第29話 軍曹、竜域へ帰還する
竜域への門をくぐった瞬間、空気が変わった。
元の世界の乾いた風ではない。
魔力を含んだ冷たい風が、鬼平の頬を撫でる。
灰の峡谷。
牙の森。
その先に広がる竜域の空は、赤い竜脈の光で染まっていた。
門の向こうから、鬼平たちが次々と現れる。
元の世界の兵士。
獣人連邦の兵士。
救出された異世界の兵士たち。
そして、治療を終えた二体の異形竜。
最後に、鬼平が二挺の魔石ガトリング砲を持って姿を現した。
左の砲は赤い魔石。
右の砲は青黒い魔石。
右の砲身には、戦闘でついた亀裂が残っている。
それでも、以前のように撃てる状態だった。
門の向こうで、黒城塞の光が小さくなっていく。
リーゼが魔石核を調整し、帰還門を閉じる。
竜域と元の世界の接続が切れた。
鬼平は竜域の空を見上げた。
遠くから、巨大な翼が近づいてくる。
黒竜ヴァルグリムが、ゆっくりと降下してきた。
その後ろには、牙の森の雌竜と、竜の子供たちがいる。
さらに、灰の峡谷の番獣と樹竜の精霊も姿を現した。
『戻ったな、刻印の兵士よ』
「ああ」
『武器を二挺に戻したか』
「右も撃てる」
『前よりも、竜の匂いがする』
鬼平は右の砲身を見た。
竜鱗と古代金属、黒竜の血、異形竜の血。
複数の竜の力が、新しい砲身へ組み込まれている。
「修理した」
『竜を殺すためにか』
「敵を撃つためだ」
ヴァルグリムは鬼平の二挺の砲を見つめた。
『ならば、竜域の竜たちへ示せ。貴様の砲が、竜を守るためにも使えることを』
鬼平は周囲を見回した。
竜域の空には、いつもとは違う黒い雲が広がっている。
竜脈の光が、ところどころ途切れていた。
「何があった」
『貴様が去った後、王国軍の残党が竜域へ侵入した』
「数は」
『多くはない。しかし、教会は新しい門を作ろうとしている』
リーゼが魔力反応を探った。
「ヴァルグリムの言う通りです。竜域の北部と西部で、竜脈の流れが乱れています」
「教会の残党か」
『王国軍の将軍もいる。黒城塞で敗れた者たちは、竜域へ逃げ込んだ』
鬼平は城塞での戦いを思い出した。
黒い旗。
王国軍の赤い旗。
逃げた竜騎士。
超大型魔導兵器の残骸。
敵はすべて消えたわけではない。
「目的は」
『竜脈の中心へ入り、古竜の心臓を奪うこと』
「古竜の心臓?」
グラウ将軍が尋ねた。
『竜域の最深部にある、最初の竜の核だ。あれを使えば、異世界への門を恒久的に開ける』
ノアが顔をしかめた。
「黒城塞の魔石核よりも強いのか」
『比較にならない。古竜の心臓は、竜域そのものを動かしている』
鬼平は二挺のガトリング砲を構えた。
「そこへ行く」
ヴァルグリムが低く唸った。
『古竜の心臓へ近づける者は限られる。竜域の三門を越え、各門の守護者から許可を得なければならない』
「三門は越えた」
『一度目は、試練としてだ。今回は、竜域を守る者として越えなければならない』
鬼平は灰の峡谷の方向を見た。
第一門の番獣。
牙の森の樹竜。
天頂の裂け目の守護竜アステリオン。
すでに一度、試練を越えている。
だが、今度は竜域の防衛戦だ。
「三門を回る」
「軍曹、北部と西部の竜脈も守る必要があります」
リーゼが地図を広げた。
「敵は三つの部隊に分かれています。第一部隊は灰の峡谷、第二部隊は牙の森、第三部隊は天頂の裂け目へ向かっている」
「敵も三方向か」
『古竜の心臓へ向かうためだ』
グラウ将軍が地図を見た。
「こちらも三方面へ分かれる必要があります」
「鬼平軍曹は、どこへ?」
元の世界の指揮官が尋ねる。
「一番危険な場所へ」
「それでは、指揮系統が――」
「分ける」
鬼平は部下たちを見た。
「日野、高瀬、佐久間は灰の峡谷」
「了解です」
「グラウ将軍は牙の森」
「任せろ」
「セレナとリーゼは天頂の裂け目」
「はい」
「ノアはオレと来い」
ノアが目を細めた。
「古竜の心臓へ直接向かうのか」
「ああ」
「三門すべてを守る必要があるのに?」
「三門は部下が守る」
鬼平はヴァルグリムを見た。
「古竜の心臓へ行くには、竜の血が必要だ」
『貴様はすでに三つの竜の血を持つ』
「足りない」
『ならば、我の血を使え』
ヴァルグリムは前脚の爪で、胸部を浅く切った。
黒い血が一滴、空中へ浮かぶ。
鬼平が小瓶を差し出す。
血が小瓶へ収まり、黒い魔石が強く輝いた。
『これは、古竜の心臓へ入るための鍵だ』
「対竜弾にも使えるか」
『使える。だが、我を撃つためには使うな』
「敵になったら撃つ」
『その時は、撃たれる覚悟がある』
ヴァルグリムが翼を広げた。
『だが、今は共に戦う』
鬼平は小瓶を右の砲へ接続した。
青黒い魔石が、黒竜の血を吸収する。
砲身の竜鱗が、一瞬だけ黒く輝いた。
右のガトリング砲から、低い咆哮のような音が響く。
「変わった」
ノアが砲身を調べた。
「ヴァルグリムの血で、魔力回路が上書きされた。これなら古竜の心臓へ近づける可能性がある」
「撃てるか」
「対竜弾の威力が上がる。だが、砲身への負荷も増えた」
「壊れるか」
「撃ち方次第だ」
「なら、撃つ」
「本当にそれしか言わないな」
遠くで、竜の咆哮が響いた。
灰の峡谷の方角から、黒い煙が上がっている。
日野から通信が入った。
『軍曹、敵影を確認! 王国軍の残党が灰の峡谷へ侵入しています!』
続いて、グラウ将軍の声。
『牙の森にも敵が来た。竜の子供たちが狙われている!』
セレナの通信が重なる。
『天頂の裂け目では、教会の魔導師が門の守護竜へ攻撃を開始しました!』
鬼平は二挺のガトリング砲を構えた。
左の砲は赤い。
右の砲は青黒い。
「三門を守る」
鬼平が言った。
「その後、古竜の心臓へ行く」
ヴァルグリムが低く咆哮した。
『竜域の防衛戦を、開始する』
まず、灰の峡谷では日野たちが敵部隊と接触した。
峡谷の狭い通路を、王国軍の残党が進んでいる。
先頭には、黒城塞から逃げた魔導騎士。
後方には、竜脈を吸収する装置を積んだ魔導車が並んでいた。
「装置を壊せ!」
日野が叫ぶ。
元の世界の兵士と獣人兵が、峡谷の岩陰から射撃する。
魔導車の周囲に障壁が展開された。
高瀬が魔石銃を撃つ。
弾丸が障壁に弾かれる。
「硬い!」
「鬼平軍曹なら、あの砲で――」
佐久間が言いかける。
「俺たちでやる!」
日野が叫んだ。
「軍曹に任せきりにするな!」
日野たちは障壁を維持する魔石を探す。
峡谷の岩壁に埋め込まれた三つの魔石。
高瀬が一つを狙い、佐久間が通信妨害で敵の術式を乱す。
日野が最後の一つへ接近し、魔導装具で魔石を破壊した。
障壁が崩れる。
獣人兵が魔導車へ突入し、竜脈吸収装置を破壊した。
灰の峡谷の敵部隊は、進軍を止めた。
しかし、魔導騎士が巨大な黒剣を抜いた。
「貴様らだけで、我を止められると思うな!」
日野が魔石銃を構えた。
「軍曹が来るまで、止める!」
灰の峡谷の戦いが続く。
一方、牙の森では、グラウ将軍と獣人兵が竜の子供たちを守っていた。
王国軍の残党が、森の根を焼きながら進んでいる。
魔導砲が木々を破壊し、黒い根が次々に倒れていく。
「森を壊すな!」
グラウ将軍が斧を振り下ろし、魔導兵の盾を叩き割る。
雌竜が炎を吐き、敵の魔導砲を焼き払った。
だが、敵の後方から、竜の子供を捕らえるための魔力網が放たれる。
小さな黒竜が、網に絡め取られた。
雌竜が咆哮する。
「子供を離せ!」
グラウ将軍が敵へ突進する。
王国軍の騎士が魔力槍を構えた。
その時、牙の森の根が一斉に動いた。
樹竜の精霊が、森の全域を起動させたのだ。
『この森の子供へ触れることは許さない』
黒い根が魔力網を断ち切り、捕らわれた竜の子供を救い出す。
森の牙が、敵の足元へ突き出した。
王国軍が後退する。
牙の森は、竜の側に立った。
天頂の裂け目では、セレナとリーゼが守護竜アステリオンと合流していた。
教会の魔導師たちは、巨大な魔法陣を裂け目の上へ展開している。
その魔法陣から、黒い魔力が竜脈へ流れ込んでいた。
「魔法陣を壊せますか?」
セレナが尋ねた。
「中心を撃てば壊せます。ただし、竜脈へ逆流する危険があります」
アステリオンが翼を広げた。
『魔法陣の外周に、逆流を受け止める楔がある』
「楔を先に破壊すればいい」
「はい」
セレナが矢を放った。
魔法陣の外周にある楔を一つ破壊する。
アステリオンが風を操り、二つ目の楔を空中から砕いた。
リーゼが三つ目へ魔力弾を撃つ。
魔法陣の流れが崩れた。
教会の魔導師が叫ぶ。
「竜域を人間の手に渡すな!」
セレナは最後の楔へ矢を放った。
魔法陣が崩壊し、竜脈への逆流が止まる。
天頂の裂け目は守られた。
三つの門では、それぞれの部隊が敵を食い止めていた。
しかし、敵の本隊は一つではない。
古竜の心臓へ向かう中央部隊が、鬼平たちの前に現れた。
灰の峡谷と牙の森と天頂の裂け目、そのすべてを迂回し、竜域の中心へ進む部隊。
先頭には、王国軍の最高将軍がいた。
背後には、黒城塞から逃げた教会の魔導師たち。
さらに、巨大な黒い魔導車が三台。
魔導車の上には、古竜の心臓を奪うための採掘装置が積まれている。
「中央部隊、視認」
ノアが言った。
「数は五百。魔導車が三台。あれを止めなければ、古竜の心臓へ到達する」
鬼平は二挺のガトリング砲を構えた。
「撃つ」
ヴァルグリムが隣に降り立つ。
『我も行く』
「竜域の中心へ?」
『古竜の心臓を守るためだ』
鬼平は王国軍の中央部隊を見た。
先頭の最高将軍は、黒城塞で倒した竜脈統括官とは違う装備をまとっている。
全身を古代金属で覆い、背中には竜の翼を模した魔導装置。
手には、竜の骨で作った巨大な槍。
「鬼平軍曹!」
最高将軍が叫んだ。
「黒城塞を奪い、竜域へ戻ったか! 貴様は我々の進路を二度も妨害した!」
「三度目も止める」
「古竜の心臓を得れば、王国は二つの世界を支配できる!」
「支配しない」
「ならば、何のために竜域へ戻った!」
「守るためだ」
将軍が槍を掲げた。
「竜を守る人間など、存在しない!」
鬼平の左の魔石が赤く輝き、右の魔石が青黒く輝く。
「ここにいる」
鬼平は引き金を引いた。
左、右、左、右。
二挺のガトリング砲が、中央部隊へ向かって弾幕を吐き出した。
王国軍の魔法障壁が展開される。
だが、赤と青黒の弾丸が交互に同じ場所へ集中し、障壁を削っていく。
ヴァルグリムが空へ飛び、中央部隊の上空から黒い炎を吐いた。
炎は兵士ではなく、魔導車の採掘装置へ落ちる。
装置の外装が焼け、魔力管が露出した。
鬼平は魔力管へ照準を合わせた。
左の砲で一台目。
右の砲で二台目。
三台目の管は、最高将軍の背後にある。
将軍が魔力槍を構え、鬼平へ突進した。
鬼平は右のガトリング砲で槍を受け止めた。
槍の先端が砲身へ食い込み、青黒い魔石が明滅する。
鬼平は左のガトリング砲を将軍の翼装置へ向けた。
連射。
翼の装置が砕け、将軍の動きが止まる。
右の砲架を振り上げる。
「撃てなくても、殴る!」
砲架が将軍の胸部へ直撃した。
最高将軍が後退する。
しかし、胸部の古代金属装甲は壊れない。
「この程度で、王国の将軍を止められると思うな!」
将軍が魔力槍を振り下ろした。
鬼平は左のガトリング砲で槍の柄を撃ち抜く。
槍が折れた。
将軍が驚く。
鬼平は右の砲身を両手で握った。
砲身は撃てる。
だが、近距離なら殴れる。
鬼平は将軍の装甲の継ぎ目へ、右の砲架を叩き込んだ。
装甲がへこむ。
左のガトリング砲が、継ぎ目へ弾丸を送り込む。
将軍が膝をついた。
その背後で、三台目の採掘装置が動き始める。
古竜の心臓の方向へ、黒い魔力が伸びていく。
鬼平は将軍を見た。
まだ倒れていない。
採掘装置を止めるには、通常弾では時間がかかる。
右の対竜弾は、すでに使えない。
ハイテンションスキルを使えば、装置を破壊できる。
だが、まだ古竜の心臓へ到達していない。
鬼平の刻印が赤く輝いた。
左の魔石が白くなる。
鬼平は将軍の胸部装甲を見た。
竜の骨と古代金属で作られた装甲。
胸部中央には、王国の紋章が刻まれている。
その奥に、将軍の魔力核がある。
撃てば、倒せる。
だが、敵兵の背後には採掘装置がある。
弾丸を外せば、装置へ当たる。
鬼平は銃口を下げた。
右の砲を構える。
砲架で将軍の胸部を殴り、装甲をさらにへこませる。
将軍が咆哮する。
鬼平は左のガトリング砲を装甲の隙間へ差し込む。
至近距離で、短い連射。
将軍の魔力核だけを撃ち抜いた。
最高将軍が崩れ落ちる。
「オレの部下を、竜を、勝手に使うんじゃねえ、この《ピー》が!」
暴言が竜域の空へ響いた。
ハイテンションスキルが発動する。
鬼平は三台目の採掘装置へ向かって走った。
無限弾幕が、装置の魔力管へ集中する。
黒い管が一本ずつ破壊され、採掘装置が停止する。
中央部隊の魔導兵が鬼平へ殺到した。
左のガトリング砲が弾幕を吐き、右の砲が近づいた敵を殴り飛ばす。
「この《ピー》がァッ!」
鬼平は採掘装置の魔石を撃ち抜く。
装置が停止した。
「あと一台!」
ノアが叫ぶ。
鬼平は二台目へ向きを変えた。
ヴァルグリムが空から急降下し、黒い炎で周囲の敵を退ける。
グラウ将軍率いる牙の森部隊が、別方向から合流した。
日野と高瀬も灰の峡谷から到着する。
セレナとリーゼは天頂の裂け目を守り終え、竜域の中心へ駆けつけていた。
三門の守備部隊が、古竜の心臓前へ集結する。
鬼平は最後の採掘装置を見た。
魔導車の装甲が開き、内部の魔石炉が露出している。
左と右のガトリング砲を構える。
「撃つ」
赤と青黒の弾幕が、最後の採掘装置へ集中する。
魔石炉が割れ、黒い魔力が噴き出す。
鬼平は右の砲架を振り下ろし、魔石炉を台座から叩き落とした。
採掘装置が完全に停止した。
三つの門を狙っていた教会と王国軍の侵攻計画は、すべて失敗した。
その時、地面の奥から巨大な鼓動が響いた。
古竜の心臓が、目を覚ました。
竜域全体が揺れ、赤い竜脈の光が空へ噴き上がる。
遠くの山々の間に、巨大な赤い亀裂が開いた。
古竜の心臓へ続く、最後の道だった。
『刻印の兵士よ』
ヴァルグリムが言った。
『ここから先は、竜域の最深部だ』
「行く」
『人間は、古竜の心臓を見れば力を欲する』
「オレは砲を直す」
『そして、何を守る』
鬼平は背後の仲間たちを見た。
部下たち。
獣人兵。
竜たち。
元の世界から帰還した兵士たち。
「全部だ」
ヴァルグリムは翼を広げた。
『ならば、来い』
鬼平は二挺のガトリング砲を持ち上げた。
左は白い光を帯びている。
右は青黒い魔力を帯びている。
ハイテンションスキルは、まだ続いている。
だが、古竜の心臓へ続く道の奥から、巨大な咆哮が響いた。
教会も王国軍も知らない、さらに古い竜の声だった。
古竜の心臓を守る、本当の番人が目を覚ましたのだ。
鬼平軍曹は、仲間たちとともに赤い亀裂へ歩き出した。
竜域の最深部で、最後の試練が待っている。




