唐突な電話
あの夏休み前の出来事から二週間とちょっと。
「どうしよう」
ロサンゼルス国際空港、現地時刻八月十八日午前十一時。英語が飛び交う空港で、私は途方に暮れていた。
本当はもう飛行機に乗って、飛び立っているはずだった。前のフライトが遅れて、まさかの飛行機本体が空港に到着すらしてない状況になっていなければ。
元々の予定では、八月十九日のお昼前には東京について、そこから飛行機を乗り継いで、夕方ぐらいには家にたどり着くはずだった。
でも、今の状況だと、朔との約束の時間に日本に着いてるかどうかすら分からない。
だからといって、朔に連絡できるわけでもない。
アメリカに行くにあたって、緊急時以外に携帯電話を使うなと親から言われている。なんでも高額の通信料がかかるらしい。
大会に同行してくれた先生は海外用の携帯電話をレンタルしているけど、私はほんの数日だからいいかと思ってレンタルすらしてない。
借りるって方法もあるかもしれないけど、朔の電話番号なんて覚えてない。
携帯を見ればわかるかもしれないけど、うっかり通信したら高額請求が来そうで日本を出てから落としたままの電源をつけるのも怖い。
私の初めての海外挑戦は、素直にいってボロボロだった。
まずダンスについて、世界の壁というものをものすごく感じた。単純にレベルが高かったのもあるけれど、いつもと環境が色々違いすぎてうまく踊れなかった。
かろうじて一回戦を勝ち切れたけど、二回戦であっさり負けた。これからも海外挑戦するのであれば、スキルを磨くのはもちろん、環境が変わっても動揺しないようにしなきゃ。
あと英語が本当にできないことを実感した。自分で喋るどころか、リスニングすら満足にできなかった。シンプルに語学力が足りない。
模試とかの英語の成績が良かったから油断してたのかもしれない。問題を解くのと、自分で喋るのではなんか難易度が違う。簡単な単語すらすぐに出てこなかった。
そのほかにも両手じゃ足りないぐらい、ああすれば良かった、こうすれば良かったと言えることが反省会を開くまでもなくたくさん思い浮かぶ。
それだけでも憂鬱なのに、いつ日本に帰れるのか分からないからさらに気も沈む。
そして、この海外挑戦が終わるまで封印していたあのことも、日本に帰るのが近づいてくるにつれて、重くのしかかっている。
本当に、終業式のあの日に宣言した通り、あのあと一切朔のことは考えなかった。
――嘘。本当は一瞬だけ考えてしまった。
勝ち取った全国大会では、地区予選であんなに苦戦していたのが嘘かのように、あっさり決勝まで進んでしまった。
私の調子が良かったのか、単純に色々思い詰めていなかったからそんな風に思っただけかもしれない。
決勝では、地区予選の決勝で戦ったのと同じ人と戦った。
リベンジに燃える相手を、なんとか打ち負かして、優勝を飾った。表彰式が終わって、宣言した通りに、朔にメールで優勝したことを一番に伝えようとした。
電話だと向こうが出るか分からなかったし、何より優勝でおかしくなったテンションでうっかり色々やらかしそうだったし。
連絡しようとして、携帯を開いて目についたのは、新着のメールの通知。
なんだろうと思って開くと、「おめでとう」の五文字だけの朔からのメールだった。
私から言うはずだったのに、先を越された悔しさがほんのちょっと、私が報告するまでもなく、今日の結果を最速で見にいってくれたこと――もしかしたら、結果が早くネットに乗らないかずっと調べてくれていたかもしれないことの嬉しさがほとんど。
文字通り舞い上がった、私は片手に持っていた賞状を取り落とし、キャッチしようとして、せっかくの優勝の賞状にとんでもない折り目をつけてしまった。
まあ伸ばせばいいかと思っていたけれど、あとで親に割と強めに怒られた。
ともかく、あの一瞬だけしか朔とのことは考えないようにしていた。
それが昨日、ボロボロだった大会が終わったすぐ後から、思い出したかのように頭の奥底から復活してきた。
おかげで夕飯のソースを派手にこぼして、慌てて洗った服はホテルを出るまでに微妙に乾かなかった。
そして、いい感じの朔のことが好きだと伝える言葉もまだ思い付いていない。昨日、寝ずに考えようとしたけど慣れない海外で疲れていたのもあってあっさり寝てしまった。
今度こそ飛行機の中で考えたいところだけど、この調子だと爆睡をかましてしまいそうだ。だから、飛行機が飛び立つか分からない、今の間に考えておきたい。
そう思ったところで、いい感じの言葉を考えようとしたところで何も思い浮かばずすでに二時間以上経過していた。
昼ごはん食べてる最中も、先生に話しかけられても若干上の空で注意されながら考えたのに。
空港の椅子に腰掛けて、飛び立ったり、降り立ったりしてる飛行機を眺めて、さらに考えること数十分。いつまで経っても私が乗るはずの飛行機の情報が流れてこなくて聞き流すようになった英語のアナウンスが、ついに待ち望んだ単語を発したような気がして、現実に戻ってくる。
とはいっても、考え込んでいたせいで、ほとんど聞き取れなかった。
「あかね!だいたい一時間後に出発だって!一応そろそろ準備しておきなさい!」
先生に声をかけられてようやく事態を理解する。やっと日本に帰れる!まだこっちに来て三日目だけど!告白の言葉全く思い付いてないけど!
それにしても、出国審査エリアにすでにいるとは言え、後一時間は割と余裕はない。
シャワーは一応、ホテルを出る前に朝浴びてきたからいいとして、最低限顔を洗ったりだとか、歯を磨いたりはしておきたい。飛行機内用の飲み物とか食べ物も少しは買っておきたいし。
一緒に待っていた先生に一声かけて、身支度のために搭乗ゲートから少し離れたトイレに向かう。近くのトイレは人がいっぱいで時間がかかりそうだった。待ち合わせの場所はしっかり覚えてるし問題ないと判断して、少し離れたトイレに向かうことにした。
少し離れたトイレは人がほとんどいなくてスムーズに身支度が終わった。メインのゲートとかは離れているせいか心なしか人が少なくて、なんだかちょっとだけ居心地が悪い感じがした。
人が少ないのがなんだか不安で、早足で元の場所に戻ろうとした時、カバンの中に入れっぱなしだった携帯が鳴った。
海外にいることは親はもちろん、友達もみんな知ってるし、連絡が取れないことも伝えていた。
となると、もしかしたら先生の方で何か緊急事態が発生したのかもしれない。慌ててカバンの底から携帯を取り出す。
そしてそのまま、高額な通信料が取られるかもという不安も忘れて、誰からの電話なのかも確認することもなく電話に出た。
「もしもし、せんせ――」
『……やっと繋がった。』
携帯の先から聞こえたのは、保育園から聞き慣れた声だった。どこかほっとしたかのような声だった。
「あれ?朔どうしたの急に?」
『あー、別になんも――ないわけじゃねえな。色々といっておかないといけないことがあってさ。』
「あ!私も言わないといけないことがあるの。なんか飛行機遅れちゃって、明日――そっちだともう今日かな?十九時にはもしかしたら間に合わないかもしれないの。」
『俺も多分、無理だから。』
「え、あ、そうなんだ。……どうしよう。」
せっかく決めた決着の日が先のばしになってしまいそうだ。
まあ、待ち合わせには間に合わないだろうし、朔も急に予定とか入ったんならしょうがない。
なんだかあんなに決意を固めたのに、出鼻をくじかれてしまったみたいだ。これなら、あの時、勢いに任せていって仕舞えば良かったかもしれない。
それはそれとして、話たいことが色々あると言っていたし、長い話になるかもしれない。そしたらこんな通路の真ん中で立ち止まっていたら邪魔だ。
朔と話しながら、窓際に移動する。電話の向こうから時折パチパチと変な音がする。一体朔はどこから電話してきたんだろう。
『それよりあかね。全国大会優勝おめでとう。』
「――うん。ありがとう。」
『いつ会えるか分かんねえから、メールでもいったけどちゃんと口から伝えとくべきかなって。』
思わず携帯を取り落としそうになってしまった。
あの時、メールを開いた時よりも私の心は空高く舞い上がりかけたけど、怒られたことをギリギリで思い出して、なんとか理性を保った。
流石に、この高さで壊れるなんてことはないだろうけど、携帯を壊そうものならきっと、あの時よりもひどく親に怒られてしまう。
音が向こうに聞こえないように携帯から少し顔を逸らして、思い切り深呼吸をする。
このままじゃ、なんにも言えなくなりそうだった。現に、朔が喋ってからほんの数秒だけど変な間ができてる。
私の舞い上がりかけた心は、空港の天井あたりに激突していそうだけど、なんとか平静を保ったかのような声を絞り出した。
「そっか。じゃあ、」
『それより、初めての海外はどうだった?』
ーーいつなら会える?そう問いかけようとした私の言葉は遮られた。
いつもだったらそんなことを朔はしないのに。
ほんのちょっと引っかかりを覚えながらも、アメリカに来てから、たった三日、だけど私にとってはとっても新鮮で、楽しくて、後悔して、とっても充実した三日のことを素直に話すことにした。
「うん、色々と、すごかったけど、もっと頑張らないとなって。」
『なんだそれ。』
私のふわっとした回答に、朔が笑っている。
「まずね、英語が思ったよりも全然話せなかった。やっぱりテストとかと話すことって違うんだね。」
『まあ、それはあるかもな。』
「あと、ダンスもあんまり。今回はすぐ負けちゃった。」
『その割には、なんかあんまり落ち込んでなさそうだな。』
「……でもね、とっても楽しかったの。」
『おう。』
「踊ってる時も、日本よりも観客の人とかがたくさん歓声を上げてくれたりとか、対戦相手もしっかり反応してくれたりとかね。負けてからも観戦してたけど、そんな音の取り方ある!?とかあの動きめちゃくちゃいい!みたいななんだろう、本当に世界が広がったみたいだったの。」
『そうか。良かったな。』
「うん、良かった。」
『そうやって楽しんでけよ。そうすれば、そのうち世界一にだってなれるだろ?』
「そうだね。頑張る。」
世界一への道はそんな簡単じゃないことはわかってる。
他の人に言われたらきっと私はそう返していた。でも、相手が朔だったから、そんな返しはしたくなかった。そう考えるまでもなく答えを返していた。
そして、もしも、本当に、世界一が冗談じゃなく自分の手で掴み取ることができるなら、その瞬間を朔に見てもらいたい。
日本一の時は、逃してしまったし、何より、あの時みたいに朔の応援があれば、私はきっと世界を獲れるような、すごくて、楽しくて仕方がないようなダンスをできる気がするんだ。
「ねえ、もしも、私が世界一取れそうになったとして、その時は、あの時みたいに見に来てくれる?」
だけど、そんな気持ちは素直に伝えられなかった。ちょっと冗談を言うかのように誤魔化してしまった。
『………それは無理かもな。』
「まあ、いつになるか分からないしね!」
反射的に、ふざけたテンションで答えを返す。さっきのはただの冗談だってことをさらに証明するかのように。
だって、こういう誘いで、曖昧ななった返事もせず朔が明確に断るのは、本当に行くつもりがない時だけだから。
舞い上がっていた気持ちが強制的に引き戻される。
気のせいかもしれないけど空港の照明が暗くなったような気がする。私の気持ちと連鎖してるわけでもないのに。
視界が歪む。今回ばかりは、朔のせいで泣かされたのだと誰かに言ってやりたい。
『……あかね。そろそろ時間がないから。』
「……うん。じゃあ、またね。」
朔からこの会話を切り上げるような言葉が出されて、別れを言う。
これ以上電話を続けられても、まともに返事できないから願ってもないことだった。鼻を啜る音が電話の先にどうか聞こえていませんように。
『……本当にごめん。俺、お前のことがずっと好きだった。』
「……え?」
返ってきたのは、別れの言葉じゃなかった。謝罪と告白だった。
どうして、急に謝ったの?それにどうして急にそんなことを言うの?私が言うまで待ってくれるんじゃなかったの?頭の中がどうして?で埋め尽くされる。
そして一瞬遅れて、涙がさっきよりも勢いをつけて溢れてくる。悲しいわけじゃなかった、わけが分からなくて泣いているわけでもない。
心が舞い上がりすぎてきっと、上空を飛び立っている飛行機よりも高く飛び上がって、その代償に涙腺が壊れてしまったに違いない。じゃなきゃ、こんなに、こんなにも嬉しいのに、涙が溢れ出してくるわけがない。
『……じゃあな。』
「待って、私も――!」
好きだよと言おうとしたところで、電話が切れた。朔は私に返事を言わせてくれなかった。




