第14話 軍曹、獣人連邦へ入る
獣人連邦の国境標を越えた瞬間、鬼平は荷台の上で目を覚ました。
最初に感じたのは、全身の痛みだった。
肩が重い。
腰が軋む。
指先には力が入らず、脚を動かそうとすると筋肉の奥に鋭い痛みが走る。
「起きましたか」
リーゼが荷台の隣に座っていた。
「何時間寝た」
「六時間です」
「長いな」
「短すぎます!」
リーゼが声を荒らげた。
「ハイテンションスキルの反動で、あなたは三日程度の安静が必要な状態です!」
「三日も止まれねえ」
「止まらなければ、本当に身体が壊れます!」
鬼平は身体を起こそうとした。
腕に力が入らない。
日野と高瀬が左右から支えた。
「軍曹、今日は動かないでください」
「敵は」
「いません」
「追手は」
「見えていません」
「部下は」
「全員、生きています」
鬼平は短く息を吐いた。
それから、荷台の上に固定された二挺の魔石ガトリング砲を見た。
左の砲は、ハイテンションスキル発動前よりも状態が良い。
魔石の残量は満タンに近く、砲身も損傷していない。
右の砲は、砲身が曲がり、魔石接続部が破損したままだ。
「左は撃てる」
「まだ試していません」
リーゼが答えた。
「試す」
「今は駄目です!」
「何発か確認するだけだ」
「ハイテンションスキルの再発動を狙っているのですか?」
鬼平は黙った。
リーゼは鬼平の顔を覗き込んだ。
「スキルは、任意に発動できるものではありません」
「分かってる」
「戦況が極限に達し、あなたの戦意と刻印、武器の制御核が共鳴した結果です」
「なら、必要な時に出る」
「その必要な時が来るまで、無理に使おうとしないでください」
鬼平は返事をしなかった。
荷馬車が、獣人連邦の国境門へ近づいていく。
門は石ではなく、巨大な樹木を組み合わせて作られていた。
左右には、獣の耳や尾を持つ兵士たちが立っている。
犬獣人、猫獣人、狼獣人。
それぞれが弓や槍を手にし、こちらを警戒していた。
門前へ着くと、狼獣人の女兵士が手を上げた。
「止まれ。ここから先は獣人連邦領だ」
ラウルが御者台から降りた。
「王国騎士団のラウル・グランツだ。緊急避難と通行の許可を求める」
「王国軍の通行は認めていない」
「教会の追跡を受けている」
「なおさらだ」
女兵士の視線が荷台へ向く。
異世界から来た兵士たち。
黒い魔導装具の残骸をまとった佐久間。
そして、二挺の魔石ガトリング砲。
「その兵器を置いていけ」
鬼平は荷台の上から女兵士を見た。
「断る」
「ここは獣人連邦だ。王国の規則は通用しない」
「オレの武器を置いていく規則も、そっちにはねえ」
女兵士が弓を構えた。
「その兵器は、連邦の安全を脅かす」
「撃てない」
「撃てない?」
「左は撃てる。右は撃てねえ」
鬼平は正直に答えた。
女兵士の耳がぴくりと動く。
「撃てるのか?」
「今は撃たない」
「信用できるか!」
周囲の獣人兵が一斉に武器を構えた。
鬼平はゆっくりと荷台から降りようとした。
だが、脚に力が入らない。
日野が支えようとする。
「軍曹、無理をしないでください」
「立てる」
「立てていません」
「立てる」
鬼平は右手で荷台の縁を掴み、身体を起こした。
片手二百キロを超えるガトリング砲を持つ腕は強い。
しかし、ハイテンションスキルの反動は腕だけではなかった。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。
それでも、鬼平は片足を地面へつけた。
獣人兵たちがざわめいた。
狼獣人の女兵士が、警戒しながら尋ねる。
「なぜ、そこまでして武器を持つ?」
「必要だからだ」
「撃てないのだろう?」
「今はな」
「なら、捨てろ」
鬼平は右の壊れたガトリング砲を見た。
撃てない。
だが、撃てなくても殴れる。
殴れなくても、盾になる。
盾にならなくても、直せる。
捨てる理由はなかった。
「直す」
「何?」
「直して撃つ」
「その身体で?」
「身体は直る」
「武器が直る保証はない」
「直す」
女兵士は、鬼平の目を見た。
疲労で顔色は悪い。
立つだけでも苦しそうだ。
それでも、武器を手放す気配はない。
「その武器は、誰かを殺すためのものか」
「敵を止めるためのものだ」
「同じことだ」
「違う」
鬼平は荷台の兵士たちへ目を向けた。
「こいつらを守るために撃つ」
女兵士の耳が、わずかに伏せられた。
そこへ、門の奥から別の獣人が現れた。
白い毛並みの大柄な獣人だった。
年齢は四十代ほど。
背中に大剣を背負い、首元には連邦の将軍章を付けている。
「そこまでだ、セレナ」
女兵士が振り返る。
「グラウ将軍。しかし、この者たちは王国人です」
「見れば分かる」
グラウ将軍は鬼平を見た。
視線が二挺のガトリング砲へ移り、次に鬼平の手の甲の刻印へ止まる。
「竜殺しの刻印か」
リーゼが驚いた。
「ご存じなのですか?」
「獣人連邦は、古代魔導文明の記録を王国より多く保有している」
グラウは門兵へ向き直った。
「門を開けろ」
「将軍!」
「この者たちを工房へ運ぶ」
「しかし、王国と教会を敵に回します」
「すでに敵に回している者を、門の外へ追い返す理由はない」
門がゆっくりと開いた。
獣人連邦の街並みが見える。
巨大な樹木を利用した家々。
石と木を組み合わせた高い塔。
魔石を動力にした昇降機。
街の中央には、煙を上げる鍛冶工房がいくつも並んでいる。
鬼平はその光景を見て、短く言った。
「工房はどこだ」
「まず治療所へ行け」
グラウ将軍が答えた。
「武器より先に、貴様の身体を直す」
「武器が先だ」
「貴様が倒れれば、武器も直せない」
鬼平は言い返そうとした。
だが、視界が一瞬揺れた。
地面が傾いたように見える。
日野が素早く支えた。
「軍曹、治療所へ行きましょう」
「……分かった」
鬼平が素直に答えたため、周囲の全員が驚いた。
リーゼが小声で呟く。
「本当に限界だったのですね」
「聞こえている」
「なら、反省してください」
「考えておく」
鬼平たちは獣人連邦の治療所へ運ばれた。
治療所の奥には、魔力を流すための大きな水晶柱が並んでいる。
獣人の治癒師たちが、鬼平の身体を調べた。
「筋繊維の損傷がひどい」
「神経にも負荷が残っている」
「竜脈系統の魔力が身体を通過した痕跡がある」
治癒師たちは口々に言った。
鬼平はベッドに横たわったまま、壊れたガトリング砲の方を見ていた。
治療のため、武器は部屋の外へ運ばれている。
それが気に入らないらしい。
「武器を確認する」
「今は安静にしてください」
治癒師が言った。
「盗まれていないか確認する」
「工房の警備兵が見張っています」
「それでも確認する」
「重傷者とは思えない頑固さですね」
リーゼがため息をついた。
治癒魔法が鬼平の身体を包む。
筋肉の損傷が少しずつ修復されていく。
痛みは軽くなったが、身体の奥に残る疲労は消えなかった。
「ハイテンションスキルは、精神ではなく身体に直接負荷を掛けているようです」
リーゼが言った。
「発動中、魔石ガトリング砲は壊れませんでした。しかし、その分の限界を鬼平さん自身が受け止めています」
「撃つために、身体が砲身になるのですね」
佐久間が呟いた。
鬼平は目を閉じた。
「砲身は壊れない」
「ですが、軍曹が壊れます」
「壊れる前に止める」
「止められなかったら?」
鬼平は少しだけ考えた。
「部下が止めろ」
日野と高瀬が顔を見合わせる。
「了解しました」
高瀬が答えた。
「軍曹が無茶をしたら、俺たちが止めます」
「止められるならな」
「止めます」
「武器で殴られるぞ」
「その時は、全員で押さえます」
鬼平は目を開けた。
部下たちの顔を見て、ほんの少しだけ口元を緩める。
「覚えておく」
治療が終わる頃には、外が暗くなっていた。
鬼平は一人で歩けるまで回復していた。
ただし、右肩と腰にはまだ痛みが残っている。
治療所の外では、グラウ将軍が待っていた。
「工房へ案内する」
「今からか」
「貴様は休め」
「武器を見る」
「三時間は治療を受けたばかりだ」
「武器を見る」
グラウは大きく息を吐いた。
「好きにしろ」
獣人連邦の工房街へ向かう途中、鬼平は街の様子を観察した。
獣人たちは王国人を警戒している。
しかし、鬼平の部下たちへ向ける視線には、敵意よりも好奇心が強かった。
特に佐久間の魔導装具には、多くの視線が集まっている。
工房街の最奥に、ひときわ大きな建物があった。
入口には、金属板で作られた看板が掛かっている。
連邦古代兵器修復局
鬼平は中へ入った。
奥には、巨大な炉と魔力加工機が並んでいる。
武器や鎧、魔導車両の部品が所狭しと置かれていた。
そして、工房の中央に一人の男がいた。
灰色の毛を持つ猫獣人。
片目に拡大鏡を付け、巨大な工具を手にしている。
「ノア・クレイヴだ」
グラウ将軍が紹介した。
ノアは鬼平を見ると、壊れたガトリング砲へ視線を移した。
右の砲身。
左の魔石接続部。
曲がった銃架。
魔導装具から移植された制御部品。
ノアは無言で武器の周囲を一周した。
やがて、鬼平へ顔を向ける。
「何発撃った」
「数えていない」
「砲身の損傷を見る限り、数えるのをやめるほど撃ったらしいな」
「直せるか」
「直せる」
ノアは即答した。
「ただし、完全には戻らない」
「どういう意味だ」
「お前のガトリング砲は、限界を超えた射撃で魔石回路が変質している。特に左の砲は、通常の兵器ではなくなりつつある」
「撃てるなら問題ない」
「問題はある」
ノアは左の砲身を叩いた。
「ハイテンションスキルとやらが発動した時、この砲は弾を無限に撃ったのだろう」
リーゼが頷く。
「はい。弾薬も魔石も減らず、砲身も壊れませんでした」
「それは兵器の力ではない」
「では何だ」
ノアは鬼平を見た。
「兵器と使用者の融合だ」
工房内が静かになった。
「この砲は、お前の戦意を燃料にしている。お前が戦えば戦うほど、砲の限界が外れる」
「便利だな」
「だから危険だと言っている」
ノアは壊れた右のガトリング砲を指した。
「右は完全に修理できる。しかし、左は普通に直すべきではない」
「なぜだ」
「無限射撃の仕組みを残すなら、制御装置が必要だ。お前の身体を守るための制限も必要になる」
鬼平は黙った。
「制限を付ければ、弾は尽きるのか」
「暴走時だけ無限になるよう調整する。通常時は弾薬を使う」
「それでいい」
リーゼが驚いた。
「ハイテンションスキルを、任意に使えるようにしないのですか?」
「必要な時だけ使う」
「本当に?」
「弾薬が無限だからって、毎回撃ち続ける必要はねえ」
ノアは少しだけ目を細めた。
「撃つ判断はできるらしいな」
「軍曹だからな」
ノアは修理台へ向かった。
「右の砲には、古代金属と黒魔石が要る。左の制御には、竜脈に耐える冷却管が要る」
「竜の鱗も必要です」
リーゼが補足した。
「竜の鱗はある」
ノアが棚の奥から、黒く輝く鱗を一枚取り出した。
それは鬼平が知る黒竜の鱗とは違い、銀色の筋が走っている。
「数年前、竜域の端で拾った。だが、これ一枚では足りない」
「どれくらい要る」
「右の砲身を補強するなら十枚。左の冷却管を作るなら五枚」
「合計十五枚か」
「竜の鱗を数えるような口調で言うな」
鬼平は工房の地図へ目を向けた。
「竜域へ行く」
ノアが工具を止めた。
「竜域へ入って、生きて帰るつもりか」
「帰る」
「黒竜ヴァルグリムがいる」
「知っている」
「なら、なおさら無理だ」
鬼平は壊れた右のガトリング砲を見た。
「こいつを直すには、鱗が要る」
「武器のために竜へ挑むのか」
「武器を直して、部下を守る」
ノアはしばらく黙った。
やがて、工房の奥から金属製のケースを持ってきた。
ケースの中には、黒い弾丸が数発入っている。
「対竜弾の試作品だ」
鬼平が一発を手に取る。
ずしりと重い。
弾頭には、竜の鱗と同じ銀色の筋が入っている。
「何発ある」
「五発」
「少ない」
「作るのが難しい。竜の血と黒魔石が必要だ」
「量産できるか」
「素材があれば」
「なら、竜域で集める」
リーゼが頭を抱えた。
「竜域へ行って鱗を集め、竜の血まで持ち帰るつもりですか?」
「弾薬が要る」
「そこまでして、黒竜と戦うのですか?」
鬼平は対竜弾をケースへ戻した。
「借りを返す」
その夜、工房の外で警報が鳴った。
獣人連邦の国境方面から、狼煙が上がる。
グラウ将軍が工房へ駆け込んできた。
「王国軍が国境を越えた」
ラウルが立ち上がる。
「教会の追跡部隊か?」
「王国軍だけではない。教会の魔導兵と、竜の紋章を付けた黒装束もいる」
鬼平は修理台の上のガトリング砲を見た。
右はまだ直っていない。
左は撃てるが、ハイテンションスキルを使えば鬼平の身体に反動が来る。
「敵の数は?」
「千以上」
「多いな」
「連邦軍が迎撃するが、王国軍は古代兵器を持っている」
グラウ将軍は鬼平を見た。
「貴様の力を借りたい」
鬼平は壊れた右のガトリング砲を持ち上げようとした。
だが、まだ身体が完全には戻っていない。
肩に痛みが走り、膝がわずかに沈んだ。
リーゼが制止する。
「今は戦闘できる状態ではありません!」
鬼平は左のガトリング砲を見た。
弾はある。
撃てる。
ハイテンションスキルも、発動できるかもしれない。
ただし、発動すれば身体が壊れる。
ノアが修理台から言った。
「今の状態で無限射撃を使えば、次は本当に立てなくなるぞ」
鬼平は窓の外を見た。
遠くの国境で、赤い光が上がっている。
砲撃だ。
獣人連邦の街へ向かって、王国の古代兵器が撃たれている。
鬼平の部下たちが、工房の入口へ集まった。
「軍曹」
日野が言った。
「俺たちも戦えます」
「負傷者だ」
「撃てます」
「弾薬がない」
「奪います」
高瀬が笑った。
「軍曹から教わりました。補給は敵から取ることもできる」
佐久間が魔導装具の残骸を持ち上げた。
「俺も、まだ動けます」
鬼平は部下たちを見た。
戦える者がいる。
守るべき街がある。
王国軍は、教会と竜の紋章を持つ者たちとともに国境を越えてきた。
鬼平は左のガトリング砲を手に取った。
砲身が静かに回転する。
「ノア」
「何だ」
「右は、いつ直る」
「最低でも一日」
「長い」
「貴様の身体よりは短い」
「左だけで戦う」
「ハイテンションスキルを使うな」
鬼平は答えなかった。
ノアが鬼平の肩を掴む。
「聞いているのか、軍曹」
「聞いている」
「なら、使うな」
「必要になったら使う」
「必要にならないように戦え」
鬼平は工房の外へ出た。
遠くで、再び大地が揺れる。
王国の古代兵器が、獣人連邦へ迫っている。
鬼平は左手のガトリング砲を構えた。
右手には、まだ撃てないガトリング砲。
だが、完全に修理できる可能性が見えた。
竜の鱗。
対竜弾。
新たな冷却機構。
そして、ハイテンションスキルの制御。
「撃てる砲が一挺」
鬼平は国境の炎を見た。
「撃てない砲が一挺」
背後に、部下たちが並ぶ。
「敵は千以上」
鬼平は左のガトリング砲の引き金へ指を掛けた。
「なら、一挺で足りる」
リーゼが叫んだ。
「鬼平さん、無理はしないでください!」
鬼平は振り返らずに答えた。
「無理かどうかは、撃ってから決める」
魔石ガトリング砲の砲身が回転を始める。
獣人連邦の国境へ向かって、鬼平軍曹は歩き出した。
その背中を見ながら、ノアは修理台の上の右のガトリング砲を調べた。
砲身の奥で、赤い光が一度だけ明滅する。
撃てないはずの砲が、まるで戦場を待っているように。
ノアは低く呟いた。
「竜の鱗が十五枚……いや、足りないな」
工房の地下から、古代金属の扉が開く音がした。
その奥には、かつて竜と戦うために作られた、もう一つの砲身が眠っていた。
獣人連邦防衛戦が、始まろうとしていた。




