伊藤あかねは迷子になる
「誰かーー誰かいませんかー!」
どうしよう、迷子になった。あたりは暗いし、寒いし人の気配すらない。お金につられて新年早々、より具体的に言うなら、年が明けて一時間もしないうちに迷子になるだなんて、最悪だ。とりあえず、灯りのある方に向かって走っているけれども、着慣れない巫女服と草履のおかげであまりスピードは出ていない。
正月の巫女さんバイトをしないか、正確には人手が足りないから手伝ってくれと言われたのはほんの数日前だ。
元々入る予定だった人がインフルエンザになって、年明けすぐのシフトに穴が空いてしまったらしい。
頼んできたのは正式なこの神社の巫女さんである、三個上の先輩。昔は同じ教室でダンスを習っていた人だ。
元々この神社は正月どきになると、中高生が手伝うという伝統が十年ぐらい前までは普通にあったので、未成年に頼むのにあんまり抵抗がなかったみたいだ。おかげで、私にまで話が回ってきた。なんとバイト代も出してくれるらしい。
お金は欲しかったし、大晦日から正月の二日間なんて、せいぜい特番を夜遅くまで見て、昼まで寝てるぐらいの予定しかない。だから二つ返事で引き受けた。それが間違いだったかもしれない。
神社の本殿の先にある、坂の上の正月でも参拝者がほとんどいない大神宮の方に、年配の方を案内して戻っていたら迷子になった。
急いで戻りたかったから、案内した時と違う、別の道に進んでしまったのがいけなかった。
案内した時の道は明かりがついているけれど、敷き詰められた石でガタガタして、かなり段の大きい石の階段があって、走って戻るのは転けそうで怖かった。
だからその横の比較的平坦で、ただの下り坂の道を選んだのだけれども、いくら坂を降りても本殿には辿り着けなくて、しまいにはいつの間にか下り坂は上り坂になっていた。
きっとどこかで本殿に繋がる道から外れてしまったのだとは思う。ライトぐらいちゃんと持ってくるべきだった。
こんな時間帯に、灯りがついているのはこの辺りでは神社ぐらいしかないから、灯りの方に向かって進むことにした。間違っていても人がいれば道ぐらいは聞けるはず。
そう思って、ひたすら灯りのある方に向かって歩き出す。途中で誰かに気づいてもらえないか声を出しながら。
数分歩くと、だいぶ灯りのある方に近づいてきた。やっぱり神社ではあったのだけれど、私がバイトしている先とは違う神社にたどり着いていた。
それに、年が明けてすぐならある程度の初詣客がいるはずなのに、人の気配がなかった。
もしかしたら、夜中はやっていない神社なのかもしれない。そういうところがあるかどうかは知らないけれど。
たどり着いた神社の前で、なんとなく鳥居に入ることを躊躇っていた。
神社の社務所の中とかだったら人はいるかもしれないけれど、なんか入るのが怖い…。この神社に入ったら戻れないような気がする。
夜の神社に一人きりということもあって、余計にいろいろなことが怖くなってきた。
ただでさえ道に迷って真っ暗な中を一人でずっといたのもあって、すごく心細い。かと言ってこのままここで突っ立っていてもしょうがない。ここは覚悟を決めて中に入るしかない。
そう心に決めて鳥居を潜ったところで手水舎が目に入った。道を聞くだけでもちゃんと手とか清めて入った方がいいんだっけ? でも、お参りするわけでもないしな。うーん、でもなんかちゃんとしないのもなんだか気持ち悪い……。どうしよう。
「やあ、お嬢さん。こんなところまでどうしたんだい?」
「ヒュ――」
ーー変な音が喉から出て、息が止まった。
おかしい。
さっきまで人の気配なんてなかった。仮に私に見える範囲にいなかっただけにしても、近づいてきたのなら足音が聞こえるはず。
私の後ろから声をかけてきたのが、本当に人であるなら近づいてきた時に何かしらの物音がするはず。
私は心臓の鼓動だけが早くなって、少しの身じろぎもできなくなった。
昔、朔に言われたことがある。
変なところに迷い込んだ時は、声をかけられても反応してはいけない。
そして、声がした方を見てはいけない。その言いつけを破ったことはなかったのだけれど、咄嗟に喉から出た声のせいで、それは破ってしまった。
破った時にはどうなるのかも聞いたことがある。
朔は教えてくれなかったけど、よくないことが起きるのだろうなと、なんとなく予想していた。
だから、私は絶対に振り返っちゃいけない。もう一つの約束を破ったら、きっと取り返しのつかないことになる。
「ああ、ごめん、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。声が出たのは減点だけど、振り向かなかったのは偉いぞ。」
後ろから声をかけてきた人物はそう言いながら、私の前まで歩いてきた。人間のように見えたけど、やはり歩くときに足音はしなかった。やっぱり何かおかしい。
見た目は私よりは少し上、少なくとも成人してそうな見た目の男だった。着物を着ていたけれど、よく見ると足元は普通のスニーカーだ。
そして、誰かに似ているような気がする。
「それで、なんでこんなところにいるんだ?」
「ま、迷子です!隠道神社までもど、戻りたいんですけど、変な道に迷い込んじゃって。」
本当のことしか言えなかった。顔は日本人みたいなのに、やけに目立つ金色の瞳には全て見抜かれてしまう。そう思ってしまった。
ただ、なんとなく嘘をつくことの方が悪いことが起きてしまう。そんな気がした。
私の答えに、男は一瞬目を丸くした後に、大きな声で笑い出した。
……ちゃんと正直に答えたのに、なんだか損した気分だ。
男はひとしきり爆笑して、まだ笑いが抑えきれないようで、震える声で言った。
「正直でよろしい!ククッ……正直者にはご褒美をってことではいどうぞ。」
男に渡されたのは、少し古めの懐中電灯だった。古いせいかわからないけどやけに重い。片手で持つのがしんどくて、思わず両手で抱え込む。
「それで道を照らしながら帰りな!目的地はすぐ見つかるぜ!」
「ありがとうございます……?」
いや、私そもそもどっちに進めばいいか分からないんだけど。道を教えてはくれないんだ。
とりあえず、お礼の言葉は言ったけれども、不服な気持ちを隠せなくて感謝の言葉が疑問系になってしまった。
そんな私の態度が面白かったのか、男はまた爆笑し出した。
……そろそろ腹が立ってきた。元はと言えば、ショートカットしようとして迷子になった私の落ち度だけど。
「一本道だから安心しな!さっさと戻らないといけないんじゃないのか?ほらさっさと灯りつけて帰りな!」
この男はさっきから何を言っているのだろうか。一本道だったら流石に迷ってないはずなんだけど。
男の言動にいまいち納得はいってなかったけれど、促されるままに懐中電灯のスイッチを入れる。
そして男が指を刺している方向、謎の神社の反対方向に光を向ける。すると、ここにきたときはなかったはずの石畳の真っ直ぐとしとした道が照らし出された。
――おかしい。何もかもがおかしい。
誰もいない神社も、急に現れた男も、なかったはずの道も全部。
思わず懐中電灯を握る手が震えて、背中に大量の汗が流れる感覚がする。こんなところにいちゃいけない。男の言葉通りにさっさと戻らなきゃ。
ここにいるのは怖い。
「ありがとうございます!」
とにかく早く戻りたくて、早口でお礼の言葉を言って、男の顔も見ずに、石畳の道を半分走るような形で歩き出した。よろしくない態度な自覚はあったけれど男は特に注意も不快感も表さずに呑気に手を振ってきた。
「ああ、そうそう最後に。振り返るなよ。」
最後に言われたその一言が、やけに重く聞こえたのはきっと気のせいだ。こんなところにいるからなんでもかんでも深刻そうなことに聞こえてしまっているだけだろう。




