最悪な真実
無音になった携帯を耳に当てたまま私は呆然としていた。数分ぼーっとしていて、心配してくれた通行人に英語で話しかけられてしまった。
カタコトどころか自分でも何て言っているか分からないような英語でなんとか大丈夫だと伝えてその場を後にした。
いつの間にか暗くなっていたように感じた周囲も元の明るさに戻っていた。そして、窓越しに映る私の姿は酷かった。流石にもう一回顔を洗わないと。
さっき行ったトイレにUターンして顔を洗う。ちゃんと鏡で見ると、改めて本当に酷い顔をしていた。泣いたのはもちろんだけどほんの数分間に地獄に落とされて、天国に登るみたいな感情のジェットコースターがあったんだからしょうがない。
顔を洗ったおかげで冷静になってきた。それと同時に怒りが湧いてくる。
返事を聞いてくれなかった朔に対して。
時間がなかったのかもしれないけど、言うだけ言ってすぐに切るとか酷くない?なんだかすごく文句を言いたくなって、朔に電話をかけたくなってきた。
最悪、出てくれなくてもいい。地区予選のあの時みたいに留守番を残してやろう。
そして、日本について補導されるような時間じゃなかったら、家に押しかけてやるんだから。おばさんと悠月ちゃんには悪いけれど。
トイレから出て、また邪魔にならないように壁際に移動して、電話をかけようとしたけれど、どのボタンを押しても携帯は反応しなかった。
まさかこの数分でぶっ壊れたわけじゃないよね?せめてただ充電切れてしまっただけだよね?
焦りながら祈るような気持ちで、今度は電源ボタンを長押しする。
長押しすること数秒。いつも通り電源ボタンがついたのを確認できてようやく安心できた。一体いつの間に電源を切ってしまったのだろう。そんな勝手に電源が落ちるわけでもないし――。
そこまで考えて、あることに気づいた。
数日前、アメリカ行きの飛行機に乗ってから、今電源ボタンを押すまで、一回も携帯の電源を入れ直していないことを。
通話とかすると高額な料金がかかるのが怖くて、うっかり電話に出たりしないようにするために。
明るくなった画面で、慌てて通信がオフになっていることを確認する。やっぱり、この携帯はどこの電波にも繋がってない。
充電だって電源を落とした時とほとんど変わっていなかった。そして、着信履歴を確認しても、ついさっきの朔からの電話の履歴はない。
ーーじゃあ、さっきの電話はなんだったの?
変に考え込みすぎて、幻聴でも聞こえてしまったのかな。でも確かに、携帯の音は鳴ったし、そのときに周囲の人にこちらを見られたような気がする。それに、確かに朔の声は聞こえたはずなのだ。
電話の履歴をもう一回漁る。
それでも朔からの電話の履歴はない。
ただ、おかしな履歴が一つあることに気づいた。着信履歴の1番下。なぜか一月一日の00時00分に、999ー9999ー9999という変な電話番号からの電話の履歴が残っていた。
きっと、着信履歴がなんか変になってこんな表示になってしまったんだろう。それにきっと、携帯の電話もうっかりどこかで入れてしまったのかもしれない。
今日、色々考え込んでたし、その時にうっかり携帯を触っちゃたとかで。
そうやって無理やり自分を納得させた。
携帯はカバンの奥底にしまいっぱなしだったし、日付の違うおかしな履歴が朔からの電話だったっていう確証はない。だけど、あの朔の言葉が現実じゃなかったことにしたくないだけだ。それに、あの電話がなんだったのかなんて、本人にあって直接確かめてしまえばいい話だ。
もう一度携帯の電源を切って、早足になりながら空港の中を歩いていく。こんなところで急いだところで飛行機の時間は変わらないし、私の到着が早くなるわけでもない。それでも、どうしても、早く朔に会いたいという気持ちが抑えられなかった。
そうしてそれから十数時間後、私はようやく日本にたどり着いた。
「やっと日本に帰って来れた――!」
まだ、これから自分の家に帰るために、もう一回飛行機を乗り継がなければいけないのに、私はもうクタクタだった。
アメリカからの帰りの飛行機では結局一睡もできなかった。
あんなことを言われて、寝付けるわけがない。せっかく買ったお菓子もほとんど残っているし。これはお土産ってことで朔に押し付けよう。また、朔にいうべき文句が増えてしまったのだからしょうがない。
入国審査を済ませて、国内線のターミナルに行く前に、今度は航空会社のカウンターに行かなきゃいけない。
やっぱり、日本行きの飛行機が遅れたせいで、本来乗る予定だったはずの飛行機はとっくに旅立ってしまっている。返金だとか、代わりの便はどうするのかだとかは、先生が代わりにやってくれるらしい。なので、私はありがたく空港の椅子に座って呑気に置いてあるテレビを見ることにした。
テレビでやってるのはニュースだった。時刻が十八時ごろなせいで、バラエティなんかもやってないし仕方がないとは言え、つまらない。
ああ、そういえば親に連絡しないと。先生が到着が遅れることは連絡済みだけど、日本についたことぐらいは言わないといけない。
携帯の電源を入れ直すと、今度はとんでもない量の不在着信が入っていた。
その大半が、弥ちゃんや、亜矢、優子、友達からのがほとんどだった。あとは親からもちょいちょいある。それに、メールもたくさんある。たった三日――正確には四日?でこんなにメールがたまることある!?
あまりにも大量にあるものだから、開封もせず一体何通あるのかメールボックスを遡ってみた。すると、今日の朝ーー正確には午前四時あたりから大量にメールが届いていることが分かった。
着信履歴の方も、流石に未明からはきていなかったけど、今日の朝ーー部活に行く子たちが起きるぐらいの時間から届いていた。
メールの件名も「大丈夫?」とか「生きてるよね?」とか、私のことを心配するようなことばかりだ。一体私が空を飛んでいる間に何があったのだろう。アメリカで何か大きい事件でも起きた?それとも日本行きの、私が乗ったのとは違う飛行機で何かあった?
飛行機に乗っていた十数時間の間に何が起きたのか全く情報は入っていない。こんなに心配されるようなことなら、きっとニュースでもやっているはずだ。ちょうどテレビがあるのだから見てみよう。
そうして、つまらないからと視線を外していたニュースに視線を向けた瞬間、ニュースキャスターが何かを喋るよりも、テロップの文字を読むことよりも先に、血の気が引いていった。
だって、見知った町が、赤く、紅く、燃えて、ドス黒い煙に巻かれていたから。
『本日未明から、化札市の隠道付近で発生した大規模火災は、発生から十二時間以上経過した今でも鎮火に至っていません。延焼は懸命な消火活動によりーー』
ニュースキャスターの言葉に、血の気が引いた顔のまま、ガタガタ震える手で電話帳を漁り出す。
家族が無事か不安だったから?違う、私の家はあのあたりからは駅を挟んでそれなりに離れてる。延焼の心配はないとニュースキャスターは言っている。それに、こんなに電話もメールも来ているのだからとっくに避難しているはずだ。
友達のことが心配だったから?それも違う。瑠璃も翠も私の家と方向的には同じだ。ヒロ君は留学のための準備があるからといって、そもそも日本にいない。私が、携帯のキーすらうまく押せないほどに焦っているのは、液晶に映る顔が幽霊みたいに真っ白で生きた心地がしないのは
隠道という地名は、朔の家がある場所だったからだ。
電話帳でようやく、いつ登録したかも覚えていない、朔の電話番号を見つけ出して、電話をかける。繋がらない。もう一回かける。繋がらない。もう一度かける。繋がらない。もう一回、もう一回、お願いだから、もう一回――何度も何度も電話をかけて、「おかけになった電話はーー」の電子音を何度もきいて、いつの間にか携帯の充電は無くなるまで繰り返しても、朔に電話は繋がらなかった。
そこからどうやって家に帰り着いたのかは覚えていない。
多分、先生がなんとか飛行機とかの手続きをしてくれて、私の代わりに親に連絡して、なんとか引きずるように飛行機に乗せて、一番家から近い空港まで迎えに来てくれた親の車に押し込んでくれたんだと思う。気がついたら見知った車の中にいて、意味もないのに充電の切れてしまった携帯電話を握りしめていた。
いつの間にか家に着いて、車から下ろされていた。降りた瞬間から漂う異様な匂い。いつの間にか火は消し止められたようで、朔の家の方角を見ても、テレビで見たような赤い炎も、ドス黒い煙も見えなかった。普段なら絶対にありえない焦げ臭い匂いだけが、近所で火災が起きたことを示していた。
家に帰ってから、少しでも情報を得ようとテレビに齧り付いていたような気もするし、充電しながら携帯で必死に朔と連絡を取ろうとしたような気もする。何をしていたのにもしろ、最終的には親に心配されて、早々にお風呂にぶち込まれて荷解きも何もできずにベットの上に押し込まれたようだ。目が覚めたらベッドの上で、今まで何をしていたのか思い出せない。
慌てて飛び起きてリビングに向かうとテレビでニュースをやっていた。時刻は八月二十日の午前九時二十七分。いつの間にか次の日になっていた。
朝のニュースには遅い時間なのに、やっぱり昨日のことをやっていた。
『昨日未明に発生した、化札市の大規模火災ではこれまでに十二人の死亡が確認されーー』
画面の向こう側ではアナウンサーが淡々と被害状況を伝えている。それに対して専門家なのかなんなのかよく分からないおじさんが、規模の割には死傷者が少なくてよかったみたいなことを言っている。私も、きっとただニュースを見ているだけなら、遠くに住んでいるならそれならよかったねの一言で済んだかもしれない。
画面に映った、死者一覧の中に「比良坂 朔」の名前がなければ。




