第20話 軍曹、天頂の裂け目へ進む
牙の森を抜けた翌朝、遠征隊は第三門《天頂の裂け目》へ向かっていた。
森の出口から先は、山道になっている。
道の左右には高い岩壁がそびえ、上空には雲がなかった。
それでも空は暗い。
岩壁の隙間から、赤い光が空へ流れ続けている。
竜脈の魔力が、地上から天へ噴き上がっているのだ。
「この先が天頂の裂け目です」
セレナが地図を確認した。
「竜域の中心へ通じる最後の門。ここを越えれば、守護竜の領域に入ります」
鬼平は荷台の上で、二挺の魔石ガトリング砲を確認していた。
左の砲は、通常射撃が可能。
ただし、ハイテンションスキルを発動した後の反動が身体に残っている。
右の砲は、発射機構が完全に沈黙していた。
砲身は潰れ、銃架にも亀裂が入っている。
しかし、牙喰らいの鱗と樹竜の鱗を使えば、修理できる可能性があった。
ノアは移動中も、右の砲を分解している。
「竜域の中心へ入る前に、最低限の補修をする」
「撃てるようになるか」
「撃てるようにするには、竜の血が必要だ」
「まだ手に入っていない」
「だから今は、殴れるように補修する」
「十分だ」
ノアは工具を止めた。
「貴様は本当に、武器を鈍器として扱うことに抵抗がないな」
「壊れていても、重さは変わらない」
「その理屈で古代兵器を壊すな」
遠征隊は、山道を進んだ。
途中で、何度も竜の影が空を横切った。
巨大な翼。
長い尾。
岩壁の上からこちらを監視する赤い目。
しかし、どの竜も攻撃してこない。
牙の森で竜の子供を守ったことが、すでに竜域全体へ伝わっているのかもしれない。
「敵が攻撃してこないのは、少し不気味ですね」
高瀬が言った。
「撃つ理由がないからだ」
鬼平が答える。
「竜側も同じ判断をしていると?」
「今はな」
山道の先で、地面が途切れていた。
巨大な亀裂が山を左右に割っている。
底は見えない。
亀裂の中を、赤い竜脈の光が流れていた。
亀裂の向こう側には、巨大な石橋が架かっている。
橋の先に、黒い門があった。
門の上には、竜の頭蓋骨を思わせる装飾がある。
「天頂の裂け目です」
セレナが言った。
「橋を渡れば、第三門へ到達します」
魔導車が止まる。
橋の幅は、車両一台分しかない。
左右に手すりはなく、下には竜脈の裂け目が広がっている。
「魔導車は置いていく」
グラウ将軍が命じた。
「徒歩で渡る」
部下たちが荷物を下ろす。
鬼平は二挺のガトリング砲を両手に持った。
左は撃てる。
右は撃てない。
だが、橋の上で敵に襲われれば、逃げ場はない。
「先頭はオレが行く」
鬼平が橋へ足を踏み出した。
石橋が低く震える。
橋の下から、竜脈の風が吹き上がった。
その風に混じって、声が聞こえた。
『刻印を持つ者よ。最後の門へ何を求める』
声は、これまでの番獣や樹竜とは違っていた。
低く、重い。
大地そのものが話しているような声だった。
「帰還門」
『誰を帰す』
「オレの部下たちを」
『異界から来た者たちを、元の世界へ戻すのか』
「そうだ」
『帰還には、竜脈の大半を使う』
「方法を変える」
『竜脈を使わずに、異界の門を開くことはできない』
「なら、必要な分だけ使う」
『人間はいつも、必要な分だけと言う。そして、最後にはすべてを奪う』
鬼平は橋の先を見た。
黒い門は閉じている。
門の表面には、無数の古代文字が刻まれていた。
その一部は、王都地下の転移門と同じ文字だった。
「教会が竜脈を使っている」
『教会だけではない。王国も、古代の兵器を掘り起こしている』
「止める」
『貴様一人でか』
「部下と一緒に」
『武器を持つ者たちと』
「必要だ」
『貴様のガトリング砲は、竜域の魔力を弾丸へ変える。撃つたびに竜脈へ傷をつける』
鬼平は左のガトリング砲を見た。
魔石は赤く輝いている。
弾幕を撃てば、竜脈を傷つける可能性がある。
ハイテンションスキルなら、弾は尽きない。
しかし、世界そのものを削り続けることになる。
「撃つ対象を選ぶ」
『それができるなら、試練を受けよ』
橋の中央に、黒い影が落ちた。
上空から、巨大な竜が降りてくる。
翼は銀色。
身体は白い鱗に覆われ、額から長い角が伸びている。
その目は青く、冷たい光を宿していた。
竜は橋の先に着地し、鬼平たちの道を塞いだ。
「竜です」
セレナが弓を構える。
「天頂門の守護竜、アステリオン」
『人間よ。武器を置け』
鬼平はガトリング砲を握ったまま答えた。
「断る」
『なぜだ』
「敵が来た時に必要だ」
『敵は我ではない』
「なら、撃たない」
『武器を持ったままでもか』
「使う理由がなければ、使わない」
アステリオンは鬼平を見つめた。
『牙喰らいと樹竜の試練を越えたと聞く。貴様は、力を持ちながら止まることができるらしい』
「止まれと言われた」
『仲間に言われたから止まっただけではないのか』
鬼平は背後の部下たちを見た。
日野、高瀬、佐久間。
獣人兵たち。
リーゼ、セレナ、グラウ、ノア。
全員が橋を渡り切らなければ、誰も竜域の中心へ行けない。
「部下が死ぬなら、撃つ」
『たとえ竜脈が傷ついても』
「守るために必要なら」
『それは、竜域を滅ぼす者の考え方だ』
「滅ぼさない」
『どう証明する』
アステリオンが翼を広げた。
橋の両側の空間に、無数の青い光球が浮かぶ。
光球は竜脈の魔力を圧縮したものだった。
どれか一つが橋へ落ちれば、橋全体が崩壊する。
『我の試練を越えよ。光球を破壊してはならない。橋を守り、仲間を守り、すべての光球を受け流せ』
「撃てないのか」
『撃てば、竜脈へ傷がつく』
鬼平は左のガトリング砲を見た。
通常射撃なら、光球を破壊できる。
しかし、竜脈へ魔力弾が接触する。
右の砲は撃てない。
だが、砲架で光球を弾くことはできる。
橋の上で、片手二百キロを超える鉄塊を振り回す必要がある。
「弾を使わずに、全部弾く」
鬼平は右の壊れたガトリング砲を構えた。
ノアが目を見開く。
「右の砲は、先ほどの戦いでほとんど形が残っていないぞ」
「重さはある」
アステリオンが翼を一度振った。
光球が一斉に動き始めた。
前方、左右、頭上。
橋の上へ、青い光球が次々と迫る。
鬼平は右のガトリング砲を振り上げた。
最初の光球を砲架で横へ弾く。
光球は橋の外側へ飛び、竜脈の風に乗って上空へ流れた。
二つ目は、砲身の先端で受ける。
三つ目は、地面へ砲架を叩きつけ、その反動で身体を回転させて弾いた。
橋の上で、鬼平の二百キロ超の武器が舞う。
敵を殴る時とは違う。
破壊せず、受け流す。
砲身の重さと角度を利用し、光球をすべて竜脈の流れへ戻していく。
「軍曹、右から四つ!」
高瀬が叫んだ。
鬼平は右を見た。
光球が四つ、ほぼ同時に接近している。
右の砲では一つしか弾けない。
鬼平は左のガトリング砲を構えた。
撃てば破壊できる。
だが、竜脈を傷つける。
鬼平は左の砲身を光球の進路へ突き出した。
魔石ガトリング砲の重量を使い、光球を押し返す。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ目が、鬼平の脇腹をかすめた。
光球の熱で服が焦げ、皮膚が焼ける。
鬼平は顔をしかめた。
「撃たないのですか!」
リーゼが叫ぶ。
「撃たない」
「本当に?」
「試練だ」
アステリオンの目が、わずかに細くなった。
『武器を持ちながら、撃たない判断をするか』
「撃てば簡単だ」
『ならば、なぜ撃たない』
「簡単な方が正しいとは限らない」
光球の数が増えた。
今度は二十個以上。
橋の上を埋め尽くす。
鬼平は両手のガトリング砲を持ち替えた。
左で受け、右で弾く。
左の砲身で押し、右の砲架で方向を変える。
撃てない右の砲が、初めて左の砲と同じように役立っていた。
鬼平は一歩ずつ橋を進んだ。
光球を受け流しながら、仲間の進路を作る。
だが、橋の中央で巨大な光球が現れた。
他の光球より十倍は大きい。
直撃すれば、橋も遠征隊も消し飛ぶ。
「それは弾けません!」
リーゼが叫ぶ。
「竜脈の流れへ戻すには、大きすぎます!」
鬼平は巨大な光球を見た。
左のガトリング砲で撃てば、破壊できる。
だが、爆発した魔力は竜脈へ落ちる。
右の砲で殴れば、砲身が完全に壊れる。
それでも、受け流すしかない。
鬼平は二挺のガトリング砲を交差させた。
砲架と砲身の間で、巨大な光球を受け止める。
衝撃で、鬼平の両脚が橋へ沈んだ。
光球の熱が全身を焼く。
右の壊れた砲身が、金属音を立ててさらに崩れる。
左の魔石が白く輝き始めた。
ハイテンションスキルが、発動条件を満たそうとしている。
「軍曹!」
日野が叫ぶ。
「撃たないでください!」
鬼平は光球を押し返していた。
撃つ必要はない。
だが、力が足りない。
身体が押し潰される。
左のガトリング砲が、鬼平の戦意を感知している。
弾は尽きない。
砲身は壊れない。
それなら、撃たずに力だけを借りられるのか。
鬼平の刻印が赤く輝いた。
左の魔石が白く変わる。
光球を受け止めるため、周囲の魔力が鬼平の武器へ集まり始めた。
ハイテンションスキルが、射撃ではなく防御のために発動した。
左の砲身が、光球の圧力を受けても壊れない。
鬼平の身体へ負荷はかかる。
しかし、魔石ガトリング砲が限界を超えて力を発揮する。
「この《ピー》がァッ!」
第一の暴言が、橋全体に響いた。
鬼平は巨大な光球を押し返した。
光球が少しずつ、元の竜脈の流れへ戻っていく。
「オレの仲間に触るんじゃねえ、この《ピー》が!」
第二の暴言。
左の砲身が白い光を放ち、鬼平の腕へ力を返した。
光球がさらに押し戻される。
橋の下を流れる竜脈が、光球を受け入れ始めた。
最後に、鬼平は右のガトリング砲を支点にして身体をひねった。
右の砲架が光球へ食い込み、進路を変える。
巨大な光球が橋の外へ流れ、竜脈の流れへ戻った。
橋が静かになった。
残りの光球も、すべて消えていく。
鬼平の左の魔石は白く輝いている。
だが、ガトリング砲は弾幕を吐いていない。
ハイテンションスキルは、射撃せずに発動していた。
アステリオンが翼を下ろした。
『撃たずに、力を使ったか』
「必要だった」
『貴様は、力を撃つためだけに使うのではないのか』
「武器は使い方次第だ」
『右の砲を壊してまでか』
鬼平は右のガトリング砲を見た。
砲身は完全に崩れ、銃架にも大きな亀裂がある。
もはや、鈍器として使えるかどうかも怪しい。
「直す」
『竜域へ入る前に、武器を二挺とも壊すつもりか』
「左は壊れていない」
鬼平は左のガトリング砲を見た。
白い魔石は、まだ強く輝いている。
「右も直す」
アステリオンは、鬼平の後方へ視線を向けた。
遠征隊は全員、橋を渡り終えている。
竜脈も傷ついていない。
天頂の裂け目に、黒い門が静かに開いていく。
『試練は終わった』
「通っていいか」
『第三門を通ることを許す』
鬼平は門へ歩き出した。
しかし、アステリオンが声を掛ける。
『刻印を持つ者よ。竜域の中心へ入れば、貴様は選択を迫られる』
「何を選ぶ」
『部下を帰すために、竜脈の一部を犠牲にするか』
『竜脈を守るために、部下をこの世界へ残すか』
鬼平は足を止めた。
リーゼが息を呑む。
日野、高瀬、佐久間も、黙って鬼平を見ている。
アステリオンは続けた。
『どちらか一つしか選べない』
鬼平は右の壊れたガトリング砲を肩へ担いだ。
左の砲を片手で持ち直す。
「二つとも取る」
『不可能だ』
「可能にする」
『竜脈を傷つけず、異界の門を開く方法はない』
「なら、作る」
『誰が』
鬼平はノアとリーゼを見た。
ノアは修理道具を握っている。
リーゼは古代文字の記録を抱えている。
部下たちは、武器と魔導装具を持っている。
「全員で」
鬼平は黒い門へ向かって歩いた。
その時、左のガトリング砲が小さく震えた。
ハイテンションスキルの光が、赤へ戻っていく。
発動中に吐いた暴言は二回だけ。
射撃はしなかった。
それでも、鬼平の身体には重い疲労が残った。
膝がわずかに揺れる。
高瀬が支えようと手を伸ばした。
「一人で歩ける」
「分かっています」
高瀬は手を引いた。
「でも、倒れたら支えます」
「任せる」
黒い門を越えた先に、巨大な空洞が広がっていた。
天井は見えない。
空洞の中央には、一本の巨大な柱が立っている。
竜脈の中心柱。
赤い光が柱の中を流れ、空洞全体を照らしている。
柱の前に、巨大な黒い影があった。
翼を畳んだ黒竜。
黒い鱗。
赤い眼。
鬼平が異世界へ飛ばされた時に見た竜。
黒竜ヴァルグリム。
ヴァルグリムは、鬼平と二挺のガトリング砲を見た。
『ようやく来たか、刻印の兵士よ』
鬼平は左のガトリング砲を構えた。
右は肩に担いでいる。
「お前がオレを呼んだ黒竜か」
『そうだ』
「部下を帰す方法を知っているな」
『知っている』
「竜の血をくれ」
ヴァルグリムの赤い眼が細くなった。
『最初に求めるのが、それか』
「弾薬を作る」
『我の血を、竜殺しの弾丸へ変えるつもりか』
「必要だ」
『我を撃つつもりか』
「敵ならな」
空洞全体に、黒竜の咆哮が響いた。
竜脈の柱が揺れ、赤い光が強くなる。
『ならば、まず証明せよ』
「何を」
『貴様が、竜を殺す者ではなく、守る者になれるかを』
ヴァルグリムの背後で、巨大な扉が開いた。
その向こうには、無数の竜の巣がある。
さらに奥には、黒い魔力に覆われた古代装置が見えた。
異世界へ繋がる帰還門の中枢だ。
しかし、その装置の周囲には、教会の魔導兵が展開していた。
王国軍の旗もある。
竜域の中心へ、教会がすでに侵入している。
黒装束の男が、巨大な魔導装置を起動していた。
「先客がいる」
鬼平が言った。
『教会は、帰還門を奪い、竜脈をすべて燃料にするつもりだ』
「止める」
『奴らを倒せば、竜域の平穏は一時的に戻る。しかし、帰還門も壊れる』
「壊さずに止める」
『可能か』
「作る」
鬼平は二挺のガトリング砲を構えた。
左は撃てる。
右は撃てない。
敵は竜域の中心で帰還門を奪おうとしている。
竜脈を守り、部下を帰し、壊れた武器を直す。
すべてを同時にやる必要がある。
鬼平の手の甲の刻印が、強く輝いた。
左の魔石が白く光り始める。
黒竜ヴァルグリムが低く告げた。
『撃つなら、竜脈ではなく敵を撃て』
鬼平は教会の魔導兵へ銃口を向けた。
「それなら、得意分野だ」
黒い空洞に、魔石ガトリング砲の回転音が響いた。
竜域の中心で、最終戦が始まろうとしていた。




