第15話 魔法省長官
「俺の?」
シオンが眉を寄せた。
「はい」
リリーは地図の上に指を置いた。王都の地下を走る、古い魔導路。その上に、今日調べた水路設備の不具合箇所が重なっている。
「今日調べた六か所のうち、五か所は古い魔導路と重なっていました。残りの一か所も、図面上では魔導路が途中で途切れている場所でした」
「それと俺の魔力がどう繋がる?」
「不具合の原因は、この魔導路に強い魔力が流れたためと考えられます。ではなぜ、使われていないはずの魔導路に魔力が流れるのか」
リリーはシオンの方を向いて慎重に言葉を重ねていく。
「昨日、あなたが結界の外に出た時、魔力が地下へ引かれていました。今日も同じだったんですよね?」
「ああ」
「地下へ引かれたシオンの魔力は、地中の魔導路を通してどこかへ流出しているのではないかと」
ロイが地図を覗き込む。
「で、その時に水路にも不具合が起きた?」
リリーは頷いた。
「実は今日の地下水路の調査中、魔導路を魔力が流れていった感覚がありました。そして同じ頃、庭での実験中にシオンの魔力は地中に引かれていった。魔導路を流れたシオンの魔力を、たまたま私が感知したと考えると辻褄が合います」
リリーは一つため息をついた。
「あくまで仮説の一つですが」
ロイは少し呆れた顔をして言った。
「お前、そういうところは本当に真面目だよな」
シオンは地図を見たまま黙っている。
「俺から抜けた魔力が魔導路を流れて、水路の魔道具に干渉した」
確かめるように呟く。
「今のところ、それが一番説明しやすいと思います」
リリーは一つ一つの情報をもう一度頭の中で整理しながら答えた。しばらくして、シオンが古い魔導路を指でなぞった。
「その魔力は、どこへ行く?」
リリーは答えなかった。正確には、答えられなかった。図面に残っているのは、王都の地下にかつて存在した魔導路の一部だけだ。どこから始まり、どこまで続いていたのか。そもそも今もすべてが繋がっているのかさえ分からない。
「……分かりません」
シオンが顔を上げた。
「でも」
リリーは地図を見る。
「もし本当にあなたの魔力がここを流れているなら、その先に何かがあるはずです」
——何か。
それが何なのかは、まだ分からない。
でも初めて、シオンから失われた魔力の行き先に繋がる道が見えた気がした。
* * *
「コレット。午後、魔法省本庁に行って」
2日後の朝、出勤して早々にアンナにそう言われて、リリーは手にしていた書類から顔を上げた。
「本庁ですか?」
「そう」
アンナの返答を聞いてリリーは怪訝な顔をした。
「何のためにでしょうか」
「私に聞かないで。呼ばれたのはあなたなんだから」
リリーはさらに訝しんだ。本庁に仕事で行くのは、年に数回あるかないかだ。こんなに急に、しかも呼び出されることはまずない。
「誰に呼ばれたんでしょう?」
アンナは一度、手元の書類へ視線を落とした。それから何でもないことのように言った。
「オルブライト長官よ」
「…………」
リリーは数回瞬きをした。
「ええっと…」
何かの間違いではないだろうか。
「魔法省長官が?私を?」
アンナは眉をひそめて、小さくため息をついた。
「そう言ってるでしょう」
リリーは黙った。
レナード・オルブライト。
魔法省長官、すなわち王国の魔法行政の頂点に立つ人物だ。魔法管理局に勤めていれば、もちろん名前は知っている。会議や通達で名前を見ることもあるが、当然、直接話したことはない。普通の局員が直接話すような相手ではないのだ。
「心当たりは?」
アンナが聞いた。
「ありません」
リリーが答える。
ここ二日は、地下水路設備と古代魔導路の関連について、提出するための書類作成に明け暮れていた。大きな案件とはいえ、魔法省長官に直接呼び出されるほどとは思えなかった。
「即答ね」
ふっとアンナが笑う。
「ある時は、たった一人で大規模な結界修理を半日で終わらせた。またある時は、地下水路設備の不具合の原因が古代魔導路からの干渉だと指摘した。魔力探知に非常に優れた、魔法管理局の一局員……、自覚はある?」
リリーが慌てて口を挟む。
「それは仕事ですから」
「最近、資料室から古い結界や呪術関連の本を大量に借りてるそうね」
はっとしてリリーは少しうつむいた。
「……確かにそれは、仕事ではありません」
「でしょうね」
アンナがため息をついた。
「心当たり、あるじゃない」
リリーは少し考えた。
「でも、長官に呼ばれるほどではないと思います」
「それを決めるのは長官よ。午後二時。遅れないで」
アンナはきっぱり言うと執務室へ戻って行った。
「……分かりました」
——面倒なことになった。
この言葉を心の中でつぶやくのは何度目だろう。
*
魔法省本庁舎は、王宮の敷地内にある。衛兵のいる門で検問を受けること複数回、ようやく庁舎の受付で案内を願い、長官室へ向かう。
本庁舎の建物内は、管理局とは空気が違った。同じ魔法行政を扱う場所でも、こちらを行き交う人間の服装は整い、廊下には余計なものも余計な会話もほとんどない。
壁に埋め込まれた照明用の魔道具も、管理局で使っているものより新しい型だった。
案内された最上階の廊下を歩きながら、リリーは何度目か分からない疑問を考えていた。
——なぜ、自分なのだろう。
地下水路の件なら、まずアンナを通すはずだ。報告書はまだ途中で、正式な対策もこれからだ。古代魔導路のことが問題になったのだろうか。
それとも——。
「こちらです」
案内役が足を止めた。重い木の扉の向こうに、魔法省長官がいる。リリーは一度息を吐いてから扉を叩いた。
「入れ」
低い声がした。
「失礼します」
リリーが扉を開けて中に入ると執務室は思っていたより簡素だった。大きな机と、その背後に並ぶ書棚。壁際には王都の地図と、いくつかの魔法設備の配置図が掛けられている。
窓際の机で、一人の男が書類を読んでいた。
レナード・オルブライト長官。
濃灰色の髪を上品に後ろへ流し、見るからに上質な刺繍入りの黒のマントを羽織った壮年の男性は、リリーが入っても、顔を上げなかった。
「リリー・コレットです」
「座ってください」
「失礼します」
リリーは向かいの椅子に座る。それから数秒して、ようやくオルブライト長官が書類を置いた。
「地下水路の報告を読みました」
やはり、それか。
「まだ途中経過です」
「そのようですね」
「正式な報告書は、調査終了後に提出します」
なるべく平静にリリーは答えた。
「それは担当部署に提出してください。今日はその話だけで呼んだわけではありません」
オルブライト長官は一瞬目を上げてリリーを見た。何を考えているのかわからない、凪いだ視線だった。リリーは黙って続きを待った。長官が別の書類を取り上げる。
「大規模な結界の修復も、一人で行ったようですね」
「それは……その方が早いと判断したからです」
「そうですか」
オルブライト長官は書類をめくる。
「王立魔法学校在籍時は学年首席。その後、別の魔法学校へ転校し、優秀な成績で卒業……。卒業時には魔法省本庁と王立魔法研究所、双方への推薦を受けるも辞退」
リリーは瞬いた。
「魔法管理局に就職後、昇進試験を勧められるも、これも二度辞退。大規模結界の補修を単独で行った記録が三件。今回の地下水路設備異常では、古代魔導路からの魔力干渉を指摘」
さらに書類を一枚めくる。
「そして最近、古代結界、魔導路、呪術に関する資料を集中的に閲覧している」
そこまで調べられている。
リリーのこめかみに嫌な汗が流れた。
「何がしたいんです?」
唐突に聞かれた。
「何が、とは」
リリーは何と答えていいかわからない。
「出世にも中央での勤務にも興味がない。それなのに、専門的かつ取り扱いに注意を要する資料を求めている」
長官は書類を机に置いた。
「何か目的があるのですか、コレット」
答えに困る質問だった。偉くなること、有名になること、きらびやかな生活には興味はない。魔法そのものが好きだし、知らない知識を得ることが好きだが、それを仕事の肩書きにしたいと思ったことはなかった。
ただ今は——。
「今、希望していることならあります」
「聞きましょう」
オルブライト長官は一瞬書類から目を上げた。
「王立魔法研究所の資料を閲覧したいです」
長官の目が一瞬大きく揺らいだ気がする。
「どんな資料を見たいと?」
「制約魔法や呪術、古代の結界や魔術に関するものです」
リリーははっきり答えた。
「禁術を知りたいと」
長官の片眉が少し上がる。
「そこまでは言っていません」
「言っているのと同じです」
リリーは口を閉じた。
「王立魔法研究所には、一般の資料室には置けない記録があります。閲覧の許可が下りるのは限られた人間です。もちろん記録も残る」
「知っています」
「閲覧した内容によっては、その後の研究や行動も監視対象になる」
リリーは長官を見る。
「それも、知っています」
「本当に?」
初めて、声にわずかな鋭さが混じった。
「危険な知識を手にするということは、国家にとって脅威になり得るということです」
リリーは黙って聞いた。
「一度知れば、知らなかった頃には戻れない。知った人間は、それを使わないことまで含めて、自分が危険ではないと国家に示し続ける必要がある」
長官は淡々と語った。王立魔法研究所の資料を閲覧した者は、永遠に国家からの監視対象になり得るという事。長官の言葉は、そうなる覚悟はあるのかと問うている。
「……一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」
長官がわずかに目を上げた。
「何ですか?」
「危険な知識だからといって、ただ隠しておくというのは違うのではないかと」
リリーは静かな声音で言った。
「どういうことです?」
リリーは少し考えてから続けた。
「危険性を理由に知識そのものを閉じ込めても意味がないという事です」
「意味がない?」
長官の声が鋭さを増す。
「誰かが一度見つけたものなら、それを隠しても、いつか別の誰かがまた見つけます」
リリーの中で何かがすっと腑に落ちた気がした。
「知りたいと思う気持ちまで止めることはできません」
オルブライト長官は少し間を開けてから、低くゆっくりと確認するように言った。
「では、危険な研究も自由に行うべきだと?」
「そういうことではなく」
リリーは即答した。
「危険なら、危険でなくする方法を考えるべきです」
長官は初めてリリーの目を直視した。
「知識をなくすのではなく、安全に扱う方法を探す。危険なものなら、何が危険なのかを知って、どうすれば危険ではなくなるのかを考える」
リリーはそこで一度言葉を切った。
「それが研究だと思います」
オルブライト長官はしばらく何も言わなかった。妙な目だった。驚いたような、それでいて何か眩しいものでも見るような……。ほんの一瞬だけ、その瑠璃色の瞳から長官らしい冷静さが消えた。
リリーは眉を寄せる。
「……何か?」
「いいえ」
長官はまた視線を落とした。
「そうですか」
それだけ言って、再び書類を手に取る。何だったのだろう。リリーには、その意味が分からなかった。
「王立魔法研究所の資料閲覧については、時間をください。こちらで方法を考えます」
「いいのでしょうか?」
思わず聞き返した。
「あなたが覚悟を持って閲覧を希望するなら、許可しましょう」
リリーが一瞬目を輝かせたのを見て長官は続けた。
「ただし、条件があります」
やはり、そんなに簡単な話ではなかった。
「閲覧した資料はすべて記録されます。持ち出しは禁止。許可されている閲覧区分を越えた資料に触れようとした場合、その時点で許可を取り消します」
「分かりました」
リリーは答える。
「それから」
長官は一度言葉を止めた。
「禁術区分の資料を閲覧した場合、制約魔法により他言できないようにすることが義務付けられています」
「え……」
——それってつまり
リリーは困惑した。
「あの、その制約魔法はつまり、特定の情報や知識を話せなくする魔法というでしょうか」
「その通りです」
長官は当然と言うように頷く。リリーは少し混乱した。
シオンにかけられた呪いと、よく似ている。
もし同じ系統の術式なのだとしたら——。
「…………」
「コレット、どうしましたか」
急に黙りこんでしまったリリーに長官は怪訝そうな顔をする。
「いえ、あの……。制約魔法を解く方法はあるのかなと思いまして」
長官は一瞬目を見開いてから、小さなため息をついた。
「それは、知り得た禁術を外に漏らしたいという風に聞こえますよ」
「いえ、そんなことは決して」
慌ててリリーは否定する。
「コレット」
まっすぐ長官がこちらを見た。
「はい」
リリーは背筋を正す。
「知ることは、必ずしも自由になることではありません」
リリーは長官を見る。
「知ったことで、選べなくなることもある」
その言葉だけが、妙に耳に残った。
「それでも知りたいと言うのなら——」
レナード・オルブライトの目元が、ほんのわずかに和らいだ。
「その先は、あなた自身で選びなさい」




