屋まで行けます?」


「…………」


 ソファに座ったシオンがなかなか動かない。


「歩けないなら手伝います」


「歩ける」


 シオンはソファから立ち上がった。

 その瞬間、わずかに身体が揺れ、リリーは反射的に腕を掴む。


「……ほら」


「ちょっとふらついただけだ」


 リリーは短く詠唱し指を動かして、シオンの周りに風魔法をかけた。


「シオンを風魔法で運ぶのは、これで三回目です」


「……この魔法」


 シオンは一瞬驚いた顔をした。


「何ですか」


 リリーが尋ねると


「いや」


 シオンはふっと笑って言った。


「相変わらずお前、すげえ奴だな」


     *


 夜になっても、シオンの熱は下がらなかった。


 自分の夕食は、簡単なものを済ませた。

 シオンには水だけ飲ませたが、食欲はないらしい。

 リリーは何度目か分からない魔力の確認を終えて、小さく息を吐いた。


 異常はなさそうだ。


「だから寝てれば治るって言ったろ。大丈夫だ」


 シオンは熱のせいか少し掠れた声で言った。


「熱を出している人の『大丈夫』ほど、信用できない言葉はありません」


 シオンは物言いたげな顔をしているが、今は言い返す元気もなさそうだ。


「とにかく今日は寝てください」


「ああ」


 シオンは素直に目を閉じた。

 リリーは静かに部屋を出てから、片付けと寝る準備をした。


 お風呂に浸かって、ようやく今日初めて一息ついた気がした。

 今日は朝から妙に疲れた。長官に呼ばれて本庁へ行き、王立魔法研究所の資料閲覧の許可をもらえた。同時に制約魔法という思いがけない手掛かりも見つけた。


 明日、シオンの熱は下がるだろうか。

 下がったらちゃんと報告しようと思いながら風呂から上がる。


 寝る前に、もう一度シオンの様子を確認しに部屋に入った。

 シオンは小さな寝息をたてて眠っていた。


 リリーはそっと額に手を当てた。まだ熱は高い。シオンの額のタオルを冷たいものに換えてから、リリーはベッド脇の椅子に座った。しばらく様子を見てから自分の部屋へ戻るつもりだった。


 窓の外では風が強まっていた。時折、窓がガタガタと揺れる音が部屋に響いた。


 どのくらい経っただろう。


 シオンの呼吸が少しずつ浅くなり、小さく唸り声をあげた。


「……やめろ」


「シオン?」


 返事はない。シオンの眉間に皺が寄っている。

 リリーは立ち上がり、もう一度額に手を当てた。


 熱はまだ高い。


「……やめてくれ……」


 シオンの目は閉じたままだ。

 夢でも見ているのだろうか。シオンの手が、何かを掴もうとするようにシーツの上を動いた。


「……俺の……ために……」


 掠れた声だった。リリーは聞き取ろうとして、少しだけ顔を近づける。


「……死ぬな」


 胸の奥が、妙にざわついた。


 どんな夢を見ているのか、誰に言っているものなのか。聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がして、リリーは身体を起こした。


 そのとき、手首を掴まれた。


「……シオン?」


 強い。


 眠っているとは思えないほどの力だった。


「ちょっと、痛いです」


 返事はないが、離そうとするとさらに指に力が入った。


 困った。起こした方がいいのだろうか。


 でも、シオンの呼吸はようやく少し落ち着いてきている。

 リリーはしばらく考えたあと、椅子へ座り直した。


「ここにいます。大丈夫です。寝てください」


 リリーの手首を握ったシオンの手の上に、リリーはそっともう片方の手を置いた。そのままにしていると、しばらくしてシオンの呼吸がゆっくりになった。


 風が木を揺らす音が聞こえる。


 シオンはどんな夢を見ていたんだろう。


 リリーはシオンの手を包みながら思いを巡らせた。シオンの過去や、置かれている状況は全く知らない。聞こうにも、あの魔術のせいで本人は話すことができない。


 家の前で倒れていた時と比べたら、随分元気になったとはいえ、今日までずっと気が張っていたはずだ。体調を崩したのも当たり前のように思えた。


 ——死ぬな。


 その一言だけが、妙に胸に残った。


 そこまで考えたところで、瞼が重くなった。

 いつの間にかリリーは目を閉じていた。


     *


 明るい。


 暖かな陽射しが、庭いっぱいに降り注いでいた。

 リリーは自分の小さな手を見る。


「もう一度やってみて」


 横から優しい声がする。


 リリーは両手を前に出した。

 指先に意識を集中する。

 ふわり、と小さな光が生まれた。


 けれどすぐに形を崩して、いくつもの光の粒になって消えていく。


「あ……」


 失敗した。


 そう思った時、隣から笑う声がした。


「上手ね、リリー」


 頭に手が触れる。暖かい手だった。


「でも、消えちゃった」


「最初はそれでいいのよ」


 声もとても温かい。


「お母さんみたいにできない」


「できるようになるわ」


 母の笑い声が聞こえた。

 声の方へ顔を向けたが、陽射しが眩しくてよく見えない。


「リリー」


 頭を撫でる手だけが、はっきりと分かる。


「この力はね、大切な人のために使うのよ」


 はっきりと聞こえる。


「たいせつなひと?」


「そう」


「じゃあ、お母さんのために使う」


 一瞬、間があった後、母の笑い声が聞こえた。

 

「そうね。お母さんも……」


     *


 目を開けると、薄暗い部屋だった。庭も、温かな陽射しもない。

 カーテン越しの窓の外が、淡い朝の光に変わっている。


「……夢」


 久しぶりに、母の夢を見た。


 どんな顔をしていたのか思い出そうとするが、うまく浮かばない。

 声も手の暖かさも思い出せるのに、顔だけが曖昧だった。


「……起きたか」


 すぐ近くから声がして、リリーは顔を上げた。


 シオンがこちらを見ている。

 銀灰色の髪の下、紺碧の瞳はまだ少し虚ろだが、昨日よりは力がある。


「起きてたんですか?」


「ああ」


 昨日、シオンの様子を見にきてそのまま眠ってしまったらしい。

 ふと繋がれた手が目に入る。


「あの……。手、離してもらっていいですか」


 見ると、昨夜からずっと手を握られたままだった。


「お前が起きるから」


 ちょっと意地悪そうにシオンの口角が上がった。


「もう起きました」


「そうだな」


 ようやく指がほどける。

 リリーは離された手首をそっともう片方の手で包んだ。


 ずっと握られていた手。


「熱は?」


 ハッとしたようにリリーは聞いた。


「もう大丈夫だ」


「確認します」


 額に手を当てる。

 まだ少し熱いが昨夜よりは下がっている。


「夜よりは下がってますね」


「だから言っただろ」


 掠れていた声も随分元に戻っている。


「まだ平熱ではありませんから」


 リリーが念を押して言うと、シオンは少しバツが悪そうな顔をして言った。

 

「腹減った……」

 

     *


 リリーは台所に立ってから、何を作るか少し考えた。病み上がりなら、胃に負担の少ないものがいい。


 ——パン粥にしよう。


 鍋に牛乳を入れ、火にかける。


 しばらくすると、静かな湯気が立ち始めた。

 あとは野菜スープも作ろうかと考えていると、


『珍しいな』


 足元から声がした。

 見下ろすとルウが座っている。


「何のこと?」


『リリーが朝から料理してる』


「私だって料理くらいするわ」


『自分のためにはあまりしないだろ』


 確かに自分一人なら適当に済ませてしまうところだ。


「……まあ、今日は必要だから」


『俺の分も忘れるなよ』


 ちゃっかりした猫だ。


 しばらくして背後で足音がした。

 振り返ると、シオンが入口に立っている。


「寝ててください」


「もう寝飽きた」


 シオンは少し気怠げに言った。


「熱が完全に下がるまでは寝てないとだめですよ」


 シオンが鍋を見る。


「……何作ってるんだ」


「朝食です。パン粥と野菜スープにしようかと」


 シオンの口元が少し緩んだ。


「へえ……」


「座っててください」


 リリーは冷蔵庫から出した果実水をコップに注ぎ、居間のテーブルに置いた。

 シオンは珍しく素直に従った。


 出来上がったお粥と野菜スープを器によそい、目の前に置く。


「熱いので気をつけてください」 


「分かった」


 シオンが匙を取る。

 一口食べるのを、リリーはじっと見ていた。


「……どうですか」


「うまい」


 シオンは次々と匙を口へ運ぶ。


 そんなシオンの姿を見ていて、ふと昨夜の夢を思い出した。


 ——大切な人のために使うのよ。


 母の声だけが、不思議なくらい鮮明に残っている。

 なぜ今になって、あんな夢を見たのだろう。


「そういえば」


 シオンの声に顔を上げる。


「昨日、話しかけて途中でやめただろ」


「あ、そうでした」


 リリーは自分の匙を置いた。


「制約魔法というものがあるそうです」


 シオンが顔を上げる。


「制約魔法?」


「特定の知識を他言できなくする魔法です。王立魔法研究所では、禁術区分の資料を閲覧した人間に使われています」


 シオンの表情が真剣なものに変わる。


「あなたにかけられているものと、少し似ていると思いませんか?」


 しばらく沈黙が落ちた。


 シオンは匙を置いた。


「……似てるな」


「同じものとは限りません。ただ、同系統の術式なら調べる価値はあります」


 確かめるようにリリーが答えた。


「ああ」


「閲覧の許可が出たら、まずそれを調べようと思います」


 リリーは言ってから、お粥を一口食べた。

 

 シオンは何も言わない。

 視線を感じて顔を上げると、シオンの紺碧の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。


「何ですか?」


「いや」


 シオンは微笑んで首を振った。


「ありがとな」


 不意の言葉にリリーは戸惑った。


「……何がですか」


「色々」


 曖昧すぎる。


 何に対する礼なのか分からない。

 資料を調べることなのか、お粥なのか、昨夜そばにいたことなのか。


 聞こうかと思ったが、やめた。


「どういたしまして」


 窓の外では、いつの間にか風は止み、鳥のさえずりが聞こえていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。