今夜一晩
深夜の商店街は、昼間とは違った顔を見せている。
静まり返ったアーケードの中ではひどく靴音が響くし、いつも商店街の中央に設置されているベンチは端に寄せられている。まだ日付が変わる前だと言うのに、飲食店は一軒も開いていない。
「ほんと、田舎に来ちゃったよなぁ」
結衣の育った場所も都会とは言えないが、日付が変わったところでお金さえあれば行く場所はそれなりにあった。たとえ子供を連れていても、カラオケのフリータイムで眠る事ぐらいはできたが、ここではお金があっても無くても変わらない。どこかに身体を丸めて朝を待つしかないのだろう。財布を持って出なかったことなんて、この町では大したことではないのだ。
「まぁ、今はそれがラッキーだったかな?」
自嘲気味に笑い、隅に置かれたベンチに腰を下ろした。
「ここで一晩、もいいよね、翔太。明日雄大が出かけたくらいに、部屋に戻ろう」
夜泣きのひどい翔太を抱いたまま、座って眠った事なんて一度や二度ではない。ベンチで一晩過ごすくらい、今さら大したことではないのだ。静かな商店街には、不審者も大騒ぎしている若者も、通る車すらもない。外の空気のせいか、無理に寝かそうとしていないせいか、翔太もすぐにウツラウツラと始めてくれた。少し肌寒いが、氷のような空気のアパートに帰るよりも、ずっと安らげるだろう。
昨夜も夜泣きがひどくてあまり眠れなかった。翔太と昼寝をしたいと思ったのに、洗濯物を干して横になった途端に起きてしまって、結局眠れていない。自分のタイミングで眠るというのが、どれだけ贅沢な事なのかなんて、子供を産むまで考えたことも無かった。
そんなことを思いながら、ぼんやりしているとあっという間に睡魔に飲まれていく。肌寒い、このまま眠ったら風邪をひくなぁと思うのに、重くなった瞼は開くことがない。
「結衣さん? 結衣さん?」
眠る寸前、一番いいところで肩をトントンと叩かれて、身体がビクリと震え、その振動で翔太が目をさました。
「ああ、大丈夫だからね、大丈夫、寝てても大丈夫だよ」
大泣きを始める前に、身体をゆすって何とか落ち着かせた。恨みを込めて顔をあげれば、申し訳なさそうな顔をした薫が立っていた。
「驚かせたことは、ごめんなさい。でも、こんな所で眠っていては……」
「……いいんですよ。朝、お店が開く前には戻りますから。迷惑は掛けませんし、誰もここで私が一晩過ごしたなんて気づかないでしょう?」
「迷惑ではありませんが……。気づきますよ? 商店街の朝は早いんです。八百屋さんも魚屋さんも、4時には一度店に来ます。商店街の掃除は6時には始まりますし、通勤や通学にここを通る方も、早い方は6時ごろにはここを通ります」
「そう、なんだ……」
「人が増えて来たら、嫌でしょう?」
「それは、嫌、かも」
早朝から赤ん坊を抱いて商店街のベンチに座り込んでいる若い母親なんて、田舎街のオバサマがたの格好のターゲットだ。
「……」
だからと言って、アパートに戻るのは嫌だ。雄大の『やっぱり帰ってきた』という顔は見たくない。どうしようかと頭をひねっていれば、ルナがベンチに上がり、結衣の膝に前足を乗せた。
「お店に、いらっしゃいませんか?」
穏やかに笑う薫に、先ほどまでの怒りは影を潜め、素直にうなずき立ち上がってしまった。どうして、こんなに素直に身体が動くのかなんて、考えることもしたくなかった。
ぼんやりとしたまま、眠った翔太を抱いて薫の後を歩く。アーケードのおかげで夜でも明るいのに、誰も居ない商店街は、まるで知らない町だ。
はなママが居なくなったことを表すような『探しもの屋』の看板。いつも憎々しく眺めるのに、今日は闇の中の道しるべのように見えてくる。自分のいい加減さを笑いながら、薫の後について探しもの屋に入っていく。
「翔太君はここへ。結衣さんには、温かい飲み物をいれましょう」
ソファーをくっつけて作ってくれた簡易ベビーベッドは寝心地が良いのか、腕から降ろしても翔太はむずる事もない。いつもこうなら、もう少し喧嘩も減るのになぁ、と心の中で悪態をつきながらカウンターに座った。カウンターでは薫が片手鍋に牛乳を入れて火をつけた所だ。
「薫さん、普通に喫茶店やればいいのに」
この店を憩いの場所にしていたのは、なにも結衣だけではない。商店街の住人が入れ替わり立ち代わりやってきて、はなママを相手にとりとめのない話をしていたのをよく覚えている。
「うちは、探しもの屋ですから」
おだやかな薫は、これ以上踏み込むことを許してくれない。
「どうぞ」
カウンターに置かれたミルクティーは、ほのかに生姜の香りがする。ピリピリとした刺激があるが、お腹の中から暖まっていくのが分かり、安心する。
「あったかいって、安心できるね、不思議」
「そうでしょう? どうしてでしょうね。寒さを感じていると、不安とか恐れとか、怒りとか増えちゃうんです。不思議ですよね」
「そう、なんだ……」
雄大が帰ってきたのは、お風呂上り。一日で一番寒さを感じる時間だが、気温自体は低くは無かったので雄大が少し窓を開けていた。雄大には適温でも、結衣には寒かった自覚がある。イライラしていたのは、寒さのせいだったのだろうか。
「結衣さんは、こちらで眠ってください。布団も毛布も無いので、私の上着と膝掛けで我慢してください」
翔太と少し離れた場所に作ってくれたソファーを繋いだだけの寝床に、脱いだばかりの薫の上着とカウンターの隅にあった膝掛けが置かれている。よくルナが眠っている場所だが、今は結衣の隣のカウンターチェアに行儀よくお座りをして結衣を見つめていた。月色の瞳は、憐れみも好奇心も写してはいない。
「なんで、、見ているの? いつもは近くにも来ないのに」
「ルナは、結衣さんのことも翔太君の事も好きなんですよ。好きだから、見ているんでしょうね」
「……変なの」
好かれているのなら、とルナに手を差し伸べれば昼間のように背中を向けることはなく、柔らかな被毛を堪能させてはくれるがゴロゴロと喉を鳴らす事も心地よさそうに目を細める事も無い。満ちた月のような瞳で、じっと結衣を見つめている。
「不思議な猫」
「そうですね、ちょっと、変わった好みを持っていますねぇ」
「変わった好み?」
「そう、心からの探しものをしている人が好きなんです。ここは、ルナの為の店なんですよ」
「なに、それ……」
「なんでしょうねぇ」
にっこりと笑った薫には、それ以上何を聞いても答えてはくれないだろう。毎日通って、薫が線を引くときの表情は知っていた。穏やかに、にこやかにしながらも絶対にそれ以上は踏み込ませてくれないのだ。
「ルナも今夜はここに泊るようです。私が朝来る前に帰りたくなったら、鍵は気にせずに店を出てください。ルナが居れば、誰も入っては来ませんから」
「猫が、番犬みたいになるの? 誰かがドアを開けた途端に出て行っちゃったりしない?」
「しません。大丈夫です」
また、はっきりと線を引かれた。
電気を消しても、スモークを張られた窓からアーケードの明かりがわずかに入る。いつも横にある翔太の温もりがない事に、ホッとしている自分と寂しいと思う自分がいる。
間違いなく、翔太は愛おしい。笑っている翔太はどこの子供よりも可愛いと思うし、ずっと笑っていて欲しい、守りたいと思う。
でも、疎ましいと感じている自分がいることも事実だ。この子が居なければ、自由になれる。雄大との喧嘩だって随分減るだろう。「子はかすがい」なんて言葉が信じられないほどに、子供のせいで喧嘩が多い。
翔太への愛情も、雄大への愛情も、どこかへ消えてなくなってしまうときがある。『若いママねぇ』年配者の呆れたような言葉は、誰よりも自分が一番わかっている。
母親になるなんて、まだまだ早かったのだ。
考えれば考えるほどに、こぼれてくる涙をこらえることができない。横になっていては、薫の上着を汚してしまう。涙をTシャツの裾で拭きながら、簡易ベッドに座り込むとカウンターの上から小さな満月が二つ、こちらを見つめている。『心からの探しものをしている人が好きなんです』先ほどの薫の言葉が、頭に浮かんだ。自分は、何を探しているように見えるのだろう。
「ルナ? ねぇ、こっちにおいでよ」
来ないだろうと思いながらかけた言葉に、ルナはしっかりと反応した。音もたてずにカウンターからソファーに飛びうつり、じっと結衣を見つめている。
「ねぇ、私、なにも探してなんかいないよ? むしろ、いらないものがたくさんあって、困っているんだよ。それでも、あなたは私に興味があるの?」
そんな言葉にも、小さな満月は何も変わらない。何もわからないように、何もかもわかっているように、黙って結衣を見つめている。




