伊藤あかねと墓参り1
「暑い………。」
蝉の声が鳴り止まない上に、頭上を遮るものが何にもない。遠くに見える夏らしい入道雲はまだこちらにくる気配がない。
日焼けどころか火傷しそうなレベルの直射日光を直で浴びながら日傘を持ってこなかったことを私は後悔していた。せっかく塗った日焼け止めも、大量に流れ落ちる汗のせいでほとんど効果は残っていないだろう。
おまけに片方の腕にはクーラーボックスと、そのほか色々荷物を入れたトートバッグ。もうもう片方の腕は水の入ったバケツとかろうじて持っている形になった花。
駐車場からだいぶ距離があるせいですでに私はへとへとだった。
そもそもこの場所に来るまでに、免許をとって以来ろくに運転していないのに、車通りがほとんどなかったとはいえ山道を通ってきたからだいぶ疲れていた。きっと帰り道の方が下り坂だからさらに疲れるーーどころか下手したら死にかけそうだ。
……そんなことをこんなところで考えるのは縁起が悪いからやめよう。
とりあえず、片手に持ったバケツとクーラーボックスを地面に置いて、バケツに突っ込みっぱなしの柄杓をとった。
今更だけど、身内でもないのに、お墓に水をかけてしまってもいいんだっけ?
正直、お墓参りなんて親や祖父母が横でやっているのを尻目に手を合わせるだけがほとんどで、ちゃんとしたマナーを調べてこなかったことを後悔した。とはいえここまで汗だくになりながら水を持ってきたのに、元に戻すなんてしたくもない。
それに、あいつはなんだかんだ呆れながら許してくれそうだし。
そのまま柄杓の水を、私の記憶が正しければお母さんがここに水を入れるのよと教えてくれたくぼみに注ぐ。そして、横の花を入れるところにも入れて、花を突き刺す。
なんだかそれっぽくはできてるような気がしてきた!
クーラーボックスから冷えたアルコール度数の低い酎ハイを取り出して墓前に供えて、おそらく私が覚えてる範囲であれば完璧なはずだ。
「あ……、まだ未成年じゃん……。」
お酒までわざわざ近場のスーパーで買ってきておいて、朔は早生まれだったことを今更思い出した。
せっかくお酒が飲めるようになったんだから、お墓参りもお酒の方がいいよねなんて考えていた自分を殴りたい。あいつは死んでるとはいえまだ未成年だし、私は車に乗ってきたから飲めないし。
ただただ直射日光を浴びせるためだけに取り出されてしまった酎ハイはとりあえずそのままにして、手を合わせて目を閉じた。
大学二年生の八月二十日、私は初めて、朔のお墓参りに来ていた。
正直言って、ここまで来るのは色々大変だった。
朔のお墓の場所なんて知らないし、あのとき、一緒に亡くなった朔のお母さんの知り合いの連絡先なんてもっと知っている訳がない。
そういうわけで、ほんの僅かな望みをかけて、どうにか悠月ちゃんに連絡を取ろうとしたのだけれど、悠月ちゃんは流石に二年前は携帯は持っていなかったし、現在の保護者の連絡先も知らなかった。ついでに言うとどこに引っ越したのかも知らなかった。
薄情かもしれないけど、あの時の私は本当に余裕がなかったんだと思う。
それに、正直言ってこれまでの二年間は、私は朔の死に全く向き合えていなかったんだと思う。
「明日から頑張る」と宣言したことを言い訳にして、ダンスのことと、受験勉強や大学の評定上げなどの勉強のことの二つだけに全力に意識を向けて、私はまた逃げていただけだった。
二年の月日が経って、ようやく、ちゃんと朔のことと向き合わなきゃいけないと思えた。もう一つ、そう踏み切るきっかけになった出来事はあるけれど。
そう言うわけで、あたって砕けろ精神で色々な人に悠月ちゃんの連絡先を知らないか聞きまくるつもりでーー、まさかの二人目の樹が知っているという奇跡が起きて、二年ぶりに悠月ちゃんに連絡をとった。
流石にいきなり知らない番号やメールで連絡が来ても怪しまれるから樹にワンクッション入れてもらった。
まあ、どんな風に話を切り出すのか物凄く迷ったなんてこともあったんだけど、樹が素直に『あかねが朔の墓参りに行きたいらしいが、連絡先渡してもいいか?』といきなり勝手に切り出したせいで、そんな心配は無駄になった。
そこからやりとりを数回繰り返して、今に至るわけなんだけど、私はまた、ここで何と言って話を始めるべきか悩み始めていた。
――久しぶり?元気にしてた?
流石に論外。死んだ人間に元気にしてたはおかしい。
ーーやっと、朔のことに向き合うつもりになったの。
重い。それに最後のメールで心配しないでなんて言っておいて全くダメダメだったのがバレてしまう。
……もういいや、深いことは考えずに本題から入り始めてしまおう。
「私、朔に言わなきゃいけないことが何個かあるの。」
生ぬるい風が吹いて、木々が騒めく。蝉の声が遠くなったような気もする。
一回だけ、深呼吸をして、まずは言いやすいことから言った。
「私、とうとうダンスで世界一になったの。」
ダンスの世界一とは何かっていうと色々定義はあるから一つに絞れないんだけど、私はまあ世界的にも有名な大会で、日本代表を勝ち取って、世界で戦い抜いて、とうとう優勝した。ほんの数週間前の話だ。
「朔には1番に報告するつもりだったんだけど、ほら。」
ポケットに入れっぱなしだったスマホを取り出す。ガラケーなんてもう使っている人の方が少なくなった。私も同じように機種変更して、さらに電話番号もメールアドレスも変えてしまった。
「朔の電話番号はもう解約されてるだろうし、メールも携帯キャリアのだったでしょ?だから送れないだろうし。それに、あの最後にくれたメールも消えちゃってさ。」
報告できなかった言い訳をつらつらと述べる。これでも一応、心の中ではちゃんと優勝が決まったすぐ後に報告していたんだから許してほしい。
「だから今、一応ちゃんと言っておこうかなって。それとももしかして、わざわざヨーロッパまで見に来てくれた?」
当然、返事はない。話しかけている相手はもしもいるとしたら幽霊で、いなかったら墓石という名前のただの石だ。
こんな状況で人が来ると流石に恥ずかしいから、しばらく誰もこないでほしい。
流石にお盆も過ぎてるし、こんなに暑いから来ることはないと思うんだけど。これからもっと、恥ずかしいことを言う想定があるから、なんとなくあたりを見渡して、人がいないことと、車のエンジン音がないことを確認する。
人が来る気配が全くないことを確認してからようやく、私は話を続けた。
「楽しそうに踊る私が好きって……好きとは言ってなかったかも?まあ、そんな感じのことを朔が言ってくれたからさ、私、踊ってる時いつも楽しもう!って考えたの。そのおかげかはわからないけど、色々な人に見ていて楽しくなった!とかあなたのダンス好きよ!って褒めてくれることが多くなって。……だから、その、ありがとう。」
どうして、こんなことを言うのがこんなに恥ずかしいんだろう。ここに本人がいるわけでもないのに。その恥ずかしさを誤魔化すように次の話題に移った。
「そういえば、私、大学も結局第一志望に合格したの。それで今は都内に一人暮らし。言っとくけど、ダンスばっかり頑張ってたわけじゃないんだから!お金は欲しいからバイトもして、勉強だってちゃんと頑張ってるんだから。えーと、なんだっけ!そう!成績上位者しかもらえない奨学金がもらえるぐらいは頑張ってるの!」
ついうっかり胸を張ってそんな風に答えている私のことを、呆れるように見ている朔の顔が脳裏にはっきりと浮かび上がる。相変わらず、制服を着たまま、時が止まってしまった朔の顔が。
「あとね、今度留学に行くの。流石に留年とかしたくないからそんな長期間じゃないけど。一応勉強もするけど、メインはダンスの留学かな。そこにバイトで稼いだお金とか、大会の賞金とか結構消費しちゃう予定だから、しばらくは、というか、下手したら数年は来れないかな……。まあ、二年空いてるから今更か。本当に、たまたまだけど、ヒロ君の大学に近いところに行くことになりそうだから色々教えてもらおうかなって……。朔も、来れるなら来る?幽霊に入国審査ってあるのかな。」
そんな冗談をつい言ってしまった。正直かなり留学するのは心細い。最近はダンス関係で海外に行くことが増えたとはいえ、そこまで長期じゃなかった。朔が幽霊でもいいから一緒にいてくれたらなんとなく心強いような気がする。死んだ後まで迷惑かけるわけにはいかないとは思うけど、それでも心細いのだ。
「あ、そうだ、ヒロ君の話題が出たついでに、ヒロ君は結局海外の大学に進学したの。年一回ぐらいは帰ってくるからその時に会ってる感じかな。ああ、もちろんみんなで――、ごめん嘘を言った。樹と私だけだった。樹は、言うまでもないかもしれないけど、バレーで進学をきっちり決めて、今は大学バレーをしてるけど、日本代表にも選ばれたみたい。それで、瑠璃は――。」
そこまで言って、うまく言う言葉が出てこなかった。今日はいいことばっかを言うつもりだったのに、他のみんなの現状を伝えるには、どうしても良くないことを言わないといけない。




