第11話 二人でパスタ
「ここがおかしいな」
シオンが一点を指す。
昼食後、二人は再び古い図面を広げていた。
庭で確認した結界の形と照らし合わせる。
古い家屋の設計図の上に、地下へ伸びる術式が、家全体を包む構造で重ねられている。
「どこですか?」
リリーは身を乗り出した。
一階の床よりさらに下に、薄く線が引かれている。
何度も見た図面なのに、結界術式ばかり追っていて気づかなかった。
「地下に部屋がある……ように見えますね」
リリーは訝しんだ顔をした。
「ああ、地下室か何かあるのか?」
「いえ、ありません」
リリーは首を振った。
「図面にはあるぞ」
「でも私は知らないし、入口もありませんよ」
「自分の家なのに知らないのか」
「私の家だから言ってるんです」
シオンもリリーも黙った。
もう一度図面を見るが、確かに地下にも部屋がある。
階段らしきものは見当たらないし入口もない。
ただ、地上の家屋とは別に、地下に一つの空間だけが描かれている。
「昔はあったんじゃないか?」
「そうかもしれません。改築で埋められたとか?」
「確認できるか?」
「まず、この図面がいつのものなのか調べた方がいいですね」
リリーはこめかみに手を当てて考える。
「入口を探した方が早くないか?」
「壁を壊す気ですか?」
「そこまでは言ってない」
「床も駄目です」
「壊すと言ってないだろ」
シオンが少し笑った。
リリーも少し笑いながら図面へ視線を戻す。
地下を通る魔導路と、地下まで覆うこの家の古い結界、そして存在するはずのない地下室。
新しい事実が見つかるたび、謎は増えていく。
それでも不思議と嫌ではなかった。
むしろ、もっと知りたいという気持ちの方が強くなっている。
夕方リリーが本を片づけていると、台所から食材を出す音がした。
「夕飯作るか」
シオンの声にリリーは顔を上げた。
「今日は私が作ります」
少し驚いた顔でシオンがこちらを見る。
「え……いや、居候の身だから飯くらい作らせてくれ」
「こちらこそ流石にそろそろまずいと思うので」
リリーは片手を軽く上げ、シオンを制した。
「なにがまずいんだ?」
「ここ、私の家の台所なんですが」
「もちろんそうだ」
「最近ほとんど使っていません」
「まだ二、三日だろ」
シオンは困ったように笑った。
「私も作れますから」
シオンは何か言いかけて、少し考えるようにリリーを見た。
「……本当に作れるのか?」
「失礼ですね」
リリーはシオンを軽く睨んだ。
「いや、今まで見てないから」
「あなたが勝手に作ってるからでしょう」
リリーは買ってきた食材を確認する。
トマトときのこ、それからベーコン、にんにくもある。
パスタならそれほど時間もかからない。
「何か手伝うか?」
「大丈夫です」
「そうか」
台所を離れようとするシオンの背中を見て、リリーは少し考えた。
「……あ、でも」
「ん?」
「そこのきのこと玉ねぎ、切ってもらえます?」
「分かった」
結局、二人で作ることになった。
リリーは鍋に湯を沸かし、その間ににんにくを刻む。
隣ではシオンが玉ねぎときのこを切っている。
ときどき腕がぶつかりそうになって、どちらかが避ける。
一人で料理をするときより、台所が狭い。
「そのくらいで大丈夫です」
「これくらい?」
「はい」
「さっきまで台所を奪われたみたいに言ってたのに、普通に人を使うんだな」
「手伝うって言ったのはシオンじゃなかったですか」
「ま、そうだけどな」
フライパンに油を入れ、にんにくを炒める。
香りが立ったところでベーコンを加えて軽く炒める。
「なかなか手際がいいな」
「だから作れるって言ったでしょう」
「疑って悪かった」
「分かればいいです」
リリーは少し胸を張った。
「料理、よくするのか?」
「一人暮らしですから。まあ普通には」
「何が得意なんだ?」
聞かれて、手が止まった。
「得意……」
考える。
「パスタ?」
「今作ってるからじゃなくて?」
シオンがからかうように言った。
「……スープも作ります」
「昨日も一昨日も俺が作ったな」
「そういう言い方やめてもらえます?」
シオンが笑う。今日はよく笑うな、とリリーは思った。
トマトを加え、木べらで軽く潰し、少し煮詰めてから塩と香草を入れた。
「味見します?」
「ああ」
小さな匙にソースを取って渡す。シオンが口に運ぶのを何となく眺めていると、そのまつ毛が思いのほか長いことに気づいた。
「どうです?」
「うん、うまいよ」
「……そうですか」
「何だ、その顔」
「いえ、別に」
自分で食べる料理なら、味見をして問題なければそれで終わる。
誰かに食べてもらうことなど、ほとんどなかった。
「もう少し塩を入れてもいいかもな」
「……そうですか?」
「ほんの少しな」
リリーも味を見る。
確かに、もう少し塩気があってもいい気がする。
「では少しだけ」
「やけに素直だな」
「正しい意見なら聞きます」
「そういうところだな……」
「何がですか?」
「いや、何でもない」
意味が分からない。
湯が沸いたのでパスタを入れると、シオンが横から鍋を覗き込んだ。
「結構入れるな」
「二人分ですから。シオン、結構食べるでしょう?」
「ああ、最近腹が減る」
「ならこのくらい必要かと」
「確かにな」
それだけの会話だった。
けれど、なぜかシオンは楽しそうだった。
「何ですか?」
「いや。何でもない」
揶揄われているのだろうか。
何がそんなに面白いのか、リリーにはさっぱり分からなかった。
茹で上がったパスタをソースと絡め、皿に盛り、仕上げに削ったチーズをかけた。
「できました」
「うまそうだな」
『俺のは?』
いつの間にかルウが足元に座っていた。
「ありません」
『なんでだ』
「猫はパスタ食べないでしょう」
『だから、俺を普通の猫と一緒にするな』
「じゃあ何なの?」
『ルウだ』
「知ってます」
シオンが吹き出した。
「……何ですか?」
「いや」
「今日はよく笑いますね」
「お前ら見てるとな」
『失礼なやつだな』
二人と一匹で食卓へ移る。
シオンがパスタを一口食べた。
「どうです?」
「うまいよ、ちゃんと料理できるんだな」
「だから、最初からそう言ってます」
「悪かったって」
少し腹は立つけれど、悪い気はしなかった。
「これなら明日から任せてもいいな」
「それは困ります」
「なんでだ」
「せっかく料理してくれる人がいるのに」
「お前な」
シオンが呆れたような視線を向ける。
リリーもパスタを口に運んだ。
いつもと同じ味だった。
何度も作ったことのある、特別でも何でもない料理。
ただ今日は、向かいでシオンが同じものを食べている。
なぜか上機嫌な彼の笑顔につられて、リリーもいつの間にか笑っていた。
朝見た夢の恐怖も、今はすっかり薄れていた。
地下室のことも、魔導路のことも、シオンにかけられた魔術のことも、分からないことはたくさんある。
それはまた今夜、買ってきた茶菓子を食べながら調べよう。
わからなければまた本を借りてこよう。
今はただ、夕飯を食べる。
一人で食べる方が気楽だと思っていた。
でも、向かいにシオンがいても食事の味は別に変わらないらしい。
むしろ今日のパスタは、なぜか少しうまくできたようだ。




