魔法の言葉はあなたから
件名も差出人も文字化けしていたくせに、そのメールの本文は、普通に日本語で書かれていた。
そして、その本文を私は読み進めて――
「……なにそれ。」
そんな一言を言ってしまった。
メールに書かれていたのは、さっきまで必死に探していたメールに似ていたけれど、ちょっとだけ違って、一言だけよりはほんのちょっとだけ文章が多かった。
『返事は八十、90年後にでもしてくれ。応援してる。』
漢数字と普通の数字が混ざった慌てて打ったかのような本文に、言いたいことだけ一方的に言ってくるこの感じ。
そして、私が返事ができていない人物なんて一人しかいない。
文字化けしまくった差出人の正体はきっと朔だろう。……というか朔以外ありえない。それは私が一番よく分かっていた。
死んでいる人間からメールが送られてきたことは気にしないで、メールに書かれた文章の意味を考える。
返事は八十、九十年後って、これは、死んだ後に返事をくれって言ってるつもり?。それに、応援してるっていうのはダンスに対して?それとも私の今後のこと全てについて?本当に色々と言葉が足りてないんだから!
だいたい、こんなメールを送ってくるぐらいなら勝手に死なないでよ!それはどうしようもないことだったのかもしれないけど、それならそれで、あの時、勝手に電話を切らないで、ちゃんと私の返事を聞いてよ!
それに、八十、九十年後って、もしかして私に百歳以上生きろって言ってる?それとも、そのぐらい図太く生きるって思ったの!?
うっかり事故とかで明日とかに私が死んだらどうするつもりだったの!?お互い、あるのか分からないあの世で、あっさり再開したらものすごく、気まずい空気になるじゃない!
このメールだって、絶対、私が思ったよりメソメソしてるのに慌てて書いたに決まってる!それか、電話で返事はいつまでにくれっていうのをうっかり言い忘れて慌てて書いたのか!
それに、私が朔が死んだって聞いて、あっさり立ち直るようなほど、冷徹な人間だとでも思ってたわけ!?
いつの間にか涙が止まっていることに気がついた。
このメールのことについて考えていると、あんなに悲しかった気持ちがいつの間にか消えて――はないんだけど、なんだかいつも通りの私が戻ってきたような気がする。
これを狙って、本当に朔がメールを送ってきたのなら、向こうの作戦は大成功だろう。
結局私は単純だった。地区予選みたいに、朔の言葉ーー正確にはメールの文章はどんな薬よりもよく効いた。
『応援してる。』
最後にあった時も、最後に声を聞いた時もそんなこと言ってくれたよね。
去年の夏休み前も、遊園地に行った後も、その言葉はなかったけど、手作りのキーホルダーをくれたのは、私のこと応援してくれたんだよね。最後に会った時と同じように。
『俺のせいで、最後の大会とかでお前がお前らしく踊れないのは嫌なんだよ。』
そんなことも言ってたよね。
さっきまでみたいに、私が部屋から出れもせずに、ただただ泣いていたら、きっと同じことをもう一回言われるんだろう。そんなことをしていたら、また、差出人が文字化けしたメールが携帯に届いてしまいそうだ。
文化祭のあの時も、最後にあったあの時もずるい言葉ばっかりかけたのに、死んだ後でも心配してくれて、こんなメールをわざわざ送ってくれて、朔は本当に優しい。
そういうところがきっとずっと好きだった。
そして、その優しさに甘えてばっかりの私は最低だ。
……これ以上朔に迷惑をかけるわけにはいかない。だから、もうこれ以上泣くわけにもいかないし、塞ぎ込んではいられない。
『そのうち世界一にだってなれんだろ?』
『あんなに、いっつも綺麗なのに。』
『躍ってる時のお前、楽しそうでよかったよ。』
うん、なってやるよ。何年後かわかんないけど、朔が褒めてくれたみたいに、綺麗で、楽しそうに踊って、私らしいダンスでさ。
もしも、世界一になれたらさ、全国大会で勝った時みたいに一番に連絡するから。そしたら、また差出人不明でもいいから、メールでもなんでも、一番最初にお祝いの言葉が欲しい。
それに、幽霊でもいいから私の応援にきてほしい。……これはちょっとワガママかも。
どのみち、世界で一番を取るなら、明日のレッスンなんてサボってる訳にもいかない。早く、立ち直らないといけない。
でも、それでも、明日からはいつも通りの私にちゃんと戻るから、せめて今日までは、明日になるまでは、もう少しだけ、泣かせてほしい。
もう一回、涙でべしょべしょになった枕に顔を押し付ける前に、携帯の返信ボタンを押した。
届くかどうかは分からないけど、何となく朔に返信しないといけないような気がしたから。
もう一回、メールを死んだ朔から届けさせる訳にはいかないし、泣いてるけど私は大丈夫だぞって伝えないと。
うまく回っていない頭で、思いついたことをそのまま打ち込んで、確認もせずに送信ボタンを押した。
こんな文章で伝わるかなとか、こういう表現よくないよなとか考えてしまったら、一生送信ボタンを押せなくなりそうだったから。
『明日から頑張る。今日だけ泣かせて。心配しないで。』
そんなことを淡々と書き連ねた気がする。朔のことをとやかく言えないぐらいひどい文言だ。
メールが送信済みになったことを確認して、枕に思い切り顔を押し付ける。宣伝してしまった以上、明日からちゃんと頑張らないと。
でも明日から、なんて言ったけど、日付が変わるまではあと一時間も無くなっていた。朝日が昇るまでは、明日ってことにしていいかな。
そんな言い訳を考えながら、これが最後だと言い聞かせながら、私は今度こそ声をあげて、また疲れ果てて眠ってしまうまで泣き続けた。
そして、今度は周囲が明るくなったことで目が覚めた。
体を起こすと、枕どころかシーツまで濡れていた。時刻を確認するとまだ朝の六時にすらなっていなかった。
濡れた枕カバーとシーツを引き剥がして、枕はカバーの下まで濡れてたからそれもついでに回収して、階段を降りて洗面台に向かう。
流石に親に洗濯させる訳にもいかないし、何より昨日はお風呂に入ってない。シャワーぐらいは流石に浴びないと、ダンスのレッスンには行けそうになかった。洗濯機にカバーとシーツをぶち込んで、洗面台の鏡を見ると、ひどい顔をしていた。
あれだけ泣いたから当然とはいえ、目が腫れすぎてほとんど開いてなかったし、涙の跡と思われる白い粉が顔中についていた。
シャワーを浴びて、特に顔を念入りに洗って、髪を乾かす。
そうしていると、流石にドライヤーの音がうるさかったのか両親が二階から降りてくる。ひどく心配そうな顔をした両親は、いまだに腫れぼったい顔をしてうことぐらいは、いたって普段と変わらないような私の態度にさらに心配の色を濃くした。
……別に強がってる訳でもないんだけどな。立ち直ったのかと言われればそうでもないし、今日のレッスンはだいぶひどいことになる自信がある。
でも、それでも、あんな風に泣いて朔に心配をかける訳にはいかない。ただそれだけだった。
腫れすぎた目を治すために、ホットタオルを当てたり、保冷剤を当てたりを繰り返していると、だいぶマシな顔になっていた。
それでも顔色がだいぶ悪いし、どことなく体調が悪そうに見える。……この顔だっていつも通りに戻さなきゃ。相変わらず心配そうな顔をしている父親は、最後まで私の顔を見ながら仕事のために家を出て行った。
ダンスのレッスンまではまだ時間がある、その間に受験勉強でもしておこうかな。
朔からは受験のことは心配されていなかったけど、『俺のせいで……』なんてダンス以外のことでもこれ以上言われたくないし。
ああ、それにたまりに溜まったメールにも返信しないとな。流石に丸二日無視は、色々な人に心配と迷惑をかけすぎだ。
一人一人に『色々あって連絡できなかった!無事です!心配かけてごめんね!』と同じ文章をひたすら返して、海外で自分の語学力のなさを味わった英語の勉強をしていたら、家を出る時間になっていた。
心配そうに今日は休んだらどうかと声をかけてきた母親に大丈夫と言い張って、玄関のドアを開ける。レッスンに持って行くバッグには、朔から貰ったキーホルダーが三つ、太陽を浴びて光り輝いていた。なんとなくそれがあれば今日だって、うまく踊れそうな気がしたから。
「行ってきます。」
心配そうな母親に、いつも通り、そう声をかけて家を出た。
外に出ると多少マシになったとはいえ、焦げ臭い匂いが漂ってくる。
でも、それでも、私は朔だけがいない、いつも通りの日常に戻っていった。
それから数日経って、学校が始まった。
予想してた通り、朝のホームルームで朔が亡くなったことを伝えられた。机の上には漫画とかでもよく見るように花が飾ってあった。そのことをどこか他人事かのように眺めていた。
朔の葬式には出れなかった。というよりは、参加させてもらえなかった。身内だけでひっそりと行ったらしい。
私がダンスのレッスンに行っている間に、お別れを家にわざわざ言いに、朔のお母さんによく似た男の人と悠月ちゃんがお母さんに教えてくれたらしい。
悠月ちゃん本人は、別の親戚に引き取られるとかで、新幹線で数時間かかる場所に引っ越してしまった。私だってあんなに落ち込んでいたのに、悠月ちゃんは大丈夫なんだろうか。
そのぐらいのことを考えられる程度の余裕があるくらい、私は元に戻っていた。
優子も亜矢も、弥ちゃんも心配そうに私に接してくれたけど、私がいつも通りにしようとしているのを感じ取ってか、そういった態度もいつの間にか取らないようになっていた。
瑠璃はなぜか学校を休んでいた。今思えば、あの友人たちが心配して送ってきたメールの中に瑠璃の名前はなかった。確か、翠の名前も。
あの二人にも何かあったのかもしれない。けれど、心配の連絡をする気にはなれなかった。もしも、本当に何かあったとして、私と同じで返事をする余裕がないのかもしれないし、そっとしておいてほしいのかもしれない。
夏休みが終われば例年通り体育祭の時期だ。練習期間中に朔の机はいつの間にか片付けられていた。正直、机の上に置かれた花を見るのは嫌だったから、むしろありがたかったのかもしれない。
今年は去年と違って見学じゃないし、友達同士の喧嘩に巻き込まれることもなかったのに、今年の体育祭期間はひどく退屈に感じた。
そして、季節が秋から冬になって、年も明けて、あっというまに受験の時期になった。
あれから私はひたすら受験のこととダンスのことだけを考えて生きていたような気がする。そのおかげもあってか、受験では今のところ第一志望はB判定だからなんとか受かりそうだ。
実際に受験日当日も手応えがあったし、あとは結果を待つだけ。国公立は受けるつもりがなかったからこれで勉強からは一旦解放される。国公立にしか行けないと宣言している優子の前では口が裂けても言えないけれど。
さらにそれから一ヶ月とちょっとでとうとう卒業式の当日になった。
第一志望の合格はもう決まって、一人暮らしのための家探しだってもう終わった。これから数週間は荷造りと、ダンスの練習のことだけ考えてればいい状況になった。
名前を呼ばれて卒業証書を受け取って、最後のホームルームを受けて、教室でひたすらみんなと写真を撮った。
国公立の合格発表がまだで、余裕がなさそうだった優子と亜矢もこの日だけは、ここ数日に比べて元気そうだった。色々あって、夏休みの後に一ヶ月ぐらい学校を休んでしまった瑠璃だけは、ここ数ヶ月笑顔を見せてなかったけれど、写真を撮るときだけは精一杯笑ってくれていた。予想外だったのは弥ちゃんで、まさかの本気の号泣をしたから、私たちはひどく驚いた。
そんな三者三様の顔をひたすらカメラで撮りまくって、卒業しても遊ぼうね!のお決まりの文句を言い合って、制服を着る最後の日は終わった。
高校生活の最後の年の半分はそのぐらいしか思い出がない。そのくらいきっと、どれだけ表面上はいつも通りを取り繕っても、朔がいない日常は私の記憶に残らなかった。




